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カルヴァン教

1980年代の半ば、学生だった私は、学内で「伝道」している自称「福音派」(「教派ではなく純粋なキリスト教」と称する人も含めて)の学生たちと何度も口論になりました。
彼らは罪の意識や地獄の恐怖で人を脅すことを福音伝道だと思っているようでした。私は、そういうやり方は、かえって人を聖書から遠ざけると思いましたし、彼らの進化論攻撃や天地創造を紀元前4004年頃とする主張など、まったく納得できませんでした。他宗教や他教派に対し、相手の言い分をよく知りもせずに生半可な知識で非難し、見下して馬鹿にするような態度にも腹が立ちました。特にカトリックとプロテスタント主流派に対しては、聞くに堪えないような罵詈雑言を浴びせていました。

今思えば、彼らはキリスト教原理主義者やカルトの集団でしたが、当時の私にそうした知識がなく、福音派の中にはああいう人たちもいるのか、あの人たちはキリスト教の恥だと、腹を立てていました。
彼らは、聖書の権威、神の絶対性、神による予定、信徒の訓練などをことさら強調しており、また、何事でもそれが聖書に書いてあるかどうかを非常に気にしており、ある面、カルヴァンの影響を強く受けているようでした。

カルヴァンは偉大な宗教改革者とされていますが、その主張の中には時代の制約もあります。
正典成立史を見てもカルヴァンが言う「聖書の権威」とは合致しません。(※)

キリスト教2千年の歴史の中の一人に過ぎないカルヴァンの見解が、今も多くのキリスト教会の教義の根底にある、というか、教義の根底はカルヴァンの見解に沿ったものでなければならないというのも、どうなんでしょう。

当時、『カルヴァン小論集』(岩波文庫)を読みながら、カルヴァンは「福音派」の元祖かと思いました。その後『キリスト教綱要』(新教出版社)を読みながら、ますますそう思いました。翻訳者や出版社のご努力を思えば申し訳ないのですが、第一巻を途中まで読んで嫌になり、それ以上読んでません。

自称「福音派」の原理主義者やカルトたちは、おそらく無意識に、イエスよりもパウロを上に置き、カルヴァンをもっと上に置くという思考回路になっているのでしょう。

無意識なのです。
意識するなら三位一体の神こそが最上であり、その神を正しく証ししたものが聖書ということになるですから。

彼らは無意識に、イエスの言葉をパウロの見解に合うように解釈し、聖書全体をルターやカルヴァン、特にカルヴァンの見解に合うように解釈するのです。(カルトではない一般のプロテスタントにも、そうした傾向が見られるときがあります。)
さらに「福音派」の一部には新興キリスト教の独自の見解も入り込んでいるようで、それを「正しい聖書信仰」、「正統的プロテスタント」、「福音的な信仰」、「福音主義」などと称しているのです。

自称「福音派」の正体が見えたと思いました。パウロ教、かつ、カルヴァン教で、一部はそれに新興キリスト教の見解を混ぜたものだ、と思ったのです。


自称「福音派」たちから何度もからまれ、若かった私はかなり言い返してやりましたが、私がどんなに筋を通して話をしても、彼らは少しも目を覚ましませんでした。強力なマインドコントロール下にあったのでしょう。左翼学生と似た、病的な思い込みのようでした。当時、ソビエトや北朝鮮の実態が伝えられても、共産主義の理想を信じて疑わない人たちがいました。信じる対象は違いますが、左翼学生たちの強い思い込みと「福音派」は似ていました。


「そもそもキリスト教信仰の根本は何か」と考えました。

古代や中世の世界観で語られた見解をそのまま受け継いでいいんだろうか。古代や中世の人たちが思い描いていた世界と現実の世界はかなり違うのに。

「パウロ教、かつ、カルヴァン教、プラス新興キリスト教」でいいんだろうか。

エラスムスは「ルターは曲がった関節をまっすぐに戻そうとして反対側に脱臼させた」と言ったという。(すみません、出典を忘れました。なにしろ1980年代に読んだ記憶です。)

宗教改革以前のキリスト教は否定すべきものなのか。

中世のカトリックを異端として否定すれば、この世のどこにもキリスト教が存在しなかった空白期間があったことになる。
原始キリスト教は正しい教えを伝えていたがカトリックが異端化し、16世紀の宗教改革で正しい教会を取り戻したというのなら、空白期間をどう説明すればよいのだろう。

旧約聖書39巻と新約聖書27巻の計66巻だけが唯一の信仰の規範であり、これを唯一の信仰の論拠と信じる教会だけが正しい教会だ、と言うなら、原始キリスト教も正しいキリスト教ではなくなってしまう。十二使徒やパウロが活躍した時代にはまだ新約聖書がなかったし、旧約聖書39巻も確定していなかった。最初期の教会は現在のような「聖書66巻」を持っていなかったのだから、正しい教会ではなかった、ということになる。
「聖書中心主義(=福音主義)の正しい教会は16世紀の宗教改革で初めてこの世に出現した」「それまで正しい教会はどこにもなかった」ということになる。

宗教改革者が否定したカトリックの見解はすべて否定すべきものなのか。

「信仰の論拠は聖書のみです。宗教改革者が否定した点には聖書的根拠がなかったのです」と言う人たちがいるが、聖書的根拠なんて、どうとでも言える。

「信仰の論拠は聖書のみ」と言う人たちは、そう言いながら、「聖書のみ」を論拠にしておらず、カトリックの神学や過去の伝承を引っ張り出してくる。(例、三位一体論など、聖書のどこにも出てこないカトリックの教義だし、使徒信条もそう。また、たとえば「マタイ福音書の著者は使徒マタイです」といった主張は伝承であり、これも聖書のどこにも出てこない。)

聖書を解釈するのは人間である以上、「信仰の論拠は聖書のみ」は「信仰の論拠は人間の主観のみ」になりはしないか。「聖霊の働きによって正しく解釈しています」という主張があるが、聖霊はあっちの教派とこっちの教派で違う解釈になるよう働くのか。「あっちの教派は間違っています」というのは、逆からみたら逆に見えるだけで、教派の数だけ「正しい」解釈があり、自分が属する側の解釈を正しいとしているだけではないのか。実際、プロテスタントは諸派の乱立となっている。

やはり、キリスト教信仰の根本は何なのか、そして、そもそもキリスト教とは何なのか、という検討が必要だろう。
まさか、「カルヴァン流の強権的・神権的な支配に従うこと」がキリスト教信仰の本質ではあるまい。

(伊藤一滴)


※ たまたまF・V・フィルソン著『新約正典の研究』(日本基督教団出版局)を読んだのですが、この本は、聖書にはもともと内的な権威があるという前提で新約正典の成立を論じています。私は、歴史的事実としての正典成立史を論じ場に自分の信仰的な考えを持ち込むべきではないと考えます。それは学問のやり方として正しくありません。聖書の権威がどうこうは、神学上の考え方としてはともかく、歴史を論じる場に持ち込むべきではありません。

蛭沼寿雄『新約正典のプロセス』(山本書店)は、宗教的な先入観なしに新約正典の成立について論じた書です。蛭沼氏は本書の最後で正典の見直しについてまで言及しておられ、考えさせられました。でも、誰が何の権限で新約聖書の再編集ができるのでしょうか? もし学者が「真の正典」を出したとしても、世界の教会はそれに従うんでしょうか?

荒井献編『新約聖書正典の成立』(日本基督教団出版局)を只今読書中です。私は安価で入手しましたが、一部の古書店でべらぼうに高い値段がついているようです。

残念ですが上記の3冊とも絶版です。

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