ジネント山里記 アーカイブ

私には高齢の父母がいます。
父は90歳、母は88歳です。
2人同時に体調が悪くなってきて、病院に行ったり施設に行ったりしてます。一方を病院に連れて行く日は、もう一方を施設にあずけたりしてますが、てんてこまいです。
私は一人っ子なので、交代してくれるきょうだいもいません。

ふう。

自分の仕事もあるし農作業もあるしで、今、「イエスの復活」の続きを書く余裕がないです。
父母の食事など、妻に手伝ってもらうこともありますが、妻も仕事をしており、しょっちゅうは頼めないし・・・

老人ホームやグループホームなどの入居型の施設はどこも空きがなくて順番待ちです。入居者の誰かが亡くなるか状態が悪くなって施設を出るかしないと空かないわけで、いつになったら順番が回って来るのかもわかりません。

少子高齢時代の現実ですね。


過去に書いたものは、以下からも読めます。
http://yamazato.ic-blog.jp/home/archives.html

それと、「ジネント山里記」で検索すると、古い聖書の販売を装うインチキのサイトが表示されることがあるので、ご注意ください。通報してもなかなか削除されないし、削除されても別なのが出てきて、迷惑しています。
古い聖書は、信頼できる店や信頼できるネット通販等からお買い求めください。

(伊藤一滴)

非神話化9・イエス・キリストの復活

イエス・キリストの復活について語ろうとすると、どうしても、自分の思いが混じる。

新約聖書の使信(ケリュグマ、宣教)は、はっきりとイエスの復活を宣べている。だが、これを宣べ伝えたのはおよそ2千年前の古代の人々である。何度も言うが、新約聖書の世界は古代人の世界であり、その時代の世界像は現代の我々が思い描く世界像とはかなり違っている。

先に書いたことを繰り返すが、新約聖書の人々は、地球は丸いとか、地球は太陽の周りを回っているとか、知らなかった。細菌やウイルスが原因で病気になることも知らなかった。経験的に知っている現象も、科学的に説明することができなかった。
当然だが、当時の人たちは現代人より「頭が悪かった」のではない。彼らには「今日のような科学的な認識がなかった」のだ。当時は知るすべもなかったのだから。

そのような古代人が執筆した聖書を、現代人の我々が「文字通り」信じることができるのだろうか?
答えは否である。
もし、聖書を「文字通り」信じるなら、我々は古代人と同じ世界像を受け入れなければならなくなる。聖書は当時の世界像を前提に書かれているのだから、その世界像を受け入れることができないのなら、文字通り信じることなどできないのだ。

今日でも「聖書を文字通り信じています」と言う人はいる。だが、そう言う人の多くはかなり無理な信じ方をしているように思える。


では、現代の科学的な認識を知ってしまった我々は、イエスの復活をどう考えたらいいのだろうか。

「ブルトマンはイエスの復活を否定している」と言う人がいるが、正しくない。ブルトマンは復活を否定したのではなく、蘇生のようなイメージの復活を神話的であるとした上で、ケリュグマにおけるイエスの復活の意味を論じたのだ。

史的イエスとケリュグマのキリストは違う、分けて考えるべきだという。信ずべきはケリュグマのキリスト(宣教のキリスト)であって、史的イエスではない。史的イエスの復元は不可能だし、仮に復元できたとしても、史的イエスは信仰の対象ではない。

同様に、史的処刑杭とケリュグマの十字架も分けて考えるべきだ(ブルトマンはそこまでは言っていないようだが)。
信ずべきはケリュグマの十字架(これはたぶん私の造語、宣教された十字架のこと)であって、史的処刑杭ではない。史実のイエスが磔にされたた処刑杭は十の字の形ではなかったのかもしれない。史実としての処刑杭の形状は断定できないし、仮に分かったとしても、史実の処刑杭は信仰の対象ではない。

復活も、そうなのだろう。
当時の人々が「イエスは復活した」と信じた出来事があったのだ。その史実が核となって当時の表現でイエスの復活が論じられ、新約聖書に収められたのだろう。
我々は、そこから「ケリュグマの復活」を実存的に読み取るべきだ、となるのだろう。
つまり、信ずべきは、史実として何が起きたのかではなくケリュグマの復活だ、ということになる。

だが、私は、史実として何が起きたのか気になっている。
現代の技術なら、写真や動画や音声を残すことができる(もっとも、最近は技術が進み過ぎて、見分けが困難なフェイクまで作れるが)。
ありえない話だが、もし、2千年前にビデオ撮影の機械があって、イエスの復活の場面を写した動画が残っていたら、我々はそれを見て、イエスの復活は史実ではこうだったと言えるだろう。そんな想像をしながら思った。イエスの復活とは、撮影や録音ができる現象だったのだろうか?


史実としてのイエスの復活は「人々の心の中にイエスが復活したことだ」と考える人もいる。
そうかもしれない。しかし、それだけだろうか。

福音書によれば、イエスが捕えられたとき、ペトロをはじめほとんどの男の弟子は逃げている。だが、復活したというイエスとの出会いがあって、弟子たちは劇的に変わり、力強い伝道者になってゆく。彼らを強く大きく変えた復活とは、何だったのだろう? 「心の中に復活した」程度のことだったのだろうか?

史実の「復活」は信仰の対象でも信仰の論拠でもなくて、新約聖書の使信(ケリュグマ、宣教)を信じるのが信仰だと言えばそうなのだろう。
それでも私は、史実としての「復活」がどのような現象だったのか、とても気になっている。気になっているが、わからない。


現存する復活の証言は、パウロの書簡が最古のものである。次いでマルコ福音書、その次がマタイとルカの福音書(この2つはどちらが先か不明)、その後でヨハネ福音書と続く。それぞれ食い違いもあるし、成立が後になるほど、話は大きくなっている。

新約聖書は福音書から始まるが、実際はパウロ書簡の方が福音書より先に書かれている。
パウロはコリント前書でイエスの復活をこう語る。これが現存する最古の復活の証言である。
「15:3わたしが最も大事なこととしてあなたがたに伝えたのは、わたし自身も受けたことであった。すなわちキリストが、聖書に書いてあるとおり、わたしたちの罪のために死んだこと、 15:4そして葬られたこと、聖書に書いてあるとおり、三日目によみがえったこと、 15:5ケパ(=ケファ、ペトロのこと、引用者)に現れ、次に、十二人に現れたことである。 15:6そののち、五百人以上の兄弟たちに、同時に現れた。その中にはすでに眠った者たちもいるが、大多数はいまなお生存している。 15:7そののち、ヤコブに現れ、次に、すべての使徒たちに現れ、 15:8そして最後に、いわば、月足らずに生れたようなわたしにも、現れたのである。」(コリント前書)
この話は福音書と食い違う。ヨハネ福音書ではケファ(ペトロ)より先にマグダラのマリアが復活したイエスに会っているし、マタイ福音書だと複数の女たちが会っている。「次に、十二人に現れた」というが、11人ではなく12人ということは、イスカリオテのユダもいたのか。

マルコは、イエスの墓に遺体はなく、若者(天使?)がいたという。イエスは現れない。なお、マルコ16:9以下は後代の加筆であり、古代のどの写本にもない。
マタイとルカでは復活したイエスが姿を現す。
ヨハネに至っては、復活したイエスはペトロたちの漁に指示をするし、火を焚いて朝食の用意までしている!
後代になるほど話に尾ひれがつくのか、どんどん話が大きくなる。

復活したイエスが姿を現したという話はどれも神話的だ。

(続く)


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非神話化8の6・現存の十字架

話を戻す。

聖礼典(=サクラメント、秘跡)の中に、また、日常生活の中に、キリストの十字架と苦難は現存するという話だった。

「クリスチャンは神の国と神の義を第一に求めるべきであり、政治や社会の問題に口出しすべきではありません」といった主張があるが、それは十字架の現存に反する。政治や社会の問題は日常生活と深く関わっており、その日常生活の中にキリストの十字架と苦難が現存するのなら、政治や社会の問題への取り組みも神の国と神の義の希求の一環だと考えなければ筋が通らない。

信者は聖礼典によって、また日常生活においてもキリストの十字架と苦難と共にある。


どこまでを聖礼典の範囲とするのかは、教派によって異なる。多くのプロテスタントは洗礼と聖餐の2つを聖礼典とし、カトリックは7つのサクラメントを主張する。カトリックの場合、サクラメントは、洗礼、堅信、聖体、叙階、婚姻、告解、終油の7つとされてきた。近年は、告解と言わずに「ゆるしの秘跡」、終油と言わずに「病者の塗油」と言うことが多いようだ。正確でわかりやすい表現に換えているのだろう。
無教会のように、目に見える形での聖礼典を執り行なわない集まりもある。この場合は、精神的なサクラメントの内にある、ということなのかもしれない。

クリスチャンの中に、サクラメントが何より大事みたいな雰囲気を感じることがあった。もちろんごく一部であり、全体がそうだというのではない。
サクラメントを大事にすることを非難などしない。だが、それは他の何よりも優先すべきことであろうか。
たとえば、聖餐を受けることを優先して病気の家族を家に置いて教会に向かったなら、それは神の御旨にかなうのだろうか。あるいは、教会に向かう途中で行き倒れの人を目撃したが、聖餐式に遅れるといけないから知らんぷりして通り過ぎた、という場合はどうか。聖礼典は何より大切な信者の義務で、他のすべてに優先することなのか?

イエスの教えの頂点にあるのは「心から神を愛し、隣人を愛すること」であろう。サクラメントの否定ではなく、優先順位の問題なのだ。「イエスの教えに従うなら何を優先するのか」という話だ。


先に史実史と歴史(実存史)について述べたが、イエスの苦しみと死は、史実であると同時に、信じる人にとっての歴史(実存史)でもある、ということになる。

この歴史は、単に、終わってしまった過去の出来事ではなく、現在の出来事でもある。
今、十字架は、聖礼典(サクラメント)の中にあり、日常生活の中にある。
こうした主張はキリスト教界には広くあって、ブルトマン独自の主張ではない。ブルトマンは、十字架の現存に関しては、正統的な教義を受け継いでいると言える。


新約聖書は、読みようによっては、審判の時は既に来ており神の国は到来しているとも読める。十字架の意義は、世に対する審判であり、人に対する審判なのである。
イエスの十字架の死は、我々を解放するのであり、自分自身を十字架につけてイエスに従うのかどうかが問われている。

何か、こうやって、ブルトマンの主張を要約しようとすると、保守的なキリスト教と重なる部分がかなりあるようだ。ブルトマンはキリスト教を破壊したのではなく、キリスト教の側に立って護教的な主張をしたのだと思う。
見方によっては、科学が進んだ20世紀におけるキリスト教の生き残りの道なのかもしれない。


「ブルトマンは異端です」などと言う人たちに近寄らないほうがいい。それはカルト思考の人たちだ。強力なイデオロギーの支配下にあって、頭の中が古代や中世から進化していない。彼らにとってブルトマンは都合が悪いのだ。
「ブルトマンは教義の一部を変更した」と非難する人もいるが、ルターやカルヴァンだって、当時の教義を一部を変更しているではないか。プロテスタントが枝分かれしたのだって、さらなる教義の一部変更があったからだ。見方によっては、それは教義の進歩、進化とも言えるのではないか。教義の一部変更を否定するのなら、プロテスタントを否定しないといけなくなる。カトリックが公会議を開いて教会の刷新をはかったことも否定しないといけなくなる。
だいたい、「ブルトマンは異端です」とか「ブルトマンは教義の一部を変更した」とか言って非難する人たち自身、新約時代の教えを忠実に受け継いでいるわけではない。彼らは、聖書のどこにも書かれていないことを強く主張する一方で、聖書に明白に記された言葉の一部を無視している。
日曜日は安息日だとか、日曜礼拝参加は義務だとか、飲酒は一切禁止とか、どこにも書かれていないことを言い張る。聖書は66巻だとか、信仰の論拠は聖書のみとか、聖書は誤りなき神の言葉であるとか、こういったことも書かれていない。誰も先生と呼んではいけない、一切誓ってはいけない、女性は教会で教えてはいけない、これらは書いてある。書いてあるのにこっちは無視か。
ブルトマンが熟慮の末に出した見解を「聖書に反する」と簡単に否定しておいて、自分たちの「聖書のどこにも書かれていない主張」や「書いてあるのに無視する主張」は理屈をこねて正当化するのか。
ああ、いけない、こうした話になるとまたまた脱線する。


「イエスの十字架の死は旧約の完成である」とか「イエスは十字架で私たちの罪を贖った」とか、「正統」の人たちは言うが、こうした見解には、ブルトマンは否定的だ。
やはりこれは、受け継がれてきた教義の一部変更ということになろう。

「イエスは十字架で私たちの罪を贖った」という贖罪説は当然のように語られてきたが、実は、はっきり聖書にそう記されてはいない。贖罪説はパウロの書簡から導かれた見解であるが(ロマ3:23~24など)、これは新約全体を貫く主張とは言えない。特にヘブル書は、イエスの十字架の意義を論じながら、贖罪説がまったく出てこない。私は、ヘブル書は、贖罪説への反論の書かと思った。

「聖書はすべて神の霊感によって書かれた誤りなき神の御言葉です」などと言っていると、聖書の各文書の考え方の違いが見えなくなってしまう。

先にも言ったが、「聖書はすべて誤りなき神の御言葉である」という言葉はもちろん、「信仰の論拠は聖書のみ」とか「聖書は66巻である」とか、聖書それ自体のどこにも書かれていない。これらは、時代の状況の中で主張されたことだ。
時代の状況の中での主張をイエスの教えと同等に置くことはできない。時代的な主張を、時代を超えた普遍の真理のようにせず、なぜそう主張されたのかをふまえ、場合によっては見直す勇気も必要であろう。


ブルトマンは十字架を実存的に捉えようとする。
イエスの十字架は、神話論的に捉えるべきではなく、実存論的に捉えるべきだということになる。
だが、実存論の解釈は分かれるかもしれないし、やがて実存論的解釈だって、20世紀の時代の風潮、時代の制約の中で主張されたことだと言われてしまうかもしれない。
また、実存論のような抽象的な考えを一般庶民に伝道し、それを信じて受け入れる人がいったいどれだけいるのだろう。教会は大学の哲学科の学生だけを対象に伝道しているのではない。
実存論的理解は一部の人たちの信仰となり、大衆を切り捨てることにはならないのだろうか。
疑問はいろいろと残る。

(伊藤一滴)

(次回は、「イエス・キリストの復活」を予定。そのあたりで一旦終了しようと思います。でも、もしかすると、「キリストの再臨」「永遠の生命」まで話が行くかも。)


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番外編・自称「キリスト教」の自称「クリスチャン」たち

前回、話が脱線してしまったついでにもう少し書く。

キリスト教を自称する原理主義者やカルトらの狂信・盲信による折伏的な活動は物凄い。
私は若い頃、彼らに取り囲まれ、「あなたの聖書理解は間違っています」と詰め寄られ、さんざん詰問されてひどい目にあった。何度もやられた。私の後輩のカトリック信者の学生も同じようにやられて、「プロテスタント信者は怖い」と言っていたから、「あんなのはごく一部の特殊な人たちで、大多数のプロテスタントはカトリックに友好的だよ」と私は言ったんだけれど・・・。

彼らのやり方は、伝道になるどころか、キリスト教に対する悪いイメージを撒き散らすだけで、マイナスの伝道でしかない。
彼らの常軌を逸した現行の数々は、誠実にキリスト教を信じている人やキリスト教を求めようとする人にとって本当に迷惑な話だ。彼らは「福音派」とか「聖霊派」とか称することが多い。「教派でなく純粋なキリスト教」を名乗ることもある。一般の、原理主義でない福音派(聖霊派を含む)には善良なクリスチャンが多いと思うが、原理主義者やカルトと同一視されてさぞ迷惑していることだろう。

原理主義者やカルトらも一枚岩ではないからいろいろな主張があるようだが、中には現在のイスラエルを支持する勢力もある。

冷静に考えてみればよい。まともなクリスチャンが、現在イスラエルがやっていることを支持するだろうか?
イスラエル支持派はハマスのテロの残虐性がどうこうと言うが(確かにハマスの残虐行為は非難すべきことではあるが)、殺害された市民の数だけ見ても、イスラエルによる無辜の殺害の方が比べものにならないくらい大規模だ。1200人殺されたら3万人以上殺して報いるやり方は、どう理屈をつけても正当防衛を超えている。ハマスのテロを口実にしたジェノサイドではないか。イスラエル軍によるガザの封鎖と攻撃は、イエスの愛と平和の教えとはまったく相容れない。方向が正反対だ。イエスの教えと正反対のイスラエル支持派が「クリスチャン」を自称しても、彼らをクリスチャンと呼んでいいのか。

「正統的プロテスタント」だの「福音的な教会」だの「正しい聖書信仰に立つ」だのと称するクリスチャンの皮を被った狂信者や好戦論者たちに乗せられてはいけない。
「ヒトラーのやり方は正しかった」と言う人をクリスチャンとは言わないように、現在のイスラエルのやり方を支持する人をクリスチャンと呼ぶべきではない(※)。

彼らが言う「キリスト教入門」だの「聖書入門」だのは、一般のキリスト教ではなく、かなり特殊な見解である。
本気で「キリスト教入門」や「聖書入門」を求めるのなら、主流派のプロテスタント、またはカトリックの教会、一般の(原理主義でない)福音派、および無教会、正教会などの、まともな信徒、牧師、司祭から話を聞くべきだ。

見分け方がある。
良い木はよい実を結び、悪い木は悪い実を結ぶ。
実を見れば木は分かる。

(せっかくのイースターなのに、こんな話になってしまった。)

(伊藤一滴)

※「私たちはヒトラーを支持していない」なんて、また言い出す。あなた方がヒトラーを支持していると言ってるんじゃなくて、現在のイスラエルを支持するのはヒトラーを支持するのと同じじゃないかって言ってるんです。ちゃんと読んでください。まともに文意を読み取らずに何か言っても反論になってません。


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番外編・人間の側からの神への協力を否定する「クリスチャン」

(あまりに文章が乱れたので、書き直しました。すみません。)


前回、最後にコロサイ書の言葉を引照した。

『いま、わたしは、あなたがたのための苦難を喜んで受けており、キリストのからだなる教会のために、キリストの苦しみのなお足りないところを、わたしの肉体をもって補っている』(コロサイ1:24)

この箇所をキーボードで打ち込みながら、私は、若い頃に言われたことを思い出した。

20代だった私は「万物の創造は神の一方的な御業だが、神の国の到来は神と人との協力によるものだ」と考えていた。実は諸説あるのだが、当時はそう思っていたからそう言ったら、「正しい聖書信仰に立つ福音主義のクリスチャン」たちから、もの凄く叱られた。
「何を言っているのですか! 人間が神様に協力できることなど何もありません! 人はみな罪人(つみびと)であり、地のちりに等しいのです! 天地創造も神の国の到来も、ただ神様の御業であって、人間の協力など一切必要ないのです!」
と、凄い剣幕だった。

私を叱りつけた「正しい聖書信仰に立つ福音主義のクリスチャン」(原理主義者、あるいはカルト信者だろう)たちは、コロサイ書にある上記の言葉を知らなかったのだろうか。
彼らは「正統」を称するから、キリストは神の子であり、神そのものであると主張する。聖書には、その「キリストの苦しみのなお足りないところを、わたしの肉体をもって補っている」と、はっきり書いてあるではないか。人間であるパウロが、神であるキリストを補うという。そう書いてあるのを否定するのだろうか。「キリストの苦しみの足りないところなど、何もありません。人間が自分の肉体で補えることなど何一つありません」とでも言うのだろうか。(実際は、コロサイ書はパウロの作ではなく、後にパウロの名で書かれた偽書であるが、彼らは「パウロの作です」と主張していた。)

彼らの「人間が神様に協力できることなど何もありません」という主張は、「この世で困っている人たちのために、私たちは何もしません」と言っているのと同じだ。神が嘉されるのは、この世で困っている人たちのために動こうとする人たちではないのか。

プロテスタントの主流派も、一般の(原理主義でない)福音派も、カトリックも、正教会も、無教会も、みなクリスチャンだ。だが、自称「正しい聖書信仰に立つ福音主義」の人たちをクリスチャンと呼んでいいのか、私はかなり疑問に思った。どうも、よく聞いてみると、彼らは、「自分は救われて天国に行きたい」としか考えていないようだった。つまり、クリスチャンと称してはいるが、ただ単に天国という御利益(ごりやく)を求めるだけののエゴイストの集団だった。他宗教や無宗教の人だって簡単に地獄には行けないが、この人たちは間違いなく地獄へ向かっていると思った。今もそう思っているわけではないが、当時は本気でそう思った。
サタンの働きというものが本当にあるのなら、「正しい聖書信仰に立つ福音主義」の名のもとにエゴイストになってしまうのは、まさにサタンの働きだと思った。彼らは、自分たちを「福音派」とか「教派ではなく純粋なキリスト教」とか称しながら、サタンに支配されていると思った。
今思えば、彼らもまた被害者だったのだろう。吸血鬼にやられた人が自分も吸血鬼になって他の人の血を吸うように、被害者が加害者になってゆく。

吸血鬼にやられないよう気をつけないといけないが、たとえ吸血鬼に噛まれても、その人に免疫があれば感染は避けられる。
一般の(原理主義でない)教会の牧師や司祭のお話には、吸血鬼にならずに済む免疫効果がある。特にリベラル派とされる教会の見解がそうだ。ブルトマンはもちろん、田川建三氏の著書などは、さらに免疫効果が高い。日本キリスト教団出版局、新教出版社、教文館などから、免疫となる良書も多数出ている。免疫があれば、キリスト教を称するカルトにならずに済む。
浅見定雄先生の著書にあったが、一般の教会やキリスト教系の学校などで、当たり前のキリスト教に触れた経験のある人たちは、統一協会などのカルトに引っかからずに済む場合が多いという。免疫が出来ているのだろう。当たり前のクリスチャンが言う当たり前のキリスト教をある程度知っておけば、統一協会、エホバの証人、自称「福音派」や「教派ではなく純粋なキリスト教」などの、脱線したキリスト教系カルトに乗せられずに済む。

こっちの話まで、脱線してしまった。
これは、番外編にする。

(伊藤一滴)


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非神話化8の5・日常生活の中の十字架

(あまりに文章が乱れたので、書き直しました。すみません。)


前回、聖礼典(サクラメント、秘跡)の中にキリストの十字架と苦難は現存するというブルトマンの見解を書いた。その点、ブルトマンは、パウロの主張に従っている。

またブルトマンは、聖礼典においてだけでなく、日常生活の中にキリストの十字架と苦難は現存するとして、次のように言う。読みやすい文章ではないが、山岡喜久男訳の『新約聖書と神話論』から引用する。

「それから、さらに、キリストの十字架は、信徒の具体的な生活遂行において、現在なのである。『キリスト・イエスに属する者は、自分の肉を、その情と欲と共に十字架につけてしまったのである』(ガラテヤ5:24)。またパウロは、『わたしたちの主イエス・キリスト十字架によって、この世は、わたしに対して十字架につけられ、わたしもこの世に対して十字架につけられてしまったのである』(ガラテヤ6:14、ブルトマン訳からの重訳か、引用者)と語り、また『その死のさまとひとしくある』者として、『その苦難にあずかる』ことを経験せんと努めているのである(ピリピ3:10)。」

「いまや、『情と欲』とを十字架につけることが、それをとじ籠めることであり(私はこの見解に賛成しているわけではない、引用者)、また苦難に面しての恐怖と敗走とを克服することであり、また、苦難を引き受けることが、この世からの自由を獲得することであるかぎり、つねにそこで死が人間に働くところの苦難を喜んで引き受けることは、『イエスの死を、われらの身に負うている』ことであり、『イエスのために死に渡されている』ことなのである(コリント後4:10以下)。かくして、キリストの十字架と苦難は現在なのである。」

また、キリストの十字架と苦難は、過去の出来事に限定されるべきではないとして、次の箇所を挙げる。これは、パウロの弟子の一人がパウロの名で語った言葉であるという。

『いま、わたしは、あなたがたのための苦難を喜んで受けており、キリストのからだなる教会のために、キリストの苦しみのなお足りないところを、わたしの肉体をもって補っている』(コロサイ1:24)

以上、『新約聖書と神話論』より。

これらはみな、新約聖書に収められたパウロの言葉、およびパウロの名によって書かれた言葉である。
やはりブルトマンは、パウロの見解のある面は受け入れている。

(続く)

(伊藤一滴)


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非神話化8の4・聖礼典のうちにある十字架

先に書いたことと重複するが、ブルトマンは、正統とされる教義のある部分を批判し、別な部分は受け継いでいる。

批判するのは次のような考え方である。

イエス・キリストは天地創造の前からおられた先在的な神の子であった。イエスは罪なき者であったが、人間となって世に生まれ、十字架につけられた。彼はあがないの供え物であり、そして彼の流した血は我々の罪をあがなうのである。彼は私たちの身代わりとなって世の罪を担った。そして、彼が、罪の罰である死を引き受けることによって、私たちは死から免れることができるのだ。

ブルトマンによれば、こうした理解は「犠牲の表象と律法的な充足説とが混じっている神話論的な解釈」であり、「我々にとってはつき従ってゆけないものである」という。(『新約聖書と神話論』)

氏のこうした見解から、これも先に書いたことだが、「ブルトマンの言っていることは間違っています! 正統信仰に反します!」といった非難が出てくる。

その一方でブルトマンは伝統的な教義を受け継いでもいる。
ブルトマンは新約聖書を引用しながら、聖礼典(サクラメント、秘跡)の中にキリストの十字架と苦難は現存するのであり、それは単なる過去の出来事ではなく時間を超えたものだと言う。

「バプテスマにおいてわたしたちは、キリストの死のうちにバプテスマされ(ロマ6:3)、キリストとともに十字架につけられたのである(ロマ6:6)。聖晩餐において、その時々に主の死が告知されるのである(コリント前11:26)。聖晩餐をうくるものは、十字架につけられた体に、流された血に、あずかることである(コリント前10:16)。」(『新約聖書と神話論』)

上記引用は、用語の別の言い方と聖書の箇所の明示が必要だろう。

バプテスマ:洗礼のこと、教派によっては浸礼という。
バプテスマされ:洗礼を授けられるという意味。
聖晩餐:聖餐式、コミュニオンのこと。キリストの体であるパンを食し、キリストの血である葡萄酒を飲む儀式。その頻度は教派による。

ロマ 6:3 それとも、あなたがたは知らないのか。キリスト・イエスにあずかるバプテスマを受けたわたしたちは、彼の死にあずかるバプテスマを受けたのである。

ロマ 6:6 わたしたちは、この事を知っている。わたしたちの内の古き人はキリストと共に十字架につけられた。それは、この罪のからだが滅び、わたしたちがもはや、罪の奴隷となることがないためである。

コリント前11:26 だから、あなたがたは、このパンを食し、この杯を飲むごとに、それによって、主がこられる時に至るまで、主の死を告げ知らせるのである。

コリント前10:16 わたしたちが祝福する祝福の杯、それはキリストの血にあずかることではないか。わたしたちがさくパン、それはキリストのからだにあずかることではないか。

(引用は日本聖書協会の口語訳による、以下同)

これらはみな、新約聖書に収められたパウロの言葉である。
ブルトマンは、パウロの見解のある面は批判するが、別の面は受け入れている。

(続く)

(伊藤一滴)


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朝日新聞beの校歌(爆笑)

Photo


全然関係ない話ですが、今日(2024年3月16日)の朝日新聞beの10頁に載っている額縁に入った「校歌」に爆笑したんで紹介します。作詞は飯樫角蔵(いいかしかくぞう)、作曲は宵目呂泥(よいめろでい)です。

引用開始

一 地元の名所を語りつつ
   遠くに眺める高い山
   かつては澄んでた一級河川
   近づくときは気をつけて
  学べ学べ 若人よ
  ああ我らの校歌斉唱

二 地元の名産讃えつつ
   いつかは行きたい食紀行
   商店街に火を灯せ
   学んだあとは腹が減る
  食せ食せ 若人よ
  ああ我らの校歌斉唱

三 地元の伝統誇りつつ
   個性と進歩を大切に
   目立った杭は叩かれる
   雉も鳴かずばバズりまい
  進め進め若人よ
  ああ我らの校歌斉唱

引用終了

お堅いイメージのある朝日新聞ですが、やってくれますね。

(伊藤一滴)

非神話化8の3・十字架の出来事とその意味

さて、前置きが長くなったが、いよいよ本題に入る。(教会の教えやブルトマンの記述に合わせる場合は十字架と書く)

どの教会も、イエス・キリストの十字架の死と、復活を教えている。キリストの十字架の死によって、私たちは罪と死から解放されたと教えている。では、ブルトマンはどう考えていたのだろう。

イエスが十字架で殺されたのは史実であることはブルトマンも認めている。
その十字架の死の意味を新約聖書は神話的に語っている。

神話論的な解釈とは、つまりこうである。
「先在的な、人間となった神の子が-かかる者ととして、彼は罪なき者であったが-十字架につけられたのである。彼はあがないの供え物であり、そして彼の流した血は我々の罪をあがなうのである。かれは代償的に世の罪を担った。そして、彼が罪の罰、すなわち、死を引受けることによって、彼は我々を死から免れさすのである。」(『新約聖書と神話論』)

なんとも読みにくい文章なんで、もう少し読みやすく書くとこうなる。
イエス・キリストは天地創造の前からおられた先在的な神の子であった。イエスは罪なき者であったが、人間となって世に生まれ、十字架につけられた。彼はあがないの供え物であり、そして彼の流した血は我々の罪をあがなうのである。彼は私たちの身代わりとなって世の罪を担った。そして、彼が、罪の罰である死を引き受けることによって、私たちは死から免れることができるのだ。

ブルトマンは上記のような理解を「犠牲の表象と律法的な充足説とが混じっている神話論的な解釈」であるとし、「我々にとってはつき従ってゆけないものである」と断ずる。(『新約聖書と神話論』)

このあたり、保守的な信者から「ブルトマンの言っていることは間違っています! 正統信仰に反します!」と言われそうだ。

ではブルトマンは、イエスの十字架の死による罪からの解放を否定するのかというと、そうではない。
「犠牲の表象と律法的な充足説とが混じっている神話論的な解釈」には「つき従ってゆけない」とし、「そういった神話論的解釈は、せいぜい、人間が今まで犯してきた罪-そして未来においてもまた犯すところの罪-が、それに対する罰が免除されるという意味において、赦されるということをいいうるにすぎぬだろう」と言う。そして、「しかし事実的には、むしろこう言わねばならない。すなわち、信徒は、キリストの十字架によって、人間を支配する力としての罪から、或いは、罪を犯すことから自由にせられているのだといわなければならない。」(『新約聖書と神話論』)

うーむ。難しい。こんな話について行くのは大変だ。

「『世』の諸力に頽落している人間、すなわち、我々自身に対する審判が、十字架において遂行せられている」とも言う。(『新約聖書と神話論』)

我々自身だ。しかも、過去の出来事ではない。イエスの十字架は、『世』の諸力に頽落(たいらく)している現在の我々に対する審判なのだ。

キリストの十字架を信じるとは、神話をそのまま信じることではない。
「神がイエスを十字架につけることによって、神は我々のために十字架を立て給うたのである。(略)キリストの十字架を信ずるということは、キリストの十字架を自身のものとして引きうけること、すなわち、キリストとともに自己を十字架につけるということを意味するのである。(略)十字架は、決して、我々が回顧する過去の出来事ではなく、その有意義性において理解され、信徒にとって、つねに現在であるかぎりにおいて時間のうちにある、また時間を超えた出来事なのである。」(『新約聖書と神話論』)

う~~む。
十字架の死は、我々が回顧する過去の出来事ではないという。
ブルトマンは、信徒はキリストの十字架によって罪および罪を犯すことから解放されると言う。

キリスト教の否定ではない。否定ではないが、伝統的なキリスト教とは違うと言われそうだ。正統教義の一部を否定している、異端の神学だと言われそうだ。

でも、その、「伝統的なキリスト教」に、現代人はついて行けなくなったのだ。

「プロテスタントは宗教を魔術から解放した」(マックス・ヴェーバー)のではない。ルターやカルヴァンだって、地球は太陽の周りを回っているという考えを否定している。プロテスタントが盛んに魔女狩りをやり、カトリックが魔女狩りをやめてからも続けていたことを忘れてはいけない。聖書を文字通り読むなら、「魔術を使う女は生かしておいてはならない」と聖書に書いてある。(「出エジプト記22章」)

時代の子は、その時代の中で生きたのだ。過去の時代の世界論・宇宙論を、現代人も文字通りそのまま信ぜよと言うのは無理がある。それは反知性の陰謀論と変わらない。

ブルトマンが異端派だと言うのなら、ルターやカルヴァンが考えていたように、地球は太陽の周りを回っているのを否定するのが正統キリスト教なのか? 「魔術を使う女は生かしておいてはならない」と主張するのが正統キリスト教なのか?
 
