旧約聖書の範囲は教派によって違う
(「アポクリファ」はユダヤ教・キリスト教における「聖書外典」という意味で使われますが、ここでは正典かどうか時代により教派により扱いが異なる文書も含め、一般のプロテスタントの66巻の聖書に含まれない文書をアポクリファと書きます。)
イエスや弟子たちが活躍した時代も、後に新約聖書に収められる文書が執筆された時代も、七十人訳ギリシア語聖書(Septuaginta)が広く使われていました。
七十人訳はヘブライ聖書(キリスト教の側から見た旧約聖書)のギリシア語訳で、諸説ありますが紀元前3世紀半ば頃から訳されたと考えられています。70という意味でLXXと略記されることもあります。
この訳は新約聖書にも多数引用されています。(ただし、新約の著者は記憶で引用したのか、何か意図があって変えたのか、文章が違うこともあります。)
七十人訳にはアポクリファ(旧約聖書続編)も含まれています。
イエス自身も、弟子たちも、パウロや他の新約執筆者たちも、七十人訳が使われた時代を生きていましたが、「アポクリファの部分は聖書ではない」とは一言も言っていません。そもそも区別さえしていません。イエスや弟子が生きて活動した時代のユダヤ教社会では、アポクリファも含めて「聖書」だったのです。
カトリックはアポクリファのかなりの部分を第二正典とし、聖公会は有益な文書として価値を認めています。
「福音派」はアポクリファの価値を認めたくないようで、「新約聖書にはアポクリファからの引用はまったくありません」と言い張る人もいますが、どうでしょう? 有名な「私は命のパンである」(ヨハネ6:35)の箇所など、シラ書24:19以降を意識した発言でしょう。ヨハネ福音書が描くイエスはシラ書を意識し、特にシラ24:21をひっくり返しています。
「イエスは言われた。「わたしが命のパンである。わたしのもとに来る者は決して飢えることがなく、わたしを信じる者は決して渇くことがない。」」(ヨハネ6:35)
「わたしを慕う人たちよ。わたしのもとに来て、 わたしの実を心行くまで食べよ。」(シラ24:19)
「わたしを食べる人は更に飢えを感じ、 わたしを飲む人は更に渇きを覚える。(シラ24:21 )
アポクリファをそのまま引用したのではありませんが、意識した発言です。偶然ですか? まさか。
パウロの名で「聖書は、すべて神の霊感を受けて書かれたものであって、人を教え、戒め、正しくし、義に導くのに有益である」(2テモテ3:16)と書いた人物も、聖書という言葉にアポクリファを含めて考えていたことでしょう。当時使われていた聖書にアポクリファも含まれていたのですから。もちろん、この著者が言う「聖書」には新約聖書は含まれていません。新約聖書はまだなかったのです。
2テモテのこの箇所を引用し、「旧新約聖書66巻だけが神の霊感によって書かれた無誤無謬の信仰の論拠です」などと主張するのはこじつけです。
西暦90年代になって、当時のユダヤ教は、ファリサイ派の学者を中心にヤムニア会議において39巻の正典を定めました。
キリスト教の側はこれを無視し、伝統的にアポクリファも含めて受け継いできました。アポクリファは、偽造された文書でも土の中から出てきた未知の文書でもなく、キリスト教徒によって受け継がれてきた文書です。
16世紀の宗教改革の時代、プロテスタントがアポクリファを除外して39巻の文書を旧約聖書としたので、旧約はユダヤ教の正典(ヤムニア会議の39巻の正典)と同じになりました(配列が少し違います)。
「カトリックは旧約聖書に外典(アポクリファ)を付け加えており、正しい聖書ではありません」と言う人がいますが、付け加えたというのは嘘です。
キリスト教の歴史を考えれば、プロテスタントの側がアポクリファを除外したのです。
宗教改革以前のキリスト教会は、アポクリファを受け継ぎ、その扱いを厳密に決めていなかったのです。
「聖書66巻は天地創造の前から神の御計画にありました」といった主張がありますが、正典成立の歴史を考えれば成り立たない主張です。また聖書それ自体のどこにもそんなことは書かれていません。「聖書は66巻である」とさえ書いてありません。
「信仰の論拠は聖書のみ」も、宗教改革時代の状況の中での主張です。イエスが人々にそう教えたわけではありません。
「歴史の中で生じたその教派の教え」と「イエスの教え」は分けて考えるべきです。
「その教派の教え」と「イエスの教え」をごちゃ混ぜにしているクリスチャンたちを私は見てきました。キリスト信者と言うより「教派信者」のようでした。筋を通して説明しても、まるで聞く耳を待たない人たちでした。
アポクリファの扱いは、今も、教派によって違います。
ご参考まで、ウィキペディア日本語版の「ヘブライ語聖書」の項目の右下にある表からのコピペを以下に載せておきます。(2021年7月現在)
ただし、英語参照といった関係ない部分は消し、(※1)と(※2)は私が補足しました。
