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非神話化8の2・「史実の処刑杭」と「信仰上の十字架」

ブルトマンが論じた「史的イエスとケリュグマのキリスト」の関係は、「史実の処刑杭」と「信仰上の十字架」の関係と似ていると思う。

仮に、イエスの処刑を目撃した人がすぐに描いた処刑杭の形状の文書や図が発見され、それが十の字の形でないと判明したとしても、教会は十字架を降ろさないだろう。キリスト信者が仰ぐのは「信仰上の十字架」であり、「史実の処刑杭」ではない。ブルトマン流に言えば、「史実の処刑杭は我々の信仰とは何の関係もない」となるのだろう。
教会は「信仰上の十字架」を信ずべきものとして宣べ伝えてきた。まさに、ケリュグマの十字架と言っていい。

ケリュグマの十字架という言葉は、すでに誰かが言っておられるのかもしれないが、私は今まで聞いたことがない。これは自分で思いついた言葉である。私の新造語かもしれない。
(十字架のケリュグマという言葉はある。イエスの十字架の死を宣べ伝えるという意味だ。)

時代性もあるのだろうが、第二次大戦中から戦後にかけて非神話化を論じたブルトマンは、何も疑わずに十字架という言葉を使っている。ブルトマンの頭の中にあった十字架とは、伝統的にイメージされてきた十の字の形のものだったのだろう。

以下、教会の教えやブルトマンの記述に合わせる場合は十字架と書くが、便宜上そう書くのであって、私は、処刑杭(スタウロス)の形状は不明と考えている。

もう一点。イエスの処刑を、磔(はりつけ)とか磔刑(たっけい)とか呼んでいいのかどうかという問題がある。
前回引用した佐藤研氏の文にこうある。「(したがって同刑は、高架に縛り付けて槍で刺す「磔(はりつけ)」とは異なる)」

イエスは処刑杭に釘で打ちつけられ、死ぬまで晒された。右わき腹を槍(やり)で突かれたとあるのは、ローマ兵による死亡確認であって、殺すためではない。
日本の江戸時代の磔とはちょっと違う。

だが、イエスの磔、磔刑という言葉は伝統的に使われ、定着した言葉になっている。
イエスの処刑も、広い意味で、磔(=磔刑)と呼んでいいのではないかと思うので、今後もこの言葉は使うことにする。

あとは、以下のことを前提とする。

イエスは実在の人物である。史的イエスと新約聖書が描くイエス・キリストにはズレがあるが、イエスの存在そのものは史実であって、架空の人物ではない。ただし、史的イエスの言行を正確に復元することはできない。
このイエスが処刑杭(スタウロス、伝統的に十字架と呼ばれるもの)につけられて殺されたのも史実である。

(続く)

(伊藤一滴)


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