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対等でないものを対等と見なしてはいけないし、たとえ誇張があっても事実そのものは消えない

ヨーロッパでのユダヤ人によるキリスト教徒への暴力をことさら強調し、歴史の中で、
「ユダヤ人によるキリスト教徒への暴力」と
「キリスト教徒によるユダヤ人への暴力」とが、
まるで対等のような話に持って行ったり、ひどいと、ユダヤ人による暴力のほうがひどかったかのような話に持って行くのは事実の歪曲です。

中にはナチスの将兵に暴行を加えたユダヤ人だっていたのかもしれませんが、それこそ、九牛の一毛でしょう。九頭の黒牛に一本の白い毛が見つかったからといって、白い毛と黒い毛は対等にはなりません。

アメリカの過去を語るのも同じで、アメリカ先住民(インディアンと呼ばれた人たち)による白人入植者への暴力をことさら強調し、歴史の中で、
「先住民による白人への暴力」と
「白人による先住民への暴力」とが、
まるで対等であったかのような話に持って行ったり、ひどいと、先住民による暴力のほうがひどかったかのような話に持って行くのも、事実の歪曲です。
かつての西部劇など、まさに歴史を歪曲し、先住民を暴力的な悪者に描いていました。

パレスチナの問題もそうです。
パレスチナ人によるイスラエル人への暴力をことさら強調し、イスラエル建国以降の歴史の中で、
「パレスチナ人によるイスラエル人への暴力」と
「イスラエル人によるパレスチナ人への暴力」とが、
まるで対等のような話に持って行ったり、ひどいと、パレスチナ人による暴力のほうがひどかったかのような話に持って行くのは、事実の歪曲です。

これまでもイスラエルは1人殺されたら20人、50人、100人と殺して報復しています。
決して対等ではありません。

そこに平穏に暮らしていた人たちを住めない状態にしたのは誰なのか。
どういう理由があったにしても、先住者の集落を破壊して自分たちの町をつくったのは誰なのか。
抵抗する先住者の側が悪者にされるのはおかしいのです。

抵抗の中には行き過ぎもあったのは私も認めますが、先住者をそこまで追い詰めたのは一体誰なのですか。


現在のイスラエルを非難すると、「ハマスを支持するのか」と言われることがあるのですが、私は、ハマスを支持したことなどありません。ハマスのやり方にはまったく賛成できません。それは、はっきり言っておきます。

それに、「ハマス=パレスチナの民衆」ではありません。
ハマスによる襲撃のツケを、なぜ、一般のパレスチナの庶民が負わなければいけないのか。
なぜ、ガザに住んでいるというだけで、乳幼児も、少年少女も、非戦闘員の女性も男性も高齢者も、国連職員や医療従事者まで殺傷されなければならないのか。


現在のガザが、どれくらいの攻撃を受けたのか、犠牲者の数はどれくらいなのか、混乱の中で正確に把握するのは困難でしょう。誇張もあるかもしれません。
しかし、たとえ誇張があったとしても、非戦闘員が攻撃されて相当の犠牲者が出ている事実はなくなりません。

誇張の疑いをことさら強調し、事実そのものをうやむやにするのも歪曲です。
そうした歪曲は、関東大震災後の朝鮮人殺害や、日本軍の中国侵出における南京事件などにも見られます。

犠牲者の数がはっきりしないからといって、事実そのものがなかったことにはなりません。

自分たちの主義主張を正当化するために、事実を書き換えようとする人たちがいたし、今もいます。いわゆる歴史修正主義です。
乗せられてはいけません。

そして、言うまでもないことですが、イスラエル人の皆がネタニヤフ政権の支持者ではありません。
ガザ攻撃に反対するイスラエル人だって数多くいます。海外のユダヤ人の中にはガザ攻撃に反対するデモに加わっている人もいます。

私は、人間の良心を信じたいと思います。
良心の声が、戦闘を煽る声を上回ることを願っています。


はたして、「クリスチャンであること」と「現在のイスラエル政府を支持すること」は両立するのでしょうか?
現在のイスラエル政府のやり方は、新約聖書に示されたイエスの愛の教え、平和の教えとまったく逆です。正反対です。

イスラエルの現政権を支持するのであれば、その人はクリスチャンと名乗るべきではありません。
「私はイエスの敵です」と、はっきり言うべきです。

(伊藤一滴)

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