(なお、「ユダヤ教、一般のプロテスタント、ローマカトリック」以外の正典については、私は知識がないため、記述が正確かどうかわかりません。)
引用開始
ヘブライ聖書 または 旧約聖書
ユダヤ教、プロテスタント、カトリック教会、東方教会
モーセ五書(※1)
ヨシュア
士師
ルツ
サムエル 1, 2
列王 1, 2
歴代誌 1, 2
エズラ
ネヘミヤ
エステル
ヨブ
詩篇/聖詠
箴言
コヘレトの言葉(伝道の書)
雅歌
イザヤ
エレミヤ
哀歌
エゼキエル
ダニエル
十二小預言書(※2)
ユダヤ教とプロテスタントが除外
トビト
ユディト
マカバイ 1, 2
知恵
シラ
バルク 1、含 エレミヤの手紙
ダニエル書補遺
エステル記補遺
東方正教会が含む
エズラ 1
マカバイ 3, 4
マナセの祈り
詩篇第151篇
ロシア正教会とエチオピア正教会が含む
エズラ 2
エチオピア正教会が含む
バルク 4
ヨベル
エノク
メカビアン 1-3
ペシッタ訳聖書が含む
詩篇第152-155篇
バルク 2
古代教会スラブ語聖書が含む
バルク 3
引用終了
※1
創世記
出エジプト記
レビ記
民数記
申命記
※2
ホセア書
ヨエル書
アモス書
オバデヤ書
ヨナ書
ミカ書
ナホム書
ハバクク書
ゼファニヤ書
ハガイ書
ゼカリヤ書
マラキ書
アポクリファの部分を旧約から除外してしまったのは、宗教改革の負の遺産の一つではないでしょうか。
「ヤムニア会議は、ユダヤ戦争終結後、紀元90年代にユダヤ教(主にファリサイ派)のラビたちによって行われ、マソラ本文(ユダヤ教のヘブライ語聖書)の定義と分類を決定した宗教会議。ヤムニアはヤブネのギリシア語名で現在のイスラエル南西部にあたる。」(ウィキペディア「旧約聖書」より)
ユダヤ教の聖書(キリスト教の旧約聖書)の正典39巻の決定は、紀元90年代です! イエスが活動した紀元30年頃よりだいぶ後です!
イエスが生きて活動していた時代のユダヤ教ではアポクリファも含めて聖書とされており、やがて39巻になるなんて、当時のユダヤ人は思ってもいなかったことでしょう。
30年ほど前の話です。
死者のための祈りについて、私が、「旧約聖書続編の第二マカバイ記に死者のために祈る箇所があります」といった話をしたら、「旧約聖書に続編なんてありません! 旧約聖書は39巻です!」と叱られたことがありました。だからそれ、その人が属する教派においてはそうだ、という話です。その教派は歴史的事情でそうなったのであり、その教派がキリスト教の中心でもすべてでもありません。言っちゃいますが、それ、九州の日本基督教団のある教会の牧師でした。日本基督教団さん、牧師養成の教育はしっかりやってくださいよ。「旧約聖書に続編なんてありません!」なんて、牧師が言うようじゃあ、そして私のような素人から言い返されるようじゃあ、牧師養成の教育はどうなっているんですか? せめて「当教会においては旧約聖書に続編はありません。当教会においては旧約聖書は39巻です」と言うならともかく。自分が属する教会がキリスト教の中心だとでも思っているのでしょうか。当時でも日本聖書協会が「旧約聖書続編付き」を出していたのに、そんなものは存在しないことにして無視してたんですかね。まあ、九州はカトリックも強いだろうから、あえてカトリックとの違いを強調したかったのかもしれませんが。
日本基督教団は大きな団体で、リベラルなエキュメニストが多く、私が会ったほとんどの人は「話のわかる人」でしたが、もともと諸教派の寄せ集めですから、内部にはたまに宗教右派みたいな牧師や信者がいたりします。
「歴史的事情で生じたその教派の見解」と「イエスの教え」を混同すべきではありません。
なお、自分たちの教派の主張を正当化するために正典成立史をねじ曲げる人たちがいます。ネットにも歪められた話が載っています。注意が必要です。
「福音主義の信仰」とか「聖書信仰」とか言うのなら、聖書より上に人間の言葉を置くのはおかしいと思いませんか? 「ルター著作集」も「カルヴァン著作集」も、「ハイデルベルク信仰問答」も「ウエストミンスター信仰告白」も人間の言葉です。人間が考えた人間の言葉が「聖伝」のように受け継がれ、時には聖書より上のように信仰の論拠となるのが「福音主義の信仰」や「聖書信仰」なのですか? 見方によっては、アポクリファは人間の考えによる人間の言葉によって聖書から外された、とも言えます。
もう一度言います。
イエス自身も、弟子たちも、パウロや他の新約執筆者たちも、七十人訳が使われた時代を生きていましたが、「アポクリファの部分は聖書ではない」とは一言も言っていません。そもそも区別さえしていません。イエスや弟子が生きて活動した時代のユダヤ教社会では、アポクリファも含めて「聖書」だったのです。
(伊藤一滴)
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