脆弱な現代社会
千葉県内の停電が長引いて、深刻な事態になっているという報道を聞き、一刻も早い完全復旧を祈りながらも、これは起こるべくして起こった事態だと思いました。
ひとつは、日本全体が、あまりにも電気に依存しているということです。
もし、これが50年前だったら、たとえ電気が止まっても水道もガスコンロも使えたでしょう。電話も、電話線が切れていなければ停電のときも使えました。トイレも汲み取りが多かったし、水洗トイレでも電化されていなかったから、停電していても流せました。
80年前だったらどうでしょう。台風の被害はあっても、停電の被害は少なかったと思います。人々は、台風被害の片づけをしながら、いつものように井戸の水を汲み、かまどに火を焚いて調理し、お風呂も火を焚いて沸かし、普段とそれほど変わらない暮らしをしていたのではないかと思います。「今日も電気(照明器具)がつかないから、早く寝よう」なんて言いながら。
一般に、リスクヘッジと言われ、予期される危険は分散すべきなのですが、日本は、分散ではなく、あれもこれも電気の使用に集中させてきました。
今は、台所も火を使わない電化、水道も電気でくみ上げ、トイレの水も電気で流す。あれも電気、これも電気。電気が止まればみな止まる。
まるで、ガラス細工の機械の上に築かれた高度な文明のようです。
ガラスの歯車が一つ欠ければみな止まる。
もうひとつ、林業の衰退の問題です。
外国産の木材に押され、日本の林業は衰退してきました。
林業者は激減し、森林の保全が行き届かず、それも、倒木による電線切断の被害を大きくしたのでしょう。しかも、倒木を撤去してくれるプロの林業者が少ないのです。
自衛隊も出て懸命に作業をしているようですが、自衛隊員はプロの林業家ではありません。怪我人がでないといいのですが。
(一滴)
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