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「カルト化した教会」を必要とする人々がいるから、なくならない

「カルト化した教会」を必要とする人々がいるからなくならないというご指摘を見つけました。
ちょっと驚きでしたが、読んでみて、はっとしました。なるほどと思いました。ぜひこれを紹介したいと思います。
(万一にも執筆者さんにご迷惑をかけることがあってはいけないと思うのですが、以下はネット上の「metanoiaxの日記」に公開されており、執筆者さんは、当然広く読まれることを前提にお書きになっていることと思います。)

引用開始  
 
「信仰という名の虐待」という本が出て、もう20年以上の月日が経ちました。

多くのクリスチャンの方々も良くご存知の本です。

カルト化していく教会に危惧を感じ、一人の海外の牧師様が書き下ろされたこの本・・・

この前後くらいから、現代の教会のカルト化を危惧する牧師様、神父様、宗教家、信者達が少しづつ声をあげられていきました。


警告を鳴らす一人一人の小さな声の音も・・・
月日を重ねるごとに、カルト化した教会に苦しむ人や、その家族、関わる周り人達に少しづつ浸透していったのだと思います。
そして、それによって救われた人も多いのだろうと感じています。


やはり、小さな小さな声であっても、発していくことは大切なのだなと感じます。
 又、苦しみの中にいる人達と手を繋いだ底辺からの声には力があるのだなとも感じています。


しかし・・・

まだ厳然と、このカルト化が進む教会は存在し、又、その中で泣く人は多くいらっしゃるのだと感じています。

「正統派・◯◯とは一切関係ありません・カルト教会で悩んでらっしゃる方のカウンセリングをします」等々を謳う教会の中に、かなりの数のカルト教会が存在するのも事実かと思われます。


そして・・・・

このカルト化している教会は、まだまだ無くならないのだろうと感じています。


なぜなら・・・

「カルト化した教会を必要とする人々」が多くいらっしゃると思うからです(二世さんは除きます)

カルト化した教会を必要とされる方々は、カルト化していない教会では満足出来ません。
いずれ、カルト化した教会に移籍されるのだと思います。


どうしても満たされない承認欲求・世の中に対する強烈な敵意とコンプレックス・恐怖から来る支配欲
・病んだ心を埋める為に使う使命感・・・など、

そういう自分の心の闇を、直視する事が出来ない程
に傷付いた人にとって、カルト化した教会は、本当に救いの場であるのだろうと感じます。

自分の傷の根本治療が出来ない程痛んでいる人にとっては、一本のモルヒネ注射の方が救いになるのかも知れません。

その時は痛みが和らぎ嘘の世界で夢心地になれるものの・・

やがては、一本のモルヒネ注射では痛みが治まらなくなり、もっとキツい注射を打ち続け、最初の傷は悪化し、新たにもっと深い傷を負ってしまう・・・


傷の深さは相当なものなのだろうと思います。


誰も・・・
好きで満たされない承認欲求を抱えたいわけがありません。

誰も・・・
好きで、世の中に対して強烈な敵意とコンプレックスを持ちたいわけではありません・:・

誰も・・・誰も・・・


カルト化した教会を必要としない私や色んな方々は、たまたまその環境だっただけなのだと思っていす。


こうしてブログを書いていると・・・
 カルト化した教会を必要とする人々と、日常生活の中でなるべく関わりを持つことを上手く避け、敵意・支配欲・承認欲求、そして嘘の世界で陶酔しなければ生きれない方々から目を背け逃げる自分を突きつけられます。


全ての人の傷が早く癒えますように・・・

特に、深い傷を負った人の心が癒されますように・・

引用終了

出典 「metanoiaxの日記」2018-2-26より


私、一滴は、原理主義者やカルトが憎くて批判しているのではありません。彼らは純粋で熱心なんです。ただ、その信じ方は、信仰というより病的な思い込みのようだと感じていました。そして、そうした「信仰」のあり方の問題点や矛盾点を指摘すると、火がついたように怒り出す人もいました。私は、目を覚ましてもらいたいから、あえて言うのです。「やはり、小さな小さな声であっても、発していくことは大切」だと思います。

