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「聖書の真理」で人を責める

自称「福音派」の中に、こういう人たちがいます。(一般の福音派の全員がそうだというのではありません)

聖書に書いてあることはすべて正しい。聖書は真理である。
私たちは聖書を信じている。
つまり私たちは正しい側、真理の側にいる。

そこまでは、まあ、宗教としてのキリスト教の考えでしょうが、自分たちは「真理」の側なので、「聖書の真理」で人を導いてあげようとするのです。

悪意はありません。むしろ、善意でそうするのです。

救いの中にいない気の毒な人たちを救わないといけない。
「聖書の真理」に基づいて、回心させてあげないと。

そうやって、自分たちの価値観から人を責める。気の毒な人たちを救わないといけないという熱意に燃えて、やたら人を責めるのです。

「そういう考えは間違いです!」
「そういう人は地獄に行きます!」
「八木誠一の本なんか読んじゃいけません!」
責める、責める。
(本当に私は「八木誠一の本なんか読んじゃいけません」と言われて責められました。それでますます読みましたが・・・・)

自分にも厳しいのでしょうが、やたら人に厳しく、責めてくる。
なにしろ自分たちは「真理」の側にいるわけですから、「聖書の真理」で間違いを正すことが神の愛の実践だ、正しい福音伝道だ、ということなのでしょう。

エスカレートすれば、彼らなりの「聖書の真理」による支配になってゆくようです。
「地獄に行く魂を救うため」、「正しい」ことをするため、何をしても許されるみたいです。

悪意を持って人を責めるのではなく、「正しい道に導いてあげたい」という善意で責めてくるのです。

私は、そういう人たちが言う意味での「聖書の真理」も「聖書は無誤である」という主張も信じませんでした。

聖書を信じないというのではありません。ある人たちが、聖書に出てくる言葉を表面的・恣意的につなぎ合わせて作った「正しい聖書信仰」「福音的な信仰」といったイデオロギーを、まったく信じなかったのです。
だから、マインドコントロールの手口にも引っかかりませんでした。

責められ続けて自信を失った人、マインドコントロールされてしまった人など、正常な判断力を失い、心を取り戻すのに時間がかかってしまうかもしれません。

自称「福音派」、自称「クリスチャン」たちの罪深さを思います。
でも、彼らも被害者なのかもしれないのです。
吸血鬼にやられた人が吸血鬼になって、他の人の血を吸い、その被害者も吸血鬼になって被害が拡大するみたいに。

被害が広がらないことを、また、すでに被害にあってしまった人が目を覚ますよう、私も祈ります。

(一滴)

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