キリスト教 批判者の誠実さ、他教派の誠実さ
いくつか思うことを書きます。
1.キリスト教批判について思うこと
http://metanoiax.hatenablog.com/entry/2017/06/15/020146
たまたま私はこれを見つけて、「う~」とうなってしまいました。
キリスト教を批判する誠実な人がいます。そういう人を非難する「クリスチャン」もいます。ある種の「クリスチャン」は自分の畑を少しでも荒らされたと感じると激高するのに、人の畑は平気で踏み荒らすのです。なにしろ「自分たちは真理の側にいて、正しい」のですから。
2.仁保裕介氏のこと
お会いしたことはありませんが、私は仁保裕介氏がお書きになった文章を時々読んでいます。
仁保裕介氏は誠実な信仰をお持ちのクリスチャンのようで、私は、氏の言葉に良識ある信仰者の姿勢を感じています(注)。氏がネット上に書かれた文章は、どれを読んでも私の心に響きます。
福音派・聖霊派が持つ体質的な問題、特にカルト化の問題など、私が(限られた範囲ですが)見聞きしてきたことと重なり、なるほど、そういうことなのかと思います。
3.カルトによるカルト批判
関連しますがもう1つ、別の話です。以前、聖書カルトのことを書きましたが、ネットを見ていると、聖書カルト的な人が他の聖書カルトを非難している記事が見られます。非難する側もされる側も、どっちも、「自分たちは正しい聖書信仰に立つ」とする聖書カルトのようです。
キリスト教原理主義者(=ファンダメンタリスト=根本主義者)と思われる人が、「教会がカルト化するとき」という冊子を勧めたりしているので、聖書カルトを非難している人や団体だから安全だ、とはなりません。どっちもどっちです。
「あなた方のやり方はエホバの証人と似ていますね」と言われて怒る自称「福音派」は、本当にエホバの証人と似ているし、「あなたのような人を原理主義者(ファンダメンタリスト)と言うのです」と言われて怒る人は、まさに原理主義者かそれに近いから怒るのです。
自分が属する立場を絶対視し、絶えず他を非難することで自分たちを正当化する人たちに近寄らないことです。
キリスト教に関しては、カトリックやプロテスタントの主流派(リベラル、エキュメニズム派)を敵視し、口汚い非難を浴びせる自称「福音派」とか、
逆に、福音派をみな同一視して、「福音派はみなカルト」「アホの福音派」などと言っている人とか、
どちらとも関わりたくないです。
よく見れば、カトリックにもプロテスタント主流派にも、知的で、善良で、良識をもってキリストに従おうとする人たちがいます。それは、福音派にもいます。「彼らは間違っている」と決めつけて、その姿勢をよく見ようとしないから、見えないのです。
(一滴)
聖書カルト
http://yamazato.ic-blog.jp/home/2017/11/post-b22f.html
http://yamazato.ic-blog.jp/home/2017/11/post-88a9.html
(注)仁保氏は、もともと福音派の教会で学ばれ、牧師もなさっておられた方ですが、現在は福音派の所属ではないそうです。ご本人がこうおっしゃっています。
「私も福音派で信仰を持ちましたが、後で福音派の教会の関わりの囲いから外に出ました。
関わりを断っているわけではありませんが、距離を置いています。
日曜日は、仕事がなければプロテスタント主流派の教会に行っていますが、会員にはなりません。」
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