病的な思いこみのようだと以前から感じていましたが、上記に引用したご指摘を読んではっきり分かりました。「カルト化した教会を必要とする人々」が多くいるのです。「どうしても満たされない承認欲求・世の中に対する強烈な敵意とコンプレックス・恐怖から来る支配欲・病んだ心を埋める為に使う使命感・・・など、そういう自分の心の闇を、直視する事が出来ない程に傷付いた人にとって、カルト化した教会は、本当に救いの場であるのだろう」と、私も納得しました。もちろん、真の意味で「本当の救いの場」であるはずもなく、当人がそう感じているだけで、治療せずに痛みを麻痺させる鎮痛剤なんです。だんだん鎮痛剤が効かなくなって、もっと強い薬を求め、傷は悪化してゆくという泥沼です。それも、上記引用のご指摘にある通りです。

気の毒です。でも、こっちが彼らに引き込まれてはいけません。引用の中にもありますが、カルト化した「教会」の中に正統派を自称し、「カルト教会で悩んでらっしゃる方のカウンセリングをします」等々を謳っている場合もあるので要注意です。原理主義者やカルトが、他の原理主義者やカルトを非難して、相談に乗りますなんて言っていても、病んだ「教会」から別の病んだ「教会」へ引っ張られるだけですから、そういうところに相談してはいけないのです。

ゆがんだ考えを持つ人たちは、「私たちはゆがんでいます」なんて言いません。伝統的なキリスト教を思わせる教義を主張し、「私たちは福音主義の信仰に立つ正統プロテスタントです」「正しい聖書信仰に立つ教会です」「福音的な教会です」「ものみの塔(エホバの証人)、統一協会、モルモン教とは一切関係ありません」等々、さも自分たちは正しいキリスト教であるかのようにかたるのです。中には「『「信仰」という名の虐待』や『教会がカルト化するとき』などの良い本が出ていますから是非お読みください」なんて言う人までいて、ぶったまげ!! それ、自分たちのことが書いてあるんだって思わないんだろうか。自分たちもカルト化しているのに、他のカルト教会の非難に使うとは・・・・。
目を覚ましてください。

見分けるポイントはいくつかあります。他の教派に対する非難もそうです。それも、相手のことをよく知らずに、知ろうともせずに非難するのです。何しろ自分たちは「真理」の側にいて正しいのですから。「私たちは罪びとです」なんて言いながら、そう言ってるだけで全然低姿勢じゃない。自分たちは「真理」の側だという高みから他者を断罪するんです。他宗教、他教派、他教会の人との交流が嫌いで、学問的な検討も嫌いで、特にエキュメニズムを嫌います。どうも、自分たちの外の世界はサタンの支配下にあると考えているようです。中でもとりわけ日本基督教団などのプロテスタント主流派(メインライン、エキュメニズム派、リベラル派とも呼ばれる人たち)やカトリック教会(これもエキュメニズムの立場)を執拗に攻撃します。エキュメニュカルな人たちは、学問を積んだ理性的な人が多く、的外れな非難を浴びても非難の仕返しなどしませんが、あまりにもしつこいのでちょっと反論すると「弾圧された」と大騒ぎして、「クリスチャンなのにクリスチャンから迫害された」「あっちはサタンのパン種が入った教会だ」「イエス様が迫害されたように、私たちも正しい主張をするから迫害されている」などと言い出す始末です。私はかつて、そうした光景を目の当たりにしました。そのような自称「教会」や自称「クリスチャン」に引き込まれてはいけません。

こんなことを書くと憎しみをこめて非難しているように聞こえるかもしれませんが、事実だから、見分け方を書いて、引き込まれないようにと注意を促しているのです。
憎しみではなく、私は、彼らに目を覚ましてもらいたいのです。

そして、どうか、「metanoiaxの日記」の執筆者さんが守られますように。健康の問題もおありのようですが、どうか、守られますように。

キリスト教界には、このmetanoiaxさんのような、良心の声を上げる人が必要なのです。

(一滴)

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