「聖書を文字通り信じています」と言うのは一見正統のようだが、それは、現代においては無理があり、未来に続く信仰とは言えないだろう。

ブルトマンはルター派(ルーテル教会)の伝統の中に生まれた人であり、見方によっては、20世紀の宗教改革者と言えるのではないだろうか。

(続く)

(伊藤一滴)


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非神話化8の2・「史実の処刑杭」と「信仰上の十字架」

ブルトマンが論じた「史的イエスとケリュグマのキリスト」の関係は、「史実の処刑杭」と「信仰上の十字架」の関係と似ていると思う。

仮に、イエスの処刑を目撃した人がすぐに描いた処刑杭の形状の文書や図が発見され、それが十の字の形でないと判明したとしても、教会は十字架を降ろさないだろう。キリスト信者が仰ぐのは「信仰上の十字架」であり、「史実の処刑杭」ではない。ブルトマン流に言えば、「史実の処刑杭は我々の信仰とは何の関係もない」となるのだろう。
教会は「信仰上の十字架」を信ずべきものとして宣べ伝えてきた。まさに、ケリュグマの十字架と言っていい。

ケリュグマの十字架という言葉は、すでに誰かが言っておられるのかもしれないが、私は今まで聞いたことがない。これは自分で思いついた言葉である。私の新造語かもしれない。
(十字架のケリュグマという言葉はある。イエスの十字架の死を宣べ伝えるという意味だ。)

時代性もあるのだろうが、第二次大戦中から戦後にかけて非神話化を論じたブルトマンは、何も疑わずに十字架という言葉を使っている。ブルトマンの頭の中にあった十字架とは、伝統的にイメージされてきた十の字の形のものだったのだろう。

以下、教会の教えやブルトマンの記述に合わせる場合は十字架と書くが、便宜上そう書くのであって、私は、処刑杭(スタウロス)の形状は不明と考えている。

もう一点。イエスの処刑を、磔(はりつけ)とか磔刑(たっけい)とか呼んでいいのかどうかという問題がある。
前回引用した佐藤研氏の文にこうある。「(したがって同刑は、高架に縛り付けて槍で刺す「磔(はりつけ)」とは異なる)」

イエスは処刑杭に釘で打ちつけられ、死ぬまで晒された。右わき腹を槍(やり)で突かれたとあるのは、ローマ兵による死亡確認であって、殺すためではない。
日本の江戸時代の磔とはちょっと違う。

だが、イエスの磔、磔刑という言葉は伝統的に使われ、定着した言葉になっている。
イエスの処刑も、広い意味で、磔(=磔刑)と呼んでいいのではないかと思うので、今後もこの言葉は使うことにする。

あとは、以下のことを前提とする。

イエスは実在の人物である。史的イエスと新約聖書が描くイエス・キリストにはズレがあるが、イエスの存在そのものは史実であって、架空の人物ではない。ただし、史的イエスの言行を正確に復元することはできない。
このイエスが処刑杭(スタウロス、伝統的に十字架と呼ばれるもの)につけられて殺されたのも史実である。

(続く)

(伊藤一滴)


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非神話化8の1・「十字架」とされる刑具の形状は

私が読んだ範囲で、ブルトマンが十字架の形状について何か言及している箇所はなかった。
今回もブルトマンの主張からはそれるが、イエス・キリストの「十字架」について語るなら、その形状について書くのが先だろう。

最近私は「十字架」ではなく「杭(十字架)」と書くことが多い。

新約聖書には「十字架」に関する記述がいくつかあるが、具体的な形状については何も書かれていない。
一般に「十字架」と訳されるギリシャ語のσταυρόςは、本来まっすぐな「杭」という意味だという。

実は、イエスが磔にされた刑具は、我々が十字架(cross)という言葉からイメージするような、漢字の十の字の形のものであったとは断定できない。

実際にイエスの処刑を見た人が描いた絵や図は何も残っていない。磔刑のキリストを描いた絵画や彫刻は多数あるが、みな後代のものである。

新約聖書の執筆者たちはギリシャ語で「杭」(σταυρός)と書いた。単に「木」と書いた箇所もある。σταυρόςはやがて十の字の形のものとされ、十字架と訳されるようになった。

ギリシャ語のσταυρόςは本来「杭」という意味だというのは、知っている人には当然のことだろうが、私は最近知った。それからは、単に十字架と書くのがためらわれるようになった。

新約聖書ギリシャ語辞典には「十字架」とあるが、それは後からの解釈による意味であり、新約聖書の執筆者らが十の字の形を思い浮かべていたかどうかはわからない。
(聖書が先で辞典は後だ、辞典が先で聖書が後ではない。)

イエスは両手に釘を打たれたというから、そのような形状であったのだろう。佐藤研先生がおっしゃるようにT字型であったのかもしれないし、一本の柱のような棒状の杭であったのかもしれない。ユダヤ人の王という札をつけたというから、十字型かもしれないが、プラカードのような札ならT字型の刑具の上部に打ち付けることもできたろう。もっとも、この札の話も史実かどうかはわからない。もしかすると、一本の杭に、バンザイのような形で両手を釘打ちしたのかもしれない。もはや、はっきりした形状はわからない。

パレスチナやポンペイの遺跡から十字の徴が刻まれた遺物が見つかったとして、十の字の形を主張する人たちもいるけれど、キリスト教界に限らず十字の徴は各地で広く使われている。漢字の十がそうだし、プラス記号もそうだ。日本の島津藩の家紋だって、丸に十字だ。
初期のキリスト信者の中に、磔刑のキリストと十字の形を結び付けて考えていた人もいたのかもしれないが、それは、実際にイエスの処刑を見たからはなく、両手を釘で打たれ頭上に札が取り付けられたという記述から想像した形だろう。
十字の徴が刻まれた遺物があるからといって史実のイエスが磔にされた刑具が十字型であったとするのは理論に飛躍がある。


形状は不明なのに、「十字架」と書くことで、この処刑具の見た目のイメージができてしまう。
今回は、以下、片仮名でスタウロスと書く。

言うまでもないことだが、ギリシャ語のスタウロスがどんな形状だったのかによってキリスト教の信仰が左右されることはない。形状は、キリスト教の信仰とは関係ない。
イエスはスタウロスに釘づけにされ処刑されたという史実に、イエスの死による罪からの救済の意味を見出し、信じ、それを論じたのがキリスト教なのだ。

ものみの塔聖書冊子協会(エホバの証人)といういろいろ言われている宗教団体が、「十字架ではなく杭です」と言い張るから、「いいえ十字架です」とムキになって反論するクリスチャンがいるが、それが信仰を左右するようなことではないのだから、何もムキになって反論することではない。
もしかすると、エホバの証人が言うように、一本の棒状の杭であったのかも知れないのだ。

ただし、十の字の形は、キリスト教の歴史的な伝統だ。この徴はキリスト教を表わすシンボルとして定着している。この伝統は伝統として守っていいと思うが、史実としてどんな形状だったのか、もうわからない。


岩波書店の雑誌『図書』の2024年1月号に「佐藤 研 なぜ十字架ではなく「杭殺柱」か-『新約聖書 改訂新版』刊行に寄せて」という文が掲載されている。
今のところ(2024年3月)、ネットでも読める。
https://tanemaki.iwanami.co.jp/posts/7768#:~:text=%E3%82%AE%E3%83%AA%E3%82%B7%E3%83%A3%E8%AA%9E%E3%81%AE%E5%8E%9F%E8%AA%9E%E3%81%AF,%E3%81%A8%E3%81%84%E3%81%86%E8%AA%9E%E3%82%92%E5%BD%93%E3%81%A6%E3%81%9F%E3%80%82
岩波がホームページを更新して読めなくなる前に、ちょっと長いが、ここに引用する。原文のルビはカッコ内に入れた。


引用開始

佐藤 研 なぜ十字架ではなく「杭殺柱」か[『図書』2024年1月号より]
2024.01.11

なぜ十字架ではなく「杭殺柱」か
─『新約聖書 改訂新版』刊行に寄せて

 激暑の中、いわゆる岩波版『新約聖書』の改訂新版が漸(ようや)く校了した。本書は、初版が一九九六年に完結発刊され、二〇〇四年には一冊本として発売されたものである(責任編集・荒井献/佐藤研)。したがって今回は、四半世紀以上経っての「改訂新版」となる。この翻訳は、各書の訳者が自らの名前を公表し、翻訳の責任は訳者が個人的に負う形でできている(日本聖書協会訳などは、訳者名を出さない)。また各訳者は、内容に関して「傍注」を付け、原文とその訳の際の「敷衍(ふえん)」部分を明確にしつつ、できるだけ精確に訳出することを心がけた。その際、訳者間で敢えて訳語の一律的な統一はせず、できるだけ各訳者の独自性を尊重する、という原則のもとに翻訳された。

 今回の「改訂新版」(責任編集・佐藤研)では、以前の方針を踏襲・徹底し、かつアップデートすることに主眼がある。私自身は以前同様、共観福音書(マルコ、マタイ、ルカの三福音書)を担当した。

 そもそも聖書の翻訳では、すでにキリスト教内部で伝統的とされている訳語はすべからくそのまま踏襲されることが常識となっている。私は、今回の共観福音書の改訂に際して、初版の時にも増して、この原則を疑ってかかった。つまり、キリスト教訳語の伝統に縛られず、元来のギリシャ語の意味を生かすような訳語を選択しようと努めた。今、その内の一例をご紹介しよう。

 「十字架」──誰もが知る、キリスト教の象徴である。ギリシャ語の原語は「スタウロス」(stauros)、その原意は「杭(くい)」である。元来はおそらくペルシャからローマ帝国に入ってきた処刑法と言われる。ラテン語ではこれに「クルクス」(crux)という語を当てた。一定の高さのある「杭」を一本地面に立てて(crux simplex)、そこに罪人を、手を上にし、足が地に着くか着かない形でくくり付けるか、釘付けにしておくと、体力が消耗して体が垂れ下がり、やがて呼吸困難に陥り、一時間もせずして苦悶の中に窒息死(asphyxia)ないしはショック死するという(したがって同刑は、高架に縛り付けて槍で刺す「磔(はりつけ)」とは異なる)。そのように早く死なせてならぬというので、やがて縦木である杭の頂に横木を渡して固定し、その横木に罪人の手首を縛り付けるか、手首を釘付けにするという変形が編み出された(crux commissa, 全体はT字形)。もう一つの形は、横木を縦木の中に通す形(crux immissa)、これが普通に私たちが目にするものである。ただし、最も多かったのはT字形であったといわれている。その際、加えて縦の杭のちょうど股に当たる部分に突起物を設え、それに罪人が跨がるようにすると、衰弱した罪人が体重で一気に垂れ下がり死に至るのを防ぐことができる。つまり、罪人が苦しんで生存する時間を長める策であり、息絶えるまで普通は二、三日を要した、と言われている。これによってこの処刑法のおぞましい見せしめ効果は一層強化された。そのために、この処刑場は、普通は町の城壁外に設けられた。そうすれば、夜やってくる野禽たちに半死半生の罪人の肉を漁らせることにもなった。ぼろぼろになった罪人の死体は多くが正式に埋葬はされず、死体処理場の穴に放り込まれるのが通例であった。

 この処刑法は、ローマ人にも醜悪に映ったらしく、したがってそれが妥当したのは、普通は属州の(つまり非ローマ市民の)反逆者などの重罪者か、奴隷で極悪罪を犯した者に限られていた。ローマ人の中でも、この処刑法を忌み嫌った者は多く、キケロがcruxという言葉すら、「ローマ市民の身体のみならず、ローマ市民の考えからも目からも耳からも消え去るべきだ」と訴えたのは有名な話である。

 ここで大事なことは、上記の説明からすると「スタウロス」は、いわゆる「十字架」という語から想像される「十文字」の形を必ずしもしていなかったこと、多くがⅠの字やT字の形であったらしいことである。ということは、この処刑法を一律に「十字架刑」と呼び、その刑具を「十字架」と呼ぶのは、形態の名称としては必ずしも正しくないことになる。前述のように、ローマ人はこの処刑法を「クルクス」というラテン語でも呼んだが、その語源は実は未だに不明である。少なくとも「十文字」の意味ではなかった。

 では、いつから「スタウロス」/「クルクス」は「十字架」になったのか。

 ちなみに、この「十字架」という日本語そのものは漢訳聖書に由来する。事実、現存する最古の漢訳であるJ・バセ訳の『四史攸編』(一七三七年、原本はウルガータ)がすでに「十字架」と記している。それ以降の全ての訳も同様である。これは既に、ウルガータのcruxが、漢訳される頃には「十文字」の形をした刑具であると理解されていたことを示す。

 それでは、いつから「スタウロス」/「クルクス」は、ほぼ例外なく「十文字」形になったのか。

 そもそも「十文字」の意匠自体は極めて古く、いわば人類集合的な分布を示す。総じて天の「四方」を示唆し、四元素(火、風、水、土)を暗示し、全体性を示唆すると同時に完全性をも内包するシンボルである(仏教における卍印も「十文字」の変容形である)。

 古代イスラエルおよびユダヤ教では、ヘブライ語アルファベットの最後の文字「タウ」(Tau, Taw)がX(回転させれば十文字に等しい)と表記され得、額(ひたい)などに付けられる帰属および保護の徴として理解された(エゼキエル九4―6)。これに基づき、新生キリスト教のヨハネ黙示録(七2以下、九4)にも同様の「額の徴」が現れる。ギリシャ語の「キリスト」(Christos)の最初の文字がX(キー)であり、ちょうど上記の「タウ」表記と符合する事実も幸運な偶然であったろう。そして紀元二世紀中頃になると、例えばユスティノスは、十文字形を万物の中に読み取り、それを十文字形の「スタウロス」と重ね合わせて理解していく。ここでは、十文字およびその形と理解された「スタウロス」は、明らかに一切を統べる力の象徴となっている。

 他方、ローマ軍は(ギリシャに倣って)戦勝の度に、敵の武器や武具などを掛けてトロパイオン(戦勝標)を作ったが、これは多くが十文字形であった。興味深いのは、あのコンスタンティヌス大帝(在位三〇六―三三七年)が三一二年に、ミルウィウス橋の戦いの直前に天空に見た徴は、「スタウロスのトロパイオン」の形であったという。ここでは、「スタウロス」はおそらく十文字の意味に使われている。それが後に、彼によって定型化された「ラバルム」(Labarum)、すなわち「キリスト」の最初のギリシャ語二文字(ⅩとP [ギリシャ語の「ロー」])を組み合わせた「クリストグラム」の軍旗意匠となる。こうして十文字形は、死を乗り越え罪に打ち勝った勝利者イエスの像に見事に適合することになり、イエスの処刑具=勝利の形として理解されていく。

 これと並んで、「スタウロス」/「クルクス」による処刑が二世紀ごろから四世紀までの間に徐々に減少していった過程が想定できる。その帰結が、コンスタンティヌス大帝下で実施されたといわれる同処刑法の廃止である。こうして、この処刑法がどのように残酷な形態だったか、ローマ人の記憶からも徐々に消えていくのである。

 したがって、元来「Ⅰ字架」か「T字架」が大多数であった「スタウロス」/「クルクス」というおぞましい処刑具の形が、中世が始まるまでには総じて勝利の「十文字」架=「十字架」の姿を取るようになったと想定される。大英博物館が所蔵する、紀元四二〇―四三〇年に(ローマにて?)製作された象牙レリーフのイエス処刑場面──同場面の現存最古の造形物──では、「スタウロス」/「クルクス」は間違いなく十文字をしていると思われ、そこで両手を広げたイエスは死んでいるどころか、圧倒的な生命力で万物万民を見据えている絶対勝利者である。この輝かしい「十字架」意匠の延長に、「十字架」が美しいペンダントにもなるという現象が出てくる。日本語でも、「白亜の十字架」などと聞くと、どこか崇高な美しさを思わない人はいないであろう。「十字架を負う」という表現は美談を示唆する。そこでは、「十字架」が元来ギロチン以上に醜悪な刑具であった事実はもはや見えてこない。

 そうであればなおさら、紀元一世紀の福音書に現れる「スタウロス」を、伝統的な「十字架」という言葉で訳出してよいか、考え直さねばならないと思う。福音書に出てくる「スタウロス」は、美しい代物では絶対にない。そこで今回の改訂新版の共観福音書の部分では、「十字架」という伝統的訳語を放棄し、「杭殺刑(こうさつけい)」「杭殺柱(こうさつちゅう)」という語を新たに作って訳出した。「スタウロス」の原意が「杭(くい)」であり、その「杭」で「殺す」刑具であることを直接示したつもりである。未だ「十文字・架」が「キリスト教」の象徴として登場していない紀元一世紀において、この処刑法の持っていたおぞましくも呪わしい姿を伝えたかったのである。

 もっとも、この訳語は、岩波版『新約聖書』の他の訳者の賛同するところとは未だなっていない(正直に言えば、この筆者の見解をよしとする人には、残念ながらまだ一人たりとも会っていない)。しかし、訳者のこのような訳語の自由を許しているのも、岩波版『新約聖書』の特長と言うべきであろう。新たな読者の評言に浴することができれば幸甚である。

(さとう みがく・新約聖書学)

引用終了


岩波書店刊『新約聖書 改訂新版』、是非お買い求めください。

(伊藤一滴)


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非神話化7の2・奇跡をどう考えたらいいのだろう

ブルトマンは、奇跡を史実と信じるか否かは信仰上重要な点ではないと言う


ブルトマンの見解からは逸れるが、奇跡をどう考えたらいいのか、今の私の考えを述べたい。
ここで言う奇跡とは、聖書の奇跡も現代の奇跡もみな含めての奇跡である。


たまたま「Yahoo!知恵袋」で「イエスの奇跡は本当なのですか?」という質問を見つけた。
この質問に対する回答の一部に大変興味深い記述があったので、引用して紹介したい。

引用開始

Feik_BastaaRさん

2022/7/17 22:12

【追伸】現代にキリスト教信仰が残っている要因はこの、イエスの奇跡が本当だと強弁する姿勢が残っているからだ。イエスの奇跡で最大のものはイエスの復活。死んでよみがえったのが事実だとする。
そして「事実だからキリストを信じろ」と畳みかける。これを言うのは全てのキリスト教教派ではないが、福音派と称する聖書信仰狂徒らだ。
死んで甦ったのを事実を信じたとすると、次には教会の礼拝に行きなさいとなる。教会にゆくと牧師はじめ信徒らはにこやかに歓迎し、さて「指導」がはじまる。
奇跡のひとつを事実だと言ったら、いつのまにか毎週欠かさず教会に行って無料奉仕と献金をして生活指導を受ける身になっていた…そんな自分に気づくころには抜き差しならないクリスチャンになっていて、こんどは自分が奇跡を信じなさいと「伝道」してまわっている。
このようにキリスト教の聖書信仰というやつは小さな奇跡物語から始めて大きな獲物を捕る仕掛。

引用終了

出典:https://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q12264894637

この【追伸】をお書きになった方は「聖書信仰狂徒」とまで書いておられる。被害者なのだろう。たぶん、「福音派」と称する教会で言われたことを信じ、ひどい目に遭われたのではないかと思う。

私の場合は逆だった。被害ではなく、福音派の牧師先生や信者さん方からたいへんお世話になった。一部、例外もあるが、私が出会った福音派のクリスチャンの多くは善良な人だった。
福音派が世間であまりいいイメージを持たれないのは、「福音派」を称する一部の原理主義者やカルトが熱烈に活動していて目立つからだろう。
医療や福祉や種々の分野で黙々と働いておられる善良な福音派は目立たない。他者に配慮せず極端なことを言い、派手な宣伝活動をする自称「福音派」は目立つ。目立つから、そっちが多数のように見えてしまう。自称「福音派」による常軌を逸した言行の数々は、一般の福音派も含めた穏健なクリスチャンにとって非常に迷惑な話だ。

福音派は(自称「福音派」も含めて)、聖書の奇跡を文字通り信じている人が多い。
前回も書いた通り私は「奇跡を史実と信じるか否かは信仰上重要な点ではない」と考えるから、その人が誠実にイエスの教えに従おうとする人なら、奇跡を文字通り信じることを非難などしない。
ただ、それは、古代人や中世人のような世界観だ。そういう世界観で現代を生きようとすると、中には、暴走する人が現れる。

恩人たちの信仰を悪くなど言いたくない。
福音派の人たちが、何も宣伝などせずに、各地で黙々と良い働きをしているのを私は見てきた。それは、すごいパワーだと思った。自動車にたとえれば、状況によってスポーツカーにもなり四輪駆動車にもなるようなイメージだ。高速道路でも極悪路でも、他の車がついて行けないようなパワーを発揮する。
だが、もし運転が下手な人が、そして自分は下手だという自覚もない人が、そんな車を運転したらどうなるのか。暴走し、大きな被害が出るだろう。だのに運転者は暴走している自覚すらない。周りが「危ない!止まれ!」と叫んでも、「私は正しい福音主義の信仰に立つから弾圧され、妨害されている」と思ってますますアクセルを踏むのではないか。
福音派の信仰は鋭い刃物にたとえてもよい。腕のいい職人ならよく切れる刃物でよい仕事をしてくれるだろう。たが、もし、刃物を使いこなす能力のない人が分かったつもりになって鋭い刃物を振り回したらどういうことになるのか。

そういうことが、「福音派」を称する一部で起きている。

奇跡を信じる人たちの暴走は怖い。陰謀論と変わらない。時には、狂気に近い。
良識を持って福音派の信仰を貫くためにはそれ相応の能力が求められる。まわりを見渡す能力、判断する能力、独善的にならないよう常に自らを省みる能力等々が求められる。

そうした能力を欠いた人が奇跡を信じて暴走するのは本当に怖い。では、奇跡は否定すべきものかと言うと、そうとも言えない。
前回も書いた通り、現代でも病気や怪我の奇跡的治癒が報告されている。その理由をいろいろ考えても、説明がつかない現象が残る。
説明がつかない現象は、科学が進む中で解明される日が来るのだろうか、それとも、科学の及ばない働きなのだろうか、私にもわからない。

私は、もちろん、聖書の記述はすべて文字通りの史実だなどと思ってはいない。だが、奇跡を全否定もできずにいる。
今の私は、病気治しなどの奇跡も含めてキリスト教でないかと思う。だから、そこが、ブルトマンの見解とはちょっと違う。

(続く 次回は本当に「杭(十字架)上の死」を予定)

(伊藤一滴)


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非神話化7の1・イエス・キリストの奇跡

前回の処女降誕の話とも共通するが、「イエスの奇跡は史実か否か」といった議論をしても仕方がない。
福音書の著者は初めから、史実を正確に書き残そうとする意図などなかった。彼らは、イエスはキリストであると信じ、ケリュグマのキリストを証しした。

私が知る限り、ブルトマンは著書の中でイエスの奇跡が史実かどうかといった話にあまり言及していないが、その中から読み取るとこうなる。

奇跡は科学的な判断になじまないものである。科学を知ったキリスト者が奇跡を疑うのはキリスト者としての誠実さであり、その誠実さこそキリスト教信仰にふさわしい。奇跡を史実と信じるか否かは信仰上重要な点ではない。奇跡物語が真の出来事か、それとも信仰の創作かといった議論は、信仰上何の利益もないから、そんな議論はしたくないが、それでも聞かれたら、こうした物語は信仰の創作だと考えていると言うしかない。イエスは私たちの救い主キリストであると信じる人にだけ、奇跡は意味を持ったものになる。(『キリストと神話』などによる)

うーむ。
「こうした物語は信仰の創作」としつつ、キリスト教を否定しない護教論の一種だろうか。
遠藤周作は、こうしたブルトマンの見解に影響され、『イエスの生涯』や『キリストの誕生』を書いたのか。

ブルトマンは奇跡の意味と言うが、それって解釈次第でどうにでもなるのではないか。
古代人は奇跡に託して何かを伝えたかったのだろうが、現代の我々に、古代人のメッセージが正確に伝わるのだろうか?

心にいろいろ湧いてくる。
さらに、湧いてくる。

新約聖書の奇跡はすべて創作なのだろうか。
話の素になった何らかの事実はなかったのだろうか。
現代でも奇跡の話を聞くが、どう考えたらいいのだろう

ブルトマンの見解からは逸れてしまうが、私が聞いた話や思うことを少し紹介したい。

1980年代、私が若い頃の話だが、たまたま出会った聖霊派の信者がいろいろ教えてくれた。当時、その人は旧帝大の医学部の学生だった。頭脳明晰な人で、いろいろなことをよく知っていた。
韓国人の牧師パウロ・チョー・ヨンギ師が聖霊派の教会を爆発的に拡大させている。チョー・ヨンギ牧師の祈りで、病気や怪我が治る人もたくさんいる。医学生の自分にも説明できない奇跡が起きている。といった話を聞いた。
1990年代、別の人からルルドの奇跡の話を聞いた。この人は著名な大学の教員で、いいかげんなことを言う人ではない。この先生がフランスのルルドに行ったときの話をうかがった。奇跡としか言いようのない治癒があったし、治った人たちから話も聞いたという(先生はフランス語が達者)。大量の松葉杖が置いてあったという。来るときは、松葉杖をついて来て、帰りはいらなくなって置いて行ったのだという。

どう考えればいいのだろう。
疾病治癒の奇跡は神話的な世界観の中にいた古代人の創作だと言い切れない気がする。
20世紀の奇跡の話をしてくれた一人は旧帝大の医学生、もう一人は難関大学の教員。馬鹿げた話をする人たちではない。

考えられることを挙げてみる。

プラシーボ効果:治ると思うから治る。

連帯感:苦しんできた仲間、きっと治ると信じる仲間、その仲間同士で励まし合い、連帯感で症状が軽減したり治癒したりする。

自然治癒:もともと治る時期がきていた。

医学の効果:牧師に祈ってもらったりルルドに行ったりする前に病院で治療を受けており、その効果が表れてきた。

精神的な理由:プラシーボ効果や連帯感も含まれるが、信念や信仰がその人の気持ちを前向きにし、治癒に向かう。

旅の効果:著名な牧師の教会やルルドなどにはるばる出かけてゆく旅で体を動かし、その運動が回復を促す。また、旅が気分転換となって症状が改善する。

原因不明:どうしてもこれが残る。説明がつかない現象、これが奇跡なのだろう。


キリスト教にとって最も大切なのは奇跡だなんて、私は思っていない。私も、奇跡を史実と信じるか否かは信仰上重要な点ではないと考えている。ルカが福音書や使徒行伝を書いた頃の認識とは違い、現代は「人に出来ないことは神にも出来ない」というのが大原則だと思う。神の御旨は神の慈しみを感じる人に示され、神に従おうとする人の手を通して為されると思う。
だが、聖書の奇跡を全否定することも出来ずにいる。
そして、病気治しなどの奇跡も含めてキリスト教でないかと思ってしまう。

(続く 次回は「杭(十字架)上の死」、その次は「復活」を予定)

(伊藤一滴)


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非神話化6・イエス・キリストの処女降誕

ヨハネ福音書やコロサイ書などに見られるキリストの先在性、つまり天地創造の前からキリストはおられたといった壮大な話は、グノーシス主義の影響を受けた神話であると書いた。
広義のグノーシス主義はキリスト教より前から存在し、キリスト教の成立に影響を与えたと書いた。

では、イエスの処女降誕はどうなのか。この話は史実なのか。

「聖霊の働きによって処女マリアが懐胎したという話は史実か否か」といった議論をしても仕方がない。
福音書の著者は初めから、史実を正確に書き残そうとする意図などなかった。彼らは、イエスはキリストであると信じ、ケリュグマのキリストを証ししたのだ。

超自然的な誕生はイエスだけの話ではない。聖書の人物以外にも古代の偉人の中には超自然的に生まれたと伝えられている人たちがいる。これは、ユダヤの民に限らず、広く古代人に共通する神話的な世界論によるものである。


ブルトマンは処女降誕が史実かどうかといった話に関心を示していないが、関心のある方のために、私の知る範囲で書いておく。

処女降誕の話は初期の伝承にはなかったから、パウロはこの話にまったく触れていない。最初の福音書であるマルコにも処女降誕の記述はない。パウロが書簡を書いた頃も、マルコが福音書を書いた頃も、まだ処女降誕の話は広まっておらず、2人とも知らなかったのだろう。

この話は旧約聖書の訳をもとに形成されたのか、あるいは、巷で言われるようになった話が旧約聖書の訳で理屈づけされたかのいずれかであろう。

「見よ、若い女が身ごもって男の子を産み、その名をインマヌエルと呼ぶ」(旧約聖書イザヤ書7:14)という箇所を、七十人訳ギリシャ語聖書が「処女が身ごもって男の子を産み~」と訳した。これが、イエスは処女から生まれたとする話の起源か、あるいは語られていた話がこの箇所と結び付けられたかのどちらかだろう。
イザヤ書のこの箇所は、アハズの息子ヒゼキヤ王の誕生を預言したという形で書かれた箇所だ。これをイエスの誕生と結び付けるのはかなり強引な解釈と言わざるを得ない。
なお、ヘブライ語の「若い女」は文脈によっては「処女」という意味になるから誤訳とは言えないという主張もあるが、七十人訳はこの言葉の持つ意味を狭めている。
マタイはイザヤ書7章とイエスを強引に結びつけたが、新約聖書の中でイエスが「インマヌエル」と呼ばれている箇所は他にまったくない。マタイにおける旧約の引用は、無理な結び付け方が多い。

マタイもルカも、七十人訳聖書は読んでいたが、もとのヘブライ語でどう書いてあるのかを確認しなかったのだろう。

「旧約聖書の原典はヘブライ語です」と頑張って言ってみても、新約聖書の文書を執筆した人たちは普段から七十人訳ギリシャ語聖書を読んでいた。彼らの論考は七十人訳によるものであり、引用の多くも七十人訳からである。ヘブライ語の聖書ではなく、七十人訳ギリシャ語聖書の方が新約聖書に多く反映されている。この事実は無視できない。


医学的に処女懐胎はありうるのかを問う人たちもいる。
ネット上では「生物学的に処女懐胎はありえない」と断言する人もいるが、実は、そうでもない。
私は門外漢であるけれど、性行為なしの妊娠があることくらいは知っている。

