老いた資本主義、人間の悲鳴、そして
資本主義というものは、もともと人間の欲望をあおるシステムですが、最近は、特に、資本主義の劣化というか、老いを感じます。資本主義は、老いても好々爺にはなってくれません。老いても冷酷な守銭奴です。
資本主義はこれまで、あの手この手を使ってひたすら人間の欲望をあおり、人間のあくなき欲望を食物として肥え太り、それを顔に出さず、テレビのCMや新聞・雑誌の広告できれいで涼しい顔をして巧みに演出し宣伝してきました。でも、もうそれも、限界が近づいているようです。
地球環境もそうですが、生身の人間がもちません。人間が悲鳴をあげています。悲鳴が聞こえませんか?
お父さんは毎日帰りが遅い、へとへとだ。あるお父さんはリストラされて途方にくれている。お母さんも忙しくていつもイライラ。そこにまた資本主義が入り込む。やれ、栄養ドリンクだ、サプリメントだ、便利なスーパーのお惣菜だ、コンビニの弁当だ、宅配サービスだ、治安が悪くなってきたからセキュリティーサービスだ、それに子どもの教育だ、これからは便利で快適で安全性の高いオール電化の時代だ・・・・・。
いいかげんにしてほしいです。
日本では毎年3万人以上の人が自殺しているのに。
まるで何ごともないかように、きれいな覆いで、コーティングされて。
ひと皮めくると、苦しみあえぐ人たちの修羅場。
どんなにきれいで涼しい顔をして現れても、舞台裏で支えているのは生身の人間です。このシステムを今後も支えていこうとすれば、人間の体や精神がもたなくなるでしょう。体を壊すのが先か、精神を壊すのが先か。
労働環境だけでなく、地球環境も悪化して、それがまた人間の体と心を蝕んでいます。
「石油はまだ当分もつから大丈夫だろう」ですって?
石油があったって、生身の人間のほうがもちません。
それに、廃棄物の捨て場の枯渇です。地球は無限に広いわけではあるまいし、石油資源の枯渇より先に、石油を使い続けることによって生じる廃棄物(特に二酸化炭素)の捨て場が枯渇するでしょう。二酸化炭素等の廃棄物を地下深く埋めてしまおうとか宇宙に飛ばしてやろうといったナンセンスな主張は論外として(そのために一体どれほどのエネルギーを使うのか)、動力源や熱源を電気に替えようという声は高まるでしょう。石油エネルギーを電気に切り替えれば、放射性廃棄物の増加、原子力事故の多発などで、破綻はいっそう加速することでしょう。チェルノブイリは全人類の未来の前兆、とも言えます。
もう、やめましょう。
破綻は、たぶん、避けられません。破綻を超えるというのは、つまり、科学技術と資本主義に立脚した現在の産業文明システムそのものを超えるということです。
私は支持しませんが、左翼の人たちが言う階級闘争・暴力革命という考えもあります。
一口に暴力と言っても、正当防衛のやむを得ない抵抗が暴力的に見える場合もあるでしょうから、私は、単純に「すべての暴力を否定する」なんて言えません。
ただし、憎悪や復讐心をエネルギーにした暴力の場合、暴力をふるうことで、たとえ事態が改善されたかのように見えても、改善されたはずの新たな状況の中に暴力性が残るのではないか、と思うのです。
かつてのフランス革命や社会主義革命の原動力にしても、そのすべてではないにしろ、中に憎悪や復讐心もかなりあったのではないか、そしてその暴力性がその後に残ったのではないか、と思うのです。
困難な時代の中で社会の変革をめざした革命家の理想を正当に評価するのはやぶさかではありませんが、革命家は、虐げられた人民の憎悪や復讐心をあおり、戦いのエネルギーに使ってきたのではありませんか。その暴力性が後の社会に残ったのではありませんか。
これからの時代、場合によっては断固たる抵抗が必要になる場合もあるかもしれません。
また、抑えつけられてきた人たちがいよいよ我慢の限界に達し、マグマが地表を突き破って噴出するような事態になって、それが広範囲になればもう、既存の秩序では制御不能になるのかもしれません。
人々が立ち上がっても、意思統一の思想が見当たりません。今は、マルクス主義にそのような力はないし、何よりマルクス主義の誤謬は明らかです。
私が特に恐れるのは、ファシズム国家に収斂されることと、無政府状態になることです。
うまくこれらを避けても、そうとうの混乱は免れないでしょう。
たとえ、どのような時代を生きることになっても、私は憎悪や復讐心をエネルギーにした暴力の行使には反対だし、ずっと反対し続けます。(伊藤)
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