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イエスや弟子たちが生きて活動した時代、「旧約聖書39巻」はなかった

旧約聖書に関して、クリスチャンの間でもかなり誤解されているようだが、イエスや弟子たちが生きて活動した時代には、「旧約聖書39巻」はなかった。
イエスは(旧約)聖書のことを「モーセと預言者」とか「律法と預言者」とか呼んでいるが、当時のユダヤ教の文書のどこまでを聖書とするのか明らかにしていない。

モーセ五書は正典視されていたとしても、預言書や他の文書のどこまでを正典とするのか、当時、聖書の範囲ははっきりしていなかった。

イエスや弟子たちが生きて活動した時代にマソラ本文が使われていたかのような勘違いをしてはいけない!

また、当時からすでに写本には食い違いがあり、イエスや弟子たちがどのような写本に接していたのかもよくわからない。紀元前にすでに複数の系統があったようだが、ヤムニヤ会議での決定から漏れたヘブライ聖書写本は歴史の中で失われたのだろう。

「(旧約)聖書39巻」は、ユダヤ戦争の後、西暦紀元90年代のヤムニヤ会議で確定されている(※)。イエスの没後およそ60年も経ってからのことである。このとき聖書正典を定めたのは主にユダヤ教のファリサイ派(パリサイ派)のラビたちであり、キリスト教徒が決めたのではない。この会議で、その後マソラ本文として受け継がれるヘブライ語の正典が確定されたというが、ヤムニヤ会議のときの本文(ほんもん)自体は残っていない。
今日伝えられているマソラ本文の最も古い写本は、11世紀のレニングラード写本である。正典確定から9百年以上後のものである。

キリスト教徒はヤムニヤ会議の決定など無視し、その後も七十人訳ギリシャ語聖書を使い続けた。やがてヒエロニムスによるラテン語訳が主流になるまで、主に七十人訳が使われていた。
七十人訳は紀元前3世紀中葉からアレクサンドリアで訳されたとされる(旧約)聖書の訳である。実はこの訳もいろいろな版があって、正典の範囲がはっきりしない。また、翻訳の食い違いもあったようだ。
アレクサンドリアにはヘブライ語がわからないユダヤ人も多かったのでギリシャ語訳がつくられたと言われているが、それならユダヤ人向けにヘブライ語を忠実にギリシャ語に訳したであろう。七十人訳には大胆な意訳も多い。これはユダヤ人向けというより、最初は異教の人たちにユダヤ教を紹介するために訳された可能性がある。それが便利で、ユダヤ人の間にも広まったのではなかろうか。

今はマソラ本文も七十人訳も校訂された活字本があり、どちらも日本語訳が出ているが、マソラ読みと七十人訳にはいろいろと食い違いがある。私はヘブライ語の知識はないが、日本語訳を読み比べただけでも違っているのがわかる。

新約聖書を執筆した人たちは七十人訳を使っていた。専門家によると新約聖書に見られる旧約からの引用の約8割は七十人訳によるという。ただし、現存する七十人訳と一部違っていたりするので、系統の違う写本を使ったのかもしれないし、記憶で引用して食い違いが生じたのかもしれない。

七十人訳には旧約聖書続編も含まれているが、正典か続編か、何も区別されていない。新約を執筆した人たちも、続編の部分は正典ではないと一言も言っていない。
現代のキリスト教においても、旧約聖書続編をどう扱うか、教派によって異なる。

古いヘブライ聖書の写本はほとんど残っていない。これはヨーロッパにおけるユダヤ人迫害とも関係するのではないかと思う。迫害の中で失われた写本もあったろうし、国を持たない民となったユダヤ人は、少しでも身軽であるために、新しい写本を書き写せば古いものはいらないと考えて処分したのかもしれない。
今日、我々が持っている日本語訳の「旧約聖書」はビブリア・ヘブライカの訳である。底本に使われているビブリア・ヘブライカは、11世紀のレニングラード写本を活字化し記号をつけたものである。このレニングラード写本が、ほぼ原形をとどめるマソラ本文の写本としては最も古い。それでも11世紀のものである。日本語訳の旧約聖書は、イエスや弟子たちが生きて活動した時代やもっと前の時代の写本からの校訂翻訳ではない。古代の旧約写本は、断片的な一部しか残らなかったのである。
例外として、クムランの洞窟から発見された死海写本がある。これは紀元前のもので、まとまった写本としては現存する最古のものである。人々に受け継がれることなく、沙漠の洞窟の中で眠っていたから残ったのである。

