どうすれば幸せになれるのか
当たり前ですが、誰であれ、この世で生きていられる時間には限りがあります。
お金やモノはたくさんあった方がいいと思っている人が多いようですが、使いきれないほど所有しても、そもそもこの世で生きていられる時間の中で使い切れないのですから、持っているだけ無駄なのです。はっきり言って、保管も含めての維持管理の手間だけ無駄というものです。
お金やモノの所有は、必要な範囲、および今後必要になるであろうと予想される範囲とすべきでしょう。
子や孫のために財産を蓄えておきたいという人もいるでしょうが、それも程度問題です。時代が変われば状況は変わります。自分の命はもちろんですが、貨幣も物資も国土や政府さえも、子孫の幸せを保障するものではないし、有限なものであると知るべきです。
政府が滅びたり、超インフレになったりすれば貨幣は価値を失います。
そんなことはない、と言えるのでしょうか。
世界の歴史を見れば、政府が滅んだ例も、超インフレもあります。これからはないとか、日本では起きないとか、誰も断言できません。今でさえ我が国は1000兆円を超える借金をかかえ、返済の目途も立たないまま、さらに借金を重ねています。
現金ではなく、モノでとっておこうとしても、モノは古び、やがて劣化し、劣化しないモノであっても時代に合わなくなったりします。
土地は腐らないといっても、状況が変われば使えない土地になったり、不便な場所になったり、場合によっては所持し続けるのが難しくなったりします(ゴーストタウンになる、廃村になる、逆に相続税や固定資産税が極端に高くなるなど)。
財産を、貴金属や宝石にして蓄えたとしても、もし酷い食糧難の時代にでもなれば、食糧や労働力のほうが優先されて、そうした財宝は二束三文になるかもしれません。その日の食事にも事欠くような状況で、誰が貴金属や宝石を得るために食糧を渡したいと思うでしょうか。
未来の幸福を保証してくれる普遍的な財産なんて、ないんです。
子孫に残すことができる朽ちない財産は、時代や時の政権の意向に左右されない「ものの考え」くらいでしょう。
論語にも、新約聖書の福音書にも、はっとするような言葉の数々が記してあります。それは、歴史の中で忘れられたものではなく、受け継がれてきた言葉です。いろいろな表現で、この世の地位や富のために、はかりごとをめぐらす空しさが語られ、何に心を向けるべきか説かれています。
そうです。この世にいられる期間には、限りがあるのです。
この世での地位も、富も、生きている間だけのもので、有限なのです。
有限なものを優先し、自己中心を正当化したり、不正を許してしまったりする愚かさを知るべきです。
そうした愚かさが、その人自身を、地上の幸福からも遠ざけているのです。
「ずるいことをすると幸せになれないよ」と、私は子どもたちに言っています。あの人は長年ずるいことばかりしてきて、その結果幸せになった、という人がどこかにいますか?
今は、いろいろなものが数値化されているので、数字に目を奪われてしまうことが多いです。所得の比較とか、住んでいる場所の地価の比較とか、住宅の坪数とか、自家用車の排気量や年式とか、いろいろな点数もそうですけれど、そうした数字と人の幸福とが比例していないのは、さまざまな実例からも明らかです。
お金やモノを持つ、というのも、数字で表されます。お金は、まさに数字ですし、モノも、これだけの価値のものをこれだけ持っているという数字になります。
所有は、数字で表すことができるから、わかりやすいです。でも、幸福と比例していません。
所有したいと思うのは欲望の一種です。欲望を満たし続けたとしても、幸せにはなれません。欲望を満たせばそれが当たり前になり、当たり前だからありがたいとも思いません。新たな欲望が発生するだけです。次々に欲望を満たせば幸せになれるなら、世の権力者・独裁者らはみな幸せになったでしょうに。
どうすれば幸せになれるのでしょう。
幸せになる方法は、確かな「ものの考え」をもって、自己や自己の子孫のための過度の所有から離れ、他者の幸せを願いながら向上を求めることでしょう。
私自身、自分が不完全な身であることは十分承知の上で、理想はこうだと言い続けていきたいです。
(伊藤一滴)
たまたま、こちらのブログを拝見しました。今から150年前のアメリカに、ヘンリー・デイヴィッド・ソローという思想家がいました。貴殿と同じことを考え実行した思想家です。岩波文庫の「森の生活」(飯田実訳)が一番いい訳です。事態の首根っこを押さえたような言葉の連続です。
思わずメールを書きました。
投稿: 松島 欣哉 | 2012-10-28 16:26
ありがとうございます。
ソーローの気持ち、とても、わかります。
でも私の場合は、家族と共に暮らしているし、周りは里山で、我が家も山の集落の一員というのがちょっと違いますけれど。(集落と言っても十数戸です。1人暮らし、2人暮らしの高齢者も多いです。)
自然は人を癒してくれるし、いろいろなことを教えてくれる教師でもある、と思います。
私も、現代文明への疲れと嫌気を感じます。
(一滴)
投稿: 一滴 | 2012-11-09 15:08