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続・私とキリスト教

以前書いた「私とキリスト教」(下記)への補足です。

http://yamazato.ic-blog.jp/home/2015/10/post-3000.html

私、別に聖書やキリスト教の専門家じゃないです。

ただし、小学校3年のときから45年以上、聖書を読み続けてきました。
旧新約聖書全巻を通して読み続けていますし、福音書に関しては、明治以降の日本語訳は入手または閲覧可能なものはすべて読みました。代表的な英訳(KJV,RSV,NRSV等)にも目を通しました。これ以上聖書を読むなら、あとはもうギリシア語だと思って、数年前から新約ギリシア語を学んでいます。
一人の人間が一生の中で45年以上特定の本を読み続ければ、見えてくることもあります。

私は山形県の田舎町に生まれ、家はキリスト教とは全く無関係でした。
小学校3年の時、キリスト教団体の方から新約聖書を頂いて読み始めたのが聖書との出会いでした。それは、子ども向けに易しく書き直した聖書ではなくて、普通の「新改訳聖書」でした。
姦淫なんて言葉も出てくるんで、小学校3年生にどれだけれ理解できたのかと思うのですが、マタイ福音書から順番に読み、引き込まれるように読みました。

中学校に入ってからだと思いますが、教会で話を聞いてみたくなりました。当時はキリスト教の教派のことなど何も分からなくて、家から行ける場所の「教会」に、勇気を出して行ってみたのです。「牧師」と称する人が笑顔で迎えてくれたのですが、後から思えば、そこは極端な原理主義者=ファンダメンタリスト(あるいはカルト)の集まりでした。

何でそんな所に行ったのかと言われるんですが、看板に「原理主義教会」とか「カルト教会」とか書いてあるわけじゃないし、外観からは区別がつきませんよ。ものみの塔(エホバの証人)などの、異端とされる団体ではありません。教会のような建物で、屋根に十字架があって、「〇〇キリスト教会」という看板があれば、普通のキリスト教会だと思いますよ。その「教会」は「福音派」とか「正統プロテスタント」とか称していましたが、ほかにどんな派があるのか、こっちは全然知りませんでした。

何か違和感もありましたが、他の教会に行ったことがなくて、他を知らないから比較のしようもなくて、時々そこに行って話を聞いたのです。彼らは、新来者を歓迎し、すぐには正体をあらわさないんです。
話を聞いていると、事あるごとに日本基督教団やカトリック教会の悪口を言うんで、キリスト教と言っても内部に対立があるようだと察しましたけれど・・・・。

その頃、新約聖書は全部読んでました。特に福音書は繰り返して何度も何度も読んでました。福音書のイエスの姿とその「教会」の言うことは何か違うと思ったのですが、何がどう違うのか、10代の私には答えられませんでした。

キリスト教系の高校に進んで、広くキリスト教を学びたいと思いました。それで、「牧師」にその話をしたら嫌な顔をするんです。喜んでもらえるかと思ったら意外でした。「牧師」は、「キリスト教主義を掲げる高校や大学の多くは正しいキリスト教を伝えていません」と言うんです。そのあたりから、違和感を通り越して、この「教会」は何か変だぞって感じ始めました。でも、近くには他に聖書の話ができる場がないので、変だと思いながらも、時々はそこに寄ってました。毎週通っていたわけではなくて、たまに行って話を聞く程度でしたが、高校に進んでからも寄ることがありました。

高校生になって、主に本からですが、一般のキリスト教のことをある程度学び初めました。一般のキリスト教に触れ、その特異な「教会」とはどうしても話が噛み合わなくなって、行くのをやめました。

http://yamazato.ic-blog.jp/home/2016/08/post-68d2.html
http://yamazato.ic-blog.jp/home/2018/08/post-d32c.html

ここしばらくこのブログに原理主義や聖書カルトのことを書きながら、あの「教会」を思い出しました。今思えば、あの人たちは超保守派の、コチコチの「正統主義」、カルトに近い原理主義だったのでしょう。キリスト教全体の中では特異な少数派でしょうが、そういうレアな「教会」に、最初にたまたま当たったのです。おかげで、原理主義やカルトに対する免疫力を身につけました。

