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非神話化9・イエス・キリストの復活

イエス・キリストの復活について語ろうとすると、どうしても、自分の思いが混じる。

新約聖書の使信(ケリュグマ、宣教)は、はっきりとイエスの復活を宣べている。だが、これを宣べ伝えたのはおよそ2千年前の古代の人々である。何度も言うが、新約聖書の世界は古代人の世界であり、その時代の世界像は現代の我々が思い描く世界像とはかなり違っている。

先に書いたことを繰り返すが、新約聖書の人々は、地球は丸いとか、地球は太陽の周りを回っているとか、知らなかった。細菌やウイルスが原因で病気になることも知らなかった。経験的に知っている現象も、科学的に説明することができなかった。
当然だが、当時の人たちは現代人より「頭が悪かった」のではない。彼らには「今日のような科学的な認識がなかった」のだ。当時は知るすべもなかったのだから。

そのような古代人が執筆した聖書を、現代人の我々が「文字通り」信じることができるのだろうか?
答えは否である。
もし、聖書を「文字通り」信じるなら、我々は古代人と同じ世界像を受け入れなければならなくなる。聖書は当時の世界像を前提に書かれているのだから、その世界像を受け入れることができないのなら、文字通り信じることなどできないのだ。

今日でも「聖書を文字通り信じています」と言う人はいる。だが、そう言う人の多くはかなり無理な信じ方をしているように思える。


では、現代の科学的な認識を知ってしまった我々は、イエスの復活をどう考えたらいいのだろうか。

「ブルトマンはイエスの復活を否定している」と言う人がいるが、正しくない。ブルトマンは復活を否定したのではなく、蘇生のようなイメージの復活を神話的であるとした上で、ケリュグマにおけるイエスの復活の意味を論じたのだ。

史的イエスとケリュグマのキリストは違う、分けて考えるべきだという。信ずべきはケリュグマのキリスト(宣教のキリスト)であって、史的イエスではない。史的イエスの復元は不可能だし、仮に復元できたとしても、史的イエスは信仰の対象ではない。

同様に、史的処刑杭とケリュグマの十字架も分けて考えるべきだ(ブルトマンはそこまでは言っていないようだが)。
信ずべきはケリュグマの十字架(これはたぶん私の造語、宣教された十字架のこと)であって、史的処刑杭ではない。史実のイエスが磔にされたた処刑杭は十の字の形ではなかったのかもしれない。史実としての処刑杭の形状は断定できないし、仮に分かったとしても、史実の処刑杭は信仰の対象ではない。

復活も、そうなのだろう。
当時の人々が「イエスは復活した」と信じた出来事があったのだ。その史実が核となって当時の表現でイエスの復活が論じられ、新約聖書に収められたのだろう。
我々は、そこから「ケリュグマの復活」を実存的に読み取るべきだ、となるのだろう。
つまり、信ずべきは、史実として何が起きたのかではなくケリュグマの復活だ、ということになる。

だが、私は、史実として何が起きたのか気になっている。
現代の技術なら、写真や動画や音声を残すことができる(もっとも、最近は技術が進み過ぎて、見分けが困難なフェイクまで作れるが)。
ありえない話だが、もし、2千年前にビデオ撮影の機械があって、イエスの復活の場面を写した動画が残っていたら、我々はそれを見て、イエスの復活は史実ではこうだったと言えるだろう。そんな想像をしながら思った。イエスの復活とは、撮影や録音ができる現象だったのだろうか?


史実としてのイエスの復活は「人々の心の中にイエスが復活したことだ」と考える人もいる。
そうかもしれない。しかし、それだけだろうか。

福音書によれば、イエスが捕えられたとき、ペトロをはじめほとんどの男の弟子は逃げている。だが、復活したというイエスとの出会いがあって、弟子たちは劇的に変わり、力強い伝道者になってゆく。彼らを強く大きく変えた復活とは、何だったのだろう? 「心の中に復活した」程度のことだったのだろうか?

史実の「復活」は信仰の対象でも信仰の論拠でもなくて、新約聖書の使信(ケリュグマ、宣教)を信じるのが信仰だと言えばそうなのだろう。
それでも私は、史実としての「復活」がどのような現象だったのか、とても気になっている。気になっているが、わからない。


現存する復活の証言は、パウロの書簡が最古のものである。次いでマルコ福音書、その次がマタイとルカの福音書(この2つはどちらが先か不明)、その後でヨハネ福音書と続く。それぞれ食い違いもあるし、成立が後になるほど、話は大きくなっている。

新約聖書は福音書から始まるが、実際はパウロ書簡の方が福音書より先に書かれている。
パウロはコリント前書でイエスの復活をこう語る。これが現存する最古の復活の証言である。
「15:3わたしが最も大事なこととしてあなたがたに伝えたのは、わたし自身も受けたことであった。すなわちキリストが、聖書に書いてあるとおり、わたしたちの罪のために死んだこと、 15:4そして葬られたこと、聖書に書いてあるとおり、三日目によみがえったこと、 15:5ケパ(=ケファ、ペトロのこと、引用者)に現れ、次に、十二人に現れたことである。 15:6そののち、五百人以上の兄弟たちに、同時に現れた。その中にはすでに眠った者たちもいるが、大多数はいまなお生存している。 15:7そののち、ヤコブに現れ、次に、すべての使徒たちに現れ、 15:8そして最後に、いわば、月足らずに生れたようなわたしにも、現れたのである。」(コリント前書)
この話は福音書と食い違う。ヨハネ福音書ではケファ(ペトロ)より先にマグダラのマリアが復活したイエスに会っているし、マタイ福音書だと複数の女たちが会っている。「次に、十二人に現れた」というが、11人ではなく12人ということは、イスカリオテのユダもいたのか。

マルコは、イエスの墓に遺体はなく、若者(天使?)がいたという。イエスは現れない。なお、マルコ16:9以下は後代の加筆であり、古代のどの写本にもない。
マタイとルカでは復活したイエスが姿を現す。
ヨハネに至っては、復活したイエスはペトロたちの漁に指示をするし、火を焚いて朝食の用意までしている!
後代になるほど話に尾ひれがつくのか、どんどん話が大きくなる。

復活したイエスが姿を現したという話はどれも神話的だ。

(続く)


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