登戸で起きた殺傷事件について思うこと
若い頃、私は、川崎市の登戸やその周辺に何度か行きました。
新宿駅から小田急線に乗って行きました。
当時はまだ自動改札が普及しておらず、駅員さんがすごいスピードでカチカチカチカチ切符を切って、大勢の人を通していました。
田舎育ちの私は、切符を切るみごとな手さばきを感心して見ていました。
登戸やその周辺は私の思い出の場所です。
5月28日(火)の朝、その登戸駅の近くで殺傷事件が起きました。
スクールバスの乗り場付近にいた小学生や保護者ら19人が男に包丁で刺され、2人が死亡。刺した男も包丁で自殺という事件です。
死傷者や、ご家族、関係者らの無念を思います。
すでに多くの報道がなされ、多くのコメントも載っているので、同様のことは繰り返しません。
思ったことを2つ書きます。
その1
被害者の多くはカリタス小学校の児童で、その日、カリタス学園が記者会見に臨みました。
テレビで会見を見ていた次男がいくつか思ったことを言い、その中でこうも言いました。
「キリスト教系の学校なのに、犯人に同情する言葉が出てこないね」
「今はそれどころじゃないのかもしれないし、児童や保護者のみんながクリスチャンじゃないからね。でも、犯人に憎しみをぶつける言葉も出てこなかったよ」と、私は言いました。
あとから私はネットで、この会見のときの言葉を確かめました。
カリタス学園理事長の言葉です。
「本当に、このなんとも言えない蛮行によって、落ち度のない子どもたちと、愛情深く子どもを育んでこられた保護者の方々が、こうした被害に遭ったことを、怒りのやり場もないくらいの気持ちであり、本当に痛恨の極みです」(ママ)
「蛮行」は、犯人に対してというより、その犯行に対する言葉でしょうし、「怒りのやり場もないくらいの気持ちであり」と、怒りを犯人に向けているのではなく、怒りを向けるやり場もないくらいだとおっしゃっているのです。
犯人を許せないとか、憎むとか、そういった言葉が全然出てきません。
やはり、キリスト教主義なのです。カリタス(愛)を主義とする学校なのです。
今のところ犯人についての詳しいことはわかりませんが、もしかすると犯人はひどく孤独であったのかもしれませんし、自暴自棄になっていたのかもしれません。誰か相談できる人はいなかったのでしょうか。私は、犯行を強く憎んでも、犯人個人を憎む気になれないのです。
この事件への、やるせない思いと共に、犯人が、犯行の動機を語ることも、反省と謝罪を表明することも、法の裁きに服することもないままに自死したことを、深く悲しみます。
ネット上で「自殺したいなら勝手に一人で死ねばよい、人を巻き込むな」という意味のことを発信している人もいますが、そうやって人を突き放す態度が人を孤立させ、犯罪に走らせるのではないのですか。
これは対策の立てようがない事件だと言う人もいますが、最大の対策は、人を孤立させない社会を目ざすことではないのですか。
その2
当日に、ネット上に、「犯人は〇〇人」と、犯人は特定の民族であるとする書き込みが見られました。
まだ、警察も詳しい発表をしておらず、メディアも報じていない段階で、なぜ書き込んだ人には犯人の国籍や民族が分かるのでしょうか。
無責任なデマの拡散としか考えられません。
関東大震災の直後に悪質なデマが流れて何の罪もない人たちが多数虐殺されていますが、同様の体質を感じます。
デマを流すのも「言論の自由」なのですか?
デマの規制はできないのでしょうか。
残念なことですが、ネット上には怪しい記事が少なくありません。
私は、まず、信頼できる報道機関の記事を読んだ上で、それから個人の書き込みを読むようにしています。
(一滴)
追記:5月30日、グーグルを使い「登戸 犯人」で検索したら上位にこれが出ました。
https://www.buzzfeed.com/jp/kotahatachi/kawasaki-trend-blog
追記2
NHKのニュース・ウェブで見つけました。
「川崎殺傷事件 憤りの中で広まるつぶやき」だそうです。
https://www3.nhk.or.jp/news/html/20190529/k10011934041000.html?utm_int=news_contents_netnewsup_001
追記3
私が子どもの頃、「豊川信用金庫事件」というのがありました。軽い冗談から始まったデマの拡散ですが、たとえ悪意がなくとも、デマが広がると大変な事態を引き起こしてしまう例です。
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