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マリアの「処女懐胎」と沖縄

 

新約聖書に出てくるマリアの「処女懐胎」について、まず、ホアン・マシア先生のブログから引用します。マシア先生は、かつて上智大学の教授をなさっていた方でカトリック教会の司祭でもあります。

引用開始

マタイ福音書とルカ福音書におけるイエスの誕生物語は史的事実でもなければ、子供向けのおとぎばなしでもありません。それは信仰の立場からの創作です。その物語をとおしてイエスとは誰であるのか、そして神はどのように現れ、どこに見出されるのかということが伝えられます。(引用者注:マシア先生が「信仰の立場からの創作です」と断言する福音書の箇所の一部を資料として下記に示します。)

(略)

マタイ福音書に現れているように、ヨセフはイエスの遺伝の親ではありませんが、マリアの結婚についての歴史的事実まで私たちが遡ることができません。さまざまな伝承が伝えられております。ある伝承によるとマリアは性的虐待の被害者だったのではないかとさえ言われていましたが、その伝説の根拠は確かめられません。しかし、かりにそうだったとしても、イエスにおいて神が決定的に現れ、イエスこそ我々の間に現れた神ご自身であるという信仰を否定することにはなりません。かえって、どこに神が現れるのかということをますますはっきりと伝えられるようになるのです。

(略)

・・・・どんな事情によって身ごもったにしても聖霊によって守られ、神の力と導きによってその誕生が見守られています。どんな事情によって身ごもったにしても神の息吹によってその誕生が見守られています。

引用終了(全文は以下)

http://d.hatena.ne.jp/jmasia/20160104/1451873887

もう30年以上前の話ですが、マシア先生には何度かお会いしました。当時先生は上智大学の教授でした。今も風当たりは強いと思いますが、先生は当時から、キリスト教保守派が眉をひそめるようなことも、堂々とおっしゃる方でした。私は、マシア先生の言葉に、苦しんでいる人たちへの深い愛情を感じていました。

「マリアはローマ兵から性的な被害を受けて妊娠した」という言い伝えがあることは、マシア先生にお会いする前から聞いていました。そんな話をいつ誰から最初に聞いたのか、思い出せません。浪人中で仙台にいたときかもしれませんし、愛知の大学に進んでからかもしれません。私は19歳か20歳か、それくらいでした。

そんな話は根拠のないデマだと言ってしまえばそれまでですが、その話を聞いたときに、沖縄のことが頭に浮かびました。それは、はっきり覚えています。

マリアは、紀元前から1世紀にかけてのパレスチナで生きたユダヤ人です。当時のユダヤ人女性は十代の半ばで結婚するのが普通であったようなので、ヨセフと婚約していたというマリアも、今の中学生か高校生くらいの女の子だったのでしょう。当時のガリラヤはローマ帝国の支配下にあり、ユダヤも、直接の支配下ではありませんが、帝国の影響下にありました。

時代も場所も違う話を結びつけるなと言われそうですが、外国の軍隊がいて、軍人が力を持っている状況でどういうことが起きるのか。歴史的類推から察することはできます。地元の人は軍人に逆らえず、女性(子ども含む)が性的な犠牲になることも珍しくなかったことでしょう。それを思うと、1世紀のパレスチナと戦後の沖縄は、やはり、似ています。

若かった私は、もし仮に、マリアがローマ兵から性的な被害を受けて妊娠したのなら、ヨセフはそれを承知の上でマリアを妻として迎えたのだと思いました。

都はエルサレムで、ガリラヤは都から離れた辺境の地です。中央からは下に見られる地域です。それも、沖縄を思わせます。そんな辺境の地から、父親のはっきりしないイエスという男がやって来て、教えを説いたのです。それがキリスト教の起源なら、これはすごい宗教だと、若かった私は思ったのです。

(伊藤一滴)

