信念を貫く人もいる
ご無沙汰しています。
アフガニスタンで、地元の人たちのために活動していた日本の青年が殺害されたというニュースを聞き、悲痛な思いです。
同じニュース番組が、教員採用不正事件の続報を流していました。
自らの信念に従い海外の民衆のために働いて散った青年と、不正な手段で教員になった人と(本人が知らなかった可能性もありますが)、どっちも同じ日本の若者。
そのあまりの落差を思いました。
以前、NGO関係者から聞いたのですが、たとえ海外で活動して帰国しても、日本では就職先がほとんどないそうです。日本社会はそうした人を評価するのではなく邪魔者扱いします。私が思うに、日本で偉いのは、お金をもうけた人と官庁や外郭団体を渡り歩いた人でしょう。
正しさはお金のある側にあり、世論さえ、お金をかけてキャンペーンをやった側に流れます。だから、多くの場合、お金のある側の言い分が通ります。
でも、お金って、そんなに偉いんでしょうか。
たくさんのお金を得て、たくさんのお金を使って生きる、そういう生き方って、幸せなんでしょうか。
「お金さえあれば人や物を意のままに動かせる」という考えもあるでしょうが、その程度の「意」で動く人や物の価値というのは、その程度の価値に過ぎません。
うちの一家は、山里の古民家に住み、畑だけでなく稲作も初めました。そうやって食糧の自給率を高めています。たきものを拾ってきて、冬の暖房燃料にしています。家族みんなで、泥まみれになりながら、協力しあってやってます。
利潤の追求にも、産業の発展にも、官尊にも、距離を置いた暮らしですが、不自由とも不便とも思いません。
お金のある側の言い分が正しいとされるなら、それは世の中のほうがおかしいのです。
世がどう評価しようが正は正、不正は不正。
海外で武装グループに捕まったりすると、自己責任だの何だのと言い出す人も出てくるかもしれませんが、それでも私は、信念を貫いた人へ敬意を表したいです。(伊藤)
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