「首相礼讃2」 偉大な首相はさらに語る
偉大な首相はさらに大いに語りました。
(「偉大な首相」は架空の人物です。また、以下の話はすべて私が創作したフィクションであり、実在の人物、国、政府、政党などとは一切関係ありません。)
皆さん、政治家にとって最も大切なのは実行力です。結果です。野党がどんなに理想を語っても、理想だけでは絵に描いた餅であり、実行力と結果がなければお話になりません。
過去20年の我が国の政治と経済を考えてください。国民の目からは、私の内閣が最も安定しており、最も経済的な成果をあげているように見えています。これだけの、見せかけの結果を出せる人が他にいましたか。これまでの、また、今の野党にいますか。与党にだって、私と同等かそれ以上の人がいますか。私の代わりはいないのです。
安定しているように見える理由はいくつかありますが、大きな理由の一つは赤字国債の乱発とバラマキ政策です。長期的な未来のことを考えずに目先の利益だけを求め、今だけ、金だけを第一とすれば国民はついてきます。長期的な未来のことを考える国民など、ほとんどいませんから。
それに、どうすれば国民にうけるのか、どうすれば支持されるのか、広告代理店とよく話し合っているのです。相当のお金も使っていますが、それに見合います。イメージ戦略ですよ。世の中はイメージで動いていますから、イメージづくりをすれば、実行力がある、成果をあげているという話になってゆくのです。国民なんて、その程度です。
こんな技を使う私の代わりはいないのですから、私はいつまでも高い支持率です。一時的に支持率が下がっても、そのうちⅤ字回復です。国民は、よく考えていないし、みな生活に追われ、忙しくて、忘れっぽいのです。
嘘も千回言えば本当の話になると言いますが、カラスは白いと言い続ければ、カラスは白いことになります。この閣議決定は憲法に違反しない、この法律も憲法に違反しないと言い続ければそうなるのです。都合の悪い文書はなかったことにする。都合の悪い面会もなかったことにする。そうすれば、なかったことになるのです。嘘も千回ですよ。そのうちみんな忘れます。
多くの国民は目先のことしか考えてませんから、私がどんなに嘘をつきまくってもみんな忘れて支持率は回復します。三選、四選、五選どころか、終身制も夢ではありません。
政治の世界に裏工作があるのは当然のことです。それにいちいち目くじらを立てて国会審議を停滞させてしまうのは、国にとってマイナスです。野党はまともな対案も示さず、建設的な意見を言わず、ただ批判するばかりじゃありませんか。国会審議が停滞し、国の重大な損失ですよ。野党には、国政を担う能力などないくせに、邪魔ばかりするのは困りますね。
野党や学者やマスコミの中に、民主主義の危機だとか、立憲主義を守れとか言って国民をあおる人がおりますが、彼らは本当に民主的なのでしょうか。単にゆがんだ考えに支配されているだけではないのですか。私はこれまでの国政選挙のすべてで勝利しています。これが論より証拠、我が内閣は民主的に選ばれたのです。ヒトラーが民主的に選ばれたのと同じです。真に民主主義に立つのは我々です。私に逆らう人は民主主義に逆らっています。
また、私が官僚らを忖度(そんたく)させていると非難する人がいますが、もし忖度がなければどうなりますか。かつての、悪しき官僚支配が復活するだけでしょう。そうなれば、官僚たちは、政治家を軽んじ、官僚支配でこの国を牛耳ることでしょう。そうならないよう、私が人事を握り、官僚らに目を光らせているのです。私の息のかかった人でなければ省庁のトップになれません。私に逆らえば干されます。官僚が首相の意向を忖度するのは当然です。私は国益のためにそうしているのです。それで何が悪いのですか。
警察も検察も、トップは私が抑えていますから、私や私に近い人には手を出せませんよ。行政は私の支配下にありますし、司法も私が抑えています。だから私に不利な判断はできません。もしすれば、その人を更迭した上で、上でひっくり返しますけどね。
マスコミの中には、まだ私に逆らう勢力もあるので、だんだん締め付けを厳しくしようと思っています。
役所や報道機関だけではなく、国民の間にも空気を読む風潮、忖度が広がっていますから、私の支持率はいつまでも高いのです。逆らえば自分が不利になるとわかっているので、みんな逆らいません。特に空気を読むのが得意な若い世代から、私は高い支持を受けています。それでよいのです。
私は「新しい判断」ができる人間です。わかりやすく言えば、かつて断言したことを、いとも簡単にひっくり返すことができるのです。政治家の、責任ある言葉とは何でしょうか。それは私のこれまでの発言のように、一貫性もなく、偽りだらけの、その場限りの軽い言葉を言うのです。かつて強く断言したことをあとから簡単にひっくり返すことを新しい判断と言い、責任ある言葉と言うのです。国民は深く考えませんから、そうした言葉を連発する私についてきます。