これはだいぶ前に読んだ謝国権氏(医師、医学博士)の著書にあった話だが(『性生活の知恵』のシリーズの中の記述、第何巻か忘れてしまった)、まったく性行為をしたことのない夫婦がいて、妻が妊娠した例があったという。性教育などなかった時代、夫も妻も性行為のことを知らなかったという。着衣のままの妻(おそらく下着姿)と抱き合っているうちに、夫が精を漏らすということがあり、それで妻は身体的には処女のまま妊娠したという。医者が真面目にそう書いているのだから、本当にあった話なのだろう。

さらに今では、通常の性行為による妊娠は難しいが子どもは欲しいという場合、男性の(夫がいれば夫の)精液を注入することで妊娠させる方法だってある。「シリンジ法」というもので、この器具のキットも市販されている。シリンジ(注射器)に針ではなくシリコンの管をつけた器具を用い、排卵日を狙って膣内に精液を注入するのだという。人口受精の一種である。

本当にするかどうかはともかく、シリンジ法を使うことで、男性経験のない女性が精液の提供を受けて処女のまま妊娠することも、やろうと思えば技術的には可能になっている。

かつては、性行為があれば妊娠の可能性があり、妊娠のためには性行為が必要だった。それが、現代の技術によって、妊娠させない性行為や、性行為なしの妊娠も実現している。妊娠と性行為との分離である。これは生命倫理的にどうなのかといった議論もあろう。

ご参考までこんな話を書いたが、もちろんキリスト教の信仰は、処女懐胎は史実かどうかとか、医学的にありうるのかといった話ではない。

新約聖書のイエスは、ケリュグマのキリストである。それこそ、史実史に属する出来事ではなく、それを受け入れる人にとっての歴史(実存史)である。遠藤周作の言葉を借りれば、事実の分野ではなく真実の分野の話になる。
事実それがあったのかどうかではなく、イエスを信じる者にとって、処女懐胎・処女降誕は実存としてある、となる。
ブルトマンは言う。
「イエスの先在、或いは、処女降誕についての叙述においては、信仰に対するイエスの人格の有意義性をのべる点に、その意図がある事は明瞭であろうとおもわれる。」(『新約聖書と神話論』)
この引用文中の「イエス」とは、福音書のイエス、つまりケリュグマのキリストのことである。また、「信仰」とは、イエスを信じる者の信仰のことだ。
つまり、キリストの先在性や処女降誕の話は、それは史実かどうかを問うようなものではなく、我々の信仰に対するイエスの人格の有意義性を述べる意図で書かれたものだという。
実存論的理解である。

ただ、そのように実存的な意義を求めるのは、キリスト教を否定したくないブルトマンの護教論ではないかとも思えてくる。

(続く 次回は「イエス・キリストの奇蹟」を予定)

参照 マリアの「処女懐胎」と沖縄
http://yamazato.ic-blog.jp/home/2017/02/post-29fd.html

(伊藤一滴)


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非神話化5・新約聖書におけるキリストの出来事

聖書やキリスト教に関しては、実に様々な考えがある。
私がここに書くのも、ブルトマンの著作などを読みながら、こうではないだろうか思った見解に過ぎない。わざと嘘を書いたりはしないが、私の読み間違いや思い違いもあるかもしれない。

グノーシス主義に関しても、よくわからない点も多い。ブルトマンは、新約聖書に見られるグノーシス主義の影響について語るが、それは、キリスト教界の一致した見解ではない。
ただ、広義のグノーシス主義はキリスト教の成立より前からあったことは、心に留めておいていただきたい。

・・・・・・・

キリスト教の信仰とは何だろう?
「イエス・キリストを信じる」ということか。

では、信仰の根拠は何だろう?
新約聖書に記された「キリストの出来事」だろうか。

何度も言うが、新約聖書が描くイエス・キリストは「ケリュグマのキリスト」であって「史的イエス」ではない。新約のキリストは、史実のイエス、史実風の創作、当時の神話など、いろいろな要素の混合であり、それらははっきり分けられないくらい混じり合っている。

新約の執筆者らは嘘と知りつつ嘘を書いたのではなく、「イエスはキリストである」と信じ、当時の表現で証しをしたのだ。
話のどこまでが史実なのか分けようとするのは、聖書学的にはともかく、キリスト教信仰においては意味がない。
キリスト教はごく初期からイエスを神話的な人物として描いてきた。新約聖書が描くキリストの出来事の全体が神話的なのは当然だ。当時の人々はみな神話的な世界観の中に生きていたのだから。

イエスはキリストである。イエス・キリストは天地創造の前からおられた先在的・天的なお方、神の子である。時が来て、聖霊によって処女からお生まれになり、我々のために十字架で苦しみを受けて死に、葬られ、死からよみがえり、天に昇り、やがて救いと滅びの審判のために再臨される。

新約聖書が描くこうした表象はみな神話的だ。
古代においては、キリスト教の成立時のみならず、人々はみな神話的であったのだ。神話は他の民族・文化にも広く見られるものであり、聖書だけの特別なものではない。

ブルトマンはこう言う。
「とくに、人類を贖うために、先在の神の子が仮の人間の姿をとって世に降ったという考え方は、グノーシス的な贖罪の教義の一部であり、何人も、この教義を神話論的と呼ぶことをためらうものではない。」(『キリストと神話』)

イエス・キリストの受肉と救済というキリスト教の教義の骨格さえも、キリスト教のオリジナルではなく、グノーシス主義の贖罪の教義に由来する神話論的なものである、ということになる。

イエス自身も神話的な世界観の中にいた。イエスを信じた人たちも同様であった。
この、神話的なキリストは、私が思うに、史実や創作や神話などが混じり合って、それこそ布のように織り込まれたキリスト像だ。
それは本当に一枚の布のようで、分けられない。無理に分けようとすれば裂けてしまい、布として使えなくなる。ちょうど、そんなイメージだ。

(続く)

(伊藤一滴)

非神話化4・キリスト教の始まり

キリスト教はイエスから始まったと言われている。だが、イエス自身をキリスト教徒と見なすことはできないし、イエスが教会の設立を意図していたとも思えない。

いったい、どの時点から、「キリスト教のスタート」なのだろう。イエスの宣教からか、「復活」からか、聖霊降臨からか、それとも初期の教会(家の教会)が形成され始めたときからか。あるいは教父らが教えを整理し始めたときからか。
それとも、今日のキリスト教には新約聖書の存在は不可欠だから、新約聖書27巻が確立した4世紀末をもって「キリスト教のスタート」と言うのだろうか。

私は、明確な答えを聞いたことがない。
私が読んだ範囲では、ブルトマンの著書にも、キリスト教のスタートはここだとは書かれていない。

キリスト教の形成過程は複雑で、単一の時期や出来事をもって、ここがキリスト教のスタート地点だと定めるのは難しい。

西暦紀元30年頃、杭(十字架)にかけられて死んだイエスを、彼はキリストだ、復活した、と信じた人たちがいた。これを、ごく初期のキリスト教の始まりと見なすこともできる。
ただし、キリストを信じる人たちの間には、実に様々な見解があった。

キリストは人なのか神なのか、神がイエスをキリストにしたのか最初からキリストだったのか。
キリストとは何者か。

種々の見解が整理され、新約聖書が記すキリストの姿になるまでに、時間がかかっている。もともと種々の見解があった名残で、新約聖書には多くの矛盾も残る。

矛盾もあるが、大きく見れば、新約聖書はキリストの出来事を述べている。
ブルトマンは言う、「新約聖書がキリストの出来事を神話的な出来事としていいあらわしていることについては議論の余地は存しない」(『新約聖書と神話論』)

新約聖書のキリストの出来事は神話的な出来事として書かれていて、議論の余地はないという。まあ、議論する人もいるけれど。「聖書の話は神話なんかじゃありません。書いてあることはすべて事実です」といった主張で絡んでくる人たちがいる。だが、それは現代では無理な主張だ。我々は現代を生きている。古代人でも中世人でもない。


イエスの没後、「イエスはキリストである」と信じた人たちは、だんだんに、壮大なキリストの姿を描いていった。やがてそれは天地創造の前から存在したキリストという、先在的な、ほとんど宇宙的なキリストの姿になってゆく。

新約聖書のすべての文書が一致したキリストを描いているわけではない。後になるほど、話は大きくなり、壮大になっていく。新約聖書は最初から神話的にキリストを描いているが、特にパウロ書簡の一部やヨハネ福音書やコロサイ書(コロサイ書は偽パウロ書簡の1つ)が、キリストを宇宙的な存在にまで膨らませている。
間もなく終末の時が来て人の子のような方が雲に乗って来るといったイエス自身も信じていたであろう終末の神話を「非神話化」したヨハネまで、先在的で宇宙的な壮大なキリストの神話を語る。ヨハネはある神話を「非神話化」しながら、別の壮大な神話を組み立てたのだ。
実はどちらの神話も、黙示思想やグノーシス主義の影響によってつくられた神話だ。特にグノーシス主義の影響が色濃いヨハネ福音書は、私は、グノーシス文書の1つと見なしてよいのではないかと思っている。実際、グノーシス派の教会は、ヨハネ福音書を好んで用いていた。

誤解があるようだが、広義のグノーシス主義はキリスト教内に生じた異端のグループではない。グノーシス主義はキリスト教の成立より先からあり、キリスト教の形成には、古代ユダヤ教と共にグノーシス主義の影響が見られる。

キリスト教が広がってゆく中で、特にグノーシス主義色の強かった教会は「グノーシス派」と呼ばれ、「正統派」(主導権を握った教会の側)から異端とされ、やがて歴史の中で消滅した。
そうやって、キリスト教は、自分たちの源流の一部を消し去ったのだ。(ただし、ユダヤ教まで消し去ることはできなかった。)

都合が悪いようで、クリスチャンたちはこの事実を語りたがらない。

(続く)

(伊藤一滴)

非神話化3・教会は史的イエスではなくケリュグマのキリストを信じる

イエスの出来事とキリストの出来事(つまり、史的イエスとケリュグマのキリスト)について、我々はどう考えるべきなのか。

新約聖書は原始キリスト教の信仰の産物であり、当時の神話的な世界観を前提に書かれたものである。彼らは史実としてのイエスを描こうとしたのではない。ケリュグマのキリストを証ししたのだ。何度も言うが、我々は、新約聖書から史的イエスを復元するのは不可能だ。そして、これは出来ないことだが、もし仮に復元できたとしても、史実のイエスは「我々の信仰には無意味だ」とブルトマンは言う。

なぜか。
それは、最初から、キリスト教は史的イエスを信仰してきたのではなく、ケリュグマのキリストを信仰してきたからだ。(ただし、ケリュグマのキリストには史的イエスの反映があり、両者は無関係ではない。)
近代的な聖書批評学以前は、両者は同一視されていたから、両者のズレが問題になることはなかった。だが、聖書の文献的な研究が進んだ今の時代の我々が、史的イエスとケリュグマのキリストを完全に同一視するのは、もう不可能だ。それは聖書が描く神話的な世界と現実の世界を同一視できないのと同じだ。
今でも新約聖書に書かれたキリストを、史実のイエスと同じだと考える人はいる。だがそう信じる人たちは、かなり無理をして信じていると私は思う。


1980年代、20代の私は、専門の先生(キリスト教概論や聖書概論を教えておられる先生)にこうお聞きしたことがある。
「死海文書の発見だってあるのですから、もし、イエス様の直筆の文書や、イエス様の発言を弟子がその場で記録した文書が見つかったら、そういった文書も聖書に加えることになるのでしょうか? また、そうした文書を基に、キリスト教の教義は見直されるのでしょうか?」
先生はおっしゃった。
「まず、そうした文書が見つかる可能性は非常に低いです。イエス様の弟子はガリラヤの漁師などの庶民であり、イエス様と共に行動していた頃は読み書きが出来なかった可能性が高いのです。イエス様ご自身も、紙に何か記したとは聖書のどこにも出てきません。仮にそうした文書が見つかったとしても、それを聖書に加えることはないでしょう。聖書は完成したものとして受け継がれてきました。今後、古代の写本の新発見で字句の修正などはあるかもしれませんが、今まで聖書になかった文書を新たに付け加えることはないでしょう。教義はそれぞれの教派が検討するのでしょうが、キリスト教の教えには長い歴史がありますから、どんな文書が発見されても教義の大きな変更はないと思います」

もし「イエス様の直筆の文書や、イエス様の発言を弟子がその場で記録した文書」が本当に見つかり、新約聖書とかなり違うことが書いてあったら、教会はどうするのだろうかと想像していた。

たとえ、史的イエスの復元につながる重大な発見があったとしても、それでも教会は「史的イエス」ではなく「ケリュグマのキリスト」を信じ続けるのだろう。
キリスト教の信仰は「ケリュグマのキリスト」を信じる信仰だからだ。

キリスト教を信仰する側(教会の側)からは、ブルトマンが言う通り、史実のイエスは「我々の信仰には無意味だ」となる。


ただし、新約聖書は史的イエスにまったく無関心なのかというと、そうでもない。
イエスがガリラヤの出身であること、ヨルダン川で洗礼を受けたこと、弟子を持ち伝道活動をしていたこと、杭(十字架)に磔にされて処刑されたこと、こういった話は、おそらく史実なのだろう。
イエスは処女から生まれたとか、奇跡で病気を治したとか、悪霊を追い出したとか、嵐を静めたとか、水の上を歩いたとか、五千人に食物を与えたとか、何より死んでから復活し昇天したとか、やがて再臨するとか、こう言った話は、それを信じるかどうかはともかく、当時の神話的な世界観によって表現された神話的な記述だ。

ケリュグマのキリストの一部には、実は、史的イエスも混じっている。

(続く)

(伊藤一滴)


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非神話化2・ブルトマン以前の新約神話の扱い

聖書の神話は常に文字通り信じられてきたのであろうか?
否である。
ブルトマン以前の、たとえばハルナックのような自由主義神学の論者らは、新約聖書の神話を信じるのではなく除去することでキリスト教の本質に迫ろうとした。
近世も中世も、神話がすべて文字通りに信じられていたわけではない。
さらに以前の、古代教父の時代においてさえ、神話を比喩と捉える考えもあった。

それどころか、ブルトマンによれば、新約聖書の中にすでに非神話化が見られるという。
イエス自身は神話的な神の国の到来を信じており、終末がすぐそこに迫っていると告げたが、実際はイエスが言ったような終末は来なかった。
その説明のため、パウロによる非神話化があり、ヨハネ福音書はさらに非神話化を徹底させたという(詳しくは『キリストと神話』)。

パウロは、神話的な終末を否定こそしなかったが、パウロの書簡にはイエス・キリストによって終末は実現した読める箇所がある。
ヨハネ福音書は、すでに審きの時は来た、世の終わりは来た、と読める。

神話的な神の国の到来(=世の終わり)は、ヨハネにおいて既に実現したものとして非神話化された。宇宙的なイメージであった終末の出来事は、キリストを信じる者の勝利と解釈され、未来のことから現在のこととなった。
そう考えるなら、神の国とは、死んだ人が行く楽園のような場所ではなく、今、神の問いに対し、「人はどう決断し、どう応えるのか」であり、そこに神の国がある、という話になってゆく。

A.シュヴァイツァーが早くから指摘していた通り、イエス自身が終末論者であった。イエスは神話的に、もうすぐ実現すると考えていた終末について語っていた。イエスは杭(後に十字架と呼ばれるようになった刑具、原語は「杭」)に磔にされて処刑され、葬られた。このイエスは復活したとされ、彼をキリストだと信じた人たちは、終末はすぐに来ると考え、集まっていた。だが、来なかった。すぐに来るはずの終末はなぜ来ないのか、解釈の必要が生じた。

ヨハネはやがて来るとされていた終末を、すでに来たものとして非神話化した。すでに、信じる者は永遠の命を持ち、信じない者は審かれているとして、審判はなされたものとした。
ヨハネはイエスに語らせている。
「わたしはよみがえりであり、命である。わたしを信じる者は、たとい死んでも生きる。 また、生きていて、わたしを信じる者は、いつまでも死なない。あなたはこれを信じるか」(ヨハネ11:25~)
史実のイエスがそう言ったというのではなく、これはヨハネが、イエスが言ったことにして書いた言葉だ。
審判はなされている、よみがえりの時はもう来ている、「あなたはこれを信じる」なら神の国はそこにある。
未来のことであった終末は、すでに到来したものとなった。キリスト者の勝利宣言としての、ヨハネによる非神話化である。

こうしてヨハネは、実際にイエスが語ったであろう終末を非神話化したが、ヨハネ自身もまた神話的な世界観の中に生きた人であり、別な面で壮大な神話を語っている。

ヨハネは、キリストだと信じられるようになったイエスのことを、彼は初めからキリストだったと描く。それこそ、天地創造の前からキリストはおられたと、壮大なキリストを描く。

こうした壮大な話はコロサイ書とも共通する。おそらく、グノーシス主義の「哲学」の流用なのだろう。
私は、ヨハネ福音書やコロサイ書は、広義ではグノーシス文書になるのだろうと考えている。

(続く)

(伊藤一滴)

非神話化1・ケリュグマと実存

ブルトマンによれば、新約聖書の中の神話的な表現を削除するのではなく、神話的な世界観からキリスト教の使信(ケリュグマ)を解き放ち、現代人がわかるようにすべきだ、ということになる。これが神話的表現の実存的解釈なのだという。

まさに、非神話化である。
非神話化によってキリスト教は現代人の宗教となり、未来に続く宗教となるのだろう。

ううむ・・・、ここで読者は(私も含めて)立ち止まる。

ケリュグマって何だ?
実存て何だ?

ケリュグマは、普通、「宣教」と訳されるギリシャ語だ。
(ケーリュグマ、ケールグマと書く人もいる。長音を無視するか否か、ギリシャ文字のυにラテン文字のYを当てるかUを当てるかだが、2千年前にどう発音されていたのかなんて、もう、誰も正確には再現できない。新約ギリシャ語をどう発音すべきかいろいろと意見もあるけれど、我々現代人がコイネーを読むなら、我々にとって便宜的な読み方でいいのではないかと思う。)


日本語版ウィキペディアに、「ケリュグマ(κήρυγμα)とは、新約聖書に8回出てくる語」とある。だが、その8回はどこに出てくるのか、箇所が示されていない。

新約ギリシャ語のコンコルダンスで κήρυγμα が使われている箇所を調べると、

マタ12:41
マコ16:20
ルカ11:32
ロマ16:25
1コリ1:21 2:4 15:14
2テモ4:17
テト1:3

えっ、9回出てくるんじゃないの?
そうか、マルコの箇所は明らかに後代の付加だから除くのか。

伝道を意味する語は他にもあるが、執筆者は何か意図があって κήρυγμα と書いたのだろうか?
マタイとルカはヨナの「宣教」という意味で使っているし・・・。


ブルトマンはケリュグマという語を「使信」という意味で使っている。わかりやすく言えば、新約聖書のメッセージを伝えるということか。

宣教者イエスは、被宣教者キリストになっていった。
宣教する者が、彼こそはキリストだと宣教される者になっていった。

史的イエスとケリュグマのキリストは違う。峻別すべき者なのだ。
キリスト教が信じるのは、史的イエスの教えではなくキリストの宣教(ケリュグマ)だ、ということか。

「『史的イエスとケリュグマのキリスト』といった分け方をしてはいけません。それは自由主義神学の間違った考え方です」みたいなことを言う人もいる。だが、これら両者を分けなければ、我々はキリスト教を信じることができなくなる。史的イエスの復元は、もはや不可能だ。古代の神話を文字通り信じるのも不可能だが、復元できないイエスの言葉を信じることはできない。新約聖書は、イエスの言葉を、彼の口から出た発言のまま保存してはいない。それを忠実にもとの発言に復元するのはもう不可能だ。それに、ブルトマンの主張は自由主義神学ではない。彼は様式史的研究と非神話化によって、19世紀の自由主義神学を乗り越えた人だ。原理主義者は自分たちと異なる神学のすべてに「自由主義神学」のレッテルを貼りたがるが、もういいかげん、やめていただきたい。視野が狭くレッテル貼りが好きな人たちはネトウヨと似ている。ネトウヨたちは自分たちが気に入らない論者のすべてに「左翼」のレッテルを貼りたがる。右翼団体の代表だった鈴木邦男さんまで、ネトウヨから「左翼」と呼ばれていて、びっくりした。


現代のキリスト教が信ずべきはケリュグマ(使信、キリストの宣教、つまり新約聖書のメッセージ)であり、神話ではない。
その際、神話を除去するのではなく、神話に込められたケリュグマを現代人の視点から読み取るべきだ。
新約聖書の記述の中の実存を、現代人がわかるように置き換える必要がある。
どうも、そういうことのようだ。


では実存とは何だろう。
存在とどう違うのだろう。

それって、もう、聖書学の話ではなく、哲学の話ではないか?

それを言うと、また、
「パウロはこう言っています、『あのむなしい、だましごとの哲学によってだれのとりこにもならぬよう、注意しなさい。そのようなものは、人の言い伝えによるものであり、この世に属する幼稚な教えによるものであって、キリストに基づくものではありません。』(コロサイ人への手紙 2:8 新改訳)。哲学なんて、みな、だましごとです。この世に属する幼稚な教えで聖書を解釈すべきではありません」
なんて言ってくる人がいる。
そんなことを言われるたびに、あきれる。いいかげんにしてもらいたい。新約聖書の文書を執筆した人が20世紀の哲学を知っていたはずがない。ぜんぜん時代が違う。
どちらも「哲学」だからと、話をごちゃ混ぜにしたら、もう、話にならない。当時のコロサイ書の著者が知る範囲の「むなしいだましごとの哲学」を、他の哲学にも当てはめ、20世紀の哲学にまで当てはめようとするのは牽強付会も甚だしい!
当たり前すぎるくらい当たり前だが、また同じことを言われる前に先手を打っておく。


「存在」も「実存」も、どちらも「ある」ということであるが・・・、
哲学では、「存在」と「実存」とを使い分けている。

「存在」という言葉は日常的に使われるが、「実存」とは何だろう?
人間の実存であれば、現実の体験を持ち自らの存在の認識や自覚を有する人のあり方を言うのだろう。
生まれたばかりの赤ちゃんや人間以外の生物や非生物であっても、それが他者に何らかの影響を与えているのならば、それも、そのものの実存と言えるのだろう。
つまり実存とは、他者(または自己)に何らかの働きかけをして影響を与える存在である、ということか。

それなら、「実存」ではない「存在」なんてあるんだろうか。
たとえば、人が頭の中で作り出した架空のイメージで、その人もすぐ忘れてしまったイメージなら、頭の中に一時的に存在していても実存とは言えない、ということになるのか。もっとも、そのイメージをずっと忘れなかったり、絵などで表現したり、誰かに語って影響を与えたりすれば、架空のイメージも実存になるのかも知れないが・・・。

なんか、やはり話が抽象的な哲学の世界に入っていく・・・。
(だから、ブルトマンの主張が理解できない人たちから「むなしいだましごとの哲学」なんて言われちゃうんだな。)


「実存」について考えてゆくと、古代人の実存も現代人の実存も、あまり変わらないのではないかと思えてくる。どちらも人間なのだ。古代人だって、日々の暮らし、体験の中で、喜びも悲しみもあり、何かを考えたり願ったりして、実存的に生きていたのだ。

イエスはキリストだと信じた人たちは、当時の神話的な世界観を前提に、語り、受け継ぎ、まとめ、記した。

キリスト教の核心部分は神話にあるのではなく、実存的なケリュグマにある、ということになる。


私は先に、ブルトマンが言う「史実史」と「歴史」(実存史)の違いに触れたが、「史実史」は存在としてあり、「歴史」は実存としてある、と言えるのだろう。
そして、(ブルトマンの影響を受けたであろう)遠藤周作が言った意味での「事実」は存在としてあり、「真実」は実存としてある、ということなのだろう。

19歳、20歳の頃にブルトマンの著書を読んでも、わからないことが多かった。
今になって(もうすぐ私は60歳だ)、やっと、ここまでたどり着いた。

(続く)

(伊藤一滴)

非神話化の前提となる神話的な世界像2・神話

ブルトマンは、神話的な世界論の中にいた人たちの目からこの世界がどう見えていたのかを語る。神話的な思考について語る。
それは、先にも述べた通り、天界の勢力も下界の勢力も地上に来て人間に影響を及ぼす世界であり、超自然的な現象も普通に起きる世界である。

ブルトマンは、「神話的な世界論の中にいた人たちの目からこの世界がどう見えていたのか」を語るが、「そもそも神話とは何か」について多くを語らない。


神話とは何だろう。

私は、神話とは、科学的な認識が広まる以前の人たちの哲学的な思索等やその答えを当時の表現で伝えた物語ではないかと思っている。

以前私はこう書いた。
「古代人は私たちとは違います。地球が丸いことも、地球が太陽の周りを回っていることも知りませんでした。病原菌やウイルスの存在も知らず、病気を悪霊の働きと考えたり、悪霊のように体に入って来るものと考えたりしていた人たちです。」
「私たちが知るような科学を知らなかったのです。それは、科学的な事実が解明されていなかったからであり、古代人の知的な水準が低かったのではありません。古代人は、古代人の暮らしの中でさまざまな経験をしながら認識や存在を問い、考えたのです。この世界とは何か、人間とは何か、人が生きるとはどういうことなのか・・・・。古代人は思索を積み重ね、それを当時の世界観の中で、神話として表現し、伝えたのです。」
http://yamazato.ic-blog.jp/home/2019/02/post-2cdb.html

19世紀の自由主義神学の時代、新約聖書から神話的な記述を取り去ることで歴史的事実としてのイエスの姿に迫れるという考えもあった。だが、そうして描かれたイエス像の多くは、著者の思いや、19世紀の時代の風潮や理想の反映でしかなかった。

神話の除去による史的イエスの再現は、現代でも不可能だ。
聖書外の史料が少なすぎるし、新約聖書にしても、執筆者は史的イエスを描こうとしたのではなく、当時の神話的な表現でキリストとしてのイエスを証ししたのだから、そこから神話的な部分を取り去ったら、ほとんど何も残らなくなる。


我々は、過去の神話的な世界論を受け入れることはできない。この世界を神話的に見ていないし、神話論に立つ思考をしていない。
だが、新約聖書は、過去の神話的な世界論の中に生きていた人たちによって、当時の世界観を前提に書かれている。

現代の我々は、もう、キリスト教を信じることはできないのだろうか?

現代人がキリスト教を信じるためには、二千年前の世界観に立って、非科学的な目で現代の世界を見るしかないのだろうか?
たとえば、頭が痛いとかお腹が痛いというときに、「それは悪霊の働きかもしれない」と考え、紛争や災害や事故が起きれば「サタンの仕業ではないか」と考える、そうした思考でないと、純粋にキリスト教を信じることはできないのだろうか?
あるいは、現代では都合の悪い聖書の記述は適当に誤魔化し、現代科学にも適当に妥協して、聖書と科学の間で両者を宙ぶらりんに受け入れて、「聖書を信じています」と言い続けるのだろうか?

それとも・・・、何らかのやり方で、現代の科学的な世界観に立ったままでキリスト教の使信を受け入れることができるのだろうか?


ブルトマンは、第二次大戦中、神話的な世界論に立つことなく使信を受け入れる方法として非神話化論を主張した。

私の理解では、非神話化論の要旨は次のようになる。

新約聖書には神話的表現が多く見られる。特に神について語る中に見られる。
神話的表現は当時の表現であり、現代人はそのまま受け入れることはできない。文字通りに神話を信じるよう求めれば、現代人はそれにつまずき、聖書の真理まで聞けなくなってしまうだろう。
現代、神話をそのまま受け入れることができないからといって、神話的表現を削除すべきではない。大切なことが神話的に表現されているのだから、そこに込められた意味を現代人がわかるよう解釈して読み取るべきだ(これは合理化ではない)。
これを、非神話化と呼ぶ。

(『新約聖書と神話論』、『キリストと神話』などによる)

ブルトマン自身、非神話化という言葉を「不満足な表現」だと言っているが、この用語は定着し、広まった。神学界に論争を巻き起こし、戦後は広く人口に膾炙して大論争になったという。

(続く)

(伊藤一滴)

非神話化の前提となる神話的な世界像1・古代人が見ていた世界

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新約聖書の世界は古代人の世界であり、その時代の人々の世界像は現代の我々が思い描く世界像とはかなり違っている。
彼らは、地球は丸いとか、地球は太陽の周りを回っているとか、知らなかった。細菌やウイルスが原因で病気になることも知らなかった。経験的に知っている現象も、科学的に説明することができなかった。
当然だが、当時の人たちは現代人より「頭が悪かった」のではない。彼らには「今日のような科学的な認識がなかった」のだ。当時は知るすべもなかったのだから。

そのような古代人が執筆した聖書を、現代人の我々が「文字通り」信じることができるのだろうか?
答えは否である。
もし、聖書を「文字通り」信じるなら、我々は古代人と同じ世界像を受け入れなければならなくなる。聖書は当時の世界像を前提に書かれているのだから、その世界像を受け入れることができないのなら、文字通り信じることなどできないのだ。

今日でも「聖書を文字通り信じています」と言う人はいる。だが、そう言う人の多くはかなり無理な信じ方をしているように思える。


新約聖書の人々がイメージしていた「地球」は(「地球」と書くが、球ではない)、真ん中に大地があって、大地の上には天界があり、下には下界がある三層の世界であった。天界は神や天使の場所であり、下界は漠然と陰府の世界とされていたが、下界には悪魔や悪霊たちの居場所もあると考えられていた。天界の勢力も下界の勢力も地上にやって来て、超自然的な業を為し、人の考えや行動にも影響を与えると考えられていた。当時の人たちにとっては、奇跡も、当然起きることであった。

聖書は文字だけで伝えられており、図はない。(図入りの聖書もあるが、それは後代に描かれた図だ。)
もし、文字と共に執筆当時の図も伝えられていたとしたら、上述のような三層の世界が描かれていたことだろう。

ブルトマンは「イエス・キリストによる神の救済の業」も当時の神話論的に記述されたと言う(『新約聖書と神話論』)。
神話的な世界観の中でイエスに出会った人たちが、体験し、語り、伝承され、まとめられた記述が神話的になるのは当然だと私も思う。
新約聖書の救済論は、その時代の考えであり、黙示思想とグノーシス的救済神話の影響を強く受けているという。使徒信条、ニケア信条等の信仰告白もこの救済論のもとにある。


我々現代人が信仰を受け入れるためには、古代人がイメージしていた神話的な世界像も受け入れなければならないのだろうか?
これがブルトマンの問いである。
我々は、現代の科学を知ってしまった。我々は古代人でも中世人でもなく、科学的な思考を身につけた現代人だ。化学や物理の法則、地球や宇宙の姿が、科学的に論じられる前の世界に戻るのは、もはや不可能だ。

こうした話をすると「科学は万能ではない」とか「現代の科学も仮説でしかない」とか言ってくる人たちがいる。私は「科学は万能だ」とか「現代の科学はすべて正しい」などと言っていないし、思ってもいない。話をすり替えないでもらいたい。
現代の科学は、これまでの長い研究の積み重ねによって、今日の段階でたどり着いた成果である。すべての面で絶対ではないし、完全でもない。分野によっては今後の研究でかなり修正されたり乗り越えられたりするかもしれない。未来には、「今では考えられないような話ですが、21世紀の初頭には、まだ~も解明されておらず、当時の人たちは~と考えていたのです」などと言われるのかもしれない。それは、今後の科学的な研究によるのであって、聖書の神話的な記述が科学の成果を乗り越えるという話ではない!

