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レイチェル・ヘルド・エヴァンズ著『聖書的な女性らしさの一年』を読む

保守派のキリスト教の環境の中で育ったレイチェル・ヘルド・エヴァンズ氏は、子ども時代、何の疑問も持たずに教えられたことを忠実に信じていました。聡明な彼女は、やがて幅広く学び、またインターネットを使って異文化の人たちと交流し、原理主義的な信仰のあり方に疑問を感じるようになってゆきました。
そして彼女は、ブログや著書で、自分の思いを発信するようになりました。

最初の著書は『モンキータウンでの進化』(のちに『解明された信仰』と改題して再刊)で、自分はモンキータウン(原理主義者の町デイトンのこと)で暮らす中で信仰を進化させたとして、自伝的に自分の信仰の進化について述べました。福音派の中の超保守派や原理主義の「信仰」にとどまっている人たち(進化しない人たち、進化論を認めない人たち)への挑戦状とも言えます。

彼女の2冊目の著書が『聖書的な女性らしさの一年』(2012)です。
原題は A Year of Biblical Womanhood: How a Liberated Woman Found Herself Sitting on Her Roof, Covering Her Head, and Calling Her Husband Master で、そのまま訳せば『聖書的な女性らしさの一年:解放された女性が、自分の家の屋根に座り、頭を覆い、夫を旦那様と呼び、自分を見出した方法』でしょうか。
変なサブタイトルですね。

(ちなみに Calling Her Husband Master は、「彼女の夫を旦那様と呼ぶこと」です。「ご主人様と呼ぶ」でもいいですけど、主人に電話をすることではありませんよ。聖書の時代に電話はありません。)

彼女は、出版社と夫(ダン・エヴァンズ氏)の協力を得て、「聖書的な女性」を1年間実践しようとします。やった結果を本にするということで、出版社にも協力してもらったのです。
そのとき彼女はもう、原理主義的な「信仰」から完全に目を覚ましていましたから、「聖書的な女性」に賛成して実践しようとしたのではなく、本当にそんなことができるのか実験しようとしたのでした。

残念ながらこの本も日本語訳がありません。英語の原著を買って読み始めたばかりですが、実に興味深い本です。

私も思いますが、聖書には、これまでずっと女性を抑えつけてきた差別的な記述がいっぱい出てきます。
もっとも聖書の世界だけでなく、最近まで、世界中にさまざまな女性差別があったし、残念ながら今もあります。世に、広く、さまざまな差別があったから、聖書の中の差別もさほど目立たなかったのだろうと思います。

現代世界が差別のない世の中を目ざす中で、聖書に見られる差別が目立つようになった、とも言えます。

翻訳の問題ではありません。
たとえば NRSV は、RSV 等と比べれば、差別的な表現を避けようとした翻訳の努力を感じますが、いくら翻訳を努力したって聖書そのものに差別的な記述があるので、やはり差別は目立ちます。


さて、「聖書的な女性」を実践しようとしたエヴァンズ氏は、聖書から、「聖書的な女性」はこうあるべきだというモーセの十戒のような戒めを作りました。戒めに反したときは自分に罰金を科して、ガラスのびんにお金を入れるようにしました。
それらの戒めはすべて「聖書的根拠」があります。

日本語に訳して引用します。

一. あなたはすべての事において夫の意志に従うこと。 (創世記3:16、テトス2:5、1ペテロ3:1、エペソ5:22、1コリント11:3、コロサイ3:18)

二. あなたは家庭の義務に身を捧げること。 (箴言14:1、31:10–31、1テモテ5:14、テトス2:4–5)

三. あなたは母親になること。 (創世記1:28、詩篇128:3、1テモテ5:14)

四. あなたは穏やかで静かな精神をはぐぐむこと。 (1ペテロ3:3–4、テトス2:3–5、1テモテ3:11)

五. あなたは控えめな服装をすること。 (創世記24:65、申命記22:5、1テモテ2:8–10、1ペテロ3:3)

六. あなたは祈りの時、自分の頭を覆うこと。 (1コリント11:3–16)

七. あなたは髪を切らないこと。 (1コリント11:15)

八. あなたは教会で教えないこと。 (1コリント14:33–35、1テモテ2:12)

九. あなたは噂話をしないこと。 (民数記12:1–10、 箴言26:20、1テモテ5:13–14)

十. あなたは男性に対して権威を持たないこと。 (1テモテ2:12)

(戒めの原文は荘厳な文語調の英語ですが、読みやすさを考えて日本語の口語体に訳しました。「~しなければならない」「~することはできない」とも訳せます。)

よくまあ過去2千年の長きにわたり、クリスチャン女性は我慢してきたものです。
でも、これらの戒めと、現代の「正統プロテスタント」の主張との整合性はどうなるんでしょう。
自称「福音派」にも女性の牧師がいますが、「あなたは教会で教えないこと」との整合性はどうなんでしょう。
聖書を文字通り信じる女性は祈りの時に頭を覆っていますか? 美容院で髪を切らないんですか? 男性の後輩や部下には指導しないんですか?
これらはパウロが生きた時代の教会の話であって、今の教会には当てはまらないと言うのでしょうか。
でもねえ、聖書が書かれた時代と今とは違うからこれは当てはまらないなんて言い出したら、何でもありですよ。
「あなたの敵を愛し、迫害する者のために祈りなさい」というのはイエスが生きた時代の話であって、現代には当てはまらないから「あなたの敵をぶっ殺せ」とも何とでも言えますよ。

やはり原理主義の「信仰」には無理があります。

そして、「聖書には差別的な記述が多数あること」や「聖書には現代には通用しない記述や矛盾する記述が多数あること」を認めないと、キリスト教は未来に進めなくなりそうです。

まだ最初の方しか読んでいませんが、はやく先を読みたいです。

(伊藤一滴)


ご参考まで、『聖書的な女性らしさの一年』に書いてある戒めの原文です。

1. Thou shalt submit to thy husband’s will in all things. (Genesis 3:16; Titus 2:5; 1 Peter 3:1; Ephesians 5:22; 1 Corinthians 11:3; Colossians 3:18)

2. Thou shalt devote thyself to the duties of the home. (Proverbs 14:1; 31:10–31; 1 Timothy 5:14; Titus 2:4–5)

3. Thou shalt mother. (Genesis 1:28; Psalm 128:3; 1 Timothy 5:14)

4. Thou shalt nurture a gentle and quiet spirit. (1 Peter 3:3– 4; Titus 2:3–5; 1 Timothy 3:11)

5. Thou shalt dress modestly. (Genesis 24:65; Deuteronomy 22:5; 1 Timothy 2:8–10; 1 Peter 3:3)

6. Thou shalt cover thy head when in prayer. (1 Corinthians 11:3–16)

7. Thou shalt not cut thy hair. (1 Corinthians 11:15)

8. Thou shalt not teach in church. (1 Corinthians 14:33–35; 1 Timothy 2:12) 9. Thou shalt not gossip. (Numbers 12:1–10;Proverbs 26:20; 1 Timothy 5:13–14)

10. Thou shalt not have authority over a man. (1 Timothy 2:12)

(Evans, Rachel Held. A Year of Biblical Womanhood)

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