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アメリカとイスラエル、そしてパレスチナ

アメリカの建国とイスラエルの建国は似ている。
どちらも、人が住む土地に移住者がやってきて、住民を追い散らし、集落を破壊し、抵抗する者を殺して建国されている。どこまでも抵抗すれば悪者扱いされ、徹底的に弾圧された。歴史を振り返れば、移住者と先住民と、悪者はどちらなのかと思う。中には温和な移住者も戦闘的な先住民もいたかもしれないし、単純にあれかこれかと二元論では言えないのだろうが、歴史をふまえて全体を見るなら、より悪いのはどちらなのだろう。

アメリカもイスラエルも、両者共、暴力的に建国され、建国は既成事実となって認められ、今に至っている。

両者の精神的基盤も似ている。唯一の神を信じる人たちが、神が与えてくださった土地と見なして自分たちの国を建てた。そして、先住民を対等な人間として扱わなかったという点でも似ている。対等な人間ではないのだから、ためらわず土地を奪い、迫害し、ためらわず殺害できた。

アメリカもイスラエルも強力な武力による国家の維持を続け今に至っている。武装は国家レベルだけでなく、個人もまた武装する。どちらも絶えず緊張状態にある国だ。両国は、そういう国なのだ。

建国も国のあり方も似ている両者は仲が良い。イスラエル国内にはいくつもの宗教・宗派があるが、中心はユダヤ教である。現在のアメリカは、公には多人種・多民族の共存を求めているとはいえ、多数を占めるのはプロテスタントのキリスト教だ。
ユダヤ教とキリスト教は違う宗教だが、同じヘブライ聖書(旧約聖書)を用い、同じ神ヤーウェを信じるという点では共通している。
アメリカにおいてもプロテスタントは主流派と福音派に分かれるが、福音派は特にイスラエルと親和性が高いという(もちろん、全員ではないけれど)。

イスラム教徒を迫害することにためらいを感じない人がユダヤ教にも福音派にも相当数いるようだ。イスラム教の人たちは救われていないと考え、どうせ救われない人たちなのだから、迫害されようが殺されようがかまわないという発想なのかもしれない。

イスラエルのアラブ系住民(パレスチナ人)を悪者扱いするのは、アメリカの先住民(インディアンと呼ばれた人たち)を悪者扱いするのと似ているように思えてならない。どうせ救われない人たちだと考えているのではないか。


現在のイスラエルで、暴力の連鎖が止まらない。
家族や仲間を殺されれば、相手を殺して復讐したいと思う人が出てきて、復讐が起こる。
復讐によって殺された側の家族や仲間が、やり返す。
やり返された側が、またやり返す。
止まらない。


私は、イスラエルでのパレスチナ人の抵抗の中に行き過ぎがあっても、それをテロと呼びたくない。たしかに、急進的で暴力的な勢力による行き過ぎがあり、イスラエルの一般市民や外国人を無差別に殺傷したり、誘拐したりしている。
だが、急進的で暴力的な勢力がパレスチナで一定の支持を集めるのは、これまでのイスラエルによる侵略と弾圧の結果ではないのか。

テロと言うなら、イスラエルのやっていることこそ大規模なテロではないのか。非戦闘員の死者数だけみても、パレスチナの犠牲者のほうがはるかに多い。1人殺されたら10人、20人、100人以上と殺しまくって報いるイスラエルは、テロ国家と言われても仕方がない。


軍事力でハマスを根絶するのは、まず、不可能だろう。イスラエルのやり方がハマスのような過激な勢力を育てたのだから。
仮にハマスを殲滅したとしても、別のハマス的な団体が発生するだけだろう。
イスラエルは終わりのない戦いをしている。

戦いを終わらせたいなら、いったん建国時の国境線まで戻って、パレスチナを独立国家と認めればよい。そうやって話し合いをすればよい。こんなわかりやすいことをイスラエルはしない。


これまでの歴史がある。
双方に言い分もあろう。
それでも、自制してもらいたい。
このままでは、暴力の連鎖が止まらない。


案の定、アメリカはイスラエル支持に回った。武器も供給しているという。
アメリカのポチと言われる日本だが、この問題に関しては対米従属はやめてもらいたい。
日本はイスラエルともパレスチナとも対話できる国だ。日本は直接ユダヤ人を迫害した歴史はないし、イスラム教を迫害した歴史もない。また、中東を植民地支配したこともない。イスラエルもパレスチナも、どちらも日本と敵対したことはない。

日本はアメリカの顔色をうかがうのではなく、双方に強く自制を求めてもらいたい。

(伊藤一滴)

コメント

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AD70年にローマとの独立戦争に負けた
ユダヤ人は世界に散らされましたが、
戦争以前に各地に住んでいたユダヤ人の
支援で戻ってきて、AD136年の
2回目の独立戦争でローマに勝ちます。