ブルトマンは言う、神話的な世界像の容認が不可能である場合「ついで起こる問題は、新約聖書の宣教は、神話的世界像に依存しない真理を持っているか否かということである。そのような真理があるとすれば、その場合には、キリスト教的宣教を非神話化するということが、神学の課題となるであろう」(『新約聖書と神話論』)。

ブルトマンは、神話的世界像を受け入れるよう求めるのは不可能だし無意味だという。
そして、そもそも、神話的世界像は、キリスト教だけに見られる独自のものでもない。実際、病気を治す奇跡にしても、死と復活にしても、他の宗教や神話の中にも見られる。決して、キリスト教のオリジナルではない。
ユダヤの民に限らず人類が科学的な思考を身に付ける以前の世界では、人々は、広く神話的世界像の中にいた。それは、ブルトマンに言わせれば「過ぎ去った時代の世界像に過ぎない」のだ。

今日、そのような世界像を受け入れるよう伝道するのは無意味である、という。現代人に対する宣教は、新約聖書の使信(ケリュグマ)を伝えることであり、ケリュグマにこそ神話的世界像とは別の普遍の真理があるのだから、聖書を非神話化する必要がある、という。
私の理解では、ブルトマンが言っていることは、そういうことだ。


1983年、19歳の私は、仙台市内の福音派の教会で教えを受けていた。牧師さんはとてもいい人で、お話をうかがうのは楽しかった。その牧師さんは、他教派や他宗教も含めて誰のことも悪く言わなかった。カトリックのことも、リベラルなプロテスタントのことも、仏教や神道のことも、決して悪く言わなかった。誰に対しても優しく、人の話をよく聞いて一緒に考えてくれる人だった。本当にいい人だった。そんないい人でも、やはり、福音派の一員として譲れない立場があった。
私はその牧師さんが好きだった。だが、心の中には「理性や知性を犠牲にしないと成り立たない信仰が本当に正しいのだろうか」という思いもあった。
その頃たまたま本屋で見かけた山形孝夫や八木誠一の本、ブルトマンの本の日本語訳などを手にし、心に電流が走るような衝撃を受けた。そして、だんだんに、正しさはこちらにあるのではないかと思うようになっていった。

ブルトマンはキリスト教の信仰を否定したのではないし、神話的世界像を削除しようとしたのでもない。彼は神話的世界像を文字通りに受け入れるのではなくそこに込められた本当の意味を求め、ケリュグマにこそ普遍の真理があると考えたのだ。

(思索の途上です)

(伊藤一滴)

ブルトマンの「史実史」と「歴史」

私が高校生のときだったから1980年代の初めだったと思うが、「事実と真実は違う」という遠藤周作の言葉を問題視する人がいた。
「事実であれば真実であり、真実であれば事実だ。違うと言うのはおかしい」と。
おそらく、遠藤周作が言いたかったのは、「歴史的な事実」と「その人にとっての歴史的な真実」を分けて考えるべきだ、ということだったのだろう。
最近またブルトマンの本を読み出して、ふと、40年前のことを思い出した。
遠藤周作はブルトマンを意識して、「事実と真実は違う」と言ったのだろう。

ブルトマンは、著書『イエス』や『歴史と終末論』などで、まさに「史実史」と「歴史」とを区別する。「史実史」も「歴史」も人間の認識によるものであるが、簡単に言えば「史実史」は客観的事実として認識できる史実を述べたものであり、「歴史」はその人にとっての真実だ、ということのようだ。この意味で歴史は実存史とも言える。「史実史」は、第三者的に過去の事実を述べた事柄であるけれど、ブルトマンが言う意味での「歴史」は、その人の現在にかかわる「過去との対話」なのだ。

具体的な例を挙げればこうなる。
「今から約2千年前、パレスチナの地にイエスという男がいて、教えを宣べた。彼を支持する人たちもいたが、強く反発する人たちもいた。ポンティウス・ピラトゥスがユダヤの総督だったとき、イエスは処刑杭(後に十字架と呼ばれるようになった刑具)に磔にされて殺された」
この事実は「史実史」に属するが、もし誰かが、
「イエス様の十字架の死によって、私は罪と死から救い出されました」
と言うならば、それはその人にとっての「歴史」であり、その人から見た真実である。それは、その人の現在の生き方につながるものであり、終わってしまった過去の出来事ではない。

ブルトマンの言葉の使い方が特殊なのだ。世間一般は、史実史のことも歴史と呼んでいる。
非神話化論への誤解が多いのは、ブルトマンの用語の意味を読み取らず、彼の言う「歴史」を、「史実史」と混同する人が多いのも一因ではなかろうか。

クリスチャンの中にも上記の意味での「史実史」と「歴史」との混同が見られる。自分にとっての「歴史」を「史実史」と同一視している人がいる。

(思索の途上です。)

(伊藤一滴)

ギリシャ文字の覚え方と書き方(改訂版)

1.ギリシャ文字の覚え方

まず文字と順番を覚えないと辞書も引けません。

ギリシャ文字の覚え方はいろいろあるのでしょうが、お馴染みのラテン文字(英語などで使われるアルファベット)との対応で覚えると、覚えやすいと思います。
(こちらを参照しました https://palladi.blogspot.com/2015/04/blog-post_22.html)


ギリシャ文字(ギと略記)
ラテン文字(ラと略記)
― は欠番


ギリシャ文字の小文字とラテン文字の大文字を並べるとこうなります。(パソコンでご覧の場合、縦にきれいにならぶのですが、スマホで見ると少しずれるようです。ずれても読めますので、ご了承ください。)

ギ ラ

α A
β B
γ C
δ D
ε E
― F

ζ G
η H
θ ―
ι I
― J
κ K
λ L
μ M
ν N

ξ ―

ο O
π P
― Q
ρ R
σ S
τ T
υ U

φ V
― W
χ X
ψ Y
ω Z


単に文字の順番を覚えるための暗記法です。厳密な言語学の話ではありません。かなりこじつけもあります。
これは「ギリシャ文字の順番を覚えるため」のものですからね。ギリシャ文字とラテン文字の音の対応の表ではありません。対応する字もしない字もあるんで、そのつもりでご覧ください。

ギリシャ文字の θとξ がラテン文字では欠番で、
ラテン文字の FJQW が、ギリシャ文字では欠番です。

どの文字が欠番なのかをまず暗記すれば、あとはそれぞれの対応で覚えられます。

θは角度の記号などで見ますが、ξはくせ者です。くせ者だから、くせー。こじつけですが。
ζηθと、~タ系が3つ並ぶので、θは忘れないと思いますが、ξを飛ばさないよう要注意です。
ξはくせ者!


「ギリシャ文字にあって、ラテン文字で抜けているのはθとξの2つだけ」です。
「ラテン文字にあって、ギリシャ文字で抜けているのはFJQWの4つ」です。
2つと4つですから、覚えられると思います。この欠番さえ覚えれば、順番を間違えることはありません。


ギリシャ文字のγは英語のGに当たりますが、英語のCとGは無声音か有声音かの違いで、口の形はほぼ同じということで、γにCを対応させます。文字の歴史としてはGはCを少し変えて作った字だそうです。

ラテン文字のFが欠番になりますが、言語によってはFとVが同様の音になるので2つはいらないと考えます。

ギリシャ文字のζとラテン文字のGは違うのですが、どちらも濁る音ということで、ここに置いて対応させます。順番を崩さない方が覚えやすいので、順番を優先します。

ラテン文字のJは昔はなくて、Iの下が曲がって出来た文字だそうです。

ラテン文字のQも、CやKと同様の音になるのでいくつもいらないと考えます。

Wも、Vを2つ重ねて出来た文字だそうです。

ギリシャ文字のφは英語のFに当たりますが、言語によってはFとVが同様の音になるのでφとVが対応。

ギリシャ文字のψとラテン文字のYはまったく違うと言われそうですが、なんとなく形が似ているのでこじつけて対応。

ギリシャ文字のωとラテン文字のZも全然違いますが、最後の文字ということで対応。「AからZまで」も「アルファからオメガまで」も、意味は同じということで、対応させます。そのへんは、まあ、ご愛敬で。


2.ギリシャ文字の書き方

大文字 ΑΒΓΔΕΖΗΘΙΚΛΜΝΞΟΠΡΣΤΥΦΧΨΩ
小文字 αβγδεζηθικλμνξοπρστυφχψω

ギリシャ文字に筆順の決まりはないそうです。
「ギリシャ文字の筆順」というものが本に書いてあったり、ネット上にあったりしますが、たぶん、非ギリシャ人が書いたのでしょう。ギリシャ語を母語とする人たちは筆順を気にしていないとのことです。

筆順の例は、真理子さんのホームページをご覧ください。これは、ギリシャ国内でも統一されていないという筆順の中のほんの一例です。

https://www.babelbible.net/lang/lang.cgi?doc=gr_scrpt&lang=gr


私が特に書きにくいと思ったのはζとξです。
日本語の文字もそうですが、文字は読めれば活字の通りでなくてもいいのです。
ζは「ろ」をつぶしたようにも書けます。漢字の「了」の手書き字とも似てます。
ξは、本当にくせ者です。活字をまねると書きにくいです。「3」を左右逆に書き、下を曲げても読める字になりますし、「っ」の下にくっつけて「了」と書いてもそれっぽくなります。
詳しくは、真理子さんのホームページで。(なお、真理子さんは現代語の発音をもとに書いておられるようで、多くの入門書に載っている古典式の発音と少し違います。)


補足ですけれど、ギリシャ文字の順番を確実に覚えるまで、まず英語などで使われるラテン文字を紙に書き、その下にギリシャ文字を書いてみるといいんです。横書きでいいです。そのとき、HIの間とNOの間を空欄にしておきます。HI(ハーイ)とNO(いいえ)だから覚えられると思います。

ABCDEFGH■IJKLMN■OPQRSTUVWXYZ

そして、欠番の4文字FJQWをカッコでくくっておきます。

ABCDE(F)GH■I(J)KLMN■OP(Q)RSTUV(W)XYZ

こうです。

その下に対応するギリシャ文字を書いていきます。この「対応」にはかなりこじつけもあるんですが、順番の暗記が優先です。θとξには注意します。HI(ハーイ)とNO(いいえ)のそれぞれの間に入ると覚えれば忘れないと思います。

これでやってみると、

αβγδεζηθικλμνξοπρστυφχψω

書けますね。

2021-12-15 掲載分を加筆修正して再掲

(伊藤一滴)

ユニアかユニアスか、この人は使徒なのか

前から気になっている箇所ですが、ローマ書16:7に出てくるユニア(ユニアス?)は女性で、使徒で、使徒たちの中でも活躍していた、という主張があります。たしかに、読みようによってはそう読めます。

「私の同胞でそして共に獄にあったアンドロニコとユニアによろしく伝えてください。彼らは使徒たちの中で注目されており、そして私より前からキリストにある人たちでした。」といった訳も可能なのです(ローマ16:7 私訳の試訳)。

この箇所については、いろいろな方が見解を述べておられますが、福音派の「クリスチャン新聞」に「【論考】苦難の意味 「福音の捕虜」になった女性ユニアとは?」という記事があり、興味深く読みました。

https://xn--pckuay0l6a7c1910dfvzb.com/?p=39984

これを読んで、なるほど、と思いました。

ギリシャ語は難しいと言われますが、単語の変化の多さもギリシャ語が難しい理由の一つです。格変化にしても(英語にも、I, my, me のような格変化がありますが)、ギリシャ語の変化は多く、名詞・代名詞はもちろん、形容詞、分子、冠詞も格変化し、人名などの固有名詞まで格変化するのです。しかも格が、主格、属格、与格、対格・・・とあって、日本語の中にいる私たちは混乱します。(上級者は、かえってわかりやすいって言うんですが、そんなことが言える人は凄い達人です。)

実はユニア(ユニアス?)の名前は、主格で出てくる箇所がありません。
以下、ユニアと仮定して書きますが、直訳すれば「アンドロニコとユニアに挨拶せよ」です。自然な日本語にすれば、上に書いたように「アンドロニコとユニアによろしく伝えてください」といった感じでしょうか。ユニアの名前が出てくるのは新約聖書中ここだけで、「ユニアに」という対格になっています。

誤解している人がいますが、女性名の写本と男性名の写本があるのではありません。ユニアもユニアスも、対格はどちらも同じで、ユニアンになるんです。(文字通り仮名にすればイオウニアンでしょうが、読めばユーニアンみたいになるんでしょう。もっとも、現代人で2千年前のギリシャ語を正確に発音できる人なんて誰もいませんけど。)

女性なのか男性なのかが議論になるのは写本の違いによるのではなく、歴史の中で、聖書の翻訳者や解釈者がこの人を女性と考えたのか男性と考えたのかの違いです。

私は、上記のクリスチャン新聞のように、ユニアは女性であった可能性が高いと考えています。
記事に補足すれば、教会の指導者が男性で占められるようになっていって、これはユニアという女性ではなくユニアスという男性だ、とする見解が広まったのです。ただし、ヒエロニムスはユニアという女性だと考えていたようで、カトリック教会はヒエロニムス訳の権威に従い、ずっとユニアと訳してきました。ところがルターは、ユニアスという男性と見なし、プロテスタントの訳の多くはずっとユニアスでした。(ただし、プロテスタントが用いてきた聖書でも、欽定訳をはじめ女性と見なした訳もあるので、すべての訳が男性としていたのではありません。)
ねじれていたのです。女性の司祭すら認めないカトリックが、ここはユニアという女性だと主張し、プロテスタントが女性の牧師を認めるようになっても、多くはユニアスという男性だとしていたんですから。

では、この2人は使徒だったのでしょうか。

いろいろ注解も見てみたのですが、これは、読みようでどっちにも取れます。
私も、「彼らは使徒たちの中で注目されており、」と、どっちにも取れる表現にしてみました。

つまり、

1.(彼らは使徒ではないが)使徒たちによって注目されている

2.(彼らも使徒であり)使徒たちの中でも注目されている

どっちもありなんです。

ちなみに、これまでの日本語訳だと、口語訳や新改訳は上記の1の見解、新共同訳は2の見解です。
最新の聖書協会共同訳はユニアと女性の名で表記しているのですが、2人を使徒と認めない1の解釈に戻っています。
ユニアは女性だが、女性使徒を認めるわけにはいかない、ということでしょうか。
もしかして、日本のカトリック側から横やりが入った? あるいはカトリック側に忖度した?
なんだか、聖書協会共同訳のこの箇所は、一歩進んで二歩下がったような訳文です。(下記の参考資料参照)

アンドロニコとユニアは、パウロより前からキリストにある人たちだったとあります。並べて書いてあるのは、この2人は夫婦だったからかもしれません。2人は初期の信者で、イエスから直に学んだ可能性もあります。この2人は十二使徒ではないけれど、イエスの直弟子だったのかもしれませんし、広い意味では使徒だったのかもしれません。


田川建三先生が「新約聖書 訳と註4」にこんなことを書いておられるんで、引用します。(349頁以下)

引用開始

これは「ユニアス」という男性名ではなく、「ユニア」という女性名だ、という議論がある。ここではこの名は Junian という対格の形で出て来るのだが、この対格は男性名の Junias の対格でもありうるし、女性名の Junia の対格でもありうるからである。従って、単純な文法的可能性だけからすれば、五分五分。一部の「キリスト教フェミニスト」を自称する珍妙な護教論者たちが、五分五分である以上女性に決まっている、この人物を男性とみなすのはけしからん、女性差別だ、と騒ぎ立てているが、五分五分は五分五分であって、男女どちらかわからない、と言うのが正しい。五分五分である以上女性に決まっている、などと決めつけるのは算術の初歩も知らないと言われよう。しかし、確かに名前の文法的形からすれば男女五分五分だが、パウロと一緒にどこかで逮捕されて同房の囚人となったというのだから、男性である可能性の方がはるかに大きい。いくら古代だからとて、つかまえた囚人を男女同房に放り込むなどということはあまり考えられない。

引用終了


現代でさえ、刑務所、拘置所、留置所、その他のいわゆる「牢屋」での人権侵害が問題になることがあります。牢屋って、そういう場所なのでしょう。
以前も書きましたが、中世になってさえ、男女を同じ牢に入れたりしてたんです。まして人権意識など無に等しかった古代、男女かまわず牢に入れることもあったのかもしれません。古代ローマで女性を牢に入れた記録があんまりないみたいなんで、断定する証拠はないんですが、私は、女性のユニアも一緒に牢に入れられたのではないかと想像しています。
それと、「単純な文法的可能性だけからすれば、五分五分」であっても、聖書外の史料でユニアという古代の女性の名が多数見つかっているのに、ユニアスという男性の名は皆無なんです。史料的には五分五分ではなく、女性の可能性の方がはるかに高いのです。

田川建三さんは荒井献さんたちを嫌ってるから、荒井献門下の訳はけしからん、荒井とその仲間がそう言うなら自分は逆のことを言ってやる、みたいになってませんか?


参考資料 戦後の日本聖書協会の訳

‭‭(ローマ人への手紙‬ ‭16:7‬ ‭口語訳 ‬‬1954年)
わたしの同族であって、わたしと一緒に投獄されたことのあるアンデロニコとユニアスとに、よろしく。彼らは使徒たちの間で評判がよく、かつ、わたしよりも先にキリストを信じた人々である。

(ローマの信徒への手紙‬ ‭16:7‬ ‭新共同訳‬‬ 1987年)
わたしの同胞で、一緒に捕らわれの身となったことのある、アンドロニコとユニアスによろしく。この二人は使徒たちの中で目立っており、わたしより前にキリストを信じる者になりました。

(ローマの信徒への手紙‬ ‭16:7‬ ‭聖書協会共同訳 2018年)
私の同胞で、一緒に捕らわれの身となったことのある、アンドロニコとユニアによろしく。この二人は使徒たちの間で評判がよく、私より前にキリストを信じる者となりました。

2018年の協会訳は、前の訳から30年かけて一歩進んで二歩下がる、でしょうかね。
‭そんなんじゃあ、聖書協会共同訳って、お金を出してまで買う価値があるのかって思っちゃうんですよ。くれるって言う人がいたらもらいますけど、この訳を買うのにお金を使うくらいなら別のことに使った方がいいように思えて、まだ買ってません。今回の引用はネットで見ました。

それより岩波の新約改訂版を買いたいです。佐藤研先生たちが大胆に改訳なさったようだし。でも、高いんですよ。岩波書店さん、この改訂版を岩波文庫に入れてはどうですか。きっと売れますよ。

さて、岩波の改訂版に対して、田川建三先生がどう出るか、非常に興味をそそられますが、田川先生はかなりご高齢で、最近はネットでも発信なさってません。

田川先生、「新約聖書概論」を完成させてください。ずっと待ってるんですから。
それと、「マルコ福音書」(注解)の中巻と下巻も待ってます。たとえ執筆当時と考えが変わった箇所があったとしても、そのことを序文に書いた上で出してくださればいいのに。

それにしても、新教出版社の現代新約注解全書シリーズって、確か1960年代から刊行が始まったと思うんですが、いつになったら全巻出揃うんですかね? あと100年くらいはかかるんでしょうか? もっとですか?

(伊藤一滴)

塩引(しおびき)

毎年、鮭の塩引を作ってます。
エラと内臓を取って塩漬けにした鮭の寒風干しです。

以前は庄内まで車で鮭を買いに行き、一度に10本~20本と作って人にあげたりもしたんですが、あまりにも労力がかかるので、最近は近くの漁業組合の人から最上川を遡上してきた鮭を5本買い、自家用の塩引だけ作ってます。

鮭は産卵のために川の流れに逆らって長距離やって来ます。
ウロコなんか全部取れていて、ヒレや体に傷があるのもおり、胃の中も空っぽです。
すごいです。

海で捕れた鮭と違い、川の鮭は、そのまま食べるより塩引にするとおいしいです。

いつもなら12月に干して正月には食べられるのですが、この冬は気温が高く、年が明けてから干して、最近食べてます。

2

1



こんな感じです。
なんか、こんな絵があったような・・・。

(伊藤一滴)

田舎暮らし・1年分の味噌づくり

今年も寒中に味噌を仕込みました。

味噌の作り方はいろいろあるようですが、我が家の味噌の作り方を紹介します。

我が家の1年分、約24㎏の味噌づくりです。
(もっと少量でいい場合は比率で加減してください。)


用意するもの

材料

大豆 4升
麹  8升
塩  2.8㎏と、ふた塩に少し(どちらも天日塩だとさらによい)
あれば去年の味噌

大豆1升は、1.3~1.5㎏くらいです
麹は乾燥度合いによって重さがかなり違うので一概には言えませんが、うちで用意したものは1升あたり1.2㎏くらいでした。麹屋さんで1升単位で売ってます。


道具

豆を浸す容器、大鍋または大釜、竈(かまど)、大ざる、味噌切り器、たらい、味噌だるまたは大がめ


作り方

大豆は薄皮を破らない程度によく水洗いし、大豆の体積の3倍以上の水に一晩浸しておく。

翌日、水を換え、竈にかけて水から煮る。

強火で沸騰させ、沸騰後は弱火にし、アクを取ったり、混ぜたり、水を足したりしながら半日くらい煮る。薄皮が分離して浮いてきても取る必要はない。

親指と小指に豆を挟んで、ぐにょっと潰れるまで煮る。豆がぱかっと2つに割れたらまだ固い。

私は昔の大鍋や大釜を使っているが、業務用の大鍋などで煮てもいいと思う。圧力なべを使う場合は、取扱説明書の注意書きに従い、何回も分けて煮る。豆はかなり膨らむので、取扱説明書厳守!

煮えた豆を冷まし大ざるで水を切る。煮汁も取っておく。

上記の豆を味噌切り器で潰す。ひき肉製造用のミンサーなどでも可。

麹をたらいに入れて手でほぐし、塩と混ぜる。潰した豆を加え、よく混ぜる。麹が乾燥が進んでいると固くてうまく混ざらない場合があるので、そのときは豆の煮汁を少し加えて混ぜる。(煮汁の上限は塩の重量の半分の重さと言う人もいるし、塩の重量程度と言う人もいる。私の場合は塩の重量の半分以下。)

混ぜたものを、空気を抜きながらおにぎりのように丸めてテニスボールくらいの玉にする。

熱湯で消毒した味噌だる(または味噌がめ)に、上記の玉を押し付け空気を抜きながら入れてゆく。

全部たる等に入れたら表面を押してならし、あれば去年の味噌で表面を覆ってふたのようにし、その上に塩を撒く。去年の味噌がなければそのまま塩を撒く。特にたるに接する部分は塩を濃くする。なるべくカビを少なくするためである。この、上に撒く塩のことをふた塩と言う。
そのあと、食品用のラップで覆う。ラップが普及する前は和紙を使ったりしたという。

ラップの上に熱湯消毒した押しぶたを乗せる。その上に漬物石を置く人もいる。


煮汁の残りはスープなどに使えるし、肥料にもできる。

仕込んだ味噌だるは、ふだん人が出入りする場所に置き、極端に寒い場所や暑い場所を避ける。麹の酵素による分解、菌による発酵を促すためである。

なべ、その他の道具は銅製品を避ける。銅の抗菌作用が菌の発酵を妨げる恐れがある。

暑い季節には時々見て、カビを除去し、表面を中に沈める。このときまた表面に塩を撒き、カビ防止にすることもある。ただし、やり過ぎるとしょっぱくなる。(酵母が増殖して表面が白く見えるのはカビではない。インターネットで「手作り味噌」等で検索すると、酵母とカビの区別の写真が見られる。)

表面に茶色い汁が浮いてくるが、これは、たまりであり、醤油のように使うことができる。たまりは旨味の濃い汁なので、取り過ぎない方がいいという。少し取ったら、あとは混ぜる。

夏の土用の頃に、大しゃもじなどで全体を混ぜる。
(私は比較的涼しい東北の山間部にいるので土用の頃にこの作業をしているが、暑い地域だと6月頃でもいいかと思う。)

秋、涼しくなった頃から、使える味噌になる。

以上。


とまあ、こんな感じですが、けっこう大がかりになります。

数年前に地元の方から作り方を習いました。近年は毎年やってるんですが、とてもおいしい味噌だと好評です。(手前味噌)

私は古民家暮らしをしており、昔の道具もあるんでこんな作業ができますが、町の中の一般家庭の台所だと、上記の4分の1くらいから始めた方がいいかと思います。

(伊藤一滴)

聖書を用いるカルト宗教の特徴(再掲)

若い頃、日本基督教団のある牧師から、聖書を用いるカルトの特徴を教えていただいた。


イエス・キリスト以外に教祖的な人物(先生)がいる。
(今もその人物が指導している。または少し前まで指導していた。)

高額な献金を要求される。そして、そのお金が何に使われるのか、経理が不明朗。

教祖的人物や指導的な幹部が異性問題を起こしている。


「教祖、お金、異性」がポイントだ、と。
3つがそろわなくても、2つでも、1つでも、こうした特徴があればカルトを疑った方がいい、と。
(1980年代、その牧師さんは異性問題と言っておられたが、相手が異性とは限らないので、「性的な問題」と読み替えてください。)


さらに、その後、自称「福音派」や自称「教派ではなく純粋なキリスト教」といったカルトじみた人たちから何度もからまれ、私は気づいた。

キリスト教系カルトの場合、聖書を書き換えている。または、特異な解釈で意味を変えている。

読みようによって、聖書はそうも訳せる、そうも解釈できるというのなら、賛成しなくても、そういう理解の仕方もあるのかと思う。だが、カルト的な団体は、そもそも成り立たない読み方をしている。
教祖(先生)や教祖の指導を受けた人物が、単語も文法も無視した「解釈」をする。批判されても、「わかりやすく意訳したのです」「わかりやすく解説しているのです」と主張する。それは聖書の学問的な検討ではないと言うと、「聖書は学問的に検討すべきものではなく、信仰的に読むものです」と言い返される。

都合よく「訳」した独自の聖書を使うカルトもあるが、聖書カルトの多くは一般のキリスト教会と同じ訳の聖書を使っている。日本聖書協会や新日本聖書刊行会の訳を使っているからといって、その団体は安全だとは言えない。

信仰の喜びでつながっているというより、罪や悪魔や地獄をひどく恐れ、この教会から離れたら永遠の地獄に落ちて永遠に焼かれるかもしれないという恐怖で離れられなくなっている。「信仰」の中心にあるのは「罪の意識と地獄の恐怖」だ。それは、審かれるという恐怖心を植え付けるマインドコントロールの手法だ。

他の教派と交流したがらない。交流し対話すれば自分たちの問題点が知れるといけないから指導者は交流を嫌う。信者たちは「私たちの教会は真理の側だ」と思い込んでいるので、間違った教会の人たちから話を聞く必要はないし学ぶ点もないと考えている。「真理の側にいる」ので、他者の指摘を受けて考えや態度を改めることもない。正しいから迫害を受けていると思うだけだ。

ものごとを客観的に検討するのではなく、「自分たちは正しく、外の世界は間違いだ」というあれかこれかの二元論的な先入観を当てはめようとする。現実の世の中には、中間的なもの、どちらとも言えないもの、分類が難しいものも多数あり、簡単にあれかこれかと言えないのに、簡単に二つに分けて、自分たちを正しい側とする。

信者や家族の人格や生活を破壊する反社会的な活動をしている。それを非難されると、「私たちは正しい聖書信仰(正しい福音主義の信仰)に立つから弾圧されている」と言う。


さらに、もう1つ聞いた。
カルトは、learn を重んじ、study を禁じるという。
learn も study も、どちらも「学ぶ」だが、learn は、習って学ぶ、覚える、習得するといったニュアンスが強く、study は、よく調べ、検討し、研究して学ぶというニュアンスがある。
つまり、「教えられた通りに学びなさい。自分で検討してはいけません」ということだ。この姿勢は、たしかに、キリスト教系カルトの中にある。


つまり、こうなる。

聖書を用いるカルト宗教の特徴は、

教祖的人物がいる(特別な「先生」の存在)
多額のお金が要求され、何に使われるのか不明朗
性的な問題を起こしている
聖書が書き換えられたり、独自の解釈で違う意味になったりしている
信者はマインドコントロールを受け、恐怖心に支配されて離れられなくされている
他教派との交流や対話が禁じられたり制限されたりしている
客観的に検討しようとせず、あれかこれかの二元論の考えに立つ
信者自身や家族の人格や生活を破壊する反社会的な活動をしている
learn を重んじ、study が禁じられる

なるほど。
エホバの証人、自称「福音派」、統一協会などに、かなり当てはまる。

さらに付け加えると、キリスト教原理主義やキリスト教系のカルトには、聖書に根拠がないことを強く言い張り、守らない人を断罪するという特徴も見られる。


日曜礼拝への参加義務
絶対禁酒
性に関することのタブー視(その割には指導者が性的な問題を起こしたりしているが)

聖書にないことまで牧師や先輩信者が指示を出し、指示がなければ動けない人になってゆく、という特徴もある。
つまり、自分の頭で考えて行動することが出来ない人になってゆく。そのため社会(学校や職場など)で孤立し、ますますカルト教会に依存してゆくという悪循環だ。
当人は、社会から孤立を、「この世はサタンの影響下にあるから、サタンから離れ正しい場に身を置いている」とか、「正しい信仰を貫くための試練だ」とか、「救われて天国に行くためにこの艱難を耐えなければならない」とか、思い込んでいるようだ。
そのような「信仰」は、救いではなく、救いにつながるものでもなく、間違った考え方を植え付けられたことによる苦しみなのに。

(伊藤一滴)

2022-08-19 掲載、一部を修正し再掲

キリスト教原理主義は駄目な宗教

宗教はいろいろです。宗教が人や社会をより良い方向へ向かわせる場合もあります。宗教をみな一緒くたにしてこうだなんて言えません。良い影響を与える宗教がある一方で、世にはまるで駄目な宗教もあります。信じる人を苦しめ、より悪くし、まわりにも害を与えてしまうのです。
有名なところではエホバの証人や統一協会がありますが、キリスト教原理主義もそうした駄目な宗教、困った宗教の1つです。

原理主義者は、何でも2つに分けようとする傾向があります。

「それは正義か、悪か。聖書的か、反聖書的か」のように。

実際は、そんな単純に2つに分けられないものが多いのです。
だのに物事を何でも単純に2つに分けようとするのは、強い先入観に支配されていて、現実を見ようとしないからです。

一神教はみな駄目だとは言いませんが、自分たちの立場を絶対に正しいと信じて他をすべて否定するような原理主義や、福音派を名乗る人たちの中に見られる原理主義的な考え方の部分は、一神教に見られる駄目な部分です。

原理主義者や原理主義に近い人たちは聖書を絶対視し、聖書にすべての真理があるのだから、聖書からすべてがわかると考えます(そう言いながら聖書に書かれていない主張もかなりしています)。そうやって、自分たちと立場の異なる人たちを「真理を求めない人たち、わかっていない人たち、救いの中にいない人たち」だと下に見て、蔑みます。また、学問的な研究より聖書の記述を上に置き、時には学問を馬鹿にし、学問に介入してきたりします(特に進化論、聖書学)。でも現実には、この世には聖書に書いてないこともたくさんありますし、聖書に書いてあることの中には歴史的事実・科学的事実との食い違いもあります。また、聖書の記述それ自体に多くの矛盾点もあります。それを指摘すると激しく怒り出すのも原理主義者の共通の特徴です。「あなたは救いの中にいません」「あなたが言っていることは自由主義神学の影響を受けた間違った考えです」「あなたはサタンの側にいます」等々、私はすいぶん言われました。

何が真実なのか、真理なのか、そんなことは簡単にわかることではありません。だのに簡単にわかったつもりになって、「自分は聖書を信じているんだから真理の側にいる、救われている」と思い込み、異なる他者を一方的に非難し、断罪したりします。そうした人たちを「正しい聖書信仰に立つ」って言うんでしょうか?

