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懐妊、そして

tsukaharaさん、さっそくのコメントありがとうございました。
意外な方からメールを頂いたりもしてまして、この場で感謝申し上げます。
山形も梅雨入りし、うっとうしい季節が来ましたが、もうしばらく、がんばってみます。

つれ合いが横になって休んでいると、長男と次男の会話が聞こえてきます。
「兄ちゃん、ママがカメさんみたいに丸くなってるよ。ママ死ぬの?」
「馬鹿! ママが死ぬわけないだろう。かたまってるだけだ」
子どもなりに心配しているようです。

地域のお祭りがあり、たまたま、わが家が属する隣組が当番で、つれ合いの懐妊の話は近所に広まりました。
近所のお婆ちゃんたちは、「だんなさん、奥さんを大事にしてやってよ」と声をかけてくれます。
変に気を使うことのない素朴な日常はいいものです。これで近所に子どもが多ければ言うことなしなんですけれど・・・・・。

全国的に少子化の流れは止まらず、特に都市部では顕著だと報じられておりますが、それは、産業化が生活の隅々に及んで人を支配するようになった時代の当然の結果と言えるでしょう。昔と違って「お互いさま」の意識が薄れ、人のつながりも希薄化しています。そういう中で、子どもを育てるのは大変です。今では育児も様変わりし、昔なら地域が共同でやっていたことも、行政や業者のサービスを頼んだり、メーカーの物品を購入して対応したりする方向に変化し、お金がかかる、時間がない、お金がかかる、時間がない、世の中に広くイライラが蔓延、という感じです。
世の中は進歩したと言われますが、それで人は幸せになったのでしょうか? 私はずっと、素朴な疑問をいだき続けてきました。

私たち夫婦は、開発と消費を中心とした産業社会に少し距離をおき、自然や人とのかかわりを求めてこの山里に引越して来ました。ここには、昔なつかしいような「遅れた暮らし」が残っています。高齢者の多い小さな集落ですが、ここで私たちは、町や集落や、ご近所に助けられながら暮しています。(伊藤)

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