エホバの証人の問題は広く語られていて、マンガも含めて本も出ていますが、私は、自称「福音派」の原理主義だってかなり危ない宗教だと思います。「正統プロテスタント」とされ、その危険性があまり指摘されていませんが、原理主義者の発想はエホバの証人とよく似ています。

中学時代の話に戻りますが、キリスト教系の高校に進みたいという話を親にしたら、猛反対です。「宗教系の学校なんてどうせ金目当てで経営している学校だろう。おかしな宗教に関わるのはやめろ!」って、まあ、すごい剣幕で叱られました。あとになってからですが、大学進学を考えていた時も、この「おかしな宗教に関わるな」という話が出ましたね。
あきらめて一般の高校に進みました。

高校に進んでから、内村鑑三の著書を読むようになりました。最初は高校の倫理社会の教科書や資料集で内村鑑三の名を知ったのです。文庫本で出ている本から読み始めました。心をひかれたのですが、無教会の集まりとの出会いがなく、本から学ぶだけでした。
あと、キリスト教関係では、三浦綾子や遠藤周作の本を読んでいました。三浦綾子の『道ありき』や『塩狩峠』は、考えさせられました。『道ありき』は著者の自伝的な作品ですが、日本で出されたキリスト教入門書の中の最高峰の一冊だと思います。『塩狩峠』は、何度か読みましたが、中学生~高校生の私が、読んでいて涙で字が見えなくなるくらい大泣きした本です。また、あの「教会」が厳しく非難していた遠藤周作の『イエスの生涯』、『キリストの誕生』、『死海のほとり』などを読みました。遠藤周作の本は、非難を聞いてかえって読みたくなったんです。その「教会」の主張とはまったく相容れない内容ですから、「教会」の言うことが正しいなら遠藤周作は間違っているし、遠藤周作が正しいなら「教会」が間違っていることになります。もしその「教会」が正しいなら遠藤周作の主張は地獄への道でしょう。そして、それが原理主義者やカルトの価値観なのでしょう。

高校生の時、旧約と新約が一冊になった聖書を買って、旧約も併せて読むようになりました。その当時(1970年代末~80年代初め)、聖書の主な日本語訳は、文語訳、口語訳、新改訳でしたが、こっちは翻訳の特徴とか教派性とか、一切、何も知りませんから、今まで読んでなじんでいた新改訳(初版)を買いました。これが福音派の独自の訳だと知ったのは後になってからです。だから駄目だとか、そういうことはないのですが、ある立場から訳されたものです。もちろん、新改訳聖書も聖書の翻訳であり、改竄文書ではありません。
(世には、聖書の翻訳を装い、原文を無視して自分たちの見解の沿うように書き換えた「訳」もあるので注意が必要です。そうした「訳」は翻訳というより改竄文書の類です。)

(新改訳の旧新約の一冊本は引照箇所が欄外に示されていて便利です。後から口語訳聖書を使うようになって、引照がなくて不自由しました。それで口語訳聖書引照付きを買ったら、縮刷に無理に引照を付けたようで、字は細かいし、振り仮名は抜けているし、引照は使いにくいしで、新改訳の便利さを思いました。)

高校を卒業し、仙台市内の予備校に入りました。1983年でした。自宅からは通えないので予備校の寮に住んでいました。
寮から予備校へ行く途中に教会があったので、寄ってみました。福音派の教会でした。福音派を選んでそこに行ったのではなく、たまたまです。
高齢の牧師さんがいて、話をしました。私の話をよく聞いてくださる人でした。この教会にときどき行きましたが、牧師さんは聖書の学問的な話はあまりなさらず、聖書が求める生き方について、「あなたはどう思いますか」と聞く人でした。
いい人でした。孫のような私を「伊藤さん」と呼び、敬語を使い、一人の人として接してくださいました。そして、当時予備校生だった私のために、真剣に祈ってくださいました。

