「こんなに幸せに暮らしていていいのだろうか?」
山里に春が来て、だんだん、初夏に向かっています。
今年は3月になってからも雪が降り、雪どけが遅かったのですが、さすがに5月になると気温も上がり、いっぺんに花が咲き、若芽が萌え出しました。
山の幸が豊富です。
自宅の敷地の中にゼンマイ、ワラビ、タラノメ、その他、いろいろな山菜が自生しています。水が湧いている場所もあって、ワサビの群生もあります。
「なんでわざわざ不便な山里で暮らすの?」と、今までずいぶん言われてきましたが、自然の恵みは、それを恵みと感じる人にとって恵みなのでしょう。同じものがそこにあっても、それを恵みと思わない人には価値のないものなのでしょう。
陽だまりの中、妻と稲の苗つくりをし、息子たち(中1と小5)と一緒に畑に作物を植えたり、娘(5歳)と山菜を摘んだりしながら、「こんなに幸せに暮らしていていいのだろうか?」と思えてきました。それは、怖くなるような感覚でした。
大震災でたくさんの人が亡くなり、2箇月以上過ぎた今も、避難所にいる人や、原発事故で避難している人も多数いる中で、私は家族と共に平穏に暮らしているのです。
戦前、ハンセン病で重い障害を負った患者を目の当たりにした若き前田美恵子(後の神谷美恵子)は自分に問いました。
「何故私たちでなくてあなたが?」と。
神谷美恵子にはいろいろな評価があるでしょうが、私は、若き日にこのような問いを発した者にふさわしい生き方をなさった方だと思います。
「こんなに幸せに暮らしていていいのだろうか?」と思う自分自身の問いに、私はどう答えるべきでしょう。
私の答えは、残された自分の人生の、生き方の中で示していくしかないのでしょう。
(伊藤一滴)
示唆に富むお話をいつも楽しみにしています。
私は神谷美恵子その人の思想や残した仕事も素晴らしいと思いますが、彼女がお母さんとしてくらした、奥さんとしてくらした、一つ一つの暮らしの積み重ね、子どもの服をぬったり、食事をつくったり、少しでも安いものを求めて足を棒にしたり、子どもと散歩したり・・・・そういう当たり前の生活を大切に大切にしながら、それと同列に学問への強烈な思慕を持ち続けたこと・・・そのことを本当にすばらしいと思います。主婦として生きる、女として生きるとはどういうことか、甘んじて受け入れながらも希望を捨てず、学問への希求を忘れなかったこと、一方では葛藤し、彼女もまた普通の人間だと感じさせてくれる一面もまた、私たちに勇気をくれます。
若いころは私の中で神格化したミューズのような人でしたが、年とともに鮮やかに、人間神谷美恵子が語りかけてくれているように感じられます。このことがまた、私の喜びになっています。歳を重ねていくことは幸せなことだと。歳をとってこそ、理解できることがあるのだと・・・
こんなに幸せに暮らしていていいのだろうかという思いは、今回の震災で多くの人が抱いたのではないでしょうか。(一種の戦時下の心理状態に近いと思います。)
歎異抄のくだり「わがこころのよくてころさぬにはあらず」
この意味を問いかけながら、生きていきたいと思います。
投稿: ぱく | 2011-05-21 11:30