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「花は咲く」 死者の語り (再掲)

(今年もまた震災の日が来ましたが、私の思いは変わらないので、2013年の4月に書いた文章を再掲します。)


「花は咲く」という歌があります。テレビをほとんど見ない私でも耳にする歌です。
歌詞は、下記のNHKのホームページにあります。
http://www.nhk.or.jp/ashita/themesong/sing.html
なお作詞者岩井俊二さんの見解も、こちらにあります。
http://www.nhk.or.jp/ashita/themesong/

この歌は、どうも、東日本大震災で残された人と犠牲になった死者との対話のようです。

朝日新聞2013年3月16日(日付は山形県村山地方で配達されたもの、都市部ではたぶん数日前の夕刊)に、宗教人類学者の山形孝夫(やまがた・たかお)氏が見解を書いておられました(氏は1932年生まれ、仙台市在住。宮城学院女子大学名誉教授)。

「『花は咲く』死者と語る歌」という題です。
「生者の呼びかけに答え、励まし
『未来へ共に生きる存在』に変化」という副題がついています。

氏は、「誰かの歌が聞こえる」という「誰か」は死者であり、「千の風になって」にもみられる「死者の語り」だと言います。「死者の語り」は日本の仏教が長くタブーとして封印してきたもので、なぜ封印されたのかというと、平穏な社会秩序をおびやかす呪いや亡霊の怨嗟の声とみなされたからだといいます。古くは、滅亡した平氏(=平家)の無念を歌った盲目の琵琶法師は仏教界から追われ、近代では、戦死者は等しく愛国者として顕彰され、死者の無念が語られることはなかったというのです。(実際は、死者が語るイタコやオナカマもありますが、公的に認められたものではなかったし、日本の宗教の主流にもなりませんでした。)
「死者の語り」が再び人の前に顔を出しているのは、葬送儀礼の変化もあって死者への恐怖が薄れ、死者に対するイメージが変化しつつあったときに大震災が起きたからで、それは、「死者を記憶し、死者と共に未来に向かって生きていく、そうした変化が起こりつつあるさなか」だったといいます。
僧侶たちが「千の風になって」に不快感を示そうが、もう、日本の仏教がこれまでのやり方で独占的に死者を管理するのは限界がきていたのです。

「被災地には、ひとには明かし得ない無念の思い」があり、生者も死者も「言いたいことが山ほどある」のでしょうが、山形氏は、生者と死者にこう語らせます。

「ごめんね、ママが助けてあげられなくてごめんね」
「大丈夫だよママ、ごめんね、ずっとママを見守っていくからね」

これは私の想像ですけれど、私がもしこの子であったなら、さらにこう言うでしょう。

「もう泣かないでママ、泣かないでパパ。
『助けてあげられなくてごめん』なんて、言わないで。
なにも悪くないんだから、ぼくに謝らなくていいんだよ。なにも悪くないんだから、自分を責めないで。
ぼくのほうこそ、先に逝ってしまってごめんなさい。
ママやパパがいつまでも泣いていたら、ぼくも悲しい。
ぼくは大丈夫だよ。
ぼく、この家に生まれてよかった。幸せだった。
大事に育ててくれてありがとう。
今度はぼくが、空から、ママやパパやみんなを見ているよ。ずうっと見守っていくよ。
だから、泣かないで。自分を責めないで」

死者は、「無になってしまった人」ではありません。
山形孝夫先生がおっしゃるとおり、「生者の呼びかけに答え、励まし」を与える存在であり、「未来へ共に生きる存在」だと思います。
(伊藤一滴)

2013-04-08

補足1:作詞者の見解がこちらに移っていました。https://www.nhk.or.jp/ashita/themesong/original.html

補足2:厳密に言えば平氏=平家ではなく、「平氏」は平氏一門全体の総称として使われ、「平家」は平氏の長であった平清盛の一家という意味で使われることがあります。そういう意味だと、滅亡したのは平家であって平氏ではないということになりますが、世間一般ではそこまで厳密に使い分けていません。(2019-03-12)

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