「死海写本のイザヤ書はマソラ本文とほぼ同じです。千年書き写されてもほとんど変わらなかったのです」と言って、マソラ読みの正しさを主張する人たちがいるが、そういう主張は、ずるい。
イザヤ書はほぼ同じでも、サムエル記などはかなり違う。マソラ本文のサムエル記は歴史の中でかなり壊れてしまったと考えられている。死海写本のサムエル記はマソラ本文より七十人訳に近いという。それを語らずイザヤ書だけ挙げるのはフェアではない。

七十人訳ギリシャ語聖書は、巻によっては今は失われた写本の訳のようである。

イエスや弟子たちにどの程度ヘブライ語やギリシャ語の知識があったのかわからない。彼らは当時どういう写本に接していたのか、何を「聖書」としていたのか、誰も断定できないのである。彼らが用いた「聖書」を、ヤムニヤ会議で確定された本文と同じだと見なすのは無理がある。イエスや弟子たちが旧約の続編や外典を聖書と見なしていなかったと断定することもできない。

キリスト教が成立していった時代の人たちは、新約聖書の執筆者も含めて七十人訳を使っていた。福音書のイエスの発言まで七十人訳から引用されている箇所もある。だのに、どうしてキリスト教の旧約聖書は七十人訳ではなくヤムニヤ会議で決定されたヘブライ聖書を受け継ぐマソラ本文によるのだろう(しかも11世紀の写本の校訂版)。

今日、本屋に並ぶ日本語の聖書は、新約はネストレ・アーラント校訂のギリシャ語からの訳で、旧約はビブリア・ヘブライカ・シュトゥットガルテンシアからの訳だ。
新約の執筆者はヘブライ語の聖書からではなく主に七十人訳から引用しているので、「新約聖書の中の旧約からの引用」と「旧約聖書のその箇所」がかなり食い違っていることがある。
これをどう考えるべきかをクリスチャンたちに聞いてみたが、誰からも納得のいく答えを得られなかった。
それどころか、イエスや弟子たちの時代にヘブライ語の「旧約聖書39巻」が確定していなかったことを知らないクリスチャンが多かった。

「イエス様も弟子たちも霊感によって正しい聖書がわかっていたのです」と言う人もいるかもしれないが、イエスの発言まで七十人訳からの引用がみられるのをどう説明するのだろう。ビブリア・ヘブライカ・シュトゥットガルテンシア(レニングラード写本の校訂版)が旧約聖書の「原典」に最も近いとは言えない。実際、サムエル記など、かなり壊れている。

霊感によって正しい聖書がわかるなら、新約聖書を執筆した人たちはなぜその「霊感による正しい旧約聖書」を引用しないで七十人訳から引用したのか。それとも七十人訳こそが「霊感による正しい旧約聖書」なのだろうか。それならキリスト教が七十人訳を正典としないのはおかしい。それに、新約聖書を執筆した人たちが考えていた(旧約)聖書の範囲だってはっきりしない。新約聖書には偽典からの引用まである。彼らが「旧約聖書はヘブライ語で書かれた39巻」と考えていたとは思えない。


無誤無謬の聖書など、初めから、なかったのだ。(仮にあったとしても、我々はそれを知ることができない。)
「人間は無誤の聖書本文を知ることができない」ということは知っておいたほうがよい。新約聖書の著者たちだって無誤の聖書本文など知らず、その範囲も知らなかったから、多くは七十人訳から引用した。誰も、無誤の聖書本文を知ることはできないとわかれば、原理主義化や聖書カルト化に陥らずに済む。

(伊藤一滴)


※当時の分類では39巻ではなかったが、内容は同じなので、わかりやすいよう「(旧約)聖書39巻」と書く。一般のプロテスタント教会が用いる旧約聖書と文書の配列が少し違うが内容は同じである。

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