あの牧師さんが人を悪く言うのを聞いたことがありません。他のプロテスタントの教派やカトリック教会のことも、一切、悪く言うことがありませんでした。
あるとき遠藤周作についてどう思うか尋ねたら、牧師さんは答えて言いました。「遠藤周作先生と私は考えの違いもありますが、遠藤先生は神様を信じ、誠実に生きていらっしゃるのだと思います」という答えでした。その教会の信者さんが、教派を越えた集まりに行ってカトリックの人たちと一緒にお祈りをしてきたという話をしていたとき、牧師さんは、「私の若い頃と違って今はそういう時代なのですね。多くの方と共に祈り、良き交わりをしてください」とおっしゃっていました。(あの山形県内の「教会」の、「遠藤周作は間違ってます!」「カトリックは間違ってます!」とはずいぶん違うと思いました。)

牧師さんは、黒崎幸吉の聖書注解を取り出して、「これは黒崎先生のお考えですが、このような解釈もあるのですよ」と、読んでくださるときがありました。黒崎幸吉は内村鑑三の門下生で、無教会の人です。牧師さんは無教会の意見も尊重する人でした。
たまたま東北大学本部前の古本屋で、2百円だか3百円だかの均一本で黒崎幸吉『新約聖書略註』を見つけ、買ってきました。戦前の本で、日僑俘管理所という赤色のスタンプが押してありました。中国のどこかで捕虜になった人の持ち物だったのでしょうか。古い本ですが、これを時々開いて参考にしていました。

仙台の牧師さんから親切にしていただき、ありがたくて、教会に献金したいと言ったら、「伊藤さん、あなたはまだ学生でしょう。そんなことは、社会人になって、収入を得るようになってから考えてくれればいいのですよ」と言って、受け取ってくれませんでした。私が仙台で暮らすのは1年限りの予定で、去ってゆくことを知りながらそうおっしゃる人でした。
でも私としては何かお礼がしたくて、牧師さんが明治訳(元訳)の新約聖書を探しているのを知り、仙台の萬葉堂で見つけて3千円で買ってきました(掘り出し物でした)。明治20年代のものだったか明治30年代だったか忘れましたが、変体仮名が使われている聖書でした。米国か英国の聖書会社(聖書協会)が日本国内で出したものだと思います。
牧師さんに差し上げようと思って持って行ったら、「こんな貴重なものをよく探してくださいましたね。高くても買いますからぜひ売ってください」とおっしゃるのです。「いえ、差し上げるつもりでお持ちしたのです」と言ったのですが、「あなたがお金を払って買ってきたのでしょう。せめてその代金分だけでも払わせてください。本当なら探す手間の分もお支払いすべきなのでしょうが、その分はあなたのお気持ちとして受け取りましょう」と言われ、差し上げようとしたのに結局3千円渡されました。欲のない人でした。

福音派といっても、ずいぶん違うと思いました。

自分たちは真理の側で絶対に正しいと考え、他の教派やキリスト教主義の学校や他宗教の悪口を言いまくる「福音派」(不寛容、排他的、独善的、攻撃的、そして、非科学的、反知性的な人たち)

穏健で、善良で、欲がなく、他者に誠実に接し、決して他者を悪く言わない福音派(リベラル派やカトリックとも、他の宗教とも対話できる人たち)

これが同じ福音派なのだろうか、と思いました。

前者は信仰熱心で、後者は生ぬるいのでしょうか。
前者は純粋で、後者は世俗の価値観が混じっているのでしょうか。
前者は妥協せずに聖書の正しい教えを守り、後者はこの世に妥協しているのでしょうか。

