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「信仰という名の虐待」で検索してみると

以前、グーグルを使って「信仰という名の虐待」で検索し、
仁保裕介氏のブログ「真実なクリスチャンライフを求めて~自由な祈りのために」に出会いました。
どこを読んでも参考になりますが、たとえば、2014年02月19日の「「信仰という名の虐待」によって植えつけられた信仰の子の「三つ子の魂」の執着に、誰が責任を取るのか」など、なるほど!そうなんだ!と思って読みました。
http://blog.livedoor.jp/chlife/archives/52128974.html

同じく「信仰という名の虐待」で検索して、
ワイン氏のブログ「metanoiaxの日記」にも出会いました。最初に読んだのが、2018-02-26の「信仰という名の虐待」でした。
http://metanoiax.hatenablog.com/entry/2018/02/26/183800
「metanoiaxの日記」も、どこを読んでも参考になります。全体から感じるのは筆者の誠実なお人柄です。

「このカルト化している教会は、まだまだ無くならないのだろうと感じています。
なぜなら・・・
「カルト化した教会を必要とする人々」が多くいらっしゃると思うからです(二世さんは除きます)」

「カルト化した教会を必要とされる方々は、カルト化していない教会では満足出来ません。
いずれ、カルト化した教会に移籍されるのだと思います。」

と書いてあり、カルト教会がなくならない理由が、やっとわかりました。「カルト化した教会を必要とする人々」が多くいるのです!
(「二世さん」というのは、最初意味が解らなかったのですが、よく読むとカルト信者の家に生まれた宗教二世のことです。誰も生まれる家を自分で選べないのに、幼少期からカルト信仰の中で育ち、学校生活や社会生活にも大変な影響が出たことでしょう。カルト独自の世界観・価値観から抜け出すのも大変でしょう。気の毒です。)

最近、同じ検索で、
遠山公子氏の「“神さま”を利用した支配。〜わたしが生まれた教会の話〜」
https://charitsumo.com/column/13127
を読みました。
この方、教会の牧師の家に生まれ、ずいぶんひどい目にあったんです。
これも是非お読みいただきたいと思います。


キリスト教に関心を持ち、話を聞こうと思ったら、教派や教会はよく選ばないといけないと思います。そして、可能なら、牧師(または司祭)も選ばないと。

福音派と名乗る教会は玉石混淆です。とてもいい人たちもいますから、うまくそういう人に当たればよいのですが、中にはかなり原理主義寄りの人もいますし、一部にカルト化も見られます。
信頼できる人に紹介してもらうか、信頼できる人と一緒に行ったほうがいいと思います。

カルト思考原理主義者たちは、エキュメニズム派(特にカトリック)を敵視しています。でもそのおかげで「エキュメニズム(教会再一致運動)をどう思うか」「カトリックをどう思うか」で、教会や信者を判別できます。
中世や近世のカトリックならともかく現在のカトリックを敵視して罵詈雑言を浴びせる人たちや、諸教派の相互理解や他宗教との対話路線のエキュメニズムを非難する人たちには近寄らない方がいいでしょう。そうした人たちは独自のイデオロギーの中にいます。話を聞いても聖書やキリスト教の常識的な学びにはなりません。自称「福音派」の原理主義者やカルトの発想や思考はエホバの証人とよく似ています。実際、「エホバの証人は福音派の一派」と考えている人もいます(鈴木崇巨著『福音派とは何か?』おすすめできる内容ではありませんが、データは参考になります)。

キリスト教の話を聞こうと思ったら、無難なところでは、エキュメニズム派、つまりプロテスタントの主流派(メインライン)かカトリックの教会をお勧めします。理性的な人が多く、しつこい勧誘や狂信的な主張などはありません。

一部例外もありますが、両者は使っている聖書で、だいたい見分けがつきます。

(伊藤一滴)

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