そもそも、今の時代、この国全体に一貫性などないし、官民あげて偽りに満ちているではありませんか。私がそうしたと言うより、そういう時代だから私が選ばれ、高い支持率を誇っているのです。
戦前の我が国が、偽りに満ちた美しい国であったように、今、また美しい国に戻りつつあります。私がそれを加速させます。
公文書が改竄されていると問題視する声がありますが、先ほど申し上げた通り、政治の世界に裏工作はつきものです。すべての事実を事実として残すことが国益とは限りません。「真理」というのは事実かどうかではなく、国益になることを「真理」と言うのです。私は、不適切な文書を「真理」になるように変えさせているだけです。
えっ、文書の「真理」化は国益のためではなくて、自分に近い人に便宜をはかった証拠をもみ消すためではないかですって? まあ、仮にそうだとしても、私が失脚すれば国家的損失ですよ。代わりがいないのですからね。そうならないようにするのが国益です。そのうちにですね、真理省をつくりたいと思っているところです。
警察や検察の上層部は私に逆らえませんから、公文書改竄の件では一人の逮捕者も出ないし、一人も起訴されませんよ。それに、副総理がどんなに暴言を吐きまくろうが迷走しようが絶対にやめさせません。たとえ万引きで捕まったってやめさせません。私自身も、逮捕されたってやめません。そもそも私を逮捕するのは不可能に近いですけれど。まあ、左遷どころか辞職覚悟でやるんですね。
ナチスドイツやジョージ・ウォーエルを思わせるですって? そりゃあそうです。『我が闘争』と『1984年』が私の政治の教科書ですから。それで何かいけないのですか?
お気づきかと思いますが、他に私が参考にしている国は、スターリンのソビエト、中国や北朝鮮などです。軍事を重んじて人権を軽んじる国、強い権力が君臨し、秩序が保たれている国が私の理想です。
そのためにも、憲法改正が必要です。
我が党の憲法改正草案をお読みになればわかる通り、戦力の保持(不保持ではありませんよ)、国民主権の見直し、基本的人権の制限、この3つが理想的な憲法改正の柱です。
しかしですね、そんなことを大っぴらに言ったら憲法改正を支持してもらえなくなりますから、まずはソフトな改正からやるのです。広告代理店とよく打ち合わせた上で、我々の本音がばれないようにソフトに改正していくのです。
憲法改正に向けて、もうテレビのCM枠も確保してあります。お金をかけてガンガンCMを流せば国民はついてきます。洗剤のCMをガンガン流せば売れるのと同じです。国民なんて、しょせんその程度ですから。
それとですね、私のことを歴史修正主義者だと言って非難する人がおります。海外のメディアからもそう言われることがあります。それについては、まず、言葉の定義をはっきりさせる必要があります。歴史修正主義という言葉はいくつかの意味で使われますが、「客観的な歴史学の成果によって確定した事実を全体として無視し,自分のイデオロギーで過去の出来事を都合良く解釈したり,誇張や捏造された〈事実〉を歴史として主張する立場を批判する際に用いられる概念」(平凡社/百科事典マイペディア)としておきましょう。
逆に聞きます。歴史修正主義で、何が悪いのでしょうか。
考えてみてください。そもそも国益に反することを歴史として教えることがよいことなのでしょうか。国公立の小、中、高、大学はもちろん、私立の学校も、反国家分子の養成所にしてはなりません。国家の未来を担う人材を養成するため、国益にかなう歴史を教えるべきなのです。それが事実かどうかは問題ではありません。教科書も「真理」化し、我が国の一員として、誇りを持てる歴史教育をすべきなのです。史実性を重んじて客観的なことばかりを歴史として叙述するのは国益に反します。反国家的な歴史教科書を出す出版社やそうした教科書を採択する学校にはさまざまな形で圧力をかけて、封じ込めてやりましょう。
やがて真理省が出来たら、教科書検定は真理省に担当させましょう。
以前から申し上げているとおり、私の気持ちはいささかも揺らいでおりません。
何度も繰り返しますが、まず憲法を改正しましょう。そうやって、あるべき国の理想を定めましょう。かつて、ナチスドイツがスポーツや禁煙を推奨し、不純分子を排除して、健康で美しい国を目ざしたように、私たちも我が国から不純をなくし、みんなで健康な美しい国を目ざしてゆこうではありませんか。
(割れるような拍手喝采)
このように偉大な首相は大いに語りました。(繰り返しますが、実在の人物、国、政府、政党などとは一切関係ありません。)
(伊藤一滴)
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