互いに愛し合うようにと教えたイエス・キリストに従っているのはどちらでしょう。

私は、後に、前者を自称「福音派」の原理主義者やカルトと呼び、後者を単に福音派と呼ぶことにしました。

前者は福音書に出てくる「ファリサイ派(=パリサイ派)や律法学者」とよく似ています。
後者はイエスに従った人たちやイエス自身を思わせます。

仙台にいたときに、たまたま聖霊派の人に出会い、仲良くなりました。彼は東北大学の学生でした。断食して祈ったりするらしいんですが、そういうことを自慢するでもなく、知的で謙遜で真面目な人でした。いろいろ話をしたり映画に行ったりしました。聖霊派といってもいろいろなようですが、その後会った別の聖霊派の人も誠実な人で、私としては悪いイメージはありません。まあ、聖霊派とは会った人数が少ないので、ごく少数の人から全体を判断することはできませんが。

19歳の私は、山形孝夫氏の著作に始まり、ルドルフ・ブルトマンやその後の研究者の著作に出会いました。
もっと聖書を学びたくて、大学で神学か聖書学を専攻したいと思ったのですが、親が許してくれません。高校進学のときもそうでしたが、「何を馬鹿なことを言ってるんだ。おかしな宗教は絶対許さないからな」で終わりでした。親はキリスト教と無関係だし、しょうがないですね。「キリスト教=おかしな宗教」なんです。まあ、おかしな宗教と言われても仕方がないような人も中にはいますけど。

社会福祉も関心のある分野でしたし、キリスト教とも関係していると思い、社会福祉学部を受験して合格しました。
1984年、大学に進学し、愛知県で暮らすようになりました。
大学の授業はキリスト教よりマルクス主義の影響が強く、それはそれで勉強になりましたが、中にはつまらない授業もありました。つまらない授業は抜け出して、大学図書館の書庫でひたすら本を読んで過ごしました。明るい閲覧室より薄暗くてあまり人がいない書庫のほうが私に合っていました。

大学の友人に誘われ、名古屋市やその近辺の日本基督教団のリベラルな教会で話を聞くようになりました。
その頃も、無教会の本は読み続けていました。
図書館の書庫に内村鑑三全集もあり、文体が難しいのですが内容がおもしろいのでがんばって読んでいました。

もっともっと、聖書やキリスト教について学びたい思いでした。それを、福音派の立場で学ぶかリベラルな立場で学ぶか考え、リベラルな立場(つまりプロテスタント主流派、メインライン、エキュメニズム派)を選びました。あの仙台の福音派の牧師さんから親切にしていただいたことを思い出し、心が痛みましたが、自分の気持ちに嘘をつくことはできませんでした。

仙台の牧師先生、今でも私は先生の門下です。先生から聖書を学び、人はどう生きるべきか考えました。今の私は先生と見解を異にする点もありますが、イエスの教えに従って生きていきたいと願う気持ちは何も変わりません。今でも、本がたくさん置いてある畳敷きの牧師館で、先生からお話をうかがった日々のこと、先生の、老眼鏡の奥のやさしいまなざしを思い出します。

福音派はけっこう熱いものがありますが、リベラル派はそっけないですね。福音派のように新来者を歓待する風でもないし、「来たいなら来ていいよ」みたいな感じで、ちっとも熱っぽくないのです。冷めた料理を食べるような話を聞いてました。聖書のこの箇所は事後預言(事が起きてから、前から預言されていたかのように書かれた箇所)であるとか、この箇所は創作であるとか、そんな話が福音伝道になるんだろうか、牧師は伝道する気があるんだろうか、と思いながら聞いていました。

1984年当時、日本基督教団はまだ万博問題を引きずってもめてました。1970年の大阪万博参加の是非で、いつまでもめてるのか、いつまでやってるんだろう、と、私はあきれた思いでした。それだけ日本基督教団は自由度が高いのでしょうけれど、あきれるほど内紛が連続するのが私にもわかりました。
愛知県内の大学で4年過ごしましたが、日本基督教団内部のゴタゴタに対しては、冷めた目で見ていました。牧師や信者の中に個人的にはいい人もいるんですけどね。