大貫隆先生は『イエスという経験』(岩波書店 2003)の中でこう言っておられます。
「イエスは『神は言われる』という言い方はしなかった。神の権威を持ち出さず、『私は言う』と自分の名前と責任で語った」

その通りです。
「~と言われているのをあなた方は聞いています、しかし私は言います」というのがマタイが伝えるイエスの姿勢です。イエスに従いたいなら、イエスの姿勢にこそ従うべきではないのですか。
「それはイエス様だから言えることです。一般の人がそんなことを言ってはいけません。教会や牧師先生に従うべきです」って言うんですか?
(以前、私は本当に「クリスチャン」からそう言われて叱られました)

今この状況でイエスのメッセージに従うならこうすべきだと、自分の頭で考え、判断し、行動することが、イエスに従うことではないのですか。

聖書にこう書いてあるんだからこうなんだという硬直した原理主義に染まると、思考停止しになってしまい、一般のヒューマニズムから離れ、イエスの求めからさえ離れてしまいます。原理主義教会の教えを正しい教えと信じて支配され、聖書の表面的文字面への依存、現代の律法主義、現代のファリサイ主義に陥ってしまうのです。
「文字は殺し、霊は生かす」(2コリント3:6)とあります。旧約の律法の文字を指すのでしょうが、原理主義においては新約に記された言葉まで殺す文字と化しているのです。
私は、自称「福音派」の原理主義者たちが、罪や悪魔や地獄の恐怖で人を脅すだけで、困っている人たちのために指一本動かそうとしないのを見てきました。

この私は言います。
キリスト教原理主義は駄目な宗教です。当人たちは純粋な信仰だと思っているのでしょうが、人の精神を支配し、心を殺す宗教です。アヘンのように一時的には苦しみを忘れて救われたような気になるのでしょうが、じわじわと信じる人を苦しめ、その人の家族や周りの人たちも巻き込んで苦しめる宗教です。

(伊藤一滴)


付記
上記を途中まで書いていたら、能登半島で大きな地震が発生しました。
山崎製パン(ブランド名はヤマザキパン)が中心となり、製パン会社が大量のパンを被災地に供給しています。
今のヤマザキの社長の飯島延浩氏が福音派の信者であることは有名な話です。氏が聖書に向かう姿勢は超自然的・霊的な感じで、私とはだいぶ違いますが、飯島氏は今この状況でイエスのメッセージに従うならこうすべきだと、自分の頭で考え、判断し、行動しておられるのでしょう。立派だと思います。
山崎製パンは、これまでも災害時にパンの供給をしてきました。「食品企業としての当社の社会的使命」と言いながら、助けられた人たちの感謝の声をまったく宣伝に使っていません。それも立派です。

何度も言いますが、私は福音派と原理主義を分けて考えています。教義の一部が重なるようですし、中間的な部分もあるのでしょうが、両者は向かってゆく方向がまるで違います。

聖書、信仰、天国、永遠の命

小学生だった1973年に聖書に出会い、それから50年、聖書を読んでます。
10代の半ばまでは、聖書に書いてあることの多くは史実または事実が反映して書かれた記述だと思っていました。でも、読み進めるうちに聖書は矛盾だらけで、事実に反する記述も多いと気づきました。
それでも、私は聖書の中に普遍的なメッセージを感じてますし、イエスというお方の言葉やわざにとても魅力を感じています。

私は今まで一度も山が動いて海に入るのを見たことがありません。つまり、からし種ほどの信仰を持つ人さえ私の周りに誰もいなかった、ということです。
「信仰がなければ救われない」なら、いったい誰が救われるのでしょう。

私は、使徒行伝の時代の人たちとは違い、「人にできないことは神にもできない」と思うようになりました。でもそれは、「神のみこころは人の手によってなされてゆく」とも言えます。それは「信者の手によって」と言うより「神のみこころにかなう人たちの手によって」だと思います。

私は、神に従わないクリスチャンたちより、神のみこころにかなう非クリスチャンの方がよっぽど神様に近い所にいると思うようになりました。でも教会の側からは、その人が神様の近くにいるかどうかではなく、ちゃんと教会に所属して牧師に素直に従い維持費や献金をきちんと納入してくれる方が、運営上、いいんです。神のみこころにかなう非クリスチャンが教会の外にどれだけいたって教会の収入になりませんから。


天国とか神の国とかを、死んでからそこに行ける楽園みたいに思っている人が多いようです。たしかにそういう考えもあるんですが、死んでからそこに行きたいから信仰するなら、それは取引きですね。あるいは、天国という御利益(ごりやく)を求めて信じる御利益信仰です。イエスはそのような取引きや御利益を教えたんでしょうか?

キリスト教の中には死後の世界などないという考えもあります。天国(神の国)はこの地上の現実の中にあるという考えです。
そう考えれば、永遠の命というのは、永遠に変わらない普遍の理念を信じて生きた生き方だとも言えます。たとえば、紛争地域で何が起きているのかの取材を続けたジャーナリストの後藤健二さんとか、アフガニスタンの住民に尽くした医師の中村哲さんとか、普遍の理念に殉じたとも言えるわけで、死後もその理念は残るという意味で、永遠の命を得た人だと言えるのです。

大事なのは自分の死後の幸福を願うより、みんなの幸せを願いながら普遍の理念に向かうことではないのかと思うようになりました。だから、死後の世界があってもなくても、どっちでもいいんです。私は、「自分が死後に救われて天国に行くこと」が最も大切な教えだとは思っていません。


みんなが平和で幸福な未来に向かって進んでゆくことができますように!


フランシスコ・ザビエルに帰せられる次の祈りがとても好きなので、また引用します。

「十字架上のキリストへの祈り」

主よ 私があなたを愛するのはあなたが天国を約束されたからではありません。
あなたにそむかないのは地獄が恐ろしいからではありません。
主よ 私を引きつけるのはあなたご自身です。
私の心を揺り動かすのは十字架につけられ、侮辱をお受けになったあなたのお姿です。
あなたの傷ついたお体です。あなたの受けられたはずかしめと死です。
そうです 主よ。
あなたの愛が私を揺り動かすのです。
ですから たとえ天国がなくても主よ 私はあなたを愛します。
たとえ地獄がなくても私はあなたを畏れます。
あなたが何もくださらなくても私はあなたを愛します。
望みが何もかなわなくても私の愛は変わることはありません。

(伊藤一滴)

神は無力 アーマン著『破綻した神 キリスト』(再掲)

アーマン著『破綻した神 キリスト』の問いはあまりにも重く、考えながら、ゆっくりゆっくり、時間をかけて読みました。


この世にはなぜ過酷な苦しみがあるのか?
「その人を向上させるための試練」では説明のつかない大変な苦しみがあるのに、神はなぜ沈黙しておられるのか?

聖書の著者たちは、苦しみの意味に答えようとしているのですが、その見解は聖書の各書によってまちまちで、聖書全体を貫く統一の見解などありません。アーマン氏は、旧約聖書の古典的見解、預言書に示された見解、黙示思想の見解など、ていねいに検討した上で、それぞれは一貫性もなく、また現代人が納得できるような答えになっていないと論破するのです。

博識のライプニッツの「神義論」でも説明がつきません(微積分学で知られるあのライプニッツです)。何百年議論を重ねても、この世にはなぜ過酷な苦しみがあるのか、みんなが納得できるような答えは見つかりません。

私、一滴は、「神は無力だ」としか言いようがないのではないか、と思っています。


ラジオで、被爆者の話、満洲から生還した人の話など聞いた時、やはり「神は無力だ」と思いましたし、現在(2023年12月)のウクライナやパレスチナのガザや、世界の多くの地域で、「神は無力だ」としか言いようがないような現実があります。

結局のところ我々は、「コヘレトの言葉」(=伝道の書)にあるように、空(くう)の空、空なるかな、一切は空なり、という思いで、自分の人生を楽しむしかないのでしょう。ただし、この世界の各地に今も苦しむ人たちが多数いることを忘れずに。そして究極の理想としては、世界がぜんたい幸福になることを願いながら。だって、世界がぜんたい幸福になることを願ったほうが、自分自身も幸せに向かって歩めるのですから。

ユニセフや赤十字や、難民支援団体、海外援助団体等に寄付したところで、個人の寄付など焼け石に水なのはわかっています。わかっていますが、やもめのレプタのように一灯を捧げることに意味があると思うのです。ただの自己満足だろうと言う人もいますが、どうでしょう。わずかでも捧げれば、それが一滴一滴の集まりとなるわけですし、意識がそちらに向かうのですから。


アーマン氏の姿勢はまさに、自分の人生を楽しみながらも「自分自身を愛するように隣人を愛する」というものです。そういう考えの人を「背教者」って言うんでしょうか?

私も、「自分自身を愛するように隣人を愛する」生き方が理想です。少しでもその理想に近づくためには、祈りがあったほうがよいと思っています。祈りは、感謝や願いなどの自分の思いを口にする行為です。口にすることで、自分の思いを客観化するのです。口にした言葉に向かい、一歩、一歩と、進んで行けたらと思います。

「存在しないかもしれない神に祈ったって意味がないだろう」とか「無力な神に祈ったって意味がないだろう」と言われそうですが、違います。大いに意味があります。自分の気持ちと行動をそちらに向けるのですから。

(伊藤一滴)

2021-08-06 掲載分を一部修正して再掲

神は全能である 神は愛である この世には苦しみがある(改訂版)

聖書の中の矛盾点についてわかりやすく書いてある本はないだろうかと探していて、アメリカの新約学者バート・D・アーマン(Bart D.Ehrman)氏の著作に出会いました。氏の著書『捏造された聖書』、『破綻した神 キリスト』、『キリスト教成立の謎を解く 改竄された新約聖書』等は、日本語訳も出ています。

アーマン著『破綻した神 キリスト』(松田和也氏訳)の中に、
「神は全能である 神は愛である この世には苦しみがある」という、
この3つが3つとも成り立つのかという問いが出てきます。

2つなら、成り立つでしょう。

1.神は全能である 
2.神は愛である 
3.この世には苦しみがある

仮に、1をバツにしてみましょう。
「神は愛であるが、神は全能ではない、だからこの世には苦しみがある」
矛盾のない文が成り立ちます。ただし、キリスト教の説く神は全能なので、1をバツにはできません。

仮に、2をバツにしてみましょう。
「神は全能であるが、神は愛ではない、だからこの世には苦しみがある」
恐ろしい神様です。これも文としては矛盾なく成り立ちますが、愛でない神もキリスト教の教えに反します。

仮に、3をバツにしてみましょう。
「神は全能であり、神は愛である、だからこの世に苦しみはない」
これも文としては成り立ちますが、事実ではありません。この世には多くの苦しみがあります。「苦しみはその人を向上させるための試練」といった理解が成り立たないような、大変な苦しみもあります(※1)。


私なりの考えで4を付け加えてみます。

1.神は全能である 
2.神は愛である 
3.この世には苦しみがある
4.そして神は無力である

当然、1と4は両立するのか、と問われることでしょう。
「聖書にこう書いてある」といっても、解釈のしようで何とでも言えます。聖書を引用してまるで正反対のことも言えるのですから。聖書から導く見解は、理屈のつけようでどうにでもなるのです。
私は、次のような理屈も可能ではないかと思います。


キリスト教における神の全能とは、神のいつくしみにおける全能のことである。神は、全能のいつくしみで人の心に働きかけてくださる。私たちは、その働きかけに応えるのかどうか、応えるならばどう応えるのか、それが問われている。
旧約の昔、神は天から声を発したり、預言者を用いたりして直接的に民に語りかけておられた。また、世に対し、人に対し、直接の行動をなさっておられた。しかし、イエス・キリストの受洗以降、父なる神からの直接の語りかけや直接の行動はほぼなくなった。
キリスト以降の神の全能とは、政治や社会や軍事等における全能ではなく、病気や怪我やさまざまな事故や困難から人を守ってくれるような全能でもない。そういった面で、神は無力だ。キリスト以降の神の全能とは、超自然的な全能ではなく、いつくしみにおける全能であり、いつくしみを感じた人間に決断をせまるものなのだ。人が神に従うとは、超自然的な力にたよることではなくて、神の働きかけに対し、イエスのメッセージに聞き従うという形で、日々、決断し、応えていくことなのだ。

神にどこまでも従うなら、排除されたり、仕事を失ったり、場合によっては命を失うかもしれない。
神に従うには、その覚悟がいる。そうやって、神に従うことが信仰なのだ。

神は無力だ!

キリスト教信仰は、豊穣、金運、繁栄、安全、無病、試験合格、良縁などを招くものではない(※2)。現世の御利益(ごりやく)とは凡そ無縁である。また、キリスト教信仰は、天国行きを目的としたものでもない。天国に行きたいから信仰するというなら、天国に行くことが信仰の目的となる。天国に行くという御利益を目的とした信仰になってしまう。それは、天国に行きたいから免罪符を買うのと変わらない。
キリスト教信仰は、御利益のための信仰ではない、神の全能のいつくしみへの日々の応えである。

神の国を、救われた人が死後に行く別世界のように考える人が多いが、神の国は別世界ではなく、神の全能のいつくしみへの日々の応えである。「ここにある、あそこにある」というものではなく、まさに「内にある」ものなのだ。

どうですか、これで。

(伊藤一滴)


※1 20世紀になってからだって、アーマン氏も述べておられるナチスの大量虐殺をはじめ、数々の無辜の死がありました。今だって、この世界には深刻な問題の数々があり、戦争や紛争も止まず、飢餓に瀕したり、むごく殺されたり、深い傷を負ったり、重い病や障害で苦しんだりする人たちがいます。「その人を向上させるための試練」なんて言えない苦しみもたくさんあります。

※2 ただし、場合によっては良縁を招くこともあります。教会やキリスト教の集まり、キリスト教系の学校、ボランティア活動などで出会い、結婚なさった方々もおられます。カルト思考原理主義者(自称「福音派」やエホバの証人、統一協会等)は別として、一般のキリスト教系の団体や集まりで出会い、幸せな家庭を築いた方々は多数おられます。まあ、そういう夫婦の多くは、儲かる人生ではないでしょうけれど。


追記:まず、日本語訳が出ているバート・D・アーマン氏の著書『捏造された聖書』を読み、『破綻した神 キリスト』と『キリスト教成立の謎を解く 改竄された新約聖書』を読みました。どれも、すこぶる読みごたえのある本でした。
著者のアーマン氏が自分で言っておられますが、かつて氏は熱心なキリスト教原理主義者で、原理主義の教えをかたく信じていたそうです。聖書の無誤無謬を信じ、ムーディ聖書学院で学んだ後に福音派の大学に進んだ筋金入りの人でした。そのアーマン氏が徹底的に聖書を学ぶ中でどのように目を覚ましたのか、上の3冊はその記録でもあります。もちろん、どれも学問的な検討を踏まえたものです。

氏は、福音派と称する中でも特に保守的な原理主義者でしたから、徹底した聖書研究で聖書の成立と写筆の真実を知り、それまで信じてきたこととのギャップに苦しんだのです。それ以上に、神は全能で愛だというなら、なぜこの世に耐え難い苦しみの数々があるのか、答えられなくなってしまったのです。もし、もっと柔軟で穏健な福音派だったら、リベラルな主流派だったら、カトリックだったら、果たして、信仰を捨てたでしょうか?
氏が拒絶したのは、聖書の文字面をを文字通り信じ「罪の意識」と「地獄の恐怖」で人を縛る硬直化した原理主義的「信仰」ではなかったのでしょうか。

氏ははっきりと「信仰を捨てた」とおっしゃるのですが、福音書に記されたイエスの隣人愛の教えが、氏の著作からひしひしと伝わってくるのを感じます。アーマン氏は良心的で、隣人愛を重んじる人なのでしょう。だからこそ、「罪の意識」と「地獄の恐怖」で人を縛る「信仰」を捨てたのでしょう。
聖書の文字から「罪の意識」と「地獄の恐怖」導きだして人を脅し、人を縛るのは、まさに、文字による束縛です。それは現代の律法主義、現代のファリサイ派(パリサイ派)です。


福音書や使徒行伝の時代の人たちは「人にはできないことも神にはできる」と考えました。でもそれは、その時代の考えです。現代を生きる私は「人にできないことは神にもできない」と考えています。
もう神の超自然的な力に頼るのはやめにして、「神のみこころは人を通して為される」と考えてはどうでしょうか。

クリスマスが来ます。
平和を祈りましょう。

人は自分の祈りの課題に向かって動きます。
私たちに求められるのは、祈りと、祈りの課題へ向かう現実的な行動なのでしょう。

2021-07-05 掲載分を改訂

性的少数者とキリスト教(再掲)

 

性的少数者といっても全人口比に対しての少数者であり、彼らの数が少ないということではありません。我々は、過去、認識不足によって、こうした人たちをさげすんだり、笑い者にしたりしてきました。私自身、幼い頃から聖書に接してきた人間ですが、私の中にも彼らに対する偏見がありました。社会的な認識不足の中にいたとはいえ、偏見を持って、差別に加担してしまった過去を申し訳なく思います。歴史的にみても、キリスト教徒による差別、偏見はひどいものであったと思います。

今日なお、性同一性障害について、キリスト教の側からの統一的な見解はないと思いますが、キリスト教的良心に従えばこうなるのではないかと思える答えが、下記にありました。

https://oshiete.goo.ne.jp/qa/5929286.html

私はこれを読んで、胸が締め付けられる思いで、涙が出てきました。だいぶ前の記事ですが、今、どうしておられるのか・・・・。

福音派の立場からの、同性愛者に対する良識ある見解が次にあります。水谷潔氏がお書きになったもので、上記で知りました。

http://kiyoshimizutani.com/guideline

福音派と自称する原理主義者(ファンダメンタリスト)の中に、「同性愛は重大な罪だ、同性愛者は必ず地獄に行く」とか、「エイズは人類の不道徳に対する神の裁きだ」とか、言う人がいます。目を覚ましてほしいと思います。

原理主義者らの妄言など、いちいち紹介してもしかたないのですが、良心的な福音派と狂信的な原理主義者が混同されては困ります。あたりまえの感覚を持つ福音派は、苦しむ人に寄り添い、共に祈る人たちです。

カトリック教会は、「同性愛者」と「同性愛行為」を分けて考えています。現代のカトリック教会は、同性愛者を排除したり差別したりすることに断固反対しながらも、教義として「同性愛行為(同性同士の性行為)は容認できない」と言っています。(なお、性同一性障害は同性愛とは別であり、この障害について広く知られるようになったのは近年になってからです。性同一性障害についてのカトリックの正式な教義は見たことがありません。)

同性愛についてひとたび教義として定めてしまったことを、簡単には変えられないのでしょう。でもこれは同性愛者を人として断罪するものではなく、同性同士の性行為は、教会として(公的には)容認できない、という見解です。避妊具の使用は性行為を生命の恵みから遠ざけるものであるから教会として(公的には)容認できない、という見解に通じます。カトリック教会の公式見解を文字通り読めば、同性愛者には性的禁欲が求められる、ということになります。一般民衆は、司祭や修道者とは違うのですが・・・・。

過去はともかく、現代のカトリック教会は、同性愛者に寄り添う姿勢を示し、同性愛者の人権を尊重し、共に歩もうとしているのは明らかです。ただし、上記のとおり教義上の制約による限界も感じられます。

「性同一性障害の人や同性愛の人はカトリックの洗礼を受けられるんだろうか?」と、あるカトリック信者に聞いてみました。気の置けない人だからそんな質問をしたのです。そうしたら、「そんなこと教会に聞かないで、だまって受けちゃえばいいんだよ」との答えでした。なるほど。(もちろん個人的意見です)

日本基督教団の牧師で、自ら「ゲイ」であるという方の見解が載っていました。

http://life.letibee.com/christian-gay/

これは、考えさせられました。

(伊藤一滴)

2017-02-16 そのまま再掲

イエスは何を求めたのだろう

これまで何度も言いましたが、キリスト教にはかなり幅があります。
教派によって言うことが違うだけでなく、同じ教派の中にも、厳格な人もいれば柔軟な人もいますし、異なる立場に不寛容な人もいれば寛容な人もいます。

教会で厳しいことを言われても、柔軟な人・寛容な人は別のことを言うかもしれないし、他の教派の教会に行けば全然違うことを言われるかもしれません。
同じ聖書を読んでも、何を大事と思うのかが違うんです。

私は、碁石でも分けるように「クリスチャン」か「非クリスチャン」かと、人をどちらか2つに分けられるのだろうかって思うんです。碁石なら、白でなければ黒、黒でなければ白で、中間なんてありません。でも人は、信者か信者でないのかの間に、中間的な状態がかなりあるんじゃないのかと思うんです。いったい、どれくらいまで信じれば信者と言えるのでしょうか?
もし、一点の曇りもない信者でなければ救われないなんて言い出したら、救われる人は誰もいなくなるでしょう。どれくらいの曇りまでなら信者と見なされるのでしょう? 考えようによっては、イエスの教えにすがろうとする人はみなキリスト信者なのかもしれません。たとえイエスを知らなくとも、助けを求める人、良くなりたいと願う人、良心に従がおうとする人、他宗教や無宗教の信念を持って誠実に生きようとする人、苦しみの中で死んでいった人、みな、「神の救いの内にある」という意味ではキリスト信者なのかもしれません。
人が他者を「クリスチャン」か「非クリスチャン」かと線引きしても、それはその人の主観です。人間の考えによる判別です。神様の判別ではありません。


何度も繰り返しますが、イエスは人々に次のようなことを求めたのだろうと思います。

心から神を愛すること、

自分自身を愛するように隣人を愛すること、

互いに愛し合うこと、

最も小さい人たちに手をさしのべること、

平和を求めること、

謙虚であること、

いつ神の国が到来しても受け入れる覚悟を持って日々を誠実に生きること・・・、

そして、肝心なときに、イエスの求めに従うことができるよう、日頃から自分で考え、判断し、決断し、行動できること。


牧師の教えは絶対だとか、日曜礼拝参加は義務だとか、絶対禁酒だとか、イエスの言葉にありません。
イエスの教えは、人を束縛する教えではなく、束縛から解放する教えです。

生まれによって人を分け隔てする発想も、イエスの教えにありません。
イエス自身が地方出身者で、大工の家の子で、父親のはっきりしない子です。

また、イエスなら、性的少数者を決して差別したりせず、その人の苦しみに寄り添おうとすることでしょう。

生まれつきの性的指向で人を差別するのは、生まれつきの盲人を差別するのと同じです。

(伊藤一滴)

おことわり
いただいたコメントは全部読んでいますが、全部公開しているわけではありません。
誰でも読めるブログなので、内容によっては公開しないこともあります。

対等でないものを対等と見なしてはいけないし、たとえ誇張があっても事実そのものは消えない

ヨーロッパでのユダヤ人によるキリスト教徒への暴力をことさら強調し、歴史の中で、
「ユダヤ人によるキリスト教徒への暴力」と
「キリスト教徒によるユダヤ人への暴力」とが、
まるで対等のような話に持って行ったり、ひどいと、ユダヤ人による暴力のほうがひどかったかのような話に持って行くのは事実の歪曲です。

中にはナチスの将兵に暴行を加えたユダヤ人だっていたのかもしれませんが、それこそ、九牛の一毛でしょう。九頭の黒牛に一本の白い毛が見つかったからといって、白い毛と黒い毛は対等にはなりません。

アメリカの過去を語るのも同じで、アメリカ先住民(インディアンと呼ばれた人たち)による白人入植者への暴力をことさら強調し、歴史の中で、
「先住民による白人への暴力」と
「白人による先住民への暴力」とが、
まるで対等であったかのような話に持って行ったり、ひどいと、先住民による暴力のほうがひどかったかのような話に持って行くのも、事実の歪曲です。
かつての西部劇など、まさに歴史を歪曲し、先住民を暴力的な悪者に描いていました。

パレスチナの問題もそうです。
パレスチナ人によるイスラエル人への暴力をことさら強調し、イスラエル建国以降の歴史の中で、
「パレスチナ人によるイスラエル人への暴力」と
「イスラエル人によるパレスチナ人への暴力」とが、
まるで対等のような話に持って行ったり、ひどいと、パレスチナ人による暴力のほうがひどかったかのような話に持って行くのは、事実の歪曲です。

これまでもイスラエルは1人殺されたら20人、50人、100人と殺して報復しています。
決して対等ではありません。

そこに平穏に暮らしていた人たちを住めない状態にしたのは誰なのか。
どういう理由があったにしても、先住者の集落を破壊して自分たちの町をつくったのは誰なのか。
抵抗する先住者の側が悪者にされるのはおかしいのです。

抵抗の中には行き過ぎもあったのは私も認めますが、先住者をそこまで追い詰めたのは一体誰なのですか。


現在のイスラエルを非難すると、「ハマスを支持するのか」と言われることがあるのですが、私は、ハマスを支持したことなどありません。ハマスのやり方にはまったく賛成できません。それは、はっきり言っておきます。

それに、「ハマス=パレスチナの民衆」ではありません。
ハマスによる襲撃のツケを、なぜ、一般のパレスチナの庶民が負わなければいけないのか。
なぜ、ガザに住んでいるというだけで、乳幼児も、少年少女も、非戦闘員の女性も男性も高齢者も、国連職員や医療従事者まで殺傷されなければならないのか。


現在のガザが、どれくらいの攻撃を受けたのか、犠牲者の数はどれくらいなのか、混乱の中で正確に把握するのは困難でしょう。誇張もあるかもしれません。
しかし、たとえ誇張があったとしても、非戦闘員が攻撃されて相当の犠牲者が出ている事実はなくなりません。

誇張の疑いをことさら強調し、事実そのものをうやむやにするのも歪曲です。
そうした歪曲は、関東大震災後の朝鮮人殺害や、日本軍の中国侵出における南京事件などにも見られます。

犠牲者の数がはっきりしないからといって、事実そのものがなかったことにはなりません。

自分たちの主義主張を正当化するために、事実を書き換えようとする人たちがいたし、今もいます。いわゆる歴史修正主義です。
乗せられてはいけません。

そして、言うまでもないことですが、イスラエル人の皆がネタニヤフ政権の支持者ではありません。
ガザ攻撃に反対するイスラエル人だって数多くいます。海外のユダヤ人の中にはガザ攻撃に反対するデモに加わっている人もいます。

私は、人間の良心を信じたいと思います。
良心の声が、戦闘を煽る声を上回ることを願っています。


はたして、「クリスチャンであること」と「現在のイスラエル政府を支持すること」は両立するのでしょうか?
現在のイスラエル政府のやり方は、新約聖書に示されたイエスの愛の教え、平和の教えとまったく逆です。正反対です。

イスラエルの現政権を支持するのであれば、その人はクリスチャンと名乗るべきではありません。
「私はイエスの敵です」と、はっきり言うべきです。

(伊藤一滴)

イエスや弟子たちが生きて活動した時代、「旧約聖書39巻」はなかった

旧約聖書に関して、クリスチャンの間でもかなり誤解されているようだが、イエスや弟子たちが生きて活動した時代には、「旧約聖書39巻」はなかった。
イエスは(旧約)聖書のことを「モーセと預言者」とか「律法と預言者」とか呼んでいるが、当時のユダヤ教の文書のどこまでを聖書とするのか明らかにしていない。

モーセ五書は正典視されていたとしても、預言書や他の文書のどこまでを正典とするのか、当時、聖書の範囲ははっきりしていなかった。

イエスや弟子たちが生きて活動した時代にマソラ本文が使われていたかのような勘違いをしてはいけない!

