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神谷美恵子批判に答えて

なんか、世の中、イライラした人が多くなって、とにかく人を責めたがり、当事者でもない人が誰かをヤリ玉にあげ、罵詈雑言を浴びせたりしていますから、私は、いや~な気持ちになります。

私が尊敬する神谷美恵子先生も、批判のヤリ玉にあげられている一人です。
批判は主に次のようなものです。

神谷美恵子は「らい予防法」に反対しなかった。この法律の人権上の問題に対する言及が全くない。
「らい予防法」に深く関わった医師・光田健輔(みつだけんすけ)氏を肯定的に評価し、批判的言及が全くない。だから、光田健輔氏による患者の断種や強制隔離の方針に手を貸したと言われても仕方がない。

まずは、新約の福音書に出てくるたとえ話の1つを聞いてください。

ある人(ユダヤ人)がエルサレムからエリコに下る道で強盗に襲われた。強盗たちは彼を殴って奪い、衣服を剥ぎ取って、大ケガを負わせて捨て去った。そこに(ユダヤ教の)レビ人や祭司が通りかかるが、見て見ぬふりをして行ってしまった。たまたま(ユダヤと対立していた)サマリヤ人が通りかかり、この人を見つけて気の毒に思い、応急手当をし、自分の家畜に乗せて宿屋に運び、宿の主人にお金を渡してこう言った。「これで介抱してください。足りなければ、帰りに私が払います」

イエスはこのたとえ話をして、強盗に襲われた人の隣人は誰かと問います。

神谷美恵子は精神科医でもありました。
ハンセン病と精神病を重複して患う人たちがいて、精神科の治療を受けられず、精神病が放置されているのを知り、黙っていられなくなったのです。
彼女は自ら希望して、精神科医としてハンセン病患者の施設に行くようになりました。
それが、そんなに悪いことなのでしょうか。
あのレビ人や祭司のように、見て見ぬふりをして、かかわらない方が良かったのでしょうか。
かかわった人が責められ、知らんぷりして何もしなかった人は責められない、それは、おかしくないですか。

上に要約したサマリヤ人のたとえ話で、もし強盗に襲われた人が助からなかったり、重い後遺症が残ったりしたら、助けたサマリヤ人が責められるのでしょうか。あなたの応急手当が悪かった、家畜の背中で揺られたのが悪かった、宿屋に運ぶのに手間どったのが悪かった、あなたが悪いんだ、ということになるのでしょうか。

神谷美恵子も生身の人間です。いくら能力の高い人とはいえ、すべての面で万能だったわけではありません。生身の人間としての限界があります。それに、みんなそうですが、彼女も時代の制約の中で生きた人です。今日の人権感覚に照らして過去を責めることが妥当なのかどうか。
彼女は「らい予防法」に反対しなかったというけれど、では当時のマスコミや社会一般は、はっきり「らい予防法」反対を主張しましたか? 光田健輔氏は「救らいの父」、「日本のシュバイツァー」と讃えられていたのですよ。
神谷美恵子は医師といっても精神科医であり、ハンセン病それ自体の研究や治療を専門にしていた医師ではありません。彼女は、自分にできることを、自分が生きた時代の状況の中で、黙々とやったのです。

神谷美恵子を責めるような風潮が広まれば、何も出来なくなります。人を助けようとすれば後から何か指摘され、責められるかも知れませんから、何もできません。
目の前で交通事故が起きようが、火事が起きようが、子どもが溺れようが、何もできません。「あなたの救助が悪いから助からなかったんだ」とか、「当時の災害救助体制や救急医療制度に欠陥があったのに、なぜ当時それを指摘しなかったのか」とか、責められるかも知れません。そうならぬようにするためには、あのレビ人や祭司のように知らんぷりするしかなくなります。
それで、よいのでしょうか。

助けようとしてかかわった人が責められ、知らんぷりして何もしなかった人は責められないというのはおかしいです。善意で行動した人が、時代の制約やその人自身の限界などによって後から責められる、そんな世の中は、いやです。

例の「自己責任」論もそう。
米軍のイラク侵攻で苦しむイラクの人たちがいて、見かねた日本の民間人が現地に行って運悪く人質にされ、当人たちや家族がマスコミやネットで袋叩きにされました。
イラク人のために何もしなかった人は何も言われません。行動した人たちと家族がひどく責めたてられたのです。それで、よいのでしょうか。(伊藤)

付記:2018年1月

上記は、書いた時点での私の思いです。

今読むと恥ずかしいような箇所もありますが、当時の私の素朴な思いを書いたもので、そのままにしてあります。

その後、いろいろ考えました。是非こちらもお読みください。

http://yamazato.ic-blog.jp/home/2017/07/post-95b3.html(ハンセン病への「空気」と「牧人権力」 武田徹『「隔離」という病い』に思う 2017-07-24 )

http://yamazato.ic-blog.jp/home/2017/08/post-56d1.html(聖書とハンセン病(思いの断片)2017-08-10)

http://yamazato.ic-blog.jp/home/2017/08/post-afa8.html(聖書とハンセン病(思いの断片)その2 2017-08-17)

コメント

本当にそのとおりだと思います。
人間を神格化するのはよくないですが
それに近い敬愛の念を神谷美恵子に
抱いてきた私にとって、的外れの批判は
悲しいです。彼女を批判した人があの時代に
生きていらしたとしたら、神谷美恵子以上
の行為ができたのでしょうか……。
感情的になってしまい、すみません。

歴史研究者、ハンセン病の社会科学的研究者である藤野豊氏の、岩波からでている「ハンセン病と戦後民主主義」の調書は、国家がどのように患者を遇したのか、その政策と実態が国家の文献に依拠して記載されています。
神谷美恵子さんを評価する場合にも、その客観的な認識が前提でありましょう。

杉山様
ご指摘を頂きありがとうございました。その本は未読です。もう少し考えたいです。結果はともかく、苦しんでいる人のために何かしたいという思いで始めたことが非難され、何もしなかった人は何も責められないという風潮への、私の素朴な疑問です。時間をかけて考えたいです。
(伊藤一滴)

神谷美恵子さんに対する思いを拝見しました。武田徹『「隔離」という病』、批判についてはよくご存じでしょう。「光田健輔の横顔」でしたか、そのような文章も書いておられますね。光田健輔は1953年の「らい予防法」改正の折も、絶対隔離、断種を提言しています。神谷さんは当時の全患協の動きもご存じですよね。医師ですから断種のことも。結局、医師の立場であって病者側でなかったのかも。ぜひ、ハンセン病資料館に行かれることを、お進めいたします。

八田様
コメントありがとうございます。
もともと10年近く前に書いた文章で、当時の自分の認識不足を恥じながら、当時の思いを残してあります。
私が言いたかったのは、「助けようとしてかかわった人が責められ、知らんぷりして何もしなかった人は責められない」ということへの疑問でした。でもその後、神谷美恵子のかかわり方の限界や問題点も知りました。
折を見てハンセン病資料館を見学したいと思います。

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