« 暴力、非暴力 | メイン | ヒナからニワトリを飼う »

ニワトリを飼う

ずっとニワトリを飼っています。
最初はここから、突然始まりました。
http://yamazato.ic-blog.jp/home/2009/03/post-78a2.html

突然といっても、あのころ、ニワトリを飼いたいとずっと思っていたので、チャンスだと思いもらったのです。
この最初のニワトリたちが卵を産まなくなってからも、なんだか殺すのがためらわれ、しばらく飼っていました。初代がみな天寿をまっとうしてから、以前、鶏舎の仕事をした養鶏場に頼んで4羽もらってきました。売ってほしいとお願いしたのですが、お金を受け取ってくれませんでした。赤玉(茶色っぽい卵)を産む品種で、私によくなつきました。1年以上卵を産んでくれましたが、これも産まなくなり、次のニワトリをもらう予定もあって鶏小屋を空けなければならず、私が肉にしました。よくなついているので逃げません。捕まえて抱きかかえると、なんの抵抗もせずに、「どうしたの?」みたいな顔でこっちを見ました。「ごめんね、本当にごめんね」と言いながら絞めて、首を切り、血を抜き、羽を抜き、肉にしました。泣きながら作業しました。ニワトリには申し訳ないのですが、内臓を処理するとき吐き気がしました。4羽の首は庭の隅に埋め、石を立てて墓にしました。
それまで私もそうでしたが、肉を食べている人のほとんどが食肉処理の現実を知りません。

ニワトリを飼うのはいいのですが、卵を産まなくなってから肉にするのがつらいです。特に、よくなついているニワトリを絞めるときが一番つらいです。毎日エサをくれる私を信じ、なんの抵抗もしないニワトリを殺すのは、本当につらいです。
スーパーや肉屋で売っている肉だって、誰かが屠畜し、血を抜いて解体しているわけで、肉を買ってきて食べるのはいいけれど自分で処理するのは残酷だというのでは理屈が通りません。
自分で、それこそ泣きながら肉にすると、命をいただくことの重み、食べ物の有り難さというのが、もうこれは、実感としてわかります。

妻は最初、「食べたくない」と言っていたのですが、「食べなかったら命に対して申し訳ない」と、私が料理しました。
肉を圧力鍋で柔らかく煮て、自家野菜を入れてさらに煮て、シチューにしました。ガラはスープと、おでんのだしに使いました。おいしく食べました。
娘が、「ニワトリさんがかわいそう」と泣き出してしまい、ちょっと困りました。

普段、私は虫も殺しません。基本は不殺生です。田んぼは低農薬、畑は完全に無農薬、害虫とされる虫もなるべく殺さないようにしています。この地上に命が存在していること自体、何か意味があるのでしょう。無意味なものが被造物として存在するとは思えません。自然のシステムは完全なものとして完成しており、よほどの人為的な撹乱でもなければ害虫が田畑を食い尽くすことなどないのです。
私が生き物を殺すのは、食べるため、食べ物を守るため、あとは、安全や衛生上、やむを得ないときだけです。

ニワトリを飼うことで田舎暮らしがうまく回り出しました。安全でおいしい卵が得られる、ニワトリは何でも食べるので生ゴミがほとんど出ない、糞が肥料になる、自家のクズ米や野菜クズも食べてくれる、子どもの教育にもなる、等々。しかも、地べたで放し飼いにすると悪臭がほとんどありません。どうも、土が糞を分解してくれるようです。悪臭が問題になるのは、狭いカゴの中で大量に飼う「近代的養鶏」の場合です。

唯一の問題は、卵を産まなくなったニワトリの処分です。
これは、慣れません。何度やったって、つらいです。
(続く)
(伊藤一滴)

コメント

コメントを投稿

コメントは記事の投稿者が承認するまで表示されません。