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私とキリスト教(改訂版) 福音派・リベラル・無教会・カトリック・ファンダメンタル

 

(以前、同じ題名で書きましたが、読みにくいので、もう少し読みやすく書き直します。ただし、最初に書いたものに余談もあり、けっこう当たっているので、元の文も残しておきます。http://yamazato.ic-blog.jp/home/2014/08/post-ba73.html

私は1960年代の半ばに山形県の田舎町で生まれました。都会風のものや外国風のものとは縁遠い田舎でした。最初に福音に出会ったのは、教会を通してではなく、福音書そのものからでした。小学校3年のときにキリスト教団体の方から新約聖書をいただいて、読み始めたのが最初でした。子ども向けに易しく書きなおした聖書ではなく、教会の礼拝で使うような大人の聖書でした。漢字には全部カナがふってあるので、当時どれくらい理解できたかはともかく、読むには読めました。まず福音書から読みました。「姦淫」なんて言葉をどんなふうに理解したのかと思うんですけれど、まあ、小学校3年なりに何か悪いことだと思って読んだのでしょう。

実は、キリスト教系の高校に行きたかったのですが、親の許しを得られなくて、一般の高校に進みました。「特定の宗教に偏った学校なんか駄目だ」というわけです。進学した高校の「倫理・社会」の授業で、イエス、パウロ、アウグスティヌスといった人物が出てきて、興味深く授業を聞きました。日本の思想家の中で、特に印象に残ったのが内村鑑三でした。

家から行ける距離にある「キリスト教会」に行って話を聞いたりもしたのですが、どうも話が噛み合いませんでした。今思えば、それは、キリスト教原理主義(根本主義、ファンダメンタル)に近い人たちの「教会」だったようです。どういうふうに話が噛み合わないのかというと、まず、彼らは学問としてのキリスト教を否定します。キリスト教は信じるものであり学問的な研究の対象ではない、というふうに。キリスト教を学問的に研究する大学なんて駄目なんだ、というわけです。そして、他の宗教や他のキリスト教の教派を口汚く罵ります。そりゃあもう、すごい、機関銃のような罵詈雑言でした。自分たち以外の、ありとあらゆるものを非難するんですが、たとえば、自分たちに仏教の知識がないのに仏教を非難するのです。高校生だった私でも、彼らが知識もないのに非難しているのが判りました。じゃあ仏教のどこがどう駄目なのかと聞くと答えられないのです。「聖書の教えではないから間違いです。仏像や仏壇を拝むから偶像崇拝です」みたいな感じ。あまりにも知らない。相手に対する知識もないのに非難する態度に面喰らいました。当時、私には、キリスト教の教派の知識なんてほとんどなかったんですが、私が遠藤周作の本を読んで思ったことをちょっと言ったら、否定、否定、否定で、まあ、凄い(※)。どうも彼らの頭の中は、自分たち以外はすべて誤謬で(※※)、「カトリック=サタン」、「日本基督教団=自由主義に毒された異端」、みたいでした(※※※)。

※ちなみに、遠藤周作著「イエスの生涯」と「キリストの誕生」など。正確さはともかく、読んでおもしろい。

※※当時はインターネットなんてありませんでしたが、今、ネット上にはデマや誹謗中傷の書き込みも多く、何か調べようとして検索するといやな書き込みが飛び込んできます。「相手に対する知識もないのに非難する」「自分たち以外はすべて誤謬」みたいな書き込みを見ると、私はこの時のことを思い出します。

※※※「日本基督教団」という名前の団体のことは何も知りませんでした。彼らがやたら言うんでその名を覚えてしまいました。なんだか、彼らの話だと異端的な悪の組織みたいでした。大学に進学してから日本基督教団の人たちと会いましたが、ほとんどはちゃんとした人です。まあ、内紛の多い団体のようですが・・・・。