また、当時からすでに写本には食い違いがあり、イエスや弟子たちがどのような写本に接していたのかもよくわからない。紀元前にすでに複数の系統があったようだが、ヤムニヤ会議での決定から漏れたヘブライ聖書写本は歴史の中で失われたのだろう。

「(旧約)聖書39巻」は、ユダヤ戦争の後、西暦紀元90年代のヤムニヤ会議で確定されている(※)。イエスの没後およそ60年も経ってからのことである。このとき聖書正典を定めたのは主にユダヤ教のファリサイ派(パリサイ派)のラビたちであり、キリスト教徒が決めたのではない。この会議で、その後マソラ本文として受け継がれるヘブライ語の正典が確定されたというが、ヤムニヤ会議のときの本文(ほんもん)自体は残っていない。
今日伝えられているマソラ本文の最も古い写本は、11世紀のレニングラード写本である。正典確定から9百年以上後のものである。

キリスト教徒はヤムニヤ会議の決定など無視し、その後も七十人訳ギリシャ語聖書を使い続けた。やがてヒエロニムスによるラテン語訳が主流になるまで、主に七十人訳が使われていた。
七十人訳は紀元前3世紀中葉からアレクサンドリアで訳されたとされる(旧約)聖書の訳である。実はこの訳もいろいろな版があって、正典の範囲がはっきりしない。また、翻訳の食い違いもあったようだ。
アレクサンドリアにはヘブライ語がわからないユダヤ人も多かったのでギリシャ語訳がつくられたと言われているが、それならユダヤ人向けにヘブライ語を忠実にギリシャ語に訳したであろう。七十人訳には大胆な意訳も多い。これはユダヤ人向けというより、最初は異教の人たちにユダヤ教を紹介するために訳された可能性がある。それが便利で、ユダヤ人の間にも広まったのではなかろうか。

今はマソラ本文も七十人訳も校訂された活字本があり、どちらも日本語訳が出ているが、マソラ読みと七十人訳にはいろいろと食い違いがある。私はヘブライ語の知識はないが、日本語訳を読み比べただけでも違っているのがわかる。

新約聖書を執筆した人たちは七十人訳を使っていた。専門家によると新約聖書に見られる旧約からの引用の約8割は七十人訳によるという。ただし、現存する七十人訳と一部違っていたりするので、系統の違う写本を使ったのかもしれないし、記憶で引用して食い違いが生じたのかもしれない。

七十人訳には旧約聖書続編も含まれているが、正典か続編か、何も区別されていない。新約を執筆した人たちも、続編の部分は正典ではないと一言も言っていない。
現代のキリスト教においても、旧約聖書続編をどう扱うか、教派によって異なる。

古いヘブライ聖書の写本はほとんど残っていない。これはヨーロッパにおけるユダヤ人迫害とも関係するのではないかと思う。迫害の中で失われた写本もあったろうし、国を持たない民となったユダヤ人は、少しでも身軽であるために、新しい写本を書き写せば古いものはいらないと考えて処分したのかもしれない。
今日、我々が持っている日本語訳の「旧約聖書」はビブリア・ヘブライカの訳である。底本に使われているビブリア・ヘブライカは、11世紀のレニングラード写本を活字化し記号をつけたものである。このレニングラード写本が、ほぼ原形をとどめるマソラ本文の写本としては最も古い。それでも11世紀のものである。日本語訳の旧約聖書は、イエスや弟子たちが生きて活動した時代やもっと前の時代の写本からの校訂翻訳ではない。古代の旧約写本は、断片的な一部しか残らなかったのである。
例外として、クムランの洞窟から発見された死海写本がある。これは紀元前のもので、まとまった写本としては現存する最古のものである。人々に受け継がれることなく、沙漠の洞窟の中で眠っていたから残ったのである。

「死海写本のイザヤ書はマソラ本文とほぼ同じです。千年書き写されてもほとんど変わらなかったのです」と言って、マソラ読みの正しさを主張する人たちがいるが、そういう主張は、ずるい。
イザヤ書はほぼ同じでも、サムエル記などはかなり違う。マソラ本文のサムエル記は歴史の中でかなり壊れてしまったと考えられている。死海写本のサムエル記はマソラ本文より七十人訳に近いという。それを語らずイザヤ書だけ挙げるのはフェアではない。

七十人訳ギリシャ語聖書は、巻によっては今は失われた写本の訳のようである。

イエスや弟子たちにどの程度ヘブライ語やギリシャ語の知識があったのかわからない。彼らは当時どういう写本に接していたのか、何を「聖書」としていたのか、誰も断定できないのである。彼らが用いた「聖書」を、ヤムニヤ会議で確定された本文と同じだと見なすのは無理がある。イエスや弟子たちが旧約の続編や外典を聖書と見なしていなかったと断定することもできない。

キリスト教が成立していった時代の人たちは、新約聖書の執筆者も含めて七十人訳を使っていた。福音書のイエスの発言まで七十人訳から引用されている箇所もある。だのに、どうしてキリスト教の旧約聖書は七十人訳ではなくヤムニヤ会議で決定されたヘブライ聖書を受け継ぐマソラ本文によるのだろう(しかも11世紀の写本の校訂版)。

今日、本屋に並ぶ日本語の聖書は、新約はネストレ・アーラント校訂のギリシャ語からの訳で、旧約はビブリア・ヘブライカ・シュトゥットガルテンシアからの訳だ。
新約の執筆者はヘブライ語の聖書からではなく主に七十人訳から引用しているので、「新約聖書の中の旧約からの引用」と「旧約聖書のその箇所」がかなり食い違っていることがある。
これをどう考えるべきかをクリスチャンたちに聞いてみたが、誰からも納得のいく答えを得られなかった。
それどころか、イエスや弟子たちの時代にヘブライ語の「旧約聖書39巻」が確定していなかったことを知らないクリスチャンが多かった。

「イエス様も弟子たちも霊感によって正しい聖書がわかっていたのです」と言う人もいるかもしれないが、イエスの発言まで七十人訳からの引用がみられるのをどう説明するのだろう。ビブリア・ヘブライカ・シュトゥットガルテンシア(レニングラード写本の校訂版)が旧約聖書の「原典」に最も近いとは言えない。実際、サムエル記など、かなり壊れている。

霊感によって正しい聖書がわかるなら、新約聖書を執筆した人たちはなぜその「霊感による正しい旧約聖書」を引用しないで七十人訳から引用したのか。それとも七十人訳こそが「霊感による正しい旧約聖書」なのだろうか。それならキリスト教が七十人訳を正典としないのはおかしい。それに、新約聖書を執筆した人たちが考えていた(旧約)聖書の範囲だってはっきりしない。新約聖書には偽典からの引用まである。彼らが「旧約聖書はヘブライ語で書かれた39巻」と考えていたとは思えない。


無誤無謬の聖書など、初めから、なかったのだ。(仮にあったとしても、我々はそれを知ることができない。)
「人間は無誤の聖書本文を知ることができない」ということは知っておいたほうがよい。新約聖書の著者たちだって無誤の聖書本文など知らず、その範囲も知らなかったから、多くは七十人訳から引用した。誰も、無誤の聖書本文を知ることはできないとわかれば、原理主義化や聖書カルト化に陥らずに済む。

(伊藤一滴)


※当時の分類では39巻ではなかったが、内容は同じなので、わかりやすいよう「(旧約)聖書39巻」と書く。一般のプロテスタント教会が用いる旧約聖書と文書の配列が少し違うが内容は同じである。

アメリカとイスラエル、そしてパレスチナ

アメリカの建国とイスラエルの建国は似ている。
どちらも、人が住む土地に移住者がやってきて、住民を追い散らし、集落を破壊し、抵抗する者を殺して建国されている。どこまでも抵抗すれば悪者扱いされ、徹底的に弾圧された。歴史を振り返れば、移住者と先住民と、悪者はどちらなのかと思う。中には温和な移住者も戦闘的な先住民もいたかもしれないし、単純にあれかこれかと二元論では言えないのだろうが、歴史をふまえて全体を見るなら、より悪いのはどちらなのだろう。

アメリカもイスラエルも、両者共、暴力的に建国され、建国は既成事実となって認められ、今に至っている。

両者の精神的基盤も似ている。唯一の神を信じる人たちが、神が与えてくださった土地と見なして自分たちの国を建てた。そして、先住民を対等な人間として扱わなかったという点でも似ている。対等な人間ではないのだから、ためらわず土地を奪い、迫害し、ためらわず殺害できた。

アメリカもイスラエルも強力な武力による国家の維持を続け今に至っている。武装は国家レベルだけでなく、個人もまた武装する。どちらも絶えず緊張状態にある国だ。両国は、そういう国なのだ。

建国も国のあり方も似ている両者は仲が良い。イスラエル国内にはいくつもの宗教・宗派があるが、中心はユダヤ教である。現在のアメリカは、公には多人種・多民族の共存を求めているとはいえ、多数を占めるのはプロテスタントのキリスト教だ。
ユダヤ教とキリスト教は違う宗教だが、同じヘブライ聖書(旧約聖書)を用い、同じ神ヤーウェを信じるという点では共通している。
アメリカにおいてもプロテスタントは主流派と福音派に分かれるが、福音派は特にイスラエルと親和性が高いという(もちろん、全員ではないけれど)。

イスラム教徒を迫害することにためらいを感じない人がユダヤ教にも福音派にも相当数いるようだ。イスラム教の人たちは救われていないと考え、どうせ救われない人たちなのだから、迫害されようが殺されようがかまわないという発想なのかもしれない。

イスラエルのアラブ系住民(パレスチナ人)を悪者扱いするのは、アメリカの先住民(インディアンと呼ばれた人たち)を悪者扱いするのと似ているように思えてならない。どうせ救われない人たちだと考えているのではないか。


現在のイスラエルで、暴力の連鎖が止まらない。
家族や仲間を殺されれば、相手を殺して復讐したいと思う人が出てきて、復讐が起こる。
復讐によって殺された側の家族や仲間が、やり返す。
やり返された側が、またやり返す。
止まらない。


私は、イスラエルでのパレスチナ人の抵抗の中に行き過ぎがあっても、それをテロと呼びたくない。たしかに、急進的で暴力的な勢力による行き過ぎがあり、イスラエルの一般市民や外国人を無差別に殺傷したり、誘拐したりしている。
だが、急進的で暴力的な勢力がパレスチナで一定の支持を集めるのは、これまでのイスラエルによる侵略と弾圧の結果ではないのか。

テロと言うなら、イスラエルのやっていることこそ大規模なテロではないのか。非戦闘員の死者数だけみても、パレスチナの犠牲者のほうがはるかに多い。1人殺されたら10人、20人、100人以上と殺しまくって報いるイスラエルは、テロ国家と言われても仕方がない。


軍事力でハマスを根絶するのは、まず、不可能だろう。イスラエルのやり方がハマスのような過激な勢力を育てたのだから。
仮にハマスを殲滅したとしても、別のハマス的な団体が発生するだけだろう。
イスラエルは終わりのない戦いをしている。

戦いを終わらせたいなら、いったん建国時の国境線まで戻って、パレスチナを独立国家と認めればよい。そうやって話し合いをすればよい。こんなわかりやすいことをイスラエルはしない。


これまでの歴史がある。
双方に言い分もあろう。
それでも、自制してもらいたい。
このままでは、暴力の連鎖が止まらない。


案の定、アメリカはイスラエル支持に回った。武器も供給しているという。
アメリカのポチと言われる日本だが、この問題に関しては対米従属はやめてもらいたい。
日本はイスラエルともパレスチナとも対話できる国だ。日本は直接ユダヤ人を迫害した歴史はないし、イスラム教を迫害した歴史もない。また、中東を植民地支配したこともない。イスラエルもパレスチナも、どちらも日本と敵対したことはない。

日本はアメリカの顔色をうかがうのではなく、双方に強く自制を求めてもらいたい。

(伊藤一滴)

現代科学を否定する無理な信仰

今となっては数は少ないだろうが、今も日本国内に、北朝鮮を支持する人とか、日本の社会主義革命を信じる人とか、いるにはいるようだ。

ひとたびそういう考えを持つとなかなか改められないのかもしれないが、今の日本に住み、普通に情報を得て、それでなお考えを改めないというのは、かなり無理な信じ方をしているのではないか。

そんなことを思ったのは、福音派の中の一部の人たちの無理な信仰と似ていると感じたからだ。
福音派と称する中に、成り立たないことを、かなり無理をして、かたくなに信じている人たちがいる。(注1)

今の日本で、普通に教育を受け、普通にテレビや新聞やネットから情報を得て、それでなお、地球が出来たのは紀元前4004年頃だとか、ノアの洪水の時に恐竜が絶滅したとか、生物は一切進化していないとか、そういったことを言い張るのは無理がある。


ここに進化論の要点を書こうかと思ったが、私のような素人が書いたものより専門家が書いたものを読む方がずっといいと思うので、書くのをやめた。進化論や進化については、入門書から専門書まで数多く出ている。日本語版ウィキペディアの「進化」の項を読むだけでもとても参考になると思う。

反進化論者は、最初から答えがあって、客観的に真実を求めるのではなく、答えに合致するよう話を持って行く。だから、データを挙げて理論的に説明しても話は平行線になる。
それは間違った演繹法の使い方だ。演繹法は、まず万人が認める事実が前提にあり、なぜその事実が成り立つのかを論理を積み重ねて結論を出す方法だ。
たとえば、高い山に登れば上に行くほど寒くなるのは万人が認める事実である。「そんなことはない、上に行くほど太陽に近くなるから暑くなるはずだ」といくら言ってみても、事実に反する。なぜ上に登るほど寒いのか、その理屈を求めるのが演繹法だ。

反進化論(創造論)は、世の万人が認める事実とは言えない。だから、演繹法は使えない。
演繹法を使えない分野に使おうとするから話がおかしくなる。


また、事実に反する主張も、理屈をつけて事実であるかのように説明することが可能な例はいくつもある。もちろん間違った理屈だが、一見、事実のように話を持って行くことができるのである。

有名な例に、アキレスと亀の話がある。古代ギリシャのゼノンのパラドクスだという。

足の速いアキレスと、亀が競走した。
ハンディを考慮し、アキレスはだいぶ後ろからスタートした。
わかりやすいように、アキレスは亀より100メートル後ろからスタートしたとする。
後ろからスタートしたアキレスは、絶対に亀を追い越せない。
アキレスが100メートル走るうち、亀は少しは進んでいる。アキレスが100メートル走った時点で亀が10メートル進んでいれば、アキレスは10メートル先の亀を追い越そうとする。アキレスが10メートル走る間、亀は1メートル進んでいる。アキレスが1メートル走る間に亀は10センチ進んでいる。アキレスが10センチ走る間に亀は1センチ進んでいる。
差は小さくなっていくが、どこまで行っても追い越せない。アキレスがどんなに速かろうが、亀を追い越せない。

もちろん事実ではないが、事実でないことも、筋の通った話のように持って行くことができるのだ。
反進化論者の理屈を聞くと、私はこの話を思い出す。


今、私の手元に、
ダーウィン『種の起源』の他に、
ドーキンス『利己的な遺伝子』、
同『進化の存在証明』、
同『悪魔に仕える牧師』
などがある。
あとは、
ブライアン・スウィーテク『移行化石の発見』
などもある。

私は、これらの本について、ここには論じない。
私は進化論に関してまったく素人だし関心分野でもないから、深入りしないし質問されても答えられない。

ただ、素人なりに思うことを少しだけ言っておく。

ある人たちが言うように、天地創造は6日(1日は24時間)で行なわれたのなら、恐竜はいったい何日目に創造されたのだろう。
以前、ある原理主義者に恐竜は何日目に創造されたのかと聞いたら、
「恐竜なんていませんでした。聖書のどこにも恐竜のことなど書いてありません。恐竜の化石とされているものは天地創造の真理をごまかすためにサタンが造ったのでしょう」
という答えだった。
うちの息子にその話をしたら、
「恐竜が地球上にいたのは数時間か、長くても数日だろうね。天地創造はたった6日間で、恐竜は人類の発生より先に絶滅してるんだから」
と、冗談ぽく言っていた。

創世記の冒頭を文字通り読むなら、太陽ができる前から地球があり、光があり、地上には植物が生えていたことになる。
太陽ができる前の光って、何?
太陽ができる前の1日って、何?
太陽のない太陽系で地球は自転公転していたのか?
先に造られた地球が、あとから造られた太陽の周りを回り出し、月が地球の周りを回り出したのは、どういう理屈なのだろう? 天体の引力と遠心力のつり合いは滅茶苦茶になる。
「できたばかりの地球は厚いガスに覆われていました。空が晴れて、太陽や月が見えるようになったときのことを2つの天体の創造としているのです」
と言っていた人がいたが、そんなことは聖書のどこにも書かれていない。
「神様は物理の法則など超えています。神様は何でもおできになるのです」
と言う人もいたが、いったい神は何のためにそんなことをなさる必要があるのか。

ネアンデルタール人をはじめ、現生人類以外のヒトの化石も見つかっているが、彼らは何日目に創造されたのか? 彼らはアダムの子孫ではないのか? もしアダムの子孫でないなら、原人や異種のヒトは誰が創造し、どこから来たのか。これも、「ネアンデルタール人なんていませんでした。化石は天地創造の真理をごまかすためにサタンが造ったのでしょう」となるのか。

遺伝子の研究によって、現代人とネアンデルタール人との混血も明らかになっているが、アダムの子孫と出所不明のヒトとの混血をどう説明すればいいのか?
この日本にだって、4万年近く前には人がいたようだが、彼らもアダムの子孫なのか? アダムは紀元前4004年頃に創造されたのに、はるか昔に日本に人間がいたのは、なぜ?

「アダムもエバも架空の人で、神と人との関係を説明するために創作された物語の中の登場人物」と考えれば、すべて説明がつくのに。
「アブラハム以前の話はすべて神話的な物語」と考えるのは、神の否定でも信仰の否定でもない。実際、現代のプロテスタント主流派やカトリック信者の多くはそう考えている。

参照 聖書の史実性
http://yamazato.ic-blog.jp/home/2023/08/post-4179.html


反進化論者は、「かつて科学的に正しいと考えられていたことが誤りだった例はいくつもあります」と言う。確かにその通りだが、それは「新しい科学が過去の研究を乗り越えた結果」であり、「科学と宗教とが対立して宗教が勝利した結果」ではない。

私は、現代の科学は万能だなんて思っていないが、科学を乗り越えるのはさらなる科学であり、宗教的な先入観が科学を乗り越えることなどないと思っている。

仮に進化論が誤った仮説なら、今後の科学がそれを乗り越える日を待つべきだろう。聖書にこう書いてあるから、ああ書いてあるからと、「聖書的に」介入すべきことではない。

実際、歴史の中で、教会が科学に介入したことがたびたびあった。そして、その結果は、教会の側の全戦全敗だった。全敗の結果、多くの教会は、聖書の記述から科学に介入してはいけないことを学んだ(注2)。今日、エキュメニズム派(プロテスタント主流派やカトリックの教会)が、聖書の記述をもとに科学に口をはさむことは、まず、ない。過去の歴史を省みて、聖書の記述を科学を論ずる場に持ち込んではならないと、よくよくわかっている(注3)。


聖書と科学は初めから次元が違う。

これがわかっていない人たちが、プロテスタントの一部にいる。宗教上の見解と科学的見解を混同しているのだ。
その思考は、科学的事実が明らかになる前の中世的な世界観であり、現代の思考ではない。もちろん、未来に向かう思考でもない。(注4)

(伊藤一滴)


注1:無理な主張は、時に、陰謀論者やネット右翼(ネトウヨ)等と共通することがある。無理な主張が否定されると、感情的になって食ってかかってきたり、話の論点をずらしたり、だんまりを決め込んだりする。そして別の場で、また無理な主張をする。以下は「福音派」の話ではないが、無理な主張の一例を挙げておく。
「関東大震災後の朝鮮人虐殺はなかった」といった類の主張があるが、朝鮮人と間違えられて殺害された日本人がいるのをどう説明するのか。間違えられて殺された日本人はいたが、本当の朝鮮人は殺されていないとでも言うのか。
「虐殺というのは惨たらしくなぶり殺しにすることで、一気に殺すのは虐殺とは言わず殺害と言う。朝鮮人殺害はあったが、虐殺はなかった」みたいなことを言うネトウヨもいるが、それは安倍晋三派お得意の御飯論法だ。「朝、パンは食べたが御飯(白米)は食べていない。だから、朝御飯は食べていない」と言うに等しい。

注2:A.D.ホワイト著、森島恒雄訳『科学と宗教との闘争』(岩波新書)にポイントがまとめられている。この本は戦前に出版され、1968年に現代表記の改訂版が出されている。改訂版のほうが読みやすいが、改訂版では、残念なことにガリレオ・ガリレイへの判決文などが削除されている。この判決文もキリスト教の歴史を考える上で大変参考になるので、旧仮名遣い・旧漢字でもいいという方は改訂前の版でお読みになるといいと思う。
なお、森島恒雄著『魔女狩り』(岩波新書) も、キリスト教の歴史を考える上で大変参考になる。

注3:核兵器や原子力発電に反対したり、遺伝子組み換えに反対したりするのは、科学への介入ではなく、人間や地球の環境を脅かすものへの反対だ。
原子物理学の理論や遺伝子の理論そのものに反対しているわけではない。

注4:全員がそうだとは言わないが、進化論否定論者のクリスチャンの中に、独善的・排他的・不寛容・攻撃的な人たちがいる。迷惑な話だ。

誤解されるといけないから何度も繰り返して言うが、進化論に否定的な人はみなタチの悪い原理主義者やカルト、というわけではない。
心優しく善良なクリスチャンの中にも、進化論に否定的な方々がおられる。
前から何度も言っているとおり、進化論についての自分の思いを正直に書くと、そうした、私に親切にしてくださった心優しいクリスチャンたちの顔が浮かんできて、胸が苦しくなる。恩人を悪く言うようで、申し訳ない。だが、私は、自分の考えを偽ったり、あいまいにしたりしたくない。

福音派を名乗る人に、「カトリック教会や主流派のプロテスタントについてどう思うか」を聞けば、穏健な福音派なのか原理主義系なのかの判別になる。だが、「進化論についてどう思うか」は、そうした判別には使えない。

原理主義者(自称「福音派」)による他派批判の主張の多くは、勝手な思い込みであり、正確で正当な批判ではない。最近の事情を反映していない戦前の本や、そうした本を孫引きしたような本、不正確な伝聞などを使って非難する。他派と対話せず、勝手にこうだと思い込む。また、他派が出している手引書などをどこかで手に入れてきて非難する。そうした手引書類は、その教会の指導者が解説することを前提に書かれたものなのに、解説を聞かずに勝手に読んで勝手に解釈して非難する。
迷惑な話だ。
「それは違います」と言っても聞く耳を持たない。真理の側にいる自分たちは、間違った側の話など聞く必要はないと考えているようだ。

自称「福音派」の「信仰」のどこが問題なのか

自称「福音派」(原理主義者、一部はカルト)らが言う意味での「正しい聖書信仰」「正統的プロテスタントの信仰」「福音的な信仰」「福音主義」といった「信仰」のどこが問題なのか、ずっと考えていました。そして、彼らの信仰の中心が「罪の意識と地獄の恐怖」であることが、一番問題だと思うようになりました。

自称「福音派」の信仰の中心は「イエス・キリストによる救いを信じ、神の愛の中に生きる喜び」ではなく、「罪の意識と地獄の恐怖」です。
常に恐れに支配されていることが、一番の問題なのです。

そう、恐れです。
「罪の意識と地獄の恐怖」が中心で、悪魔を恐れ、罪の誘惑を恐れ、自分の罪が裁かれることを恐れ、終末を恐れ、地獄に落ちることを恐れ、地獄の苦しみを恐れる。すべて恐れです。
神様さえも、いつも人を見ていて、監視し、罪を犯す人を地獄に落とす恐れの対象です。

彼らは、口では、「私たちはイエス・キリストによる救いを信じ、神の愛の中に生きる喜びのうちにあるのです」みたいなことを言うんですが、それは、まるでアヘンを使って自分の心の不安を麻痺させるように「キリストによる救い」や「神の愛」を利用しているだけで、中心にあるのは恐れです。

実際、彼らは明るい顔をしていません。沈んだ顔であったり、疲れた顔であったり、何かに憑りつかれて自分を失ったような目つきだったり。

彼らは現実を見ようとしません。現代の世界の現実を見ようとしないし、歴史も古生物学も、現代の聖書学の研究成果だって見ようとせず、「人間的な価値観に惑わされてはいけません」「自由主義神学の間違った考えにだまされてはいけません」みたいなことを言うんです。
現実離れした空想の世界に逃げ込んで、それを、正しい聖書信仰だと思い込んでいるのです。

「人間の価値観ではなく、聖書があかしする神様の価値観に従うべきです」なんて言いながら、人間が作りだした恐れの価値観に支配されています。
彼らが言う「神様の価値観」や「聖書の価値観」の多くは、その教派やその教会の牧師が、聖書の言葉の一部をパッチワークのように縫い付けて作り出した独自の価値観です。むろん、そこに普遍性などありません。たとえ聖書の言葉が使われていても、それは部品に使われただけで、その価値観の全体像は人間の誤った価値観です。

なぜ、私が、彼らの主張を「人間の価値観です!誤った価値観です!」と断言できるのか。
それは、本当に神様の価値観に従っているのなら恐れに支配されるはずなどないからです。
常に恐れに支配されていては、自分の人生を生きることができなくなってしまうからです。
彼らは、イエスの教えとは明らかに異なる独自の価値観の中に生きています。


私が非難するのは、恐怖心を与えて人を支配する自称「福音派」(原理主義者やカルト)であり、一般の(原理主義でない)福音派の方々の信仰ではありません。
一般の福音派の方々は、福音伝道と共に福祉事業や海外支援やさまざまな活動に取り組んでおられます。表情が明るく、済んだ目をしている人が多いです。素朴で真っすぐな信仰心を持って、自分も隣人も世も良くなることを願う人たちに対し、たとえそれがかなり保守的な信仰であっても、悪い感情などありません。

自称「福音派」の原理主義者も一般の福音派も、どちらも福音派の団体に加盟していたりして見分けにくいのですが、この両者は、人に接する態度も生きる姿勢も違います。


身勝手な自称「福音派」と、他者に配慮する福音派、

答えが先にあって、その答えになるようつじつま合わせに終始する自称「福音派」と、本当の答えを求め続ける福音派、

相手の弱味を探って支配するため話を聞こうとする自称「福音派」と、相手のためを思って親身になって話を聞き一緒に考えてくれる福音派、

相談しても助けてくれない自称「福音派」と、相談すれば一緒に動いてくれる福音派、

異なる見解に耳を傾けようとしない自称「福音派」と、そういう考え方もあるのかと話を聞いてくれる福音派、

いつも人の悪口を言っている自称「福音派」と、他者を悪く言わない福音派、

リベラルなプロテスタントやカトリックを一方的に非難する自称「福音派」と、他派と対話しようとする福音派、

困っている人たちのために指一本動かそうとしない自称「福音派」と、困っている人たちのために自ら率先して行動する福音派、

人間の努力で世の中を良くしてゆくことに否定的で、社会の問題に取り組んでいる人たちをどこか馬鹿にしている自称「福音派」と、社会をより良くしたいと願って行動する福音派、

聖書研究より独自のドクトリンが先走る自称「福音派」と、聖書そのものから学ぼうとする福音派、

聖書に出てくるファリサイ派(パリサイ派)や律法学者らとよく似た自称「福音派」と、聖書に出てくるイエスに従った人たちを思わせる福音派、

もっともっとあります。

進もうとする方向が違うんです。

(実際は、中間的な人たちも多く、自称「福音派」と本当の福音派の境界線は明瞭ではありませんが、わかりやすいように特徴を大きく2つに分けて書きました。)


以前、自称「福音派」の人たちから話を聞いたのですが、どうも、生活の中で何か問題をかかえ、問題に向かってゆくことができずに原理主義の信仰に逃げ込んだ人が相当数いるようでした。そういう現実逃避を「イエス様に出会って救われました」と言っているようでした。実際は、麻薬を使うようになって痛みを感じにくくなったような状態なのでしょう。また、そうした人の二世、三世なのでしょう。これは、エホバの証人(ものみの塔)や統一協会(統一教会)等の信者とも共通します。
こうした宗教は、鎮痛剤という意味で民衆のアヘンです。一時の鎮痛効果はあっても治療効果はありません。

自称「福音派」、エホバの証人、統一協会といった、原理主義的アヘン的宗教に入信する人たちは、深く傷ついている人が多いのかもしれません。
麻薬のように「信仰」を使って痛みをごまかしているうちに、傷はますます悪化するのでしょう。
傷ついているがゆえに「信仰」を求めてますます傷を深くしているなら、とても気の毒です。

目を覚ましてほしいと思います。求める方向が違っているのですから。
人に恐怖心を与えて支配する教会を離れ、恐れによる支配を断ち切らなければ、イエスが望む方向に向かうことはできないだろうと私は思います。

(伊藤一滴)

カルヴァン教(再掲)

1980年代の半ば、学生だった私は、学内で「伝道」している自称「福音派」(「教派ではなく純粋なキリスト教」と称する人も含めて)の学生たちと何度も口論になりました。
彼らは罪の意識や地獄の恐怖で人を脅すことを福音伝道だと思っているようでした。私は、そういうやり方は、かえって人を聖書から遠ざけると思いましたし、彼らの進化論攻撃や天地創造を紀元前4004年頃とする主張など、まったく納得できませんでした。他宗教や他教派に対し、相手の言い分をよく知りもせずに生半可な知識で非難し、見下して馬鹿にするような態度にも腹が立ちました。特にカトリックとプロテスタント主流派に対しては、聞くに堪えないような罵詈雑言を浴びせていました。

今思えば、彼らはキリスト教原理主義者やカルトの集団でしたが、当時の私にそうした知識がなく、福音派の中にはああいう人たちもいるのか、あの人たちはキリスト教の恥だと、腹を立てていました。
彼らは、聖書の権威、神の絶対性、神による予定、信徒の訓練などをことさら強調しており、また、何事でもそれが聖書に書いてあるかどうかを非常に気にしており、ある面、カルヴァンの影響を強く受けているようでした。

カルヴァンは偉大な宗教改革者とされていますが、その主張の中には時代の制約もあります。
正典成立史を見てもカルヴァンが言う「聖書の権威」とは合致しません。(※)

キリスト教2千年の歴史の中の一人に過ぎないカルヴァンの見解が、今も多くのキリスト教会の教義の根底にある、というか、教義の根底はカルヴァンの見解に沿ったものでなければならないというのも、どうなんでしょう。

当時、『カルヴァン小論集』(岩波文庫)を読みながら、カルヴァンは「福音派」の元祖かと思いました。その後『キリスト教綱要』(新教出版社)を読みながら、ますますそう思いました。翻訳者や出版社のご努力を思えば申し訳ないのですが、第一巻を途中まで読んで嫌になり、それ以上読んでません。

自称「福音派」の原理主義者やカルトたちは、おそらく無意識に、イエスよりもパウロを上に置き、カルヴァンをもっと上に置くという思考回路になっているのでしょう。

無意識なのです。
意識するなら三位一体の神こそが最上であり、その神を正しく証ししたものが聖書ということになるですから。

彼らは無意識に、イエスの言葉をパウロの見解に合うように解釈し、聖書全体をルターやカルヴァン、特にカルヴァンの見解に合うように解釈するのです。(カルトではない一般のプロテスタントにも、そうした傾向が見られるときがあります。)
さらに「福音派」の一部には新興キリスト教の独自の見解も入り込んでいるようで、それを「正しい聖書信仰」、「正統的プロテスタント」、「福音的な信仰」、「福音主義」などと称しているのです。

自称「福音派」の正体が見えたと思いました。パウロ教、かつ、カルヴァン教で、一部はそれに新興キリスト教の見解を混ぜたものだ、と思ったのです。


自称「福音派」たちから何度もからまれ、若かった私はかなり言い返してやりましたが、私がどんなに筋を通して話をしても、彼らは少しも目を覚ましませんでした。強力なマインドコントロール下にあったのでしょう。左翼学生と似た、病的な思い込みのようでした。当時、ソビエトや北朝鮮の実態が伝えられても、共産主義の理想を信じて疑わない人たちがいました。信じる対象は違いますが、左翼学生たちの強い思い込みと「福音派」は似ていました。


「そもそもキリスト教信仰の根本は何か」と考えました。

古代や中世の世界観で語られた見解をそのまま受け継いでいいんだろうか。古代や中世の人たちが思い描いていた世界と現実の世界はかなり違うのに。

「パウロ教、かつ、カルヴァン教、プラス新興キリスト教」でいいんだろうか。

エラスムスは「ルターは曲がった関節をまっすぐに戻そうとして反対側に脱臼させた」と言ったという。(すみません、出典を忘れました。なにしろ1980年代に読んだ記憶です。)

宗教改革以前のキリスト教は否定すべきものなのか。

中世のカトリックを異端として否定すれば、この世のどこにもキリスト教が存在しなかった空白期間があったことになる。
原始キリスト教は正しい教えを伝えていたがカトリックが異端化し、16世紀の宗教改革で正しい教会を取り戻したというのなら、空白期間をどう説明すればよいのだろう。

旧約聖書39巻と新約聖書27巻の計66巻だけが唯一の信仰の規範であり、これを唯一の信仰の論拠と信じる教会だけが正しい教会だ、と言うなら、原始キリスト教も正しいキリスト教ではなくなってしまう。十二使徒やパウロが活躍した時代にはまだ新約聖書がなかったし、旧約聖書39巻も確定していなかった。最初期の教会は現在のような「聖書66巻」を持っていなかったのだから、正しい教会ではなかった、ということになる。
「聖書中心主義(=福音主義)の正しい教会は16世紀の宗教改革で初めてこの世に出現した」「それまで正しい教会はどこにもなかった」ということになる。

宗教改革者が否定したカトリックの見解はすべて否定すべきものなのか。

「信仰の論拠は聖書のみです。宗教改革者が否定した点には聖書的根拠がなかったのです」と言う人たちがいるが、聖書的根拠なんて、どうとでも言える。

「信仰の論拠は聖書のみ」と言う人たちは、そう言いながら、「聖書のみ」を論拠にしておらず、カトリックの神学や過去の伝承を引っ張り出してくる。(例、三位一体論など、聖書のどこにも出てこないカトリックの教義だし、使徒信条もそう。また、たとえば「マタイ福音書の著者は使徒マタイです」といった主張は伝承であり、これも聖書のどこにも出てこない。)

聖書を解釈するのは人間である以上、「信仰の論拠は聖書のみ」は「信仰の論拠は人間の主観のみ」になりはしないか。「聖霊の働きによって正しく解釈しています」という主張があるが、聖霊はあっちの教派とこっちの教派で違う解釈になるよう働くのか。「あっちの教派は間違っています」というのは、逆からみたら逆に見えるだけで、教派の数だけ「正しい」解釈があり、自分が属する側の解釈を正しいとしているだけではないのか。実際、プロテスタントは諸派の乱立となっている。

やはり、キリスト教信仰の根本は何なのか、そして、そもそもキリスト教とは何なのか、という検討が必要だろう。
まさか、「カルヴァン流の強権的・神権的な支配に従うこと」がキリスト教信仰の本質ではあるまい。

(伊藤一滴)


※ たまたまF・V・フィルソン著『新約正典の研究』(日本基督教団出版局)を読んだのですが、この本は、聖書にはもともと内的な権威があるという前提で新約正典の成立を論じています。私は、歴史的事実としての正典成立史を論じる場に自分の信仰的な考えを持ち込むべきではないと考えます。それは学問のやり方として正しくありません。聖書の権威がどうこうは、神学上の考え方としてはともかく、歴史を論じる場に持ち込むべきではありません。

蛭沼寿雄『新約正典のプロセス』(山本書店)は、宗教的な先入観なしに新約正典の成立について論じた書です。蛭沼氏は本書の最後で正典の見直しについてまで言及しておられ、考えさせられました。でも、誰が何の権限で新約聖書の再編集ができるのでしょうか? もし学者が「真の正典」を出したとしても、世界の教会はそれに従うんでしょうか?

