やはりジネント
雪の山里もようやく春めいてきました。
この春、娘が小学校に入りました。山里暮らしを始めた年に生まれた娘です。引越しの年に小学1年だった長男は、もう中学2年生です。時が経つのは早いものです。
私と妻は東京で結婚し、その後、山形県内のある地方都市で暮らしていました。駅やスーパーに歩いてすぐの所で、「便利な場所」とされている新興住宅地でした。2人で住むには広すぎるくらいの一戸建ての住宅にいました。結婚の翌年に男の子が生まれ、その次の年に次男が生まれました(2人は1歳と少ししか違いませんが、年度をまたいで生まれたので2学年違います)。
「便利な場所」の広い家に住んで、子どもに恵まれて、それでも、私も妻も、便利なはずの新興住宅地の暮しに疲れを感じていました。
近隣の人間関係の稀薄さ。
人工的なものにとり囲まれた暮し。
店に行ってもマニュアル対応だけの店員たち。
時々やって来る怪しげな訪問販売や勧誘への対応。しかも、しつこい。
車のあまりの多さ。
子どもたちを遊ばせる場所がない!
子どもをどこかに連れ出すか、家でテレビを見せたり電子ゲームをさせるしかないのか!
やっと子どもたちを保育園に入れたものの、送迎の負担もあり、しかも道路はいつも混雑。
その頃、私は、自宅の一室を設計事務所にして仕事をしていましたが、日々、重い疲れを感じていました。
もちろん、いい人もいましたが、地域の歴史も地域の文化もない新興住宅地の雰囲気に私も妻もなじめませんでした。新興住宅地なら、風習に縛られることもなく住みやすいだろうと思っていましたが、これは逆だと、山里暮らしを始めてから思い知りました。どこに住もうが人は地域の住民です。地域の一員として、地域に受け入れてもらい、その中で、自分も地域から守ってもらった方が暮らしやすいのです。特に、山間部の人たちは相互扶助的です。その中に加わった方が、ずっとずっと暮しやすいのです。
かつて、地域の風習から抜け出して自由になることを求めた人たちが、孤独や疑心暗鬼やストレスにさらされる現実があり、私たち夫婦もそうなりかけていました。
山里への引越しを決意した頃、私も妻も、現代の都市型・消費型の生活に疲れ、じねんと(自然と)生きようと思う気持ちになっていました。昔なつかしいような暮らしへの憧れが高まってきていました。
たまたま田舎情報の不動産雑誌に出ていた山間部の土地と古民家を、2人の貯金をはたいて購入し、まだ、以前住んでいた人が残していった荷物の片付けも終わらないまま、見切り発車のように引っ越したのでした。
2005年の3月でした。あの年も雪が多くて、家の近くまで車で行くことができず、手で持てる荷物を持って、100メートルくらい雪の山道を歩いて、生活にすぐ必要なものだけ運んだのでした。洗濯機も給湯器もなく、無謀と言えば無謀な山里暮らしのスタートでした。
前の人が、荷物を置いていってくれたので助かりました。「いるものは差し上げます。いらないものは、すみませんが処分してください」とのことでしたが、台所用品や家具類、ストーブなども一式あり、スコップや除雪機まであったので、本当に助かりました。家の荷物が空っぽになっていたらかえって困るところでした。
よく調べてからその古民家に決めたのではないのです。
ほとんど私の一目ぼれでした。とは言え私も一応建築士ですから、それなりの判断はしたつもりですけれど。
最初、妻は不安そうな顔つきでしたが、だんだん妻の方が積極的に転居を望むようになっていました。
それと、山里の家の近所の人たち、ですね。運もあるのでしょうが、ご近所が快く迎えてくださり、いろいろな形で助けられました。小さい子どもたちがいたので、近所の人たちの善意の目は本当に助かりました。野菜もたくさん戴きましたし、地域のことをいろいろおそわりましたし、ありがたいです。
農業を始めてからも、まわりの人たちからいろいろ教えられ、本当に感謝です。
あとは、自然の恵みです。自然の中で暮らすことで、癒されていく感じがしました。いやなことがあっても、家の周りの雑木林を少し歩いただけで、すっかり落ち着くのです。畑の作業も癒しになりました。耕作放棄されていた畑の再開墾からはじめ、自家用の野菜作りからスタートしました。だんだんに手を広げ、稲作も習い、正式に農家の資格を得て、作物の出荷も始めました。
子どもたちは、広々とした中で元気いっぱい遊んでいます。ふもとの小学校は少人数で、一人ひとりをしっかりみてくれます。
私は「過疎地は住みやすい!」といつも言うんですよ。住みにくいから過疎化するのではなくて、現在主流の産業活動に不自由があるから過疎化するのです。多くの人は産業活動に身を置き、主に第二次・第三次産業から収入を得て生活しています。それも、大規模化してきていて、個々の人間が産業活動のシステムの部品のようになってしまっています。もし、小規模の農林水産業や手工業や小さな商いで暮らしていけるなら、田舎暮しのほうが、人間らしく思えるし、心身の健康にいいと思います。
2005年の3月末に、山里に転居したときの、私たち夫婦の宣言のような「転居のご挨拶」を再掲します。
今も、気持ちは変わりません。
まずは、転居のご挨拶
ここは山形県内陸部の山里の古民家です。
山間部に暮すことにいろいろご意見をいただくこともありますが、今後を考え、本当の暮しやすさとは何なのかを考えて決めました。
ひたすら発展を追及する現代の産業社会の中で、人々の共生より競争、世代を越えた持続より現在の開発という風潮になじめず、試行錯誤しながら納得できる生き方を求めてきました。
山間部での暮らしは万人向きではないかも知れませんが、私とつれあいは、一般には「便利な市街地」とされている自然から離れた場所や人のつながりが希薄な場所より、田舎の山里に居心地のよさを感じました。幸い、地域の人たちは私たちの転入を歓迎してくださっており、冬の厳しさや交通の不便・買い物の不便もたいして苦にも思えず、むしろ豊かな自然や近隣とのつながりの中に生きる方が価値あることに思え、このたびの転居を決めました。
消費を中心とした街の生活に少しばかり距離を置き、山里の古民家に暮らす中で、自然の恵みに感謝する生活に少しでも近づいていけたらと思っています。
2005-03-28 ウェブログ |
(伊藤一滴)
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