『それでも人生にイエスと言う』読書中
昨日までカンカン照りでやたら暑く、今日の未明からずっと大雨。
わずか数週間で急に暑くなりました。東北も梅雨入りです。
妻が
「注文したい本があるんだけど・・・・」
と言うので、
「僕も注文したい本があるから町に出たときに一緒に頼んでくるよ」
と題名を訊いてびっくり! フランクル著『それでも人生にイエスと言う』[春秋社]と『夜と霧・新版』[みすず書房]だというのです。それって、私が注文しようとしていた2冊の本でしたから。
夫婦は発想が似てくるのか、似ているから夫婦になったのか、どっちが先だかわかりませんが。
震災や原発事故があって、フランクルの著作が注目されているようです。朝日新聞も取り上げていましたし。
町の書店に頼んだら数日で入荷になり、私が先に『それでも人生にイエスと言う』を、妻が先に『夜と霧・新版』を読書中です。
フランクルは、20世紀の良心の一人と言えるでしょう。過酷な目に遭いながらも長生きした人ですが、生まれ育った時代は、これも戦前の良心と言えるシモーヌ・ヴェーユとほぼ重なります(フランクルは1905年、ヴェーユは09年生まれです)。どちらもユダヤ系なのは偶然なのか、あるいは、迫害の歴史を背負うユダヤ民族の生まれ故に精神が研ぎ澄まされていったのか・・・・。第二次大戦中のヴェーユの夭折が惜しまれますが。
『それでも人生にイエスと言う』を読みながら、人生とは学校のようなレッスンの場(エリザベス・キューブラー・ロス)という思いを深めています。
世間には思い違いが多いようですが、学校は通過点で、卒業、つまり人生の修了が、死です。(人生の「終了」ではなくて、「修了」です。「死んだら終わり」という誤解が多いですが。)
学校で楽なことばかりしていたら、何も身につかず、つまらない人生になってしまうことでしょう。
悔いのない卒業の日を迎えたいです。
「人生の意味を問う」とよく言われますが、実はこっちが人生から問われているのだとフランクルは言います。日々、問われています。大きいことから小さいことまで、どう決断し、どう行動するか問われます。人生とは、問いに答えることだというのです。
フランクル、すごいです。
急いで読むのが惜しくて、じっくり、じっくり、読んでます。
まだ読み始めですが、読み終えたら、また思ったことを書いてみようと思います。
(伊藤一滴)
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