そして独自の貨幣を作り、3年間の
独立国家をたてました。

しかしローマに再度負け、ローマは国の
あった地にユダヤ人が入れば処刑する
指令を出し、地名をエレツイスラエル
からパレスチナに変更しました。

その後、ローマのキリスト教徒
コンスタンティヌスが立ち入り禁止令
を廃止し、ユダヤ人が戻ってきました
が、コンスタンティヌスの母による
記念碑などに反発して、AD352年
に最後のユダヤ人だけによる3回目
の独立戦争でローマに負けました。

その後は5世紀~6世紀にかけてユダヤ人の
学者達がパレスチナに集まってユダヤ教神学
の中心地になり、ヨルダン川東岸に
ユダヤ人都市が12、西岸に村が
30以上できました。

そして今度は大国ペルシャ(今はイランの
あるところ)とローマの戦争が起こり、
ペルシャに住んでいたユダヤ人達も
ペルシャ軍に参加しました。

両大国が長い戦争でボロボロになっている
ところに、歴史上始めてアラブイスラム軍
が入ってきて、パレスチナを
435年間支配します。

アラブイスラムの人達が支配したのは
435年間だけで、そこにトルコ人が
やってきます。

トルコ人のあとからヨーロッパ軍がきて、
そこからトルコ人が取り返します。

その後はオスマン帝国の支配、次に
イギリス委任統治領時代となります。

アラブイスラム時代~イギリス委任統治領
時代の期間もユダヤ人は住み続けて
いました。

第一次世界大戦前、バルフォア宣言が
なされるまでパレスチナの地は
オスマントルコ帝国領でした。
肥沃な土地だったパレスチナですが、
オスマントルコ帝国が約400年
治めていた間に不毛の地
となったようです。

状況を詳しく書くと汽車を走らせるため
多くの木を切り倒し、全然植樹を
しなかったため、はげ山があったり、
高台は土砂崩れが起こりました。
雨で流れた土は低地で沼になり、
マラリヤが多発したそうです。
当時のパレスチナ人地主達は、そんな土地
でも税金を払わなければならなかったので、
価値がない土地を売りに出したかった
ようです。

そこへヨーロッパで迫害されていたであろう
ユダヤ系移民がやってきて、パレスチナ人
地主達は恐らくですが、資産価値がない
土地なので、ただに近い金額で売った
のではないかと思われます。

不毛な土地の開拓ですが、点滴灌漑
システムを利用したようです。
約2㎝の土をつくるのに10年
はかかるんだとか。
地域によっては、やってきたユダヤ系移民
の約半数が亡くなったようです。

土地が回復した後それをみたアラブ人
が戻ってきた感じかと。

ハマスについてですが

生きたまま火あぶり、赤ん坊や少女の斬首、
手足の切断、赤ん坊も含める女性への強姦
(骨盤が骨折するほどのもの)、殺傷した
人のスマホを使い、それをその人の
フェイスブックにアップするなど、
こうした虐待に加え、約240名の
拉致をしていたようです。

以下は、ブリンケン米国務長官
による証言です。

「 4人家族。6歳と8歳の少年少女と両親が
 朝食のテーブルを囲んでいる。父親の目
 は子供たちの目の前でえぐり取られた。
 母親の乳房は切り取られ、女の子の足は
 切断され、男の子の指は切り落とされた。
 そして執行人たちは座って食事をした。」

日本の報道なのですが、NEWS23専属
ジャーナリストの須賀川拓記者が
「西岸」の話として「ハマスが
いない西岸でも15年で6000人が
死んでいる」とコメント
していました。

しかし、6000人というのはガザを含めた数字
で、西岸の本当の死者数は1000人でした。

ガザのイスラム原理主義組織のロケットが
病院の前の庭に着弾した件も、ハマスの
誤情報のインパクトのほうが世界を
駆け巡ったようで。

よく言われるのは、イギリス委任統治時代の三枚舌外交というもので、イギリスはアラブ人、ユダヤ人、フランス等に、それぞれ別々に、両立しない約束をしました。今日のパレスチナ問題の一番の原因はそこにあると言われます。
イスラエル建国後のことだけ考えても、国境を越えてのユダヤ人入植が続き、パレスチナ人は土地を追われてきました。過去に何があったにしても、越境しての植民を続けたことは正当化できません。
クリスチャンの中にもイスラエル支持者がいるようですが、平和の実現を求めたイエスの教えと正反対の主張であり、私には理解できません。
パレスチナ人の一部による残虐行為を否定などしませんが、それこそ九牛の一毛です。九頭の黒い牛の中に一本の白い毛が見つかったとしても、黒い毛と白い毛は対等にはなりません。白い毛があると大騒ぎし、黒い毛に目をつぶるべきではありません。
(一滴)

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