今もそうですが、1980年前後も、中東では紛争が続き、キリスト教徒によるイスラム教徒殺害やその逆も起きていました。また、日本では、政治家の靖国神社参拝の是非なども問われていました。私は、その教会の「牧師」にそうした問題について聞いてみたんです。そしたら、「クリスチャンは神の国と神の義を第一に求めるべきで、地上の問題や政治についてどうこう言うべきではありません」という答え。あまりにも社会や政治に無関心というか、ますます話が噛み合いません。

今の私には、彼らに対する怒りや憎しみの感情はありません。でも当時でもあきれたし、まあ、当時は私も若かくて、けっこう腹も立ちました。あのころ、他の教会を知らなかったから、他と比べてどうこうは言えませんでしたが・・・・。もし、彼らが今も考えを変えていないのなら、気づいてほしい、目を覚ましてほしいという思いです。

高校卒業後、仙台の予備校に行きました。1983年でした。主に本から得た知識でしたが、キリスト教に強い魅力を感じ、もっともっと知りたいと思いました。当時、本気で神学科かキリスト教学科に行きたいと思いました。でも、これも親の許しが得られなくて、社会福祉学部を志望しました。私の親は、宗教嫌いだし、職業に結びつかない学問は無駄だと考える人たちでした。社会福祉学部なら職業につながるので親を説得できそうだし、それに社会福祉ならキリスト教との関係が深いだろうという思いもありました。

仙台市内の予備校の寮に住んでいました。食事付きでしたから、受験勉強と自分の衣類の洗濯くらいやれば、あとはやることがありません。受験勉強の合間に、聖書そのものと、聖書やキリスト教に関する本を読みました。

寮の近くにある教会に行って話を聞きました。キリスト教の教派についての知識もあまりありませんでしたから、その教派を選んで行ったのではなく、たまたま通学路沿いにあったので寄ってみたのでした。そこは、今思えば福音派の教会でした。以前訪れた、極端なことを言う教会と違い、穏健な教会でした。牧師さんは高齢の方で、優しい人でした。牧師さんのご都合がよければちょっと寄り、お話を伺いました。牧師さんはいろいろ教えてくださいました。戦争中のキリスト教弾圧の話もしてくださり、話しながら泣き出してしまわれたこともあって、どう声をかければいいのか困りました。第二次大戦中、野外での伝道集会のときに参加者の前に新聞紙を広げ、「どうぞお座りください」と言ったら、その新聞にたまたま天皇(昭和天皇)に関する記事があって、「天皇陛下の記事に座れと言うのか」と言われ、通報され、警察に連行された話などを聞きました。牧師だけでなく信徒会長らも連行され、教会が家宅捜索を受けてめちゃくちゃにされた話などを聞きました。そんなことで警察ざたになる時代だったのです。よほどつらい思いをなさったのでしょう。

あの頃、たくさん本を読みました。むさぼるように読みました。聖書は、旧約、新約、全部読みました。聖公会訳の旧約続編(アポクリファ)も読みました。文語体でした。当時はまだ新共同訳が出る前でした。内村鑑三の本もいろいろ読みました。遠藤周作や三浦綾子の小説も、代表的なものは読みました。まったく私は本の虫でした。さまざまな分野の本を乱読しましたが、キリスト教系の本は特に好きでした。

あの頃、背伸びして、高度な内容の本も読みました。たとえばブルトマン、八木誠一、田川建三、荒井献などです。近代的な聖書学、聖書批評学とか高等批評とか言われる分野の本を読みました。当時の私の理解は限られていましたが、「これほど膨大な論考を簡単に否定することなどできない」と思いました。私は批評学の方が正しいように思えてきて、福音派とは距離を感じるようになりました。ただ、福音派の教会でいろいろ教えていただき、親切にしていただきましたから、穏健な福音派の方々に対して悪い感情はありません。あの老牧師は、家族でも親戚でもない私のために、真剣に祈ってくださいました。そういうことを他人にしてもらったのは初めてで、今も思い出します。感謝しています。

