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モダン・タイムズ

私は建築士ですが、主に構造系の仕事をしており、最近のトイレの「進化」など知らずにおりました。
よそ様のトイレをお借りして、驚きましたねえ。フタの自動開閉も余計なお世話という気がしますが、家庭用トイレなのにセンサーが内臓されていて、使用後の水も自動的に流れるなんて。まだ用が済んでいないのに、ちょっと腰を動かしたら流れてしまいましたよ、まったく。
それにしても、使う人の判断ではなく機械がやってくれるというのは、こっちが機械に使われているみたいで、いい気がしません。ささいなことのようですが、何というか、感覚が狂っちゃいます。

トイレに限らず、最近はいろんなものが自動制御になっています。何だか、チャップリンの映画「モダン・タイムズ」の世界にいっそう近づいてきたみたいです。あれは、機械化が進み、人が機械に振り回されておかしくなってしまうさまをコミカルに描いた風刺的な作品ですが、戦前に、すでにオートメーション化への警告がなされていたのです。それなのに、その後、世の中はどんどんオートメーションになってゆき、今ではあの映画の誇張を笑えない感じがします。(「モダン・タイムズ」は、たいていのレンタル店にありますから、興味ある方はご覧ください。)

ガンジーの機械文明批判を読んでいたときも、「モダン・タイムズ」を思い浮かべたのですが、やはり接点がありました。
中央公論社の『世界の名著63・ガンジー、ネール』の解説にあったのですが、ガンジーとチャップリンは1931年にロンドンで会見しています。チャップリンは、ガンジーの機械文明批判に心を動かされ、それが映画「モダン・タイムズ」(1936年)の制作につながっていったようです。

ガンジーやチャップリンが、戦前から警鐘を鳴らしていたにもかかわらず、21世紀になった今も、まだ世の中は目覚めません。
私たちはいつまで機械の種類や数を増やし、また機械の「余計なお世話」機能も増やしながら、限りある資源やエネルギーを使い続けるのでしょう。それで良くなるならともかく、ますます産業に組み込まれ、ますます機械に振り回されるようになっていくだけなのに。(伊藤)

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