山上徹也さんのおかげで統一協会問題のフタが開いた
「『山上徹也容疑者のおかげで統一協会の問題が報じられるようになった』と言うのは殺人の正当化だ」という人がいる。
たしかに、ネット上には、山上さんの行為を美化し、彼を英雄視するような主張もある。
私自身は、山上さんに同情しているし、「可能な限り軽い刑を」と言い続けている。暴力的な手段はよくないといっても、民主的な抗議行動が通じないヒトラーだのプーチンだの安倍晋三だのを相手にどう立ち向かうのかは、難しいと思う。それでも私は、暴力を用いる先制攻撃を是認したことはないし、殺人犯を英雄視もしない。
山上さんには深く同情する。
彼が統一協会から受けた被害はあまりにも大きい。
法的に可能な限り軽い刑にしてほしいし、社会復帰してもらいたい。
考えてほしい。なぜ安倍晋三氏は殺されたのだろう?
自民党を中心とした(中でも特に安倍派を中心とした)議員らが統一協会と深く結びついていたことが一番の問題なのだ。安倍氏が統一協会票を差配していたとする報道もある。中心人物は安倍氏本人であったのかもしれない。
忖度なのか、安倍氏らの圧力なのか、統一協会の違法行為の数々は十分捜査されず、マスコミも統一協会の問題を報じなくなっていた。
「安倍晋三は統一協会と結びつきが深い」と思われ、恨みを買い、殺されたのだ。
山上さんだけが一方的に重い裁きを受けたら、道義に反する。
統一協会の幹部はもちろん、安倍晋三氏も、警察の幹部も、マスコミの担当者も、それぞれの責任に応じて、みな裁かれるのが筋だろう。
本来なら、中でも特に裁かれるべきだった安倍晋三氏を国葬にするって、ふざけているのかと思う。
ふざけているのかもしれない。
頭の良い岸田総理は、わざと非難されるような国葬をやって、安倍晋三氏や彼に近い人たちの問題点があぶり出され、非難の声が高まるのを待っているのかもしれない。自分も責任を追及されるだろうが、それ以上に安倍派が深い傷を負い、壊滅的な打撃を受けるだろう。財界やマスコミにも、いまだに巣くっている安倍派の茶坊主らも失脚するだろう。それを待っているのかもしれない。
「宗教を規制すべきではない」という主張もある。もっともに聞こえるが、統一協会の問題は、その宗教性ではなくカルト性だ。
宗教だから問題なのでない。
統一協会というカルト団体が、霊感商法をやったり破産するほど献金させたりしてきたことが問題なのだ。
カルト規制と宗教規制を混同してはいけない。故意に混同させてごまかそうとする人たちがいるが、だまされてはいけない。
私は安倍晋三氏の手法は民主主義の破壊であり、看過できないと考えている。
また、安倍氏と結びついていた統一協会の反社会的行為の数々も看過できない。
憎むべきは「安倍晋三氏の手法」であり「統一協会の手法」である。「安倍晋三氏個人」や「統一協会の一般信者」ではない。
安倍晋三氏個人は、気の毒だ。
生きているうちに自分のしたことを認め、反省と謝罪を表明してほしかった。そうすれば安倍さんにも道があったのだ。
その機会を奪ったのは、山上徹也さんの罪だ、ということになる。
統一協会の一般信者にも目を覚ましてほしい。真面目な人が多いと聞いている。目を覚ますなら、生まれ変わったようになれると思う。
ある人たちが言うような、死後の救済(セカンドチャンス)はあるのだろうか?
死後の世界があるかどうかなんて、生者は誰も断定できない。あると仮定した場合でも、死後にどうなるのかは死んだ人にだけわかることで、生者はわかりようがない。
だからすべて、仮定の話である。神の存在だって、仮定の話である。
もし仮に、神が本当におられ、その神は愛であるというのなら、すべての生者と死者とに何らかの形で救いのチャンスがあるという考えも成り立つ。
たとえその人が強権を振るい、不正を隠蔽し、カルトとつながっていた政治家で、反省も謝罪もなく死んでいったとしても。あるいは、反社会的行為を繰り返してきたカルト宗教のメンバーであったとしても。
「みこころが天に行われるとおり 地にも行われますように」と、主の祈りにある。
地にはもちろん、みこころは、陰府の霊にも及んでほしいと思う。
(伊藤一滴)
「山上徹也容疑者の減刑を求める署名」に是非ご協力ください。
減刑を求めることについての私の考えはこちら。
http://yamazato.ic-blog.jp/home/2022/08/post-fafd.html
http://yamazato.ic-blog.jp/home/2022/08/post-ef8b.html
山上徹也さんの行為を「民主主義への挑戦」だの「民主主義を破壊する卑劣な行為」だのと言う人たちがいるが、何を言っているのかと思う。「民主主義への挑戦」とか「民主主義を破壊する卑劣な行為」といった言葉は、安倍晋三氏と氏の仲間たちにこそ向けられるべき言葉だ。
9月13日 補足
「暴力はいけない」「殺人はいけない」と言われているし、私もそう言う。
でも、考えてみたら、今も続く多くの国々の政府は暴力的手段で成立している。政府の樹立で多くの血が流されても、殺した側は罪に問われていない。
日本政府もそうだ。現在の日本政府は明治政府を受け継ぐ政府だ。戊辰戦争という殺人を伴う暴力によって成立した政府の裔だ。
我が国の友好国、アメリカ合州国にしても、英国との独立戦争で勝利して樹立された国だ。やはり殺人を伴う暴力によって成立した政府だ。
人を殺す暴力集団が多数派となって政府を作れば、それが正当な政府となる。
個人が人を殺せば、殺人犯と呼ばれて重罰を受ける。たとえ殺されたのがひどい悪党でも。
捕らえて裁くのは、自分たちも殺人者の末裔である政府機関だ。
暴力や殺人がいいとは言わないが、多くの国々の政府は暴力的手段で成立しているという事実を忘れてはいけない。
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