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畑の話

畑の話の続きです。
次男が保育園からトマトの苗をたくさんもらってきたので家庭菜園に植えました。トマトだけで1畝(うね)できました。苗は牛乳の紙パックを切った容器に入っていて、買ったものではないようだし、どうしたのかと思ってお礼を言うついでに保育園の先生に聞いてみたら、「去年、保育園の庭に植えたトマトの1部が熟して落ちたようで、そこから自然に発芽したんですよ。捨てるのももったいなくて、欲しい人にあげてるんです」というのです。トマトのような寒さに弱い植物が、自然に落ちたタネの状態で山形の冬に耐えたとは、すごい生命力です。
人間は、なるべく余計な干渉をしない方が、作物が生命力を発揮するようですね。

キャベツの花が咲きました。キャベツなんて身近なわりには、どんな花が咲くのか知りませんでした。きのう、畑で咲いていて、生まれて初めてみました。うすいヤマブキ色で十文字のかわいらしい花です。
キャベツと大根なんて、お店で見てもぜんぜん似てませんが、どっちもアブラナ科で花の形はよく似ています。コマツナ、チンゲン菜、からし菜などの花も見ましたが、みな、菜の花の仲間で、葉の形は違っても花が似ています。

きのう、ひょうたんの花も咲きました。白い花で、夕顔(形が冬瓜に似た食用フクベの一種)の花とそっくりです。ひょうたんは、子どもも喜ぶだろうと思って植えました。食用ではなくて遊びです。わが家の家庭菜園は、遊びの要素もいろいろあります。
宮沢賢治ではないけれど、畑にヒマワリも植えました。これも遊びで、子どもたちの観察用も兼ねてます。タネが採れたら来年の分だけ残し、あとは保育園のハムスター君にあげようと思います。

「家庭菜園を無農薬にしたら害虫が大発生して困った」という人がいますが、肥料のやりすぎではないでしょうか。有機肥料といえど、やりすぎは病害虫のもとになります。多くの野菜や豆類は、無施肥か少量の完熟堆肥で十分育ちます。人間もそうですが、栄養を摂り過ぎるとバランスを崩します。バランスの崩れた植物は、虫や病原体が除去してくれるのが自然の摂理であり、害虫や病気の大発生は、人はそれを食べるなという信号のようなものです。たとえて言えば、食べるべきでないものを遮断してくれる一種のヒューズなのです。それなのに、せっかく教えてくれている虫や微生物たちを農薬で殺し、本来なら育たない作物を育てて食べるのが人間です。(私はそれに気づいたとき、40歳に近い年になっていました。)

あるクリスチャンの無農薬栽培者がこんなことを言ってました。
「害虫というのはイエス様みたいだ。人間が食べるべきでないものを身代わりになって食べてくれる。まるで、人間の身代わりに罪を背負ったイエス様みたいだ」
われら人間は、神から遣わされた預言者のような虫や微生物たちを殺し続けています。でも、農家が悪いわけではないのです。農家は農薬の害も、化学肥料で土がやせることも知りながら、見た目がよくて均一な作物を求め続ける市場(しじょう)の要求でそうせざるを得ないのですから。農家にそうさせているのは消費者なのですから。

畑の話は、また書きます。(伊藤)

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