でも中には、最初に行った「教会」のように穏健でない人たちもいます。排他的で攻撃的なキリスト教原理主義っぽい人たちと話をするのは難しいです。純粋に聖書のみを信じているかのようでありますが、聖書の文字面から導き出したイデオロギーのマインドコントロール下にあるカルトのような感じさえします。

1984年、愛知県にある社会福祉系の大学に進みました。福祉の勉強ならキリスト教と関係が深いだろうと想像していたのですが、実際はマルクス主義思想との関係が深く、ちょっとがっかりしました。でも、それはそれでいい勉強になりました。ああいう場にいなければ、マルクス主義を学ぶチャンスはなかったろうと思います。せっかくだから、さらに進んで「資本論」のゼミを選べばよかったと、ちょっと後悔しています。「資本論」の独習はかなり大変です。私は、膨大な「資本論」全3巻のうち、第1巻を最後まで読んで挫折してしまいました。それだけでも、旧約聖書を全部読むよりエネルギーを使いました。「資本論」のゼミ生になって専門的に学べば全巻読み通せたろうと思い、ちょっと残念なのです。「「資本論」のゼミは左翼の集団だからやめた方がいいよ」と先輩から忠告され、マックス・ヴェーバーのゼミに進みました。ヴェーバーの主張には様々な批判もありますが、是非はともかく、おもしろかったです。また、大塚久雄の著書などをじっくり読む機会を得ました。

キリスト教原理主義っぽい人たちは、情報が限られた田舎だからいるのかと思ったら、そうではなくて、大学の学内にも名古屋市にもいました。大学には全国から人が集まって来ていましたから、だぶん、全国的にそういう人がいるのでしょう。全体の中ではそう多くないと思いますが、熱烈な活動をするので目立ち、たくさんいるように見えるのだろうと思います。「キリスト教~」とか「福音~」と名のつく穏健な団体が彼らと同一視されて迷惑することも多いことでしょう。排他的で攻撃的なキリスト教原理主義っぽい人が、内村鑑三の言葉を引用しながら「伝道」するのには腹が立ちました。「内村先生は原理主義者じゃないぞ!」って言ってやりたくなりました。内村鑑三著『代表的日本人』に出てくる日本人にクリスチャンは1人もいません。キリスト教以外の人でも、立派な人を立派と認めるのが内村鑑三です。内村鑑三は、今で言うエキュメニストでした。原理主義は、エキュメニズムとベクトルの方向が正反対です。エキュメニズムに背を向け、自分たちのイデオロギーの砦にこもり、客観的に考えれば事実と思えること(たとえば聖書の中に歴史的事実と食い違うことが書かれていること)を認めてはいけない「信仰」は、どう考えてもおかしいです。福音の喜びでつながっていくというより、聖書を文字通りに信じないと死後に地獄に落ちるという恐怖心にとらわれ、それで仲間から抜けられなくなっているように見えます。そのような「信仰」は、やはり、カルトの一種でしょう。

キリスト教の教派について調べたかったのですが、今と違ってインターネットなんてなかったし、調べようがありませんでした。クリスチャンの学生もいましたが、そういう人の多くは自分の所属教派のことしか知りません。たとえ他を知っていても、中立ではないです(※)。大学の図書館に行っても諸教派についての適当な本がありません。「キリスト教大事典」で、たとえば「福音派」を調べようとしても見出し語にないし、「福音主義」は載っていましたが、それは聖書中心主義(プロテスタント主義)という意味の古典的用法で、今の日本で言う「福音派」の意味ではないし、調べようがなかったのです。「キリスト教年鑑」だって、それぞれの教会が主張(あるいは自称)していることが書いてあるだけで、第三者が客観的に書いたものではありません。

