「20点の自分を80点と言い、80点のノンクリスチャンを20点と言うクリスチャン」
敬愛するワインさんのmetanoiaxの日記から、また引用します。
出典 https://metanoiax.hatenablog.com/entry/2017/05/21/012853
引用開始
20点の自分を80点と言い、80点のノンクリスチャンを20点と言うクリスチャン
2017-05-21
一部のクリスチャンの人と話をしていて感じる事は、ノンクリスチャン対しての悪口が、兎に角多いと言う事である。
学校の先生の悪口から始まり、ご近所の人の悪口、職場の人の悪口、人のお子様の悪口・・・。
聞いていたら、殆ど悪口しか話さない。
嬉々として話す姿は本当に異様である。
そして次にくる話は、自分達クリスチャンは、どれ程、世の中の人と違って素晴らしいか・・・という話である。
現実は違う。
学校の先生も、ご近所さんも、職場の人も、人のお子様も、実にわきまえがあり、礼儀正しく、善良である。
クリスチャンの貴方の方が、わきまえがなく、厚かましく、お行儀が悪く、悪意に満ちている。
現実には目を向けず、ノンクリスチャンというだけで点数を低くし、クリスチャンというだけで点数を高くするクリスチャンが結構多いのである。
そういうクリスチャンの所属されている牧師の先生の説教を聞くと、説教の中にノンクリスチャンの人に対する悪口が必ず入っている。
私なら、こんな説教をする牧師のいる教会など2度と行かない。
こういう教会に嬉々として通う人は、もともと好戦的で攻撃的な悪口大好きな人か、そういう教会に小さい頃から親に連れられて、マインドコントロールされてしまった二世さんかのどちらかだろうと
思う。
二世さんは兎も角、結局は類は友を呼ぶのだと感じてしまう。
しかし・・・
そういう人達は本当にもともと、悪口大好きであったのであろうか?とも思うのである。
そういう教会の牧師の先生や、信者の方々を見ていて、ひとつ感じる事がある。
これは全く私の個人的な感性であるが・・・
「強烈なコンプレックス」である。
何か分からないが「強烈なコンプレックス」を感じるのである。
その「強烈なコンプレックス」が自分達を80点とし、ノンクリスチャンを20点として、現実から目を背けさせている様に感じるのである。
そして思うのである。
ひょっとして・・・・
貴方は、本来感じる必要の無いコンプレックスをコンプレックスとして抱えているのではないのか・・・と。
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♦20点の自分を80点にして80点のノンクリスチャンを20点にしてしまう貴方へ♦
誰が、そのコンプレックスを感じさせたのだ?
そんなコンプレックス捨ててしまえ!
貴方のせいなんかじゃない!
本来持たなくても良いコンプレックスを、誰かの都合で持たされているだけじゃないか!
そんなコンプレックス捨ててしまえ!
20点でもいいじゃないか。
そこから始めれば良いじゃないか。
みんな、20点のところも80点のところもあるのだから、いいじゃないか。
貴方の持つ必要の無い、強烈なコンプレックスが、20点の自分と向き合う事を邪魔してるのではないかと感じる。
もう一度言いたい。
そのコンプレックスは誰かに植え付けられたのだ。
決して、貴方のせいじゃない。
誰かの都合で持たされたコンプレックスなんだから、さっさと捨ててしまおうよ。
そうしたら・・・
20点の自分を80点にして、80点のノンクリスチャンを20点にする様な、架空のお伽噺の世界から抜け出す事がきっと出来る。
貴方の世界が広がる。
貴方が批判ばかりしていた、貴方の言う世の中の人の温かさに出逢う事が出来る。
それは、貴方が知らなかった温かさである。
温かいよ。
引用終了
私もまったく同感です。
「架空のお伽噺の世界から抜け出す」ならば、自分がいた世界がフィルターをかけられた世界だったと気づくはず。
外には素晴らしいものがたくさんあり、温かさを感じるはずです。外にはイエス様の教えにかなうものがたくさんあるのです。
そして、自分がいた「正しい教会」が、実は、イエス様が説いた教えと逆方向の、ゆがんだ狭い世界だったと気づくはずです。
そんな悪意に満ちた「教会」から、もう出ましょう。
目を覚ましてください。
(伊藤一滴)
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