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中村哲氏の死(再掲)

(2019-12-04 初出)

昨日(2019.12.4)の午後6時、運転中の私は、カーラジオのニュースで中村哲氏が襲撃されて死亡したと知りました。

井戸を掘る医者として知られた中村哲氏のアフガニスタンでの活動も、ペシャワール会のことも、ネットで検索すればたくさん出てきますので、ここには繰り返しません。

お会いしたことはありませんが、氏のお人柄はよく耳にしていました。誠実なクリスチャンだと聞いていました。

私がたまに寄るある団体の方々が、ささやかな手作りの品を作り、その売上金をペシャワール会に寄付していました。私はそこに寄るたびに手作り品を購入していました。わずかでもペシャワール会の資金になってくれたらいいと思いながら。ほんの少しでも、協力したかったのです。

それが・・・・。
あの中村先生が、銃撃されて殺されるなんて・・・・。

くやしくて、くやしくて、なりません。

犯人が憎いというのではありません。
私は、誰も憎みたくありません。
憎しみから良いものは生じませんから。

憎いのではなく、くやしいのです。
築き上げてゆくのは大変なのに、破壊するのは一瞬です。

くやしくて、くやしくて、なりません。

(伊藤一滴)


追記 2027.4.2(4月になりましたが、昨日も今日も山里は雪です。)

Photo


ドキュメンタリー映画『荒野に希望の灯をともす~医師・中村哲 現地活動35年の軌跡~』を見ました(アマゾンなどで買えます)。何度も見ましたが、何度見ても素晴らしい映画です。

中村先生はあまりにも不公平な世の中に丸腰で向かって行きました。大国の経済力や軍事力を利用するのではなく、一民間人として、どこまでも非武装・非暴力で庶民と共に歩む道を選びました。そういう人が暴力的に殺されるなんて・・・。
映画は中村先生がクリスチャンであることにまったく触れていません。それよりも、もっと大事なことを伝えたいのでしょう。
中村先生は西南学院中学3年のときにバプテスト教会でバプテスマ(浸礼)を受けています。(バプテスマは一般に洗礼と呼ばれますが、バプテスト派では浸礼という訳語が使われています。)
「(中村さんは)内村鑑三『後世への最大遺物』を読んで、「自分の将来を日本のために捧げる」という使命感を持ち、また「山上の垂訓」(マタイ5~7章)は暗記するほど読んだという。」(クリスチャンプレス 2019.12.04)

アーサー・ホーランド牧師の見解も載せておきます。
「クリスチャンであると報道されている中村さんの宗教の垣根を超えた活動に、アーサー・ホーランド牧師は「こういう素晴らしい人がこういう形でこの世を去っていくというのはなんでだろう、こういう人こそ長生きして活動を続けていってほしかったと思う。彼の働きを見て思い出したのが“敬天愛人”という言葉で、信仰的なバックグラウンドに凝り固まらず、本質的な部分で宗教の壁を超えて世のためになる働きをしていく。宗教によって戦争が起こっている中で、その教えが世界共通だということを身をもって表した。今教育が話題になっているが、彼のように自分が生きて体験したことを見せてくれる教育こそ世の中に必要で、僕も爪の垢を煎じて飲みたいぐらい」と讃える。」
出典:https://ameblo.jp/daikouchou/entry-12553660661.html


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ジネント山里記 site:ic-blog.jp(検索)

(スポンサーの広告が出てくることがありますが、私の見解とは一切関係ありません。)

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http://yamazato.ic-blog.jp/home/archives.html

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