「落ちるところまで落ちるのか」
映画「主戦場」が上映されています。
伊藤詩織氏の裁判も、注目されています。
ある見解が、客観的に「正しい」か「誤り」かだけでなく、そこに権力側(およびその支持者)の意向や権力への忖度、ナショナリズムやイデオロギー、強い先入観、ある人への差別意識・・・・、いろいろなものがまとわりついてくるようです。
私は、以前、「落ちるところまで落ちるのか」と書きました。
こう書きました。
引用開始
私が学生の頃、「正しい」のか「誤り」なのか、これはとても大事なことでした。相手の主張が「誤り」であることを論証すれば、「正しい」側が勝ちでした。
今はどうでしょう。「正しい」主張をする側と「誤り」の主張をする側がいて、「誤り」の側が勝つことも珍しくなくなってきました。
事実に反することを語っても、大衆受けする話であればそれが支持され、一定の勢力になるのです。
大衆は、事の正誤にあまり関心がないようです。
今の日本もアメリカも、「誤り」の主張であっても、それを強く主張して相手を圧倒した側が「指導力がある」とされて勝つような、そんな世の中になってきました。
引用終了
全文 http://yamazato.ic-blog.jp/home/2017/05/post-e2ff.html
客観的事実と考えられるかどうかではなく、たとえ嘘でも強く主張し、相手を圧倒し、多数の人をその気にさせて味方につけたり黙らせたりした側が指導力があるとされて勝つ。これに反する主張が退けられる。
おかしいです。
嘘や不正や隠蔽がまかり通る日本になりました。
権力側の疑惑の数々を、みんなで見ないふりをして、なかったことにするのですか?
森友学園や加計学園をめぐるあまりにも不透明な出来事の数々、公文書の改竄まで起きているのに一人の逮捕者もでない、担当公務員が自殺しても、うやむや、文部科学省事務次官だった前川喜平氏の「出会い系バー」報道の不自然さ(公立探偵が尾行して読売にリーク? 公務員が税金でそんなことやってんの?)、伊藤詩織氏の性犯罪被害告発への警察の対応の不自然さ(権力の介入?)、東京新聞の望月衣塑子記者に対する嫌がらせのような官房長官の対応・・・・。そして最近は映画「新聞記者」公式サイトへの特定IPからのアクセス集中によるサーバーダウン(一秒間に何十回という、人力ではあり得ないアクセス、映画を妨害するサイバー攻撃? まさか内調が官庁のパソコンからこんなわかりやすい妨害をするとは思えないので、民間の「安倍応援団」の何者かが勝手にやったのかもしれませんが・・・・)
こうした疑惑の数々を、みんななかったことにするのですか?
安倍さんの代わりはいないから、下手に追求すると自分が干されるから、損するだけだから、やめておこう、ですか?
映画「新聞記者」が大人気なのに、テレビがまるで報じないって。どういう圧力? あるいは忖度?
マスコミの報道を抑えつけることで長期政権を維持するなんて、他の政権は考えもしなかったでしょう。それ、いったい誰のアイディアですか?
ぜひこちらもご覧ください。
#新聞記者
#新聞記者みた
(一滴)
コメント