大学の学内に聖書カルトがいました。最初はキリスト教の活動だろうと思って話しかけたのですが、話を聞いたら凄まじいカルトでした。山形県内で会った自称「福音派」と似ていましたが、もっと強烈な人もいました。「福音派」と自称する原理主義者はまだましなほうで、「私たちは教派ではありません。聖書に書いてあることを、人間の解釈を加えずに、すべて書いてある通り正しく信じる真のキリスト教です」なんていう人もいてびっくりですよ。どうすれば、「人間の解釈を加えずに、すべて書いてある通り正しく信じる」ことができるんでしょうか。神様じゃあるまいし。マインドコントロールされていたのでしょう。私は説得を試みたのですが駄目でした。言葉遣いはていねいですが、「あなたには信仰がないからそんなことが言えるのです!」と怒られただけでした。あなたには信仰がないと言われても、そんな「信仰」、あるわけないでしょう。ふつう、そういうものを信仰とは言いません。マインドコントロールと言うのです。今、どこでどうしているのでしょうか。どこかで気づいて、目を覚ましているといいのですが。

伝統的なプロテスタント教会とよく似た名前を名乗るカルトもいましたから、ちょっと名前を聞いただけでは判断できません。「類似品にご注意」です。そして、たいてい、類似品には問題があります。人の話を聞かず、自分たちだけが正しいと信じ、勝手な「真理」の殻の中にこもっている人たちです。私は、彼らを憎んでいるのではなくて、目を覚ましてほしいのです。

大学図書館の書庫で読んでいた本の中に、カトリックの第二バチカン公会議について紹介したものがありました。心をひかれたのですが、その本には簡単な説明しかなくて、もっと知りたくて、カトリック信者の同級生(女子学生)に聞きました。
「第二バチカン公会議でどういうことが決まったのか知りたいんで、教えてほしいんだけど」
「伊藤君、そんなこと私に聞くより神父様から聞いたほうがいいよ。紹介するよ」
ということになり、中部地方の某カトリック教会に話を聞きに行きました。失礼があってはいけないと思い、入学式の時に着たスーツを着て行きました。カトリック教会なんて行ったことがなかったし、なにか荘厳なイメージがあって緊張しました。
神父様と呼ばれる人に会ったのは、そのときが最初でした。私は緊張して行ったのに、気さくな感じの人で、いっぺんに緊張が解けました。

いろんな話をしました。自分のこれまでの経験も、聖書を読んで思ったことも。
「話が難しくてついて行けないから、私、先に帰ります」と、紹介してくれた女の子が行ってしまって、私と神父さんで話をしました。

話しながら、これは本物のキリスト教だと思いました。仙台で福音派の牧師さんと話をしたときも、本物のキリスト教だと思ったのですが、立場は違っても、これは本物だと思ったのです。

人の話を聞く、知識が豊富で視野が広い、一方的なことを言わない、一方的に人を責めない、非科学的なことを言わない、他教派や他宗教を悪く言わない・・・・、つまり、ひとつひとつが、原理主義者らと方向が逆なのです。

神父さんは、第二バチカン公会議以降のカトリック教会の刷新について説明してくださったあとで、「今も教会は改革の途上です」とおっしゃいました。
16世紀の宗教改革をカトリックはどう考えるのか聞いたら、「プロテスタント教会は歴史的事情で分かれた兄弟です。その歴史的事情は、カトリック側に重大な責任があります」とおっしゃいました。カトリックの責任を語り、プロテスタントのことを少しも悪く言いませんでした。

カトリックに聞きたかったことを一通りお聞きして帰ろうとしたとき、神父さんは、「よろしければ、読んでみてください」と、一冊になった『第二バチカン公会議公文書全集』(南山大学監修)を私に渡しました。
そして「また寄ってください。そのときは楽な服装で」と、にっこりしながら言いました。そう、私は入学式の時に着たスーツ姿でした。


大学1年が終わろうとしていた1985年の1月、事故で同級生を多数失いました。授業で移動中の事故で、同期の学生22名と教員1名、バス会社の2名が亡くなりました。生存者21名のうち重軽症8人という大事故でした。
亡くなった1人、Iさんとは、年末年始の休みの前に学生会館のスロープで話をしていました。「伊藤君、今度の発表お願いね」と言われて、「うん、わかった」と答えたのが最後の会話でした。