荒井献編『新約聖書正典の成立』(日本基督教団出版局)を只今読書中です。私は安価で入手しましたが、一部の古書店でべらぼうに高い値段がついているようです。

残念ですが上記の3冊とも絶版です。

2021-11-17 掲載| 2023-10-20 脱字訂正の上、再掲

ぼんやりと鏡に映った姿のようなイエスについて行こうと思った

イエスはいつどこで生まれ、誰から洗礼を受けたのだろう?

私は10代の頃、「イエスはヘロデ王の時代にユダヤのベツレヘムで生まれ、30歳の頃にヨルダン川でバプテスマのヨハネから洗礼を受けた」と素朴に思っていた。

その頃は、新約聖書の記述は基本的に事実に基づいて書いてあると思っていた。

「キリストのご降誕」を描いた西洋の絵画を見ながら思った。
「東の博士たちは馬小屋に来て、黄金、乳香、没薬を渡したのだろうか? でも、マタイ伝には「家に入って」って書いてある。家? 馬小屋じゃなかったの?」
1980年代のはじめ、10代の私は何人かのクリスチャンに聞いてみた。そしたら、答えはまちまち。
「出産後に馬小屋からどこかの家に移動したんでしょう」
って言う人もいるし、
「イエス様が生まれた時に星が現れ、その星をたよりに博士たちが出発し、ベツレヘムに着いたのは2年後くらいなのでしょう。ヘロデ王はベツレヘムとその周辺の2歳以下の男の子を皆殺しにしているのですから、博士たちが到着したときイエス様は2歳くらいだったと考えられます」って言う人もいるし、私の頭はハテナ???
2年後なら、なんでマリアとヨセフはイエスと共にベツレヘムにいたんだろう?
2年間、何をして暮らしていたのだろう?

ご降誕の絵を見ながら心に浮かんだ疑問。このあたりから、だんだんに、聖書にはつじつまの合わないことも書いてあるようだと思うようになった。

ヘロデ王というのはユダヤの領主ヘロデ大王のことで、紀元前4年に没している。だから、イエスがヘロデ王の時代に生まれたのなら、イエスの誕生は紀元前4年かそれ以前になる。2歳以下の男の子を皆殺しにしたというのだから、イエスは紀元前6年頃に生まれたのかもしれない。もっとも、ヘロデによる嬰児虐殺の話は、旧約の預言が成就したことにするためのマタイの創作だろうけれど。

じゃあルカ伝にある「クレニオ(キリニウス)がシリアの総督だったとき」の人口調査はいつなのだろう。
クレニオは紀元後6年にシリア州の総督になっている。そして、当時ローマの直轄となったユダヤで人口調査が行なわれている。紀元6~7年のことである(紀元前6~7年ではない)。

マタイの記述とルカの記述は十年~十数年違う。
このズレは埋めようがない。

「ヘロデ大王が生きていた時代に、クレニオは一時的にシリアの総督になり、そのときに人口調査があったのでしょう」といった主張もあるが、これは聖書の記述を史実とするためのつじつま合わせだ。まず、ローマ側にそんな記録がない。皇帝アウグストゥスの勅令で「全世界」の人口調査が行なわれたのなら各地に記録がありそうだが、新約聖書のルカ伝以外、まったく記録がない。

それに、ヨセフはダビデの家系だからダビデの町ベツレヘムで登録するというのも変な話だ。
今の私はダビデ王というのは架空の人物の可能性があると考えているが、もし実在の王であったとしても、ダビデの時代とヨセフの時代は千年も違う。親や祖父母の出身地に行くのではない。千年前の先祖の町だ。我々は役所に何らかの登録をする時に千年前の先祖の町に行くだろうか? 千年と言えば、今の時代と紫式部の時代くらい違う。役所への登録で平安時代の先祖の町まで行くなんて、想像もつかない。

マタイによれば、ヘロデが幼な子の命を狙っていると知ったヨセフは、マリアとイエスを連れてエジプトに逃れたという。このときイエスが2歳くらいなら、子連れの一家族がシナイ半島の沙漠を越えるのは、かなり難しかったろう。
もし、イエスが生まれたばかりのときのことだと考えれば、新生児を連れてのエジプトへの逃避は、まず、不可能だったろう。
エジプトへの逃避の話もまた、旧約の預言が成就したことにするためのマタイの創作だと考えられる。マタイはエジプトに行ったことなどなくて、パレスチナからエジプトに行きまた戻るのがどれほど大変か解っていなかったのだろう。

「人にはできないことも神にはできます」と言う人もいるが、神は十年かそれ以上の時間をずらしたりなさるのか。紀元後6~7年に行なわれた人口調査を紀元前4年より前にずらしたりなさるのか。そして、勅令による「全世界」の人口調査の事実を、新約聖書以外のあらゆる古文書や考古学的記録から、すべて消し去ったりなさるのか。
たとえ神ならできるにしても、神は何のためにそんなことをなさる必要があるのか。

つまり、ルカ伝にあるイエスが生まれたときの人口調査の話も、創作と考えるべきだ。これも、イエスをキリストとして描くために創作された物語なのだ。


それに、どうしてイエスはナザレ出身なのか。
そもそも、イエスの時代、ナザレという町はあったのか?
ナザレは今もあるし、中世には大きな町だったというが、現在や中世の話ではなくイエスの時代の話だ。

ナザレという町は旧約聖書に一度も出てこない。タルムードにも出てこないという。フラヴィウス・ヨセフスの『ユダヤ古代史』や『ユダヤ戦記』にも、まったく出てこないという。小さな町の名まで数多く記したヨセフスにしては不自然ではないか。
それに新約聖書には、イエスが故郷で崖から落とされそうになる場面が出てくるが、ナザレにそのような崖はないという。

今の私は、「新約聖書に出てくるナザレという町の存在自体が架空だ」と考えている。おそらく、イエスをナジル人(ナザレ人)とするために作られた架空の町の名なのだろう。イエスはナザレの出身だからナザレ人(ナジル人)なのだという伝説がある程度広まってから、ガリラヤのある町がナザレと名乗るようになったのではないだろうか。

「新約聖書に死海がまったく出てこないからといって、当時死海がなかったという話にはならない」と言う人もいるけれど、それはまた別な話だ。死海は、イエスとの関係が近すぎたのだ。
イエスの師(または先輩)と考えられるバプテスマのヨハネも、イエス自身も、クムラン宗団のメンバーから分派したのかもしれないし、メンバーでなくとも、かなり影響を受ける近い関係にあったのだろう。関係が近すぎるが故に、新約聖書は死海のほとりのクムラン宗団を黙殺し、エッセネ派を黙殺し、死海の存在まで黙殺したのだろう。

イエスがいつ生まれたのか、はっきりとは分からない。どこで生まれたのかも分からない。育ったのは、ガリラヤだろうが、どこの町なのかも分からない。
イエスについては、わからないことだらけだ。

イエスは30歳の頃にヨルダン川で洗礼者ヨハネから洗礼を受けたと数年前まで思っていた。
だから、このブログにも、そう書いたこともあった。
イエスはヨハネから洗礼を受けた可能性は高いと思う。だが、断定はできなくなってきた。

ヨハネによる洗礼をはっきり書いているのはマルコとマタイだけだ。ルカ伝を素直に読めば、イエスが洗礼を受けたときにヨハネは獄中にいたように読める。そしてヨハネは斬首され、生きて帰ることはなかった。

イエスが洗礼を受けると「そしてすぐに、霊がイエスを荒野に追いやった」という(マルコ1:12)。「そしてすぐに」だ。イエスは荒野で「四十日四十夜、断食をした」という(マタイ4:2)。ところがヨハネ伝によれば、イエスは受洗の翌日に弟子の召命をやっている。バプテスマのヨハネも捕らえられていない。その後もイエスは、カナの婚礼に行ったりニコデモと対話したり、ちっとも荒野に行く気配がない。マルコは「そしてすぐに、霊がイエスを荒野に追いやった」と言っているのに。

その先も、福音書はどこまでも矛盾だらけだ。

「聖書は信ずるに値するのか」、「キリスト教は信ずるに値するのか」、10代後半から20代初めの私は、ずっと考えていた。

小学校3年で聖書に出会って以来、夢中になって福音書を読み、10代半ばで新約聖書を全部読み、10代後半で旧約聖書も全部読み、毎日毎日聖書を読んでいた私が、信ずるに値するのかと思うようになっていた。

子どもの頃、まず思ったのは、聖書の記述と科学的な事実(と考えられていること)の食い違いだ(たとえば進化論など)。だがこれは、信仰と科学は初めから次元の違うものと考えることで、つまずきにはならなかった。私は小さい頃から、それぞれ次元の違う話だと思っていたから、進化論を疑ったことはない。

だが、

聖書の記述と歴史的な事実(と考えられていること)の食い違いをどう考えるのか(上に挙げたような話)、

聖書そのものに、箇所により出来事の食い違いがあるのをどう考えるのか(たくさんあるけれど、イエスが処刑されたのは過越しの食事の前か後かのように、どうがんばってもつじつま合わせのしようがない矛盾もある)、

出来事だけでなく、箇所により著者の考え方に食い違いがあるのをどう考えるのか(各福音書、パウロ書簡とヤコブの手紙など)、

といった点は、簡単に説明がつかなかった。

教会の牧師や信者に質問したりもしたが、誰からも納得のいく答えを得られなかった。
(原理主義者にそういった話をしたら急に火がついたように怒り出し、「聖書には一切食い違いなどありません!」と激しい剣幕で叱られた。彼らにそういう話はしないほうがいい。)


その頃読んだ本の一部だが、

遠藤周作『イエスの生涯』

同『キリストの誕生』

同『死海のほとり』

三浦綾子『道ありき』

同『塩狩峠』

山形孝夫『レバノンの白い山』

同『治癒神イエスの誕生』(のち『聖書の奇跡物語』と改題)

波多野精一『基督教の起源』

同『原始キリスト教』

赤岩栄『キリスト教脱出記』

荒井献『イエスとその時代』

八木誠一『イエス』

同『新約思想の成立』

田川建三『イエスという男』

同『マルコ福音書 上巻』

ブルトマン『イエス』

同「共観福音書の研究」(『聖書の伝承と様式』所収)

同『新約聖書と神話論』

ドレウス『キリスト神話』

幸徳秋水『基督抹殺論』

吉本隆明「マチウ書試論」(『藝術的抵抗と挫折』所収)

等々だった。
(もっといろいろ読んだけれど、特に印象が強かった本を思いつくまま挙げてみた。人に勧めるような本ではないけれど。特に、八木誠一『イエス』は大変参考になったし、田川建三『イエスという男』は痛快だった。)

読書と、思索と、対話と、労働と、沈黙の時を繰り返しながら、結局、「キリスト教を否定することはできない」と思った。

私たちはもう、イエスはどんな人で、何を語り何をしたのか、はっきりとはわからない。
だが、私たちは聖書から、イエスが人々に伝えようとしたメッセージの反映を感じることはできる。イエスの言葉は伝承され編集されているから、私たちが聖書から知ることができるのは、イエスのメッセージの「反映」だけだ。それこそ、ぼんやりと鏡に映った姿を見るように。

遠くて近い神は、近くて遠い神なのかもしれない。
神は遠いと考えれば遠く、近いと考えれば近いのではないか。
罪の赦しを、イエスに求めるのかどうか。イエスの言葉を信じるのかどうか。
イエスの言葉と言っても、我々はイエスのメッセージの「反映」を感じるくらいしかできないのだが、人としてこの地上を生きたイエスが伝えようとした言葉は、本当に真理なのか。神は本当に存在するのか。イエスは本当に神から遣わされた神の子であり、子なる神そのものなのか。

これはもう、賭けだ。
科学的に証明することなどできないのだから、信じるか信じないか、それはもう、賭けによる決断しかない。

そして、それでよいのではないかと思った。
聖書が史実に反していても、矛盾だらけでもかまわない。それは古代人の証言なのだから。
私は、ぼんやりと鏡に映った姿のようなイエスについて行こうと思った。

(伊藤一滴)

自然の中に感じる神様からのメッセージ

今、私市元宏(きさいち もとひろ)著『聖霊に導かれて聖書を読む』(新教出版社1997)という本を読んでいます。それほど厚い本ではありませんが、内容が濃くて、なかなか読みごたえのある本です。※1


この本に書いてある「第二の聖書」という箇所を引用します。(23頁)
「第二の聖書」と言っても、特殊な考えの人が書いた聖書以外の正典とかの話ではないです。


引用開始

第二の聖書
 ところで「第二の聖書」という言葉を読者はご存知でしょうか。この言葉は、神がご自身を啓示されたのは、聖書を通じてであって、これ以外に神を知る方法は与えられていないと考える人たち向かって言われた言葉です。神は、言葉としての聖書以外にも自然を通じて人の心に語り、神を人に啓示しておられる。いわば、自然は、神が人間にお与えになった「第二の聖書」(the Second Bible)であるという意味です。この言葉は、私たちが聖書を読む場合の心構えをとてもよく言い表わしていると思います。なぜなら、第二の聖書を読むためには、人は、活字になった聖書だけではなく、自分の身の周りに広がる豊かな自然にも注意を向けなければならないからです。人はいわば聖書と共に自然を「読ま」なければなりません。神をよりよく知ろうと思うならば、聖書から目を離して、自分の目と耳と心と知恵を働かせて自然からも神を学ぶことが必要なのです。この場合、自然は、活字になっている聖書のテキストと同じくらいに重要な意味を持ってきます。すなわち、自然という「テキスト」を読むのです。このように、聖書を通じて自然を読み自然を通じて聖書を読む、ということが行なわれて、初めて神の言葉がその人の内で生きて働く力を帯びるようになるというのが「第二の聖書」の意味なのです。

引用終了


私、一滴も思うのですが、「神が天地を創造なさったのであり、自然界の万物は神の被造物である」というなら、自然の中に神様からのメッセージを感じるというのは自然な感覚でしょう。

「信仰の論拠は文字で書かれた聖書66巻だけです。自然の中に神様からのメッセージを感じるといった考えはアミニズム的な発想であり、正しいキリスト教ではありません」みたいなことを言う人がいました。有名な大学の文学部の学生でしたね。
私は、アシジのフランチェスコや井上洋治神父の言葉を引用したりしながら、自然の中に感じられる神の働きの話をしたんですが、その人には全く通じませんでした。どう言っても、ことごとく、そういう考えは正しいキリスト教に反すると否定されただけでした。まるで、鋼鉄の甲冑で身を固めているかのようでした。そういう人、いるんです。

あとから、「読むべきものは聖書である、学ぶべきものは天然である、為すべき事は労働である」という内村鑑三の言葉を知りました。※2
「学ぶべきものは天然である」って、内村鑑三は、すでに明治時代に言ってたんです。もっと早くそれを知っていたら、あの大学生に紹介したかったですね。

そう言えば、ターミナルケアの先駆者であるエリザベス・キューブラー・ロスも、大自然こそ神について教えてくれる偉大な教師であるという意味のことを書いてましたね。視野の狭い牧師たちは正しく神を伝えないが、大自然は正しく伝えてくれるって。

(伊藤一滴)


※1 私市元宏『聖霊に導かれて聖書を読む』は現在絶版のようですが、ネットで無料で読めます。

http://koinonia-jesus.sakura.ne.jp/kowaindex.htm

まずここを開くと、「現代および未来へ向けて」というのがあって、そこに「聖霊に導かれて聖書を読む」があります。


※2 内村鑑三「聖書之研究」(明治41年)にこうあります。

引用開始

読むべきものは聖書である、小説ではない、政論ではない、然り、神学ではない、聖書其物(そのもの)である、神の言(ことば)にして我が霊魂の声なる聖書である、聖書は最も興味深き最も解(げ)し易(やす)き書である、世々の磐(いわ)より流れ出づる玉の如き清水である、之を哲学的に解釈せんとせず、之を教会の書として読まず、神が直接に霊魂に告げ給ふ言として読んで、聖書は其(その)最も明瞭なる意味を我等(われら)に供給する、我等はすべての物を読むのを止めても、然り、時々すべての物を読むを止めて、一意専心聖書を読んで之をして我等の霊魂を活き復(かえ)らしむべきである。

学ぶべきものは天然である、人の編みし法律ではない、其(その)作りし制度ではない、社会の習慣ではない、教会の教条(ドグマ)ではない、有りの儘(まま)の天然である、山である、河である、樹である、草である、虫である、魚である、禽(とり)である、獣である、是(こ)れ皆な直接に神より出で来りしものである、天然は唯(ただ)天然ではない、神の意志である、其(その)意匠である、其中に最も深い真理は含まれてある、天然を知らずして何事をも知ることはできない、天然は智識の「いろは」である、道徳の原理である、政治の基礎である、天然を学ぶは道楽ではない、義務である、天然教育の欠乏は教育上最大の欠乏である。

為すべき事は労働である、口を以てする伝道ではない、筆を以てする著述ではない、策略を以てする政治ではない、手と足とを以てする労働である、労働に由(よ)らずして智識以上の智識なる常識は得られない、労働は労働としてのみ尊いのではない、信仰獲得井(ならび)に維持の途(みち)として、常識養成の方法として、愛心喚起の手段として又最も尊いのである、キリストに於ける信仰は文に頼(たより)て維持することは出来ない、語るを知て働くを知らざる者は大抵は遠からずしてキリストを棄る者である、福音は神学ではない労働である、聖書の最も尊き注解は神学校より来る者にあらずして、田圃(たんぼ)より、又は工場より、又は台所より来る者である、労働なくして身は飢え、智識は衰へ、霊魂は腐る、労働を賤む者は生命を棄る者である、労働是れ生命と云ふも決して過言ではない。

引用終了

今の私は、山形県の山間部に住む兼業農家です。
自分自身が天然自然の中に身を置いて、聖書を読み、農作業をし、思考する日々ですから、「第二の聖書」も「学ぶべきものは天然である」も、とても心に響きます。

『戦争という仕事』(2007-02-20 掲載を再掲)

内山節『戦争という仕事』[信濃毎日新聞社2006]を読みました。
近年読んだ本で、これほど深く共感した本は他にありません。
現代社会の現実を、ずばっと指摘しています。

これは、要約できない本です。
だから、要約して紹介することができません。
要約というのは、大事な点のおおよそを短くまとめることですが、この本はどの箇所も緻密な論考で、省いてもいいような箇所がないのです。
題名から戦争の話を連想するのですが、戦争という仕事(そういう仕事が成り立つこと自体、おぞましいことですが)は、最初の章に出てくる話で、あとは、政治という仕事、経済という仕事、自然に支えられた仕事、消費と仕事、資本主義と仕事、社会主義が描いた仕事、近代思想と仕事、基層的精神と仕事、と、仕事についての話が続き、最後に、破綻をこえてという話になります。

前にもちょっと書きましたが、著者は哲学者で、立教大学大学院の特任教授、「1年の半分近くを群馬県の山村で暮らし、自ら農業を営みながら思索を続ける著者」(朝日新聞2006.11.19の書評)だそうです。
私はこの書評で見るまで内山節氏のお名前も知らず、お書きになったものを読んだこともありませんでいた。しかも我が家は、小さな子どもたちが大騒ぎする毎日ですから、1冊の本を一気に読み通すこともできず、やっと読み終えたのはつい先日です。これまで氏の影響を受けようもなかったのです。だのにまあ、現代社会に対する批判もそうですし、「自然(じねん)」とか、「おのずから」とか、私の好きな表現もいろいろ出てきます。山里に暮らし畑仕事などする人は、発想が似てくるところがあるようです。

私でさえ、現代の正体にある程度は気づいていたつもりですが、この本のおかげでますます見えてきたように思えます。入手も閲覧も容易にできる本ですから、関心のある方はぜひご覧になってみて下さい。

要約できない本ですから、以下は、要約ではありません。この本を読みながら、私が個人的に思ったことです。

現代の諸問題の中には、人の暮らしが自然と向き合う暮らしでなくなったために生じたものが、少なからず存在すると思います。それと、伝統的な暮らしから切れてしまったことによる問題の発生です。
この本に詳しいのですが、生活の変化も問題の発生も、なるべくしてそうなったのです。

完全に理想的な社会、経済、政治の制度など、未来永劫実現しないのかも知れません。
しかし、私は、今では廃れつつある農村・山村の伝統的な共同体や自然と共にある暮らし(あるいは、そうした要素を取り入れた暮らしや、そうした暮らしを志向する暮らし)の中に、みんなが幸せに生きていくためのルールや、みんなが幸せになるための仕事の一面を見るような気がします。
それが完全だとか、すべて理想的だとか、言いませんけれど、ある面、すぐれたルールや人の役に立つ仕事が存在すると思うのです。逆に言えば、近代的な科学文明、産業文明、都市文明、合理主義といったものは、万年単位の歴史を持つ人類のルールをぐちゃぐちゃにした、人の役に立たない仕事を増やしすぎた、とも言えます。

農村・山村の伝統は、長い間のならわしのようなものです。自然の中で生きてきた人たちの相互扶助的な風習であったり、その地域の必要性から生じた仕事であったりするのですが、こうしたものは、ひところ前まで、遅れているとか田舎臭いとか言われ、嘲笑されることもありました。田舎のルールや仕事の根底には、素朴な信仰心や自然讃美、素朴な誠実さもあったと思うのですが、それらもまた嘲笑の対象にされました。

私が幼かった頃(昭和40年代)、当時の高齢者はよく言っていました。
お天道様はありがたい、とか、
雨の恵みはありがたい、とか、
もったいないよ、そんなことをしたらバチが当たるよ、とか。
その後、こうした言葉をあまり聞かなくなったのですが、近年また一部の人から再評価されてきているようです。

私が福祉大学へ進学し愛知県内で一人暮らしをするようになったのは1980年代半ばですが、山形県に生まれ育った私は、どうしても田舎の言葉や雰囲気が出てしまい、それを恥じました。福祉の学校ですから、地方出身者への意図的な差別などありませんでしたが、つい方言が出たりすると「えっ」という顔で見られることがあり、恥ずかしい思いをしました。自分が地方出身なのが劣ったことに思え、私はなめらかな標準語を話すように心がけ、田舎者と思われないよう気をつけたものでした。
それが今ではスローライフだのロハスだのといった言葉が話題にのぼるようになり、何かかっこいいものであるかのように言われます。かっこいいかどうかはともかく、失われつつあるものを見なおそうという動きが出てきています。時代の変化を感じます。

80年代はまだ産業の発展を肯定的に考える人が多かったと思います。その後、時代は変わり、今は産業の発展と言われてもバラ色のイメージはなく、むしろ限界や弊害の指摘が多くなりました。
実際、産業は高度化し、仕事はつまらなくなりました。高度化、細分化され、万事が複雑化した中で自分の仕事の意味も見えにくく、企業も官庁も社会全体も、産業が供給する物品やシステムに組み込まれ、個人の意思の反映も難しいし、苦労して身につけた技術もたちまち古くなってゆきます。これでは、世の中に不満がくすぶって当然です。
しかも、未来が不安です。経済が、社会がどうなるのか、環境がどうなるのか、不安です。こうした現状への批判や反省も出てきているのだろうと思います。

私も妻も、たぶん子どもたちも、山里の暮らしにここちよさを感じていますが、それは、自然も人も、昔の面影が残っているからでしょう。
自然に接し、人に接し、自然と人、人と人とが自然(じねん)と生きる方向を目ざした方が暮らしやすい、というのが私の体験からの実感でしたが、『戦争という仕事』を読み、ますますその思いを深めました。
私自身、まだまだ手さぐりなのですが、自然の恵みの偉大さや伝統的風習の価値が、だんだんわかってきたように思います。
「自然は完全なものとして完成している」というのは、自然農法家の福岡正信さんの言葉ですが、この完全なものである自然こそ、私たちの最高のお手本ではないか、この自然の恵みに感謝しつつ、自然と調和して生きる生き方こそ、真の意味で最も暮しやすい生き方ではないか、と思えます。
高度化した産業は遠からず黄昏(たそがれ)を迎えることでしょう。産業の恩恵よりもこれまでの産業のツケの方が大きい苦難の時代が、50年続くか、100年続くか、もっと続くか、私にもわかりませんが、産業がだんだんに行き詰まってゆく中で、自然に学び、自然と調和して生きようとする人が少なからず現れるだろうと思います。そこに、希望もあります。

今後も私たちは、山里の古民家に身を置いて、じねんと生きる方向を目ざしていこうと思っています。(伊藤)

2007-02-20 掲載
文字を大きくし、文はそのまま再掲


以下、2023年9月15日 追記
上記は、東日本大震災の4年前に、私、伊藤一滴が書いた文章です。
「高度化した産業は遠からず黄昏(たそがれ)を迎えることでしょう。産業の恩恵よりもこれまでの産業のツケの方が大きい苦難の時代が、50年続くか、100年続くか、もっと続くか、私にもわかりませんが、」なんて書いてます。まるで原発事故の予言のようですが、原発に限らず、これまでの産業のツケは長く続くだろうと思います。
「産業がだんだんに行き詰まってゆく中で、自然に学び、自然と調和して生きようとする人が少なからず現れるだろうと思います。そこに、希望もあります。」とも書いています。今も、この気持ちは変わりません。「自然は完全なものとして完成している」(福岡正信)という言葉に賛成なのも変わりません。

9月半ばになっても猛暑が続く山形県の山里にて
(ただし、真夏でも朝晩は涼しいのが山里住民の救い)

「エネルギーを吸いとられる教会」

metanoiaxの日記にある、「エネルギーを吸いとられる教会」から一部紹介します。


引用開始

ところで・・・
クリスチャンの方で、教会に行かれるがゆえに、心が疲れてしまう・・という方はいらっしゃらないでしょうか?

又、聖書を頑張って読むがゆえに、心が疲れてしまうという方は・・・・・?

そして、牧師さんの説教を聞いて実行しようとするがゆえに、心が疲れてしまうという方はいらっしゃらないでしょうか?


エネルギーを吸いとられている様な気がする事は無いでしょうか?

もし・・・もしそうだとしたら・・・
これは私の持論ですが・・・。

その教会にはイエス様の福音はありません。どんなに福音を語っていてもです。


その牧師さんの説教は、イエス様の福音から遠く離れています。どんなに聖書的な説教であってもです。

そして・・・聖書を読んだからといって、その、心の疲れから解放される事はありません。


エネルギーを吸いとられるだけです。
そこにいても、貴方が、もともと頂いていた「イエス様の種」の芽が生き生きと育つ事はありません。
それどころか、育った芽も枯れてしまいます。

エネルギーを頂ける場所は他にあります。


「イエス様の福音を語る人達」ではなく、
「イエス様の福音を生きている人達」の中に行けばエネルギーは頂けます。

「イエス様の福音を生きている人達」は、聖書の言葉を知らない人達かも知れません。
教会にも行かない人達かも知れません。
キリスト教も知らない人達かも知れません。


教会も行かず、聖書の言葉をも知らず、キリスト教も知らない人達。
けれど「イエス様の福音を生きている人達」


教会に真面目に行き、聖書の毎日読み、牧師さんの説教を聞いている人達より、イエス様を慰めている人達。


そういう人達の中に身を置いた時・・・
生きるエネルギーは湧いてきます。

引用終了

出典:https://metanoiax.hatenablog.com/entry/2017/06/17/032909

私、一滴も思うのですけれど、
聖書を読み、教会に通い、牧師さんの説教を聞いて、
そして、

神様の愛の中に生きていると感じる、
イエス・キリストの十字架によって贖われたと感じる、
聖霊の働きを感じ、勇気を与えられる、
そして、より良い人になって、まわりの人にも良い影響を与え、笑顔が広がってゆく、

というのなら、私は、何も非難などしません。


実際は、疲れ果てているクリスチャンたちがいます。
疲れた心で教会に通い、余計に疲れる人たちがいます。
口を開けば文句と人の悪口というクリスチャンたちがいます。

「わたしがあなた方を休ませてあげよう」と書いてあるのに、休ませてもらえるどころか、休みなく重荷を負わされ、おかしな方向に進んでいるのではありませんか。

その人がより良くなるどころか、エネルギーを吸い取られ、より悪くなっていく!

それが、イエス様に出会って救われた人生ですか?


非クリスチャンの中に、「イエス様の福音を生きている人達」がいて、そこでエネルギーをいただけるなら・・・、
「クリスチャンは救われ、非クリスチャンは滅ぶ、あれかこれかの2つに1つ」ではないですね。

エネルギーを吸い取られる(そして金銭も吸い取られる)教会にイエス様の福音はないと、私も思います。

(伊藤一滴)

聖書の史実性

聖書の記述のどこまでを史実と考えるのか、クリスチャンの間でも意見が分かれている。
保守的な信者だと「聖書に書いてあるのですからすべて事実です」と言う人もいるが、聖書には文字通りの事実ではないことも書いてあると認めた上で信仰している人もいる。今は、後者の方がはるかに多い。


以前私がお世話になった先生の1人は、真面目で熱心なプロテスタントの信者で、長年、教育や福祉に尽くしてこられた方だったが、
「旧約聖書のアブラハム以前の話はすべて神話です」
と、はっきりおっしゃっていた。
その先生は、
「神話だから意味がないというのではなくて、神様は、神話や比喩や象徴的表現など、さまざまな手段を用いて人間に大切なことを伝えてくださっているのでしょう」
と言っておられた。

その話を聞いて、なるほど、と思った。


アブラハム以前の話が神話なら、聖書の記述から地球が出来た年代を求めようとする試みなど、まったく無意味になる。
同様に反進化論も、無意味になる。

そう。無意味なのだ。
聖書の史実性を真剣に信じている人たちは不快に思うかもしれないが、そもそも史実性を持たない物語から史実を読み取ろうとすること自体無理で、無意味なのだ。

聖書に記された天地創造の記述は、現代の宇宙論や古生物学とは相容れない。
聖書と科学を調和させようとする試みもあるが、アブラハム以前の物語に史実性がないなら、そうした試み自体が無意味だ。


そもそも聖書は歴史的事実や科学的事実を述べることを目的に書かれた書ではない。
聖書は神を信じた人たちの信仰の証しであると共に、神と人との契約を人間の言語で記した書だ。著者たちは歴史的事実や科学的事実を伝えようとしたのではなく、神はどういうお方で人とどういう関係にあるのかを伝えようとした。また、当然だが、古代人には現代のような科学的認識もなかった。聖書の記述は、神話的な世界観の中に生きていた古代人の、その時代の表現だ。


「アブラハム以前の話はすべて神話です」というのは、当然そうだと私も思う。
では、アブラハム以降はどうなのだろう。
今の私は、アブラハムという人物の存在も含めて、旧約聖書の話の多くは神話や比喩や象徴的表現であり、創作されたものだと考えている。

「モーセ五書はモーセの作です」と頑張る人たちがいるが、モーセという人物自身がかなり高い確率で架空の人なのだから(何らかのモデルがいた可能性はあるにしても)、架空の人が執筆できるはずがない。
出エジプトに関しても、エジプト側の記録はまったくないし、奴隷にされていた民族が大移動したという考古学的な証拠もない。これもまた架空の話か、何らかの物語がかなり誇張されて伝わった話と考えるべきだ。

近年は、ダビデ王やソロモン王といった著名な王さえも、架空の人物であるとする説が有力になっている。彼らが著名なのは旧約聖書に書いてあるからであり、旧約聖書以外、こうした王が本当にいた証拠がまったく見つかっていない。(※)


聖書に書いてあるから事実なのではない。
また、聖書に書いてあることをすべて文字通りの事実と信じることが、キリスト教信仰の条件でもない。もしそれが条件なら、プロテスタント主流派や現代のカトリックは成り立たないことになるが、実際はちゃんと成り立っている。そして、多くの方々が、教育、福祉、医療、その他の多くの分野で、地の塩・世の光となって活躍しておられる。
むしろ、「聖書に書いてあることをすべて文字通り事実と信じます」と言う人の中に、身勝手で、排他的で、攻撃的な、かなり問題のある人が多いように思う。(トランプ支持派など、まさにそうだ。)


聖書に書いてあっても書いてなくても、事実は事実だし、事実でないことは事実でない。

「聖書には一切矛盾はありません」と言い張って延々とつじつま合わせに明け暮れることをイエスは求めるのだろうか?
「すべての真理は聖書にあります」と言い張って学術的な研究に感情的に噛みつくことをイエスは求めるのだろうか?

