それでも、未来の希望へ
2年前「老いた資本主義、人間の悲鳴、そして」という題で、こんなことを書きました。
http://yamazato.ic-blog.jp/home/2009/04/post-b9db.html
資本主義という制度のゆえに発生した問題への対処に、また資本主義が入りこむ。しかし、無限には続きません。
未来に亘って科学技術を「進歩」させ、資本主義を「発展」させようとするなら、資源、環境、なにより人間がもちこたえられなくなるでしょう。
科学技術に立脚した資本主義という制度そのものが、もう限界に近づいているのではないか、という思いで書きました。
2年前のこのブログ記事に「チェルノブイリは全人類の未来の前兆」と書きました。心の中ではかなり前から思っていたことでした。今、事態は、私が以前から心配していた方向へと向かっているようです。
未来の予想もできます。
日本経済の破綻、超インフレ、食料不足、物不足、そして、世界全体での資本主義の終焉です。
誤解のないように言いますが、私は社会主義を支持して資本主義を批判しているのではありません。社会主義は持続しないシステムであり、滅ぶべくして滅びました。一般に、社会主義と資本主義は正反対のように思われていますが、どちらも科学技術に立脚し、産業を発展させて生産の拡大を図る近代思想であり、兄弟のようなものです。
遠からず、現代の産業文明の終わりの日が来るでしょう。
その先を生きるためには、産業文明のシステムそのものを超える必要があるのでしょう。
希望は、無ではありません。未来の可能性を信じたいと思います。言うまでもありませんが、この可能性とは、さらに「進歩」「発展」が進んで問題が解決するといった可能性ではなく、産業文明に頼らずに未来を生きる可能性です。太古の昔から私たちの祖父母の頃まで、人類はそうして生きていたのですから。
社会主義はほとんど滅び、資本主義は、今、滅びの途上にあるようです。
原子力は駄目だから自然エネルギーに切り替えればよい、といった話ではないのです。化石燃料はもちろん、水力、風力、潮力、地熱、太陽光その他の自然エネルギーであっても、これを広範囲に大量使用し続ければ大きな環境破壊を招くことでしょう。エネルギー源それ自体は自然のものでも、人間が使う電力などのエネルギーにするためには装置が必要です。その装置の製造、運搬、取付、稼動、維持管理、耐用期限後のリサイクルや廃棄、といったことには、手間はもちろん、それ相応の資源・エネルギーが必要で、それ相応の環境に対する負担となります。これを、過小評価すべきではありません。(原子力発電は、長期に亘る総合的な検討をしないまま見切り発進した代表例のようです。)
必要以上の便利さや快適さを求め、未来を考えずに無駄なものを大量に作り出し大量に売り続けることで成り立つ資本主義のシステムを改めなければ変わりません。資本主義に限らず、生産力の無限の拡大などありえないと知るべきです。
エネルギーの使用それ自体を縮小させ、かつ、みんなが生きていける未来を求めないと、未来に大きな負担を残すことになるでしょう。
私は今、産業文明の後に来る時代への対応を考えています。
(伊藤一滴)
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