しばらく呆然としていました。
亡くなった人たちのことを思いながら、死について考えました。
ずっと、考えていました。

あの神父さんが追悼ミサをしてくださいました。ああ、カトリックって、死者のために祈るんだって思いました。もちろん、料金など一切取りません。

死者のために祈るカトリック教会に魅力を感じました。

一般にプロテスタントは、死者のための祈りをしません。これについていろいろ言う人もおりますが、リベラルな教会でも、死者の魂が天国に行くよう祈ったり死者に語りかけたりはしないようです。(すべてのプロテスタントについて知っているわけではないので、例外もあるかもしれませんが)

死者のために祈るのは人間の自然な感情であり、一般のプロテスタントは無理をしているように思えました。プロテスタント教会だって、葬儀もします。亡くなった人を記念する礼拝もします。そのときの祈りの言葉が微妙なのです。亡くなった人のために祈っているように聞こえなくもないけれど、教義に反しないよう、ぎりぎりのところで祈っているような感じなのです。

死者のための祈りの廃止は歴史的事情です。中世のカトリック教会が、これを悪用し、生きているうちにお金を払わせたのです。祈ってもらえずに死後に苦しんだら大変だから、生きているうちにお金を払っておいて死んでから祈ってもらったのです。その延長線上に免罪符(正式には贖宥状)の売買があるんです。免罪符を非難したプロテスタントは、煉獄を否定し、死者のための祈りもやめました。

免罪符の販売など、とんでもないことで、実にけしからんことですが、死者のための祈りまで廃止したのはどうなんだろう、という気がします。

「死者のために祈るな」とイエスが命じたわけではありません。聖書を忠実に読めば死者のための祈りは否定されると言う人もいますが、そんなの、読みようです。だいたい、どこまでが聖書の範囲なのか、という話になります。イエスや弟子たちの時代に広く使われ、新約聖書の著者たちも引用している「七十人訳」には、旧約聖書続編も含まれています。旧約聖書は39巻とするなんて、聖書のどこにも書いてありません。続編の「第二マカバイ記」には死者のために祈る場面もあり、イエスも弟子たちも新約の著者たちも、これを否定していません。

19歳で出会ったブルトマンの著作は難解なのですが、『新約聖書と神話論』に示された非神話化論が、今も心をひきます。
ある種の教派の人からは叱られそうですが、非神話化論以外にキリスト教が未来に進む道が他にあるんだろうかとさえ思えます。19世紀の自由主義神学は神話からの脱却をめざしましたが、ブルトマンは逆に神話に価値を見出すことで自由主義神学を超えたと言えます。
そのような考えの私でも、死者のための祈りは、否定できずにいるのです。

キリスト教の信仰を持たずに亡くなった人はどうなるのかについても、「すべて地獄に行く」と断定する人もいるのですが、カトリックは、非キリスト教徒の死者のためにも祈ります。ある種のクリスチャンたちからは「無駄だ」と言われそうですが・・・・。

あの事故のころ、私は、神父さんからお借りした『第二バチカン公会議公文書全集』を読んでいました。
教会憲章に、キリスト教の信仰を持たない人の救いについて、こうありました。

「神はすべての人に生命と恵みといっさいのものをお与えになり、また救い主はすべての人が救われることを望みたもうのであるから、影と像のうちに知られざる神を探し求めている他の人々からも、神は決して遠くない。事実、本人の側に落ち度がないままに、キリストの福音ならびにその教会を知らずにいて、なおかつ誠実な心をもって神を探し求め、また良心の命令を通して認められる神の意志を、恩恵の働きのもとに、行動をもって実践しようと努めている人々は、永遠の救いに達することができる。」(教会憲章16番)(あのときの本からの引用ではないので、訳文が違っていたらすみません)
他に、現代世界憲章などにも非キリスト者の救いについて出てきます。

