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怪しい団体はいいことを言う

原理主義やカルトの問題について妻と話をしていたら、妻が言いました。
「出発点や結論が違えば、途中でどんないいことを言っていてもそれは違うと思う」

私も納得しました。

たとえば、出発点が「死後に地獄に堕ちる恐怖」であったとします。
これを解決するためにどうすればよいのか?

死後の世界などないと思い込む方法もありますが、宗教にすがる方法もあり、その中の一例としてキリスト教原理主義や聖書カルトにすがる、というやり方もあります。

「イエス・キリストを信じれば、イエスの十字架の贖いによって救われる、天国に行ける」と信じて、安心感を得た気になります。

それは、一見、正しいキリスト教のようですが、どうも違います。恐怖から出発した「信仰」で、恐怖はどこまでもついてまわります。地獄に行くといけないから、牧師先生に逆らってはいけない、教会には毎週行かないといけない、きちんと献金しないといけない、間違った本を読んではいけない、「正しく」聖書を読まないといけない、進化論は否定しないといけない。そして、地獄行きを免れるこの教えを一人でも多くの人に伝え、信じてもらわないといけない・・・・。そのためなら何でも許される。

喜びがありません。
「いいえ、喜びの毎日です」って。
嘘です。

真理によって自由を与えられるのではなくて、規則や禁止事項や義務でがんじがらめですよ。

がんじがらめにされた中で、地獄の恐怖を免れたと思って、救われたような気になっているだけですよ。

鎮痛剤(あるいは麻薬)で心を麻痺させて、地獄の恐怖を感じにくくしているだけですから。それは治療ではなくて麻痺ですよ。

麻痺させても、麻痺させても、どこかで恐怖を感じる。だからもっと強い薬を使う。それでもどこかで感じる。
自分は救われているんだ、救われていないあの人たちとは違うんだと、優越感を持って自分たちを正当化しても、どこかで恐怖を感じる。もし自分が救われていなければ、地獄の火の中で、永遠に焼かれてしまう。

いつもおびえ、囚われている「信仰」です。
福音書に書いてあるイエス様の優しさと、全然違う。
一般のクリスチャンたちの明るさと、全然違う。


原理主義やカルトは、いいことも言います。でも、出発点や結論が違います。

そりゃあいいことを言いますよ。当然です。でないと入信者を獲得できません。

私は中学生のとき、原理主義(あるいはカルト)っぽい「教会」で、三浦綾子の著書を紹介されました。『塩狩峠』も『道ありき』も『氷点』も、とてもいい本です。いい本を紹介してもらったのはありがたいです。(もちろん三浦綾子は原理主義やカルトの仲間ではありません。彼らが利用したのです。)

たとえ、部分的にいい話が出てきても、だまされてはいけない。
彼らはいい話を巧みに利用します。
大局を見ないと。

別な例ですが、私が大学生のとき、オウム真理教がさかんにビラを配っていました。その中には正しいことも書いてありましたが、だからといって、オウム真理教が正しいということにはなりません。

いいことを言っても、いい話を都合よく利用しているだけです。

目を覚ましてください。

(一滴)

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