「続・沈黙」 吉次郎との対話 その3
第一話
http://yamazato.ic-blog.jp/home/2015/05/post-4b3d.html
第二話
http://yamazato.ic-blog.jp/home/2017/07/post-8ce4.html
神父様。吉次郎です。夜分にすみません。ああ、こちらにおられたのですか。
ええ、夜中になっても暑いもので、縁側で涼んていたのです。日本の夏は湿気があって、どうも苦手です。最近は役人の監視もゆるくなってきたので、こんなふうに夜中に涼んだりしています。縁側っていいですね。バルコニーとも違うし、西洋家屋にはないものです。
私もここに座っていいですか。
どうぞ。
あの~、神父様。神父様が結婚なさるとか、遠州に引っ越すとか、そんな話を聞いたのですが、本当ですか・・・・。
ここから移されるのは、本当です。ただ、遠州というのは隠語で、実際の行先は江戸です。
万一にも切支丹信徒が私を奪還したりせぬように、遠州だの遠江だのと隠語を使って、移送先が分からないようにしているのですが、本当は江戸に送られるのです。
江戸、ですか。
はい。岡本右衛門さんという江戸のお侍さんが子を残さずに亡くなり、私がお名前を頂くことになりました。これも隠語で岡田と呼ばれていますが、本当は岡本さんです。詳しく教えてもらえないのですが、どうも、岡本さんは殉教した切支丹のようです。彼のお名前だけでなく、奥様まで、私がお受けすることになりました。つまり、私は岡本さんの未亡人を妻にして江戸で一緒に暮らすことになります。これからは私のことを岡本と呼んでください。
えっ? 今さら岡本様なんて呼べませんよ。それなら、先生と呼ばせてください。神父様は私の先生ですから。
先生なんて呼ばれたことがないので、何か変な感じですね。まあ、それでもいいですが。
それで、神父様。いや、先生。先生は、結婚するとか江戸に行くとか、本当にそれでよろしいのですか。
それは、逆らえないのです。私は司祭として生涯独身を貫くつもりでした。それが、踏絵を踏み、違う人生に向かっています。踏絵も、逆らえませんでした。拒めば、私の身代わりに、無関係な切支丹農民が拷問されて殺されるのですから。もしあのときに私がとことん拒み続けたなら、代わりに何人も何人も死ぬまで拷問されたことでしょう。あの状況では、踏絵を踏まないほうが、キリストに逆らうことのように思えました。踏んだ以上、あとは、とんとんと、話が決まっていったのです。江戸への移送は、従うしかありません。結婚は、断る気なら断ることもできたのでしょうが、今後の人生を日本という異国で過ごすなら、妻がいたほうがいいのではないかと、そんな気がしたのです。
でも、会ったこともない人と結婚だなんて。
たぶん、今の日本では、かなり多くの人が会ったこともない人と結婚しているのでしょう。先日、岡本さんの未亡人からお手紙をいただきました。私は日本語があまり読めないので、役人から読んでもらったのですが、その内容から、誠実なお方だと思いました。異国人と再婚することに戸惑いもあったが、心を決めた、亡き夫に仕えたのと同じ気持ちであなたと生きていきたいと、まあ、そういう意味のことが書いてありました。私も、その女性と共に生きていくことにしました。
本当にそれでよいのですか。
はい、後悔はしないでしょう。
先生は、江戸でどうなるのです。
形の上では、岡本右衛門という武士です。江戸の切支丹屋敷に住み、外出などは制限されそうです。仕事は、海外から持ち込まれる物品が切支丹に関係あるものかどうかの判定や、翻訳ですね。あとは、キリスト教の教えの解説です。役人たちは切支丹に反論したいのです。反論のために教えを聞きたいというのです。でもまあ、それも一つの伝道かと思います。信仰を表明しなくとも、キリスト教の教えから何かを学び、考えてほしいと思います。そういう仕事で、形の上では幕府直属の武士となり、拾人扶と言って、十人分の給金が支給されます。お米でいただくのでしょうが、それを売れば十人分の生活費になるだけ頂けるのです。それを私と妻の生活費に使うほか、女中や使用人を何人かは雇えるでしょう。
先生、それなら、先生のところで働かせてもらえませんか。給金などいりません。粗食と寝床さえ与えて頂ければ十分です。どんな雑役でもしますから、どうか使用人にしてください。
本気ですか。
もちろん本気です。
ちょっと待ってください。私が勝手に決めるわけにはいきません。だいたい、役人にどう説明するのです。
例の銀三百枚の残りを旅費にして、巡礼のふりをして、私も江戸に行きます。長崎出身の切支丹だなんて分からないように、適当に自分の履歴を考えておきますから、どうか、先生の所で私を使ってください。
吉次郎さん、あなたは・・・・、今もイエス様を信じているのですね。
はい、だから私は先生についてゆきたいのです。
(一滴)
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