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明日のことを思いわずらうなと言われても

明日のことを思いわずらうなと言われても、思いわずらってしまうのが人間です。

未来に対する漠然とした不安もそうですが、現代を生きるための種々の所有もまた、思いわずらいの原因になっているのではないかと思います。(不安があるから所有するのかもしれませんけれど。)

お金であれ、土地であれ、物品であれ、更新が必要な資格などもそうですが、それを持つから、把握し、管理し、維持しないといけなくなるのです。
所有が少なければ、所有に対する思いわずらいも少ないのに、所有が増えれば手間も増えて、思いわずらいも増えるのです。

たとえば、多くの衣服を持っていれば、それらをクリーニングし、収納し、季節ごとに出し入れする手間も増えます。どの服をどこにしまったのか把握した上で、防虫対策やカビ対策などの維持管理も必要です。収納場所も考えないといけないですしね。

「 6:28なぜ着物のことで心配するのですか。 」(新約聖書 新改訳 初版 「マタイの福音書」)

お金もそうです。私はあまり持ってませんが、多く持てば幸せだとは思いません。
多くを持てば多くの手間が必要です。複数の銀行に預けるとか、株を買うとか。
どこにどれくらい預けたか投資したかを把握し、管理し、セキュリティ対策を、と、手間も増えます。資産運用やいろいろな勧誘があったりして、対応しないといけないわずらいも増えるでしょうしね。お金を多く持つ人の暮らしは、どうも、大変そうです。相続の時に親族が対立したら嫌ですしね。

「6:19自分の宝を地上にたくわえるのはやめなさい。そこでは虫とさびで、きず物になり、また盗人が穴をあけて盗みます。 6:20自分の宝は、天にたくわえなさい。そこでは、虫もさびもつかず、盗人が穴をあけて盗むこともありません。 6:21あなたの宝のあるところに、あなたの心もあるからです。」(同)

私、小学生の頃から、こういうのを読んでいたんですよ。親に隠れて、こっそり。

何を宝だと思うかですね。
自分が宝だと思うものの方向に自分の心が向かってゆく。


生活を維持するために、ある程度の所有は必要でしょう。
それに、ただ食べるだけでなく、文化的な営みも必要ですしね。

でも、過度の所有は思いわずらいを増やしてしまう。

現代の暮らしをする上で、そのあたりのバランスをどうするのか、ですね。

所有から自由になって、思いわずらいのない暮らしがしたいです。
でも、ヤマギシ会みたいなのは、ちょっとね(高田かな『カルト村で生まれました。』他)。

福音書に記されたように、思いわずらいから解放され、自由に生きていけるなら、それが理想です。

(伊藤一滴)

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