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イエスの誕生

今日はクリスマスの話です。

聖書の記述がどこまで歴史的事実を反映しているのかはひとまず置いて、まず、福音書が描くイエスの誕生の場面を見てみます。前に書いた話との重複もありますが、ご了承ください。

福音書は、ベツレヘムでのイエスの誕生を描きます。
ルカは、ヨセフが「人口調査」のため身重のマリアを連れてベツレヘムに来た場面を描きます。ベツレヘムではマリアとヨセフはよそ者です。マリアは臨月なのに泊まる宿もなく、家畜小屋に身を寄せ、そこでイエスが生まれたようです。でも、はっきり家畜小屋とは書かれていません。古い絵画で、家畜小屋に使われていた洞窟が描かれることもあるのですが、もしかすると、宿の、家畜をつなぐための土間であったのかもしれません。
一世紀のパレスチナです。旅人は家畜で荷物を運んだり、家畜に乗って移動したりしたのでしょう。宿の土間には家畜をつなぐスペースがあったと考えるのが自然です。部屋は満員だけれど土間でもよければと言われ、野宿するよりはまだいいと、家畜と一緒に土間に泊まった、そんな場面を想像します。


福音書には、生まれたばかりのイエスが布に包まれ、かいばおけ(うまぶね、まぶねとも言う、家畜のエサ箱)に寝かせられた話が出てくるだけで、そこがどんな建物だったのか、何も書かれていません。
ルカは、マリアの出産についても具体的には描きません。でも、状況を考えれば、不衛生な場所での危険な出産が想像されます。

家畜小屋にしても、家畜をつないだ土間にしても、今の人にはなじみが薄いかもしれませんが、私が子どもの頃は、まだ近所にありました。そこはわらの匂いに混じって家畜の息や糞尿の臭いが漂う場でした。

かいばおけ(家畜のエサ箱)がベビーベッドの代用品!

私が子どもの頃、家畜小屋にはドラム缶を切って作ったエサ箱が置いてありました。家畜のよだれでべとべとになっていたりして、ちっともロマンチックなものではありません。イエスの時代のかいばおけは、木とか石とか、その時代に手に入りやすい素材でできていたのでしょう。そこにわらや干し草などを入れ、家畜に食べさせていたのでしょう。

衛生的ではないけれど、地べたに寝かせるよりはと、かいばおけに寝かせられた新生児イエス。それがイエスのベビーベッドで、中のわらや干し草が敷布団のかわりだったということなのでしょう。

一般庶民よりずっと惨めな中で生まれたイエス。それが、ルカが描くイエスの誕生の場面です。よく、西洋の絵画で、降誕の場面が美しく描かれますが、ちっとも美しくありません。不衛生な場所の、悪臭の中です。

しかも、マタイによれば、幼いイエスは命を狙われ、ヨセフは、マリアとイエスを連れてエジプトに逃れた、というのです。

もう25年以上前ですが、私は、聖地の旅に参加して、イスラエルからシナイ半島を越えてエジプトに行くバスに乗ったことがあります。シナイ半島は延々と沙漠が続きます。バスでさえ長い旅で、途中で私は気分が悪くなりました。

幼い子を連れた一家が、徒歩でシナイ半島を越えてエジプトまで行くのは、まず不可能でしょう。
ラクダを調達し、相当の食糧と飲料水を積み、衣類や夜具を積み、簡易テントも積んでいったとしても、それでも一家族では無理かもしれません。隊商にでも同行したのでしょうか? 命がけの旅です。

命がけの難民の家族です。

イエスは父親のはっきりしない子として、しかもよそ者として、不衛生な場所の悪臭の中に生まれ、一家は難民になって命がけで国外に逃れた、という話です。マリアもヨセフも、ただ神に従っただけなのに。

聖書は、神話的な世界観の中に生きていた古代人の文書ですが、その中に、現代に通じる大切な証があるのです。

イエスは言います、『まことに、あなたがたに告げます。あなたがたが、これらのわたしの兄弟たち、しかも最も小さい者たちのひとりにしたのは、わたしにしたのです。』 (マタイ25:40より 新改訳初版)
また、イエスは、『あなたの隣人をあなた自身のように愛せよ。』という旧約の言葉を引用して教えを説きます。(マルコ12:31より 新改訳初版)

いと小さき者とは誰でしょう。隣人とは誰でしょう。

現代の私たちに求められるのは、聖書の文字で人を裁くことではなく、文字の中に込められた大切なメッセージを読み取ることでしょう。

クリスマスが来ます。
祈りましょう。
いと高き所には神に栄光が、地には平和が、主の悦び給う人々にありますように。

(伊藤一滴)

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