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差別体験

今日は、私自身が受けた差別体験のことを書きます。

私は、第一志望だった高校に落ちて、B高校という第二志望の高校に進みました。私が入ったB高校は、それほど学力のレベルが高くない、入りやすい高校でした。
細かいことまで言えば、いろいろな形で理不尽な扱いを受けましたが、次の2つは強烈でした。

入学前だったか、入学直後だったか忘れましたが、学校指定の体操着や水着などを買うことになりました。あらかじめ指定店にサイズを言って注文し、現金を持って受取りに行くことになっていました。
私は、封筒に現金を入れて受取りに行きました。そのとき、金額を間違えて入れてしまったのですが、気づかなかったのです。
品物を受取り、お店の人に封筒の中のお金を渡しました。店の主人だか店員だか知りませんが、お金を受け取った店の人は、そのお金を数えて私に言いました。
「千円足りないよ。ごまかそうとしたって分かるんだ。B高校か。これだから、B高は困るんだ」
何を言われたのか、瞬時には分かりませんでした。
お金を封筒に入れるときに間違えたのでした。もちろん、ごまかす気などありません。
今思えば、客に対してずいぶん失礼なことを言う人で、その場ではっきり抗議すべきだったのですが、その頃私はまだ中学を卒業したばかりで、精神的にも幼くて、ただただ謝るだけでした。
当時、B高校などの生徒の万引き問題が多発していました。その店も、高校生による万引きの被害にあっていたのかもしれませんが、頭から、B高の生徒だからお金をごまかそうとするのだと決めてかかる態度は、所属高校ゆえの差別そのものです。
私は、泣き出したい気持ちをぐっとこらえました。

高校2年のときです。私は生徒会の役員になり、高校の文化祭のパンフレットの制作を担当していました。よその学校の文化祭のパンフレットは、カラー印刷でなかなか立派なものでしたから、B高校でもそういう立派なものを作りたいということになりました。
よその学校のを見ると、企業や商店の広告が載っています。それで、うちも広告をもらって来てパンフレットの制作費に当てようと、生徒会役員と顧問の先生で話し合って決めました。
B高校では前例がなかったので、参考資料にと思い、他の高校の文化祭などでもらったパンフレットを持参して、「うちの学校でもこういうものを作りたいので」と、学校近辺の商店や会社に行って広告の掲載をお願いしました。高校のイベントのパンフレットですから、広告費は、2千円か、3千円か、その程度だったと思います。学生のアルバイトが1日4千円前後の時代でした。たいていの店や会社は快く広告掲載を引き受けてくれました。
ある自動車販売店を訪問したときです。店の店長から言われました。
「何、B高校? 君ら、本当に広告を載せるのか? お金だけ持ってドロンじゃないだろうな」
私が、参考にと差し出したパンフレットをめくりながら、さらに言いました。
「何だねこれは。よその学校のパンフレットじゃないか。何を考えているんだ、君たちは。人のふんどしで相撲を取るつもりか。よそのパンフレットを持って来て信用しろと言うのか! 担当の先生からの文書一枚ないじゃないか。どういうつもりだ!」
と、まあ、すごい剣幕で叱られたのです。
ひとまず学校に戻り、顧問の先生の所に行って事情を説明しました。私は怒りと悲しみで震えていたようです。
先生は私に落ち着くように言い、生徒会室に役員を集めました。
「伊藤君が怒るのも解るが、広告をお願いする文書を持たせなかった私も悪かった。すぐ文書を作ろう」
と、先生は言って、先生と生徒会長のT先輩と私の3人で、大至急文案を考え、生徒会役員の中で一番字がうまいK君に清書してもらい、学校の印刷機を借りて大急ぎで刷りました。ワープロやパソコンが出回る前の話です。そうやって、内容も文字もそれなりの水準と思える文書ができました。
でも、しばらく私の怒りはおさまらず、
「もうあの自動車屋には行きたくない。あの店からは絶対に車を買いたくないし、友だちにも買わないように言ってやる!」
と言ったのですが、
「ここで引っ込んだらB高の恥だ。俺も行くから、この文書を持って君も行こう」
と、生徒会長のT先輩に強く言われ、私も行きました。
自動車店の店長は、私たちが持参した文書に目を通しながら、広告掲載を承知してくれました。

広告をお願いする文書を用意していなかった点は、たしかに、まずかったと思います。私たちも初めてのことで、顧問の先生さえ気づかずにいたのです。
でも、もし私が名門高校の生徒だったら、あんな叱られ方をしたろうか、と思います。
「お金だけ持ってドロンじゃないだろうな」とか「人のふんどしで相撲を取るつもりか」といった言葉は、今も心に焼き付いています。カラー刷りのパンフレットはB高校で前例がなかったから、よその高校のを参考に持参したのですけれど、その説明もうまく伝わらなかったのでしょう。こちらにも反省すべき点はありますが、それにしても、なにかB高校を見下すような、差別的な感じを受けました。

高校や大学などは、まだ、自分で選ぶ余地もあります。
しかし、生まれや性別、人種などは選べません。自分で選べないことで差別される人は、いったいどんな気持ちだろうと思います。

差別される側の痛みを、私は、自分の体験に照らして考えてみるのです。
(伊藤一滴)

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