パソコンで失う時間
今これを書いている私も、読んでおられる方も、パソコンを使っているわけで、近年パソコンはずいぶん普及しました。
私は90年代初めからパソコンを使い出しましたが、今ではその頃とは比べものにならないほど高速化し、大容量になりました。それで仕事が速くなって時間に余裕が持てるようになったかというと、逆です。
なぜか?
パソコンが高速化すれば、その速度が「標準」になるようです。できなかった時代には誰も求めなかったことが、パソコンや携帯電話に代表される機器を使えばできるようになり、できるのだから標準的に求められる、ということなのでしょう。
何だか、ミヒャエル・エンデの『モモ』(岩波書店)に出てくる灰色の男=時間どろぼうに取り囲まれているような感じです。そういう中で、あくせく働くことに疑問を感じるようになりまして、私と連れあいは、産業文明の追求みたいな生き方に少し距離を置くことにしました。
自分も今、使っているので、パソコンを否定することもできませんが、パソコンを使うことで失われる時間について考えてみました。
使い方を覚えるのにかかった時間
必要なソフトを導入したり、設定したりした時間
新製品に換えたときに、データを移植したり、設定を直したりした時間
インターネットの接続業者や回線業者、その他との契約・手続きにかかった時間
ウィルスや迷惑メールによる損失、またそうした対策に費やした時間
機器の故障やソフトの不具合などのトラブルで失った時間
そして、みんな忘れていますが、そもそも機器やソフトや消耗品を買うお金を稼ぐため働いた時間
もっとあると思いますが、トータルすると、仕事の内容によってはパソコンを使ったせいでかえって時間がかかってしまった、時間を失ってしまった、ということになりかねないわけです。
私は山里の風景を眺めながら、現代文明が生み出しためんどうなことなど忘れることにしています。(伊藤)
伊藤です。
「パソコンで失う時間」という文章を書いたとき、仕事で使うことを念頭に書きました。
パソコンには仕事以外にもいろいろな使い方があるわけで、総合的に考えれば、IT化には功罪両面あるようです。PCとインターネットの時代になって、限られた時間でも多くの人がつながっていけるという面もあります。一部の人が情報を独占できない、というのもあります。でも、仕事の面では、IT化によって業務の肥大化と高速化が求められるようになったのも事実で、年々高度になってゆくパソコンに人間の側が合わせざるを得なくなって、せきたてられていく面もあります。
IT機器のみならず、道具一般について言えることかもしれませんが、結局それを何に使うかが問われるのでしょう。それは結局、人は何のために生きるのか、何が人の幸せなのかという哲学的な問題とも関係してくるみたいです。(伊藤)
投稿: ジネント | 2005-04-28 13:56