引用者注

(「マタイによる福音書」口語訳)1:18イエス・キリストの誕生の次第はこうであった。母マリヤはヨセフと婚約していたが、まだ一緒にならない前に、聖霊によって身重になった。 1:19夫ヨセフは正しい人であったので、彼女のことが公けになることを好まず、ひそかに離縁しようと決心した。 1:20彼がこのことを思いめぐらしていたとき、主の使が夢に現れて言った、「ダビデの子ヨセフよ、心配しないでマリヤを妻として迎えるがよい。その胎内に宿っているものは聖霊によるのである。 1:21彼女は男の子を産むであろう。その名をイエスと名づけなさい。彼は、おのれの民をそのもろもろの罪から救う者となるからである」。 1:22すべてこれらのことが起ったのは、主が預言者によって言われたことの成就するためである。すなわち、 1:23「見よ、おとめがみごもって男の子を産むであろう。 その名はインマヌエルと呼ばれるであろう」。 これは、「神われらと共にいます」という意味である。 1:24ヨセフは眠りからさめた後に、主の使が命じたとおりに、マリヤを妻に迎えた。 1:25しかし、子が生れるまでは、彼女を知ることはなかった。そして、その子をイエスと名づけた。

(「ルカによる福音書」口語訳) 1:26・・・・御使ガブリエルが、神からつかわされて、ナザレというガリラヤの町の一処女のもとにきた。 1:27この処女はダビデ家の出であるヨセフという人のいいなづけになっていて、名をマリヤといった。 1:28御使がマリヤのところにきて言った、「恵まれた女よ、おめでとう、主があなたと共におられます」。 1:29この言葉にマリヤはひどく胸騒ぎがして、このあいさつはなんの事であろうかと、思いめぐらしていた。 1:30すると御使が言った、「恐れるな、マリヤよ、あなたは神から恵みをいただいているのです。 1:31見よ、あなたはみごもって男の子を産むでしょう。その子をイエスと名づけなさい。 1:32彼は大いなる者となり、いと高き者の子と、となえられるでしょう。そして、主なる神は彼に父ダビデの王座をお与えになり、 1:33彼はとこしえにヤコブの家を支配し、その支配は限りなく続くでしょう」。 1:34そこでマリヤは御使に言った、「どうして、そんな事があり得ましょうか。わたしにはまだ夫がありませんのに」。 1:35御使が答えて言った、「聖霊があなたに臨み、いと高き者の力があなたをおおうでしょう。それゆえに、生れ出る子は聖なるものであり、神の子と、となえられるでしょう。 1:36あなたの親族エリサベツも老年ながら子を宿しています。不妊の女といわれていたのに、はや六か月になっています。 1:37神には、なんでもできないことはありません」。 1:38そこでマリヤが言った、「わたしは主のはしためです。お言葉どおりこの身に成りますように」。そして御使は彼女から離れて行った。 

付記

若かった私はそう思った、という話です。今の私の考えを書いたものではありません。今は、福音書に出てくる人物は、イエスも含めて、どういう人で、何をしたのか、何を言ったのか、歴史的事実としてはほとんど何もわからない、と考えています。

上に引用したマシア先生の見解とほぼ同じことが、先にここに書いてあります。これは2008年なのでだいぶ前ですが、最近まで知りませんでした。

http://d.hatena.ne.jp/jmasia/20080716/1216165728

こっちはすごいコメントぞろいです。まっとうな意見もありますが、コチコチのカトリック原理主義者たちの激しい非難も載ってます。プロテスタントの原理主義者も凄いですが、カトリックも負けてないですね。私は、よっぽどマシア先生にコメントしようかと思ったのですが、先生にご迷惑をかけたくないし、原理主義者たちから噛みつかれるのもいやなんでやめました。いつも言うように、私は原理主義者たちが憎くて言うのではありません。彼らはすごく熱心だけれど、その熱心さの方向が違っているから、目を覚ましてほしくて言うのです。それはまるで遠藤周作氏が言う「善魔」のようです。悪魔と違って、何の悪意もないのです。善魔にとりつかれ、善意に燃えてとんでもないことを言ったりやったりするんですよ。

原理主義、教条主義の人たちは、「ファリサイ派は書いてある文字に忠実であったが、イエスは現実を踏まえて語った。イエスの教えは現実社会への迎合であり、ゆがめられた信仰だ。我々はファリサイ派のように純粋で正しく熱心な信仰に生きる」とでも言いたいのですかね?

2017.11.6 お詫び:イエスが生まれた頃、ガリラヤはローマ帝国の支配下にあり、ユダヤは、直接の支配下ではありませんが影響下にありました。初歩的な話ですが、私のうっかりミスで、ユダヤとガリラヤを逆に書いて気づかずに載せていました。お詫びし、修正しておきます。しかし、上記で私が言いたかったことは何も変わりません。

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