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川崎市登戸の事件 犯人のためにも祈る

被害者のために祈る人は多くても、おそらく、犯人のために祈る人はあまりいないのではないかと思います。

犯人のためにも祈ると言うと、「犯罪に味方するのか、凶悪犯に同情するのか、被害者と加害者を一緒にするな!」と非難されそうですが、それでも私は、犯人も含めて、この事件で亡くなった人、傷ついた人、ご家族や関係者のすべてのために祈ります。

人は、自分の生まれを選べません。
問題のある家庭に生まれても、生まれた本人の落ち度ではありません。
また、持って生まれたその人の性格傾向や資質も、自分では選べません。
生まれながらの格差もあるし、自分では選べない生い立ちもあります。
ある程度、努力もあるでしょうが、その人のおかれた環境によっては、努力が及ばないこともあるのです。

どんな理由があれ、犯罪を正当化したりできませんし、私も犯罪を強く憎みます。でも私は、犯罪者個人を憎みたくないのです。
犯罪に至る過程があったのでしょう。誰か、話を聞いてくれる人がいたら、こんな犯罪にならなかったのかもしれません。

犯人は、自死の瞬間に何を思ったのでしょう。
何も思わなかったのでしょうか。
自分の首に包丁を向け、突き刺す瞬間に、一瞬も、何も思わなかったのでしょうか。

一瞬でもいいから、「悪いことをした、申し訳ない」という思いがあったならと思います。

もう誰もわかりませんが、もしそういう思いが一瞬でもあったなら、私は、そこに、それこそ蜘蛛の糸にすがるような、わずかな光を感じるのです。

(一滴)

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