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聖書とハンセン病(思いの断片)その2

ハンセン病に関し、私自身の表記や、表記について思うことを書きます。また、旧約聖書・新約聖書に出てくる「らい病」について書きます。

私は、ハンセン病のことは、ハンセン病と書きます。ただし、引用の場合は、癩病、らい病、ライ病等の表記であっても、書いてある通りそのまま引用します。

ハンセン病の原因となる菌は、らい菌と呼ばれますが、武田徹『隔離という病』の表記にならいハンセン病菌と書くことにします。現代のハンセン病のことに関しては、たとえ医学上の呼び名でも、可能な限り「らい」という言葉は使いたくありません。ただし初回は、ハンセン病菌(らい菌)と書くこともあります。

問題はノルウェーの医師ハンセンがハンセン病菌を発見する以前のことをどう書くかです。どう書くのが妥当なのか考えたのですが、らい病(または癩病)と書く以外、他に適当な表記が思い当たりません。

聖書に出てくる「らい病」については前回書いた通りですが、少し補足します。

聖書の「らい病」を「ツァラアト」と書き換えることについて、素朴な疑問があります。ヘブライ語の聖書のツァーラアトのギリシア語訳はレプラで、七十人訳もレプラと訳しています。同じ語なのに、レプラという言葉は差別的だから駄目で、ツァーラアトなら日本で馴染みのない言葉だからよい、ということになるのでしょうか。ちなみに近年の英訳聖書の多くはレプラに由来するレプロズィ(leprosy)を当てています。

旧約では、ツァーラアトが生じた人も衣類も家までも「汚(けが)れている」とされます。宗教的な「汚れ」であり、衛生上のことではないのですが、衣類や家にツァーラアトの「患部」が生じれば、汚れているので使えません、まして人体に生じれば、その人は「汚れた者」とされて民から絶たれてしまいます。旧約の民がツァーラアトという言葉を聞けば、ぞっとしたことでしょう。ツァーラアトという言葉自体が差別的な言葉のように思えます。

かと言って、新共同訳聖書やフランシスコ会聖書研究所訳の合本のように「重い皮膚病」と「かび」に訳し分けるのも妥当とは思えません。どちらも同じツァーラアトという語が使われているのです。それに、人間に生じるツァーラアトが必ずしも「重い皮膚病」だとは限りません。

批判は承知の上で、私は、聖書に出てくるらい病のことは、当面、らい病と書きます。その際、新約聖書のらい病(レプラ)はハンセン病を含むがそれ以外の病気も含まれ、旧約聖書のレビ記などに出てくるらい病(ツァーラアト)にはハンセン病が含まれない可能性が高いことも書き添えておきます。

レビ記に出てくる、人の皮膚のツァーラアトの症状は、ハンセン病の症状とは一致しないそうです。時代が下る中でツァーラアトという語の意味が広がってハンセン病を含む語となり、さらに時代が下る中で、主にハンセン病を意味する語に変化していったのでしょう。ちなみに現代のイスラエルで使われているヘブライ語では、ツァーラアトはハンセン病という意味だそうです。

日本語のらい病という言葉は差別語だから翻訳に使ってはならないと言うなら、聖書そのものが差別文書だから聖書を刊行してはならないという話になりませんか。聖書は古代に書かれた書であり、その中には、差別的な話も差別的な言葉も出てきます。

私が心から尊敬する真理子さん(故植田真理子氏)が、こうおっしゃっていました。ご参考まで。

http://www.babelbible.net/mariko/opi.cgi?doc=wordhunt&noframe=1&mode=right&course=life

(伊藤一滴)

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