大切なのは、「イエスは人々に何を伝え、何を求めたのか」ではないか。

これまで何度も書いたことを繰り返すが、
イエスが人々に求めたのは、

心から神を愛すること、

自分自身を愛するように隣人を愛すること、

互いに愛し合うこと、

最も小さい人たちに手をさしのべること、

平和を求めること、

謙虚であること、

いつ神の国が到来しても受け入れる覚悟を持って日々を誠実に生きること・・・、
等々であろう。

そして、肝心なときに、イエスの求めに合致する人こそが、真のクリスチャンだろう。

イエスは人々に決断を求めたのだ。
神の国が近い今、どうすべきなのか、自分で考え、判断し、決断し、行動することを求めたのだ。

イエスは「旧新約聖書66巻には一切矛盾はありません」とか「聖書に書いてあることをすべて文字通りに信じ、文字に縛られて生きなさい」などと言っていない。

(伊藤一滴)


※ ダビデ王も架空の人物とする説の方が今では有力なのかもしれないが、私は、架空と言い切るのにためらいを感じている。
民族の英雄として架空の王様を創作するのなら、その不祥事を書くだろうか?
部下の妻を横取りし、その部下を死に追いやったと書くだろうか?
私は、ダビデ王のモデルになった人物は本当にいて、本当に部下の妻を横取りしたのではないかと想像している。


付記
リベラルなプロテスタント信者に、とてもいい人たちがいる。
一般の(原理主義でない)福音派にも、とてもいい人たちがいる。
カトリック信者にも、とてもいい人たちがいる。

しかし、「福音派」を自称する原理主義者の教会の牧師や信仰歴の長い信者で、いい人に会ったためしがない。

彼らには共通の特徴がある。「聖書に書いてあることをみな文字通り信じています」とか「私たちは正しい聖書信仰に立つ福音主義のクリスチャンです」などと言いながら、ひじょうに独善的、排他的、不寛容、攻撃的なのだ。聖書を信じると言いながら、肝心なときにするりと逃げる、責任を負おうとしない、社会の諸問題にまるで無関心、非キリスト信者に協力しない、困っている人のため指一本動かそうとしない、嘘や誇張を混ぜた話で他教派を非難する、といった点も共通している。
自分たちは正しく、自分たちの外の世界は(他教派も含めて)サタンの支配下にあると考えているようだ。

実を見れば木が分かるように、どういう人たちが集まっているのか見れば、その教会や信者を判別できる。

「ダビデはウリヤに属する一人によってソロモンを生み」

マタイ1:6からです。
永井直治訳「新契約聖書」は
「またダビデ王はウリアの女性にてソロモンを生めり」
と訳していて、「ウリヤの妻」としていません。
永井訳を時々読むんですが、なぜ「ウリアの女性」なのか、深く考えずに読み流してました。

先日、ふと気になって、原語は?と思ってギリシャ語を見たら、やはり「妻」という単語は使われていません。

文脈からも文法からも、女であることは間違いないんですが、ヘブライ聖書(旧約聖書)の話を全く知らない人が新約ギリシャ語のこの箇所だけ読んでも、「ウリヤの妻」とは断定できないんです。

ここは「ウリヤに属する一人(女性)によって」であり、ここだけだと、ウリヤの娘なのか妻なのか、ウリヤに属する他の女性なのか、わからないんです。

だのにみんな「ウリヤの妻」と訳すのは、旧約の記述が訳者の頭にあって、それを新約に読み込んでいるからでしょう。
マルコはマルコ、マタイはマタイ、ルカはルカであり、他の福音書の記述につられて訳してはいけないとおっしゃるあの田川建三先生ですら、旧約につられて「ウリヤの妻」と訳してます。
「妻」という単語は使われておらず、旧約の話を知らなければ「ウリヤの妻」とは訳せないのに。

どう訳すのがいいのでしょう?

「ウリヤの女」と訳したのでは、なんだか、ウリヤの愛人みたいです。
やはり、「ウリヤに属する一人によって」とでもすべきでしょうか。
日本語で読んでも、ソロモンを産んだ人ですから、この人は女性とわかるはずです。

「ダビデはウリヤに属する一人によってソロモンを生み」(私訳の試訳)


マタイは、イエスの先祖でありイスラエルの民の英雄であるダビデ王のことを悪く書きたくなくて、わかる人にはわかるような書き方をしたんでしょうか。

ユダヤ人マタイは、当然、ソロモンの母親はウリヤの妻バテシバであると知っていたはずです。でも、あえて妻という単語を使わずに曖昧に書いたのは、忖度でしょうか。
まあ、ピラトにも忖度しているマタイですから。

マタイは、なるべくダビデを悪く言いたくないがイエスの系図は伝えたいと思ったのかもしれません。それを日本語に訳すときに、原文にない「妻」という語を使って「ウリヤの妻」としたのでは、曖昧な書き方をしたマタイの思いを察することができなくなってしまいます。

(伊藤一滴)


「またダビデ王はウリアの女性にてソロモンを生めり」(永井直治訳『新契約聖書』マタイ1:6より)
さすが!
「妻」という言葉を使わずに訳した永井直治先生、すごい!

(「ダビデ」ではなく「ダビデ王」となっているのは、底本がステファヌスだからです。)

「怖れに根ざした信仰」 その源流はカルヴァンたち?

herem=killer氏が、ネット上で公にした「聖書信仰を問い直す」を読んでます。
これはすごい。
こちらのサイトです。

http://herem-killer.com/index.html

氏は「怖れに根ざした信仰」という論文を公にし、特に「(1)聖書に名を借りた支配」の箇所で、完璧なくらいキリスト教原理主義・聖書カルトを批判し尽くしています。
これを読んでいて、私が書いたキリスト教原理主義や聖書カルトへの批判など生ぬるいと思いましたよ。

かなり詳しいので全部読むには覚悟がいりますが、キリスト教原理主義や聖書カルトのどこがどう問題なのか、徹底的に論じていますから、関心のある方は是非ご覧ください。


私(一滴)も感じていますが、原理主義化・カルト化の源流にあるのは、16世紀の宗教改革の思想、特にカルヴァンの主張とその解釈なのかもしれません。

もちろん、カルヴァンらの業績を否定するわけではありませんが、原理主義者やカルト信者の主張の源流を探ると、どうも、カルヴァンやその後継者たちの見解に行きつくことが多いように思います。

原理主義者やカルト信者と思われる人が、聖書的根拠がはっきりしないことを言い張るので、
「聖書のどこにそう書いてあるのですか?」
と聞くと、
「神様がお決めになったのです」
とか、
「プロテスタントは伝統的にそう信じてきたのです」とか、答えるんですね。

「聖書に書いてないのに神様がお決めになったと、どうしてわかるのですか?」
と聞くと、
「聖霊の働きによって明らかです」
みたいな答えです。

聖書のどこにも書かれておらず、証明も、理論的な説明もできないことを「聖霊の内的なあかしによって明らかである」という話に持って行くのはカルヴァンの論法です。

「聖書は66巻である」とか、「聖書は誤りなき神の御言葉である」とか、聖書のどこにも書かれていません。「聖書はすべて神の霊感によるもので~」と書いてありますが、「聖書は誤りなき神の御言葉」とまでは書かれていません。
テモテヘの第二の手紙の著者は、「聖書はすべて神の霊感によるもので~」(3:16)という箇所の「聖書」とは何を指すのか書いていません。何を聖書と言うのか示していないのです。
書かれた時代を考えれば、おそらくこの著者が言う「聖書」とは七十人訳聖書、または当時のシナゴーグで朗読されていた聖書でしょう。どちらにしても、旧約聖書続編(アポクリファ)が含まれており、新約聖書は含まれていません。

「聖書はすべて神の霊感によるもので~」という聖句を「聖書は誤りなき神の御言葉である」という根拠にすれば、続編も誤りなき神の御言葉であるが新約聖書は「聖書」に含まれない、という話になってしまいます。


「プロテスタントは伝統的に~と信じてきた」と答える人もいますが、それはプロテスタントの聖伝です。

「それはつまり聖伝ですね」
と聞くと、
「違います。信仰の論拠は聖書のみです。聖伝は一切認めません。私たちは正しい伝統を受け継いでいます」
みたいなことを言うんです。

それって、単なる言葉の言い換えです。自分たちなりの聖伝を「正しい伝統」と言い換えているんです。聖書のどこにも書かれていない伝統的な見解は、聖伝です。カトリックの聖伝は認めないが自分たちは自分たちなりの聖伝を受け継いで信じるという二重基準です。


今もカルヴァンの見解を受け継ぐクリスチャンは多数います。
その大多数は健全な信仰を持つクリスチャンだと思いますが、一部に(特に「福音派」と称する中の一部に)原理主義化・カルト化がみられます。彼らは、律法主義的で、とても熱心に、とても強く主張するので、そうした人が多数いるような気がしてしまうのですが、実際は少数派です。それを言うと「正しさは数の問題ではありません」と言い返されます。具体的な数値を挙げても、理論的に説明しようとしても、すべて鋼鉄の甲冑で跳ね返すようなその姿勢はエホバの証人や統一協会とよく似ています。

同じカルヴァンを受け継いで、なぜ「健全な信仰者」と「原理主義者やカルト」に分かれてしまうのでしょうか。

もう少し、考えたいです。

(伊藤一滴)

HPCによる革表紙の劣化対策

聖書だけではありませんが、戦前の革表紙の本の中に、革が劣化しているものがかなりあります。
高級感のある革製本ですが、クロス製や紙製の表紙に比べ、劣化したものが多いようです。
中世の皮紙(=獣皮紙、羊皮紙とも言うが羊の皮とは限らない)に記された聖書が読める状態で残っているのに、近代の革表紙の劣化が多いのは皮革加工の製法の違いでしょうか。よくわかりません。

明治、大正、昭和初期の劣化した革表紙は、錆びた鉄を触ったときのように、細かい茶色の粉が指につきます。レッドロットと言うんだそうです。
粉が散って本文の紙を汚したり、他の本を汚したりします。困ります。

ずっと対策がわからなかったので、そうした革表紙の本はポリ袋に入れて他の本を汚さないようにし、さらに菓子箱に入れてなるべく光が当たらないようにして保存してきました。参照するときは、他の本から離して、そうっと開くようにしました。


数年前、たまたま下記のサイトを見つけました。

革装本のレッドロット対策
https://www.cfid.co.jp/conservation/redrot/


これはいい!と思いました。
ところが、当時は、HPC(ヒドロキシ・プロピル・セルロース)を簡単に入手できなかったのです。
今は、ネット通販などで少量の販売もあるようですが、数年前は、通販も含め、HPCを少量小売りしてくれる業者を探せませんでした。無水エタノールは薬局やドラグストアで簡単に買えるのに・・・。

やっと、少量入手しました。
上記サイトに書いてある通りの比率で溶液を作り、1日おいてさらに撹拌し、まず目立たない所で試してから、書いてある通りのやり方で、劣化した表紙の革全体に塗ってみました。

すぐ乾きました。そして、粉が出なくなりました。成功です。


さらに、貴重品でない古革でいろいろ試してみました。

その結果、

革の劣化があまりひどいとうまくいきません。
何度も塗ったりすると、革がバリバリになって割れます。劣化がひどいからといって、何度も塗ればよいというものではないようです。塗るのは原則1回で、やむを得ない場合でも、乾かしてからもう1回くらいです。
そのあたり、注意も必要です。

劣化し過ぎて直せない場合は、オリジナルは失われますが、製本屋に頼んで表紙を作り直してもらうしかないのでしょう。


この溶液は保存もできますが、個人の蔵書に使うのであれば何リットルもいりません。50㏄くらいあれば、何冊も塗れます。

サイトには、HPC…20gに対し無水エタノール…1Lとありますが、そんなに作ったら個人では使い切れなくなります。半分でも多すぎると思いましたが、あんまり少量だと計量も難しいんで、その配合比で半分の量で作ってみました。なんか、それでも、一生かけても使い切れないような気がしますが…。

無水エタノールとHPCの粉末を混ぜるときは、フタつきの透明なガラスびん(ジャムなどの空きびん)を使うと便利です。
混ぜるとダマになってちょっと不安なんですが、1日おいて撹拌すると完全に溶けて透明な液体になります。

使うのは「無水エタノール」です。アルコール消毒に使う「消毒用エタノール」にはかなり水分があり、水分が本を傷めるおそれがあるため代用不可だそうです。

当たり前ですがエタノールは蒸発するので溶液を保管する際はフタをしっかりしめておく必要があります。

もちろん、作業中、そして表紙の乾燥まで、火気厳禁で換気も必要です。(部屋がアルコールくさくなります。まあ、嫌な匂いではありませんが。)

保管する場合、この溶液を間違って人が口に入れたりしないよう、用途と成分を紙に書いてビンに貼っておいた方がいいでしょう。(焼酎などのびんに入れると、見た目も匂いもまぎらわしいのでやめた方がいいです。私自身、うっかり飲みそうになった経験者です(笑)。)

やるなら、自分の責任で。


これは、古い革表紙の聖書等の劣化対策としてやってみる価値があります。革が元どおりになるわけではありませんが、触っても手に茶色い粉がつきませんし、粉で紙を汚すこともありません。

(私は、古い聖書その他の本を未来の人たちに残したいのです。)

(伊藤一滴)

イエスが生まれ育った時代の1デナリ銀貨

Photo


一円玉は大きさの参考


イエスが生まれ育った時代の1デナリ銀貨を入手しました(たぶん、本物)。
皇帝アウグストゥス(在位、紀元前27~紀元14年)の名と肖像が刻まれています。
CAESER AUGUSTUS とあります。Uの字がVみたいに見えますが、この時代、UとVの字体がはっきり区別されていなかったようです。

新約聖書のイエスの発言に「皇帝のものは皇帝に、神のものは神に」とありますが、イエスが伝道活動した時代の皇帝はティベリウス(在位、紀元14~37年)ですから、イエスが手にしたという銀貨に刻まれていたのは当時のティベリウス帝だったのではないかと思います。
私は当時の硬貨に詳しくはありませんが、古代に一斉に貨幣の切り替えができたとも思えないので、新旧両方の硬貨が混在していたのかもしれません。


新約聖書のたとえ話だと、イエスの時代にぶどう園で働いた人の1日の賃金が1デナリですが、今の日本の一円玉と比べても、こんなに小さいのかと、ちょっと驚きでした。
1デナリ銀貨の大きさがわかる資料があまり出回っていないようなので、ご参考までに写真を載せておきます。

もう一点、ご参考までに書いておきます。
1日の賃金が1デナリというのは有名な話ですが、実は、その論拠は新約聖書のたとえ話だけで、他にイエス時代の日給がわかる史料は確認されていないそうです(田川建三『イエスという男』他による)。たとえ話ですから、切りのいい数にしたのかもしれないし、ぶどう酒の原料のぶどうを腐らせないよう大急ぎで収穫するために高めの日当をあげていたのかもしれません。「イエス様の時代、一般の人の日給は1デナリでした」なんて、わかったように言わない方がいいようです。

(伊藤一滴)

福音派と原理主義(【いのちのことば社物語3】に思う)(再掲)

インターネット上の「クリスチャン新聞」のホームページに「【いのちのことば社物語3】「聖書信仰」に礎を置く」というのがある。それに次のように書いてある。


引用開始

(略)福音派の関心事の中で伝道と並んで大きな位置を占めるのが、聖書をすべての物事の規範とする「聖書信仰」である。これは20世紀に影響を強めた自由主義的(リベラル)な神学に対し、聖書を「誤りなき神のことば」と信じ、「信仰と生活の唯一の規範」として尊重する信仰の立場。いのちのことば社は創立以来、今日まで一貫してこの「聖書信仰」に立ち続けてきた。

「聖書信仰」という言葉は一部の主流派の人々から「学問(神学や科学)よりも信仰を重んじる」「神を信じるのでなく聖書を絶対視する」などと揶揄(やゆ)されることがある。しかしそのような偏見に反して、実際の聖書信仰は、旧新約聖書に描かれた信仰の態度を踏襲するものだ。それはキリスト教会の歴史を通じて受け継がれ、プロテスタント宗教改革によって再確認された。

そして、人が理解できる合理性の下で聖書を解釈しようとする20世紀の人間中心主義的な思潮に対して、神の霊感によって書かれた「神のことば」としての聖書に権威を認め、その事実性を重視して真理を追究する。したがって、聖書が原典において何を語っているのかを研究する本文批評や聖書学においては、リベラルな神学に引けを取らない学的な実績を積み重ねてきた。

引用終了

出典:https://xn--pckuay0l6a7c1910dfvzb.com/

広義で、福音派と名乗る人たちは、共通認識として下記の(1)を主張する。これが福音派の立場なのだろう。中には(2)を主張する人たちもいるが、(2)は福音派全体の共通認識とは言えない。

(1)聖書を「信仰と生活の規範である誤りなき神のことば」と信じる

(2)聖書を「歴史的にも科学的にも誤りなき神のことば」と信じる


上記の【いのちのことば社物語3】の表現は微妙だが、基本的には(1)の主張と読める。(2)とまでは言っていないようだが、そう言う人たちにも配慮した表現だろうか。

(1)を聖書無謬論、(2)を聖書無誤論と呼んで、言葉を使い分けることもある。
私もこの使い分けに従い、無謬論と無誤論とを分けて考えてみる。

(1)の無謬論は、信仰と生活の規範として聖書は無謬だという主張である。唯一と言えるかどうかはともかく、聖書は無謬の規範であると言えば、多くのカトリック教徒も納得するだろうし、主流派の(リベラルな)プロテスタントの中にも賛成する人がかなりいるだろう。
この見解なら、福音派も、主流派も、カトリックも、そう遠くないということになる。

(2)の無誤論だと、聖書は歴史的にも科学的にも誤りはない、となる。字義通りの無誤論だと、たとえば、次のような話になる。
「天地創造は紀元前4004年頃の6日間に実際にあった。地球も太陽も月も星もその6日間に出来た。すべての生物はこの創造のときに完成した状態で造られた。進化などない。」(※付記、参照)

私は、現代の科学研究や歴史研究は絶対だとは言わないが、大筋では、かなり正しいところまで接近しているのではないかと思っている。古代人や中世人はともかく、現代人が(2)を受け入れるためには、今日の科学や歴史の研究を、かなり否定しないといけなくなる。


(1)は福音派の立場
(2)は原理主義の立場

と考えていいだろう。(2)も「福音派」と名乗り、福音派の団体に加盟していることもあるから注意が必要だ。原理主義者の一部は、カルト化したり陰謀論になったりしている。
ただし、中間的な人たちもいるから、(1)と(2)は、はっきり線引きはできない。
(なお、日本の福音派の団体が公式に表明した見解の中に(2)に近い考えが見られることを、私は危惧している。)


「学問(神学や科学)よりも信仰を重んじる」とか「神を信じるのでなく聖書を絶対視する」といった言葉で福音派が揶揄されると言うが、揶揄や偏見ではなく、実際にそう言われても仕方のない人たちがいる。
「信仰を重んじる」というより、信仰と称する先入観を重んじ、「聖書を絶対視する」というより、聖書から独自に導いた自分たちのイデオロギーを絶対視する人たちだ。「聖書信仰」と称し、現代の律法主義で人を縛り、支配しようとする人たちだ。
彼らは、違う意見にムキになって食ってかかってくる。そしてしつこく絡んでくる。いのちのことば社だって、そういう人たちがいることに気づいているだろう。だから『「信仰」という名の虐待』という冊子まで出して注意を促したのだろう。

(聖書信仰は)「キリスト教会の歴史を通じて受け継がれ、プロテスタント宗教改革によって再確認された」と言うが、では、宗教改革以前に、キリスト教会の歴史を通じて受け継がれたという聖書信仰はどこにあったのだろう? 当時のカトリック教会の中に? それとも異端派とされた人たちの中に?
宗教改革以前、福音派の教会はもちろんプロテスタント教会はなかった。プロテスタント教会がなかった時代に、正しい聖書信仰はどこにあったと言うのだろう?
これまでいろいろな人に質問してみたが、私は誰からも納得できる答えを聞いたことがない。

「神の霊感によって書かれた「神のことば」としての聖書に権威を認め、その事実性を重視して真理を追究する」と言うが、「その事実性」とは何だろう。
読みようによって、「聖書は神の霊感によって書かれ、神のことばであり、権威があるという事実」とも、「聖書に書いてある内容は事実」とも読める。後者なら(2)に近い。


(1)の立場で、「旧新約聖書に描かれた信仰の態度を踏襲」したいと願い、誠実な福音派の信仰に立とうとする人たちを、私は尊敬こそすれ、決して揶揄などしない。

(揶揄などしないが、納得できないことは、それは納得できないと申し上げる。)

(伊藤一滴)


※付記
上述の(2)の立場だと、さらにこうなる。
「アダムとエバも実在の人物で、エデンも本当にあった。アダムは実際に地のちりから造られ、彼のあばら骨からエバが造られた。これは事実である。エバは蛇から誘惑されて禁断の実を食べ、夫にも食べさせた。当時の蛇は本当に人間の言葉をしゃべって人間を誘惑した。みな、事実である。楽園追放も、カインとアベルの話も、カインの町も、ノアの箱舟も、バベルの塔も、ソドムとゴモラも、みな事実である。その他、聖書に書いてあることはみな事実である」
「新約聖書に書かれているイエスの超自然的な誕生も、奇跡の話の数々も、復活も昇天も、みな、文字通りの事実である」
「聖書にはっきり書かれているこれらの事実を、「神と人間との関係について古代人が表明した神話」とか「神話的な世界観の中に生きていた古代人の表現」などど言うのは間違っている。だから、かつての自由主義神学も現代のエキュメニズム派(主流派のプロテスタントやカトリック)も間違っている」

こうした(2)の立場だと、聖書の記述の中に多くの矛盾点が見られることの説明がつかなくなる。
矛盾はないということにするために、延々とつじつま合わせをする人たちがいるが、それでも矛盾は残る。それで、「聖書は原典において無誤である」(シカゴ声明)といった、苦しい説明が出てくる。
聖書の原典は、古代に失われている。今後、原典に近い写本が出土する可能性はゼロだとは言えないが、今は誰も原典を持っていないし、見ることもできない。そもそも、聖書のすべての文書に本当に原典があったのかどうかさえわからない。
誰も持っておらず、誰も見ることができない原典が、どうして無誤だとわかるのか?
それがわかるあなた方は神なのか?

それに、最近、私は思うのだが、イエスは人々に「聖書のつじつま合わせを延々とやること」を求めたのだろうか?
そんなことに自分たちのエネルギーを使うことを求めたのだろうか?
それが信仰にとって大事だと、イエスはおっしゃったのだろうか?
イエスを信じると言うのなら、もっと優先すべきことが他にあるのではないか?

福音書を読みながら、私は思った。
イエスが人に求めたのは、
心から神を愛すること、
自分自身を愛するように隣人を愛すること、
互いに愛し合うこと、
最も小さい人たちに手をさしのべること、
平和を求めること、
謙虚であること、
いつ神の国が到来してもいいように、日々、覚悟を持って生きること・・・、
もっとあるけれど、
こういったことだろう。

イエスが人々に求めたことを後回しにして、あるいは知らんぷりして、「聖書のつじつま合わせを延々とやること」を、正しい聖書信仰と言うのだろうか?

イエスを信じると言うのなら、イエスのメッセージに従うことこそが最優先だろう。

2022-06-23 掲載 そのまま再掲

翻訳された聖書を読むときや聖書を訳すときの留意点

インターネットのクリスチャントゥデイ(※)に載っていた次のコラムを読みました。

「聖書をメガネに 聖書翻訳の課題―榊原康夫先生に学ぶ」宮村武夫
https://www.christiantoday.co.jp/articles/24556/20171007/seisho-wo-megane-ni-98.htm


宮村武夫氏は、榊原康夫氏の著書に学び、また直接榊原氏に接して学んだ方ですが、そのことをふまえ、翻訳された聖書を読むときや聖書を訳すときの留意点を述べておられます。

この宮村武夫氏の見解を読み、すごく納得しました。
以下に引用します。


引用開始

1つの訳を絶対化して他の訳を軽視したり無視したりしない。互いに注意深く比較し、特徴と課題を日本語の表現をも十分考慮しながら見ていく地味な歩み、これこそ説教への準備として大切との平凡な指針とその実践です。(略)

今、私は、3つの点に意を注いでいます。

 1.この訳語や訳文は、絶対に認めてはならないものがあるかどうか。あるとすれば何か。

 2.この訳語や訳文は、他のものに比較して絶対に優れており、ぜひ紹介し提示すべきものがあるかどうか。あるとすれば何か。

 3.1はそれぞれ大変な労力を払って営われている聖書翻訳においてはごく限られていると推察されます。また、2も他の訳語や訳文を押しのけて絶対的に提示する必要があるというのも、案外限られているのではないかと予測されます。つまり、大部分の場合はあれでもよい、これでもよい。どちらがより良いか、絶対的ではなく相対的な課題である。
この3点を互いに了解できるならば、1つの委員会訳を求め決定する道は、自ら開かれるのではないか。

引用終了


つまり、こういうことでしょう。
日本語に翻訳された聖書を読む場合、「1つの訳を絶対化して他の訳を軽視したり無視したりしない」「互いに注意深く比較し、特徴と課題を日本語の表現をも十分考慮しながら見ていく地味な歩み」が大切である。
牧師であれば説教の準備として大切だろうし、牧師でなくても、そういう読み方が大切でしょう。

ただし、「他の訳」の中にはひどいのもあるんで(特にナイダ理論の影響を大きく受けた訳)、ほぼ全章全節が誤訳のような特殊な「訳」は最初から除外し、大きく見ればちゃんと訳された聖書をそろえ、それらを「互いに注意深く比較し、特徴と課題を日本語の表現をも十分考慮しながら見ていく」べきでしょう。

日本語に訳された新約聖書で、おすすめのものを前回載せました。

他に、

明治元訳、
正教会訳、
天主公教会(カトリック)のラゲ訳、
永井直治訳、
キリスト新聞社版口語訳、

なども、私が思うに、見事に訳された新約聖書です。

特に、戦前の正教会訳、公教会訳はそれぞれ、言葉の美しい文語体です。


1.今後、聖書を訳すのであれば、原語から訳すのはもちろんですが、これまでの訳を比較した上で、「この訳語や訳文は、絶対に認めてはならない」もの(明らかな誤訳)は排除する。

たとえばルカ5:10「「恐れることはない。今からあなたは人間をとる漁師になるのだ」(口語訳)など、絶対に認めてはならない訳文です。原文に「漁師」なんて語はないのですから。ここを訳すなら、単に「人間を捕るようになる」または「人間を捕る者となる」でしょう。「漁師」という存在しない言葉を使った訳は駄目なのです。ルカは、漁師が魚を捕ったら魚は死んでしまうが、殺すのではなく生け捕るようになると言いたくて、あえて漁師という言葉を使わなかったと考えられます。マルコの文やマタイの文につられて誤訳してはいけません。ルカはルカの視点で書いてるんです。

1ペトロ(=ペテロの手紙第一)4:6「このさばきがあるために、死んだ人々にも生前、福音が宣べ伝えられていたのです。~」(新改訳2017)も絶対に認めてはならない訳文です。「生前」なんて語は原文にありません。これは、セカンドチャンス否定論者が原文を改変した訳です。意訳として許される範囲を超えています。意訳はなるべく避け、特に、議論のある箇所は、自分たちの主張に沿うよう変えたりせずにそのまま訳すべきです。

2.「この訳語や訳文は、他のものに比較して絶対に優れており、ぜひ紹介し提示すべきものがある」場合、欄外に「〇〇訳による」明記した上でその訳語や訳文を紹介する。
私が思うに、たとえば田川建三訳に出てくる「創成の書」とか「月化」とか。こうした訳を踏まえて、「生涯の書」とか「月光病」とか訳すのも可能かと思います。

3.どの訳も同じように訳している箇所は、原語と照らし合わせた上で、原則、それに従い、より良い文を採用する。
(ただし、マタイ1:1の「イエス・キリストの系図」とかマタイ5:3「こころの貧しい人たち」みたいに、どの訳も同じように誤訳している例もあるので、注意が必要です。これらを訳すなら「イエス・キリストの生涯の書」あるいは「誕生と生涯の書」、「霊において貧しい人たち」あるいは「霊的に貧しい人たち」でしょう。)

実は、今、榊原康夫著『新約聖書の生い立ちと成立』(いのちのことば社 昭和53年)を読んでます。榊原氏は新改訳聖書の翻訳や新聖書注解の執筆にも加わった福音派の先生です。

榊原氏は、福音派の信仰にとって都合がいいかどうかで判断していません。そんなの、学問として当たり前でしょうけれど、私は、福音派を称する人の中に、都合のいいことを事実とし、都合の悪いことは無視する人がいるのを見てきました。「そういう考え方は学問的ではないです。おかしいです」って私が言うと、「信仰は学問ではありません。学問的に聖書を読もうとするほうが間違った聖書の読み方です。聖書は信仰的に読むものです」って、言い返されましたね。

ネットで「榊原康夫」と検索して、上記の宮村武夫氏の記事に出会いました。この宮村氏も、誠実に論じておられ、紹介したい記事なので引用しました。

聖書に誠実に向かい合おうとするなら、教派は関係ないです。私は、福音派でもカトリックでも、関心があれば話を聞きますし、書いてあるものを読みます。

やっと、B・M・メツガー著、橋本滋男訳『新約聖書の本文研究』(聖文舎 1973年)を入手して、読んでます。旧版ですが、すこぶるおもしろいです。
す・こ・ぶ・る!
日本キリスト教団出版局の新版は持ってません。絶版だし、古書も高くて。

(伊藤一滴)



ウィキペディアで「クリスチャントゥデイ」を調べるとこう書いてあります。
「2004年6月、クリスチャン新聞編集長(当時)の根田祥一が韓国のオンライン新聞News N Joyの記事を主な情報元とするとして、福音派の教団連合組織である日本福音同盟(JEA)に「クリスチャントゥデイは統一協会と関係がある」との提供をした。」

キリスト新聞(電子版)にはこう書いてあります。
http://www.kirishin.com/2018/01/27/10665/

クリスチャントゥデイの開設者・経営者について、キリスト教の異端・カルトではないかと疑う人たちがおり、クリスチャン新聞や日本基督教団まで見解を出しています。

それは開設者・経営者について言われていることで、否定する見解もあり、真相は闇の中です。
記事の執筆者や編集者が異端・カルトを疑われているのではありません。私が読んでも、まっとうな記事が多いです。