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「我が民族第一」の果て

かつて、ある国に次のような政党がありました。


名前は革新政党のようでありながら、反共の党だった。

我が民族第一で、排外主義的だった。

不安や不満を抱えた国民が飛びつくような政策を述べた。話術は巧みで、演説がうまかった。話の全部が嘘ではないにしても、盛った話や歪めた話も多かった。

健康や環境を重視する主張をした。中に陰謀論のような話も混じっていた。

民族主義や愛国心を強調して大衆を鼓舞した。

支持者には連帯感があって、熱狂的な支持を得た。

この党は、民主的な憲法下の選挙で急速に党勢を拡大し、やがて政権を掌握した。

だが、彼らのやり方は持続可能ではなかったし、掲げたその「理想」は民族エゴでしかなかった。


日本の某政党じゃないですよ。

かつてのナチスドイツの話です。

ナチス党は、正式には「国民社会主義ドイツ労働者党」という名で、革新政党を思わせる名前です。(「国家社会主義ドイツ労働者党」「民族社会主義ドイツ労働者党」といった訳もあります)

第一次大戦と世界恐慌で疲弊したドイツで、ナチスは大衆を味方にして急速に党勢を拡大し、やがて政権を掌握しました。

物価は上がる、生活は苦しい、未来に希望が持てない、これまでの政治家は信用できない、そんな中で、排外主義・全体主義・専制政治が台頭していったのです。我が民族第一のような主張をする人が、国民の目からかっこよく見えたのでしょう。期待できると感じられたのでしょう。
ヒトラーのナチス党は国民から選挙で選ばれました。これはおかしいと気づいても、もう戻れなくなっていました。おかしいと思って声を上げようとしたときには、言論統制が進んでいたという歴史を思い起こしてください。

そして、ドイツはどうなっていったのか。歴史が示すとおりです。

ナチスがやったのは、おびただしい殺戮と破壊でした。

(我が民族を第一とする指導者の下で国民が幸せになったという話は聞いたことがありません。)

(伊藤一滴)

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