※今なら、八木谷涼子著「なんでもわかるキリスト教大事典」なんて本もあります。この本、おすすめです。名前は大事典ですが文庫本です。

当時の私は、授業に出るより図書館にこもって本を読むのが好きな学生でした。キリスト教関係では、キリスト教思想、キリスト教史、カトリックの第二バチカン公会議の見解、その他、かたっぱしから読みふけっていました。図書館に内村鑑三全集もあったので、興味のある箇所をどんどん読みました。文語体のものや読みにくい文章はちょっと手こずりましたが、なんとか読んでいきました。他に、塚本虎二訳の福音書とか、関根正雄訳の旧約聖書とか、黒崎幸吉の注解書とか、読みました。無教会主義の見解は本から知るだけで、無教会の信者とは出会う機会がありませんでした。今のようにインターネットで検索できる時代ではなく、調べる手段も限られていて、めぐり会うチャンスがありませんでした。それに、最初に行った教会でのつまずきのこともあり、キリスト教系団体への接触は慎重になっていました。

いろいろな本を読みふける中で、1960年代のカトリックの第二バチカン公会議で示された寛容精神と、内村鑑三が明治時代から述べていた寛容精神は、相通じるものがあるのではないか、と思えてきました。第二バチカン公会議の見解も、とても画期的に思えました。一般のプロテスタント以上に寛容で対話を重視する姿勢を感じ、ぜひ、カトリック教会の話も聞いてみたいと思いました。たまたま知人にカトリック信者の学生がいたので、頼んでカトリック教会に連れて行ってもらいました。プロテスタント教会とはかなり雰囲気の違う教会でした。神父さんは私の質問に一つひとつていねいに答えてくださり、それから私は時々、カトリック教会にも行くようになりました。

聖書の教えを読んではいても、こっちは生身の人間ですから、迷いもするし失敗もします。悩みもします。多くの方に迷惑もかけてきました。申し訳なく思います。大学生のとき、私はある問題で大変悩みました。そんなとき救ってくれたのがカトリック教会でした。ほんとうに苦しいときに助けてもらったというのはありがたくて、今も感謝しています。

福祉を学びましたが、結局福祉の道には進みませんでした。いろいろあって建築業者になりました。社会福祉学部にいたときの後輩の女性と結婚し、10年ほど前に山間部の古民家を購入して移り住み、農業もやるようになりました。

山里の暮らしは、収入は低いですが自然環境は豊かです。今は、大自然の恵みの偉大さを感じる日々です。妻はキリスト教の家庭で育った人で、冗談交じりに私のことを「神学崩れ」なんて言うんですけれど、私は小規模の建築業と農業の日々に何の後悔もありません。たしかに、神学や聖書学に関心を持ちながら正規に学ぶことなく、牧師や司祭になることもなく、多く語ることもなく生きてきました。それが私に与えられた道だったのでしょう。

天国に教派などないでしょうから、特定の教派の教会というのは、この地上での所属だと思います。精神的には無教会主義に近いものが、今も私の中にあります。もし、若い時に無教会のグループやプロテスタントのリベラル派(主流派)に導かれていたら、入信していたかもしれません。今の私は、今から無教会やリベラル派に加わるつもりはありません。カトリック教会の伝統や祈りにも、よいものがたくさんあるのを知りましたし、世界には、仏教をはじめ、キリスト教の枠に収まらない良いものがたくさんあるのを知りました。サクラメント(秘跡、聖礼典)を持つ教会の見解を否定したりはしませんが、実際のところ、サクラメントを持たない教派もあり、それでも信仰は成り立っています。

プロテスタントの教会にはリベラル派(主流派)もあれば福音派もあり、リベラルな中にも教会派あり、社会派あり、福音派の中にも穏健な人たちとかなり保守的な人たちがいるようです。私は、キリスト教というものは幅のあるものだと思っていますから、明らかに福音に示された義に反する考えや極端な原理主義でない限り、特定の教派を非難したり排除したりするつもりはありません。

