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翻訳には訳者の考えが反映してしまう

暑い日が続きます。

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田川建三『新約聖書 本文の訳』(作品社)が届きました。
これで、田川訳の新約聖書全体を一冊の本で持ち歩くことができるようになりました。
 
聖書の翻訳に限ったことではありませんが、翻訳というのはある言語を別な言語に移し替える作業であり、どうしてもこの作業の中に訳者の考えが反映されてしまいます。故意ではなくとも、無意識にそうなってしまいがちですし、個人訳だけでなく、団体が訳しても、団体の考え方が翻訳に出てしまうのです。だから「原文通りの訳」とか「原典に忠実な訳」とか、訳者がそう称しているだけであり、不可能に近いのです。

なるべく原文に忠実に訳したいなら、クリスチャンが聖書を翻訳してはいけないし、仏教徒が仏典を翻訳してはいけないのです。その人の「信仰」による考えが訳文を曲げてしまうおそれがありますから。

田川建三さんは、新約聖書学の碩学であるだけでなく、「神様なんていませんよ」と言っている人ですから、ご自分の「信仰」による訳文の歪曲はないでしょう。その点は、田川訳を信頼していいと思います。ただ、逆に、「神様なんていない」という思いが、訳文のどこかに反映している可能性はあります。

(わざとでなくても、クリスチャンたちは、自分が属する教派の見解に沿うように、うまく訳文を持っていってしまう傾向があるのです。私たちが知りたいのは教派の見解ではなく、聖書そのものにどう書いてあるのかです。教派の見解を知りたいなら、その教派が出している教義の解説書を見ればよいのですから。)

(一滴)

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