『ダギーへの手紙』
今日は2012年4月4日です。
昨夜から、台風のような大嵐で、しかも吹雪です。朝、10センチくらい雪が積もっていました。
いくら山形県の山里とはいえ、4月になって、こんなに降るのは珍しいです。
稀な年なのかも知れませんが、今年は、とにかく寒いし、雪が多いし、春が遅いしで、北国は大変です。
農作物への悪影響も、ちょっと心配です。
さて、
エリザベス・キューブラー・ロス著『ダギーへの手紙』の話です。
1968年に生まれたダギー君は、そのとき9歳でした。ダギー君は小児癌で、余命3ヶ月と予想されていました。彼は、「死と死にゆくこと」で有名なエリザベス・キューブラー・ロス先生に手紙を書いて尋ねました。
いのちって、何?
死って、何?
どうして、小さな子どもたちが死ななければいけないの?
(アグネス・チャン氏訳)
エリザベス先生は、これらの問いに心を打たれ、手描きの絵を添えた返事を書きました。
ダギー君は、エリザベス先生直筆の絵本のような絵入りの返事をとても喜び、自分の両親だけでなく、同じような不治の病の子どもを持つ親たちにも見せたそうです。これを本にして出版するのにも同意してくれました。そうして出た本が『ダギーへの手紙』です。
余命いくばくもないとみられていたダギー君は、エリザベス先生の励ましもあり、13歳まで生きました。
今の私は、「死が終わりではない」と考えるようになってきていますが、それでも、人が死ぬ話はつらいです。私も子を持つ親です。子どもが死に向かっていき、親より先に逝く話は、本当につらいです。
ダギー君の問いは、人の生死についての本質的な問いだと思います。しかし、かつて医療の世界ではタブー視されていたそうです。医療機関は、基本的に、患者を治すための機関ですから、患者を治すためのシステムになっており、このシステムから外れた患者(つまり治らない患者)をどう扱うか、また、治らない患者の家族の精神的な負担にどう対応するのか、明確な指針がなかったのです。近年、ようやく、治らない患者やその家族に対するケアの必要性が言われるようになりましたが、これは、エリザベス・キューブラー・ロスらの先駆的な取り組みがあり、後に続く人たちがいたからです。
『ダギーへの手紙』はエリザベス・キューブラー・ロスの主張の真髄とも言えるものです。9歳の子どもにわかるように書かれたものですから、明快な表現で、ストレートです。
残念なことに原著は絶版で、日本語訳も版元品切れで入手が困難になっておりますが、図書館などで閲覧可能でしょうし、古書なら買える場合もあります。
彼女は、はっきりこう言います。
神は愛であり、すべての人を愛しておられる。
人生は博打だと言う人もいるが、人生に偶然はなく、神は人を差別しない。
あなたは神と共に自分の両親を選んで生まれたのである(伝統的なキリスト教の教義にない表現です)。
人生は学校のようであり、すべての課程を修了すれば卒業し、神のもとに帰る。それは、サナギから蝶が出てくるのに似ている。それが、この世の肉体の死である。
この世の肉体から抜け出たとき、人は自由になり、無限の愛に包まれ、先に召された人たちと再開し、神の愛の中で永遠に生きる。
死後を語る人は大勢いますが、エリザベス・キューブラー・ロスは、この地上での生き方を重んじ、この地上において、愛し愛され成長することの大切さ、他者に奉仕することの大切さを説いています。
素晴らしい死後を語っても、決してこの世を軽んじないのが彼女の姿勢です。
彼女は、エリートコースを歩んできた人ではありません。自伝にありますが、第二次大戦後の荒廃の中で、苦学して医者になった人です。医者になってからも、さまざまな苦労を経てきた人です。
彼女の言葉には、経験に裏打ちされた重みがあります。
エリザベス・キューブラー・ロスは「死んでゆく患者」についてのタブーを超えました。
さらに、医師や科学者、技術者といった科学の側の人間は、「霊魂や死後の世界」について公言しない、というタブーも超えました。
これ、お寺の住職様とか、教会の牧師様や神父様といった方が「霊魂や死後の世界」について語っても別に違和感はないのですが、医師で教員でもある人が堂々と語るのは、私も違和感がありました。私自身、「科学」と「霊的なもの」とを峻別するバイアスに囚われていたようです。実は、霊的なものも含めて人間なのに。それどころか、霊的な面の方が人間の本質かもしれないのに。
日本語訳には「死と孤独、小児ガンに立ち向かった子どもへ」というサブタイトルがついていますが、ダギー君は、癌に立ち向かったというより、越えたのだと思います。病を受け入れ、病を越えて、死によって次の過程へと移行していったのだと思います。子どもであっても、かつてアシジのフランシスコが病や死を「兄弟姉妹」と呼んで受け入れたような精神の高みに達したのではないかと想像します。おそらく、年齢にかかわらず、病や死を受け入れるというのはそういうことなのでしょう。
それと、「この本はキリスト教的だ」という人が多いのですが、伝統的なキリスト教の教義にない表現も出てきます。エリザベス・キューブラー・ロスは、宗教に反するようなことは言いませんが、特定の宗教の枠に収まる人ではありません。
入手しにくいのが残念ですが、福祉や医療を学んでおられる方々や、そうした仕事に就いておられる方々に、ぜひお勧めしたい一冊です。
(伊藤一滴)
一滴さん、本当に不思議だと思うのですが、私もここ最近、ダギーへの手紙を、暗唱するほど読んでいたのです・・・・
もともと愛読書ではあったのですが、震災後再び手にとりました。ですが葉っぱのフレディやダギーへの手紙は、この震災が起こることなど想像もしなかった当時は、今ほど実感をもって読み込むことができませんでした。ですが、これだけたくさんの人が死を身近に体験する事態に遭遇して、ダギーへの手紙がとても身近なものになりました。
ダギーセンターの先生が被災地にきて講演してくれました。そして、ダギーセンターをモデルにして阪神大震災のときに建てられたレインボーハウスが、東北にもできることになりました。
不思議な縁を感じます。
ダギーへの手紙、入手しにくいのですね。
多くの人に読んでほしいです。
投稿: ぱく | 2012-04-07 21:43
ぱくさんの愛読書が私にとっても愛読書というのは、なにか、不思議なご縁を感じます。
人の生死について思うのですが、人には、それぞれ、この世で与えられた時間があって、それが長くとも短くとも、地上での使命を果たして大きな環の中にかえってゆくような感じがします。
私の死生観がそんな感じなので、『ダギーへの手紙』や『葉っぱのフレディ』に、とても共感を覚えるのです。
うちの子どもたち(中2、小6、小1)に、『ダギーへの手紙』を読んであげました。子どもは、子どもなりに感じるものがあるようです。
(一滴)
投稿: 一滴 | 2012-04-10 18:12