自分自身の福音の理解としては、聖書批評学と言われる様式史的研究やその後の編集史的研究の方向、近代聖書学の方向を否定することはできないと考えています。ディベリウス、ブルトマン、そしてコンツェルマンらの流れです。私自身は専門的な教育を受けたわけではありませんが、総合的に考えれば近代聖書学の方向です。もちろん、カール・バルトに代表される新正統主義(危機神学、弁証法神学)や、他の見解を排除はしません。聖書批評学のような、そんな玉ねぎの皮むきみたいなことをして、どんどんむいたら最後に何が残るのかと言う人もいるでしょうけれど、私は、イエスが語った言葉どおりではなくても、伝承された言葉の中にイエス自身の思想、イエスが人々に伝えようとしたメッセージは残っていると思っています(※)。

※たとえば、八木誠一著「イエス」参照。

信仰というのは、証明のしようのないことを信じる部分がかなりあると思います。その度合いの大きさはさまざまだと思います。福音派の信者も、リベラル派の信者も、程度の差こそあれ、科学的判断では証明のしようのない神の存在、十字架の贖い、といったことを信じているわけで、信じるという信仰自体はあまり変わらないのかもしれないと思うようになりました。だから「リベラル派は科学的で正しく、福音派は非科学的で間違いだ」といったレッテルを貼りたくないのです。私自身は実証性を重んじるほうですが、私が思っていることの中にも、証明のしようのないこともたくさんあります。アプリオリな認識は、実証実験が不可能だからといって誤りだということにはなりません。

私の理解が不十分ならお許しください。内村鑑三が今も語られ、著書も売れ続けるのは、今日でも通用する見解だからだと思います。明治時代の言葉の中に、まるで第二次大戦後の世界を知っていたかのようなエキュメニズムの視点を感じるのです。彼は、時代の先駆者だったと言えます。戦前の日本のキリスト教思想家には岩下壮一や吉満義彦といった博識の人もいました。二人とも立派な人ですし、その博識は内村鑑三以上かもしれません。でも、今では二人とも「忘れられた思想家」になっています。それは、現代のエキュメニズムとの整合がうまくいかないからではないかと思うのです。

ご迷惑をかけるといけないので詳しくは書きませんが、最近になって無教会の方々と接する機会を得ました。思っていた通りの方々でした。かつて、キリスト教のある種の人たちに対して私が感じた不寛容、排他性、独善性、攻撃性といったものをまったく感じない人たちでした。この人たちは相手を激しく攻撃したりはせずに、異なる立場の主張にも耳を傾けながら、神の義に反することには静かに抵抗するのだろうと思いました。

私は若い時から、書物を通して無教会と接してきました。今回初めて、生身の人が目の前にいて、直に話をするという体験をしました。これは私にとって大きな恵みでした。この恵まれた出会いにより、渡部良三著『歌集 小さな抵抗』(シャローム図書、のち岩波現代文庫)という本を知りました。著者は学徒兵として徴兵され、陸軍の二等兵となり、中国に派遣された人です。初年兵の訓練の一環で、縛られた中国人の捕虜を銃剣で突き刺すよう命じられ(刺突訓練という殺人の練習)、この命令を拒否して、すさまじいリンチを受け、それでも生きて帰った人です。題名は「小さな抵抗」ですが、虐殺拒否という不服従は大きな抵抗だったと思います。大声で叫びながら抵抗したのではありません。人間の存在そのものを踏みにじる日本の戦時体制に、静かに抵抗したのです。

出会い(読書も含めて)と思索の積み重ねで、今の自分があります。「あなたは何者か」と問われたときに、今の自分に至る軌跡はこうだと簡潔に語りたくて、まあ、あまり簡潔ではないですが、キリスト教との関わりを中心にこのような文章を書いてみました。特にキリスト信者の方々には、私の自己紹介でもあります。そしてまた、これは私自身の「証し」です。

(伊藤一滴)

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