公文書全集を神父さんに返しに行ったら、「関心があるのでしたら、その本、差し上げますよ」と言われ、さらに、「これも差し上げますから、よかったら読んでみてください」と、カール・ラーナー(カトリックの神学者)の著作集を渡されました。
プロテスタントの福音派の牧師さんから学び、その後、日本基督教団のリベラルな教会で学んでいた私ですが、カトリックの神学書は初めてで、新鮮でした。

現代カトリックの寛容さを思いました。内村鑑三の著書に出てくる寛容さと似ている、と思いました。
あの仙台の福音派の牧師さんも、他者に寛容でした。
そうした人たちの寛容さは、いいかげんさとは違います。信仰の信念を持っているのです。でも、他の教派、他の考えの人を責めたりしないのです。

キリスト教にはたくさんの教派があるようで、実は、「寛容派」と「不寛容派」の2派しかないのではないかと思えてきました。

中部地方の日本基督教団のある牧師は、私が他の教会に出入りしていることに不快感を示していましたが、別に私は、ふらふらと、あちらこちらの教派を渡り歩いていたのではありません。聖書は何を教えているのか、イエスは何を人々に伝えようとしたのか、本当のことを知りたかったのです。道を求めていたのです。日本基督教団の主張にすべて納得しているなら、他の教派の話を聞きに行ったりしませんよ。
牧師から、ぶらぶらしてないで一つの教会に決めた方がいいみたいなことを言われて、私もちょっとカチンときたものだから、言われたことには答えずに「日本基督教団はどうして年中もめているんですか?」って逆に聞きました。牧師はむっとした顔をしながら、「たとえば方位磁石の針を揺れないように固定したら、方位磁石として使えますか。磁石の針は揺れながら北を指すのです。そのように私たちの教会は、内部で揺れながらも、イエス様の方向を指しているのです」と言ったのです。ブレのない原理主義者たちと違い、揺れながら北を指すというのは、まあ、そうかもしれませんが。

当時の私は、「日本基督教団はキリスト教の教えを人々に伝える気があるんだろうか」「伝道する気があるんだろうか」と思ってました。ただ前からいる信者たちで集まって仲良くしたり、逆に対立したりを繰り返しているだけじゃないかと思えたのです。
カトリック教会を見ていても、「前からいる信者たちで集まって仲良くしたり、逆に対立したりを繰り返しているだけ」に見えるときもありました。
土地柄もあるのかもしれません。都市の中心部と違い、人の移動があまりない場所の「伝統ある教会」は、先代、先々代からの信者で固まってしまうのかもしれません。
日本基督教団の教会をいくつか訪ねましたが、あまりいい思い出はありません。牧師も信者もかなり勉強はしているのでしょうが、変にプライドの高い人もいました。礼拝説教は宗教というより学問的な解説のようでした。それはそれで、聖書を学問的に学ぶきっかけにはなりましたけれど。
何より、リベラルな教会の本棚に置いてあるキリスト教や聖書に関する本の数々はとても参考になりました。牧師の話より、こっちのほうがよっぽど参考になりました。

カール・バルトが好きな人がいて、勧められて少し読んでみたんですが、やはり私はバルトより、ブルトマンやコンツェルマンやその後の研究者らの方向にひかれます。日本の聖書研究者の中では、田川建三が特に好きです。

原理主義者たちからは嫌なことを言われ、福音派とカトリックからは親切にしていただきました。リベラル派からはあまりいい目にあっていません。私の考えは、リベラル派に一番近いと思うのですが・・・・。

結果的に、主なキリスト教の教派に接しました。

原理主義(あるいはカルト)に始まり、福音派、聖霊派、主流派(リベラル派)、そしてカトリック、最近になって無教会。(福音ルーテル教会を見学させていただいたこともあります。海外では、ギリシア正教やコプト教会も。聖公会とロシア正教に行ったことがないのは、避けているのではなくて、たまたまご縁がなかったのです。)

あとはまた、気が向いたら書きます。

こうした体験があって、それで、と言うか、それでも、「そんなイエスについていこうと思った」のです。

http://yamazato.ic-blog.jp/home/2017/04/post-9c77.html

(伊藤一滴)

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