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「平和島」(『“「信仰」という名の虐待”からの回復』より)

ちょっと長いのですが、パスカル・ズィヴィー著『“「信仰」という名の虐待”からの回復』から「平和島」という詩を引用します。 

引用開始

「平和島」

平和島。

そこは涙も悲しみも苦しみもないところ。

過去の痛みも癒され、慰められ、喜びに変わる場所。

平和島には王がいる。

「平和島行き切符無料」

私はそれを手に入れた。切符は血で真っ赤だった。

切符を手にして港に来た。

平和島行きの船がいくつもある。

どれに乗ろうとか見渡す。

ぼろぼろの小船が目に留まった。

その船は、重病人やけが人でいっぱいだった。

前方に豪華で巨大な船があった。

若い人がいっぱいいた。きらびやかで、楽しそうだった。

「この船にしよう」

船に入った。扉が閉められ、船は出発した。

平和島が遠くに見える。そこに着くのが楽しみでたまらない。

船が動き出し、客はご馳走を振舞われた。

すばらしい演劇も見た。この船は、すばらしいもので満ちていた。

アナウンスが流れた。

「平和島行きのお客様。ご馳走とショーはここまでです。

お客様に重大なお知らせがあります。

平和島に着くまでの間、お客様には重大な任務があります。

各自、船長の指示に従ってください。」

「重大な任務ってなんだろう?」

船長が来た。私の任務について説明を受けた。

どうやら平和島の海には弱肉強食がなくて、魚が生き生きと安心して住めるらしい。

海で弱肉強食にさらされている魚を一尾でも多く救い出して、

平和島に連れて行くことになった。

そのために毎日、魚を取る漁師が必要だというのだ。

私の任務は、漁師だった。

えさをまいて魚を集め、巨大な網で魚を取る。

そうすれば一度に大量の魚を保護できるから。

この海には恐ろしいサメがうようよしているから

あやまって海に落ちないようにと注意された。

私には、魚のえさと網が与えられた。

なんと光栄な任務だろう。

魚を安全な平和島に連れて行くために捕獲するのだ。

私は、平和島に行くまで、この任務に命をかけようと思った。

わくわくした。

少々の危険がってもかまわないと思った。


えさをまいた。

魚が大量によってくる。いろんな色の魚。いろんな大きさの魚。

魚がたくさん集まったので、網を引いた。

大量で、全身の力を込めて網を引かないとびくともしない。

必死で網を引く。 痛い! 網の重みで指が切れた。でもあきらめない。

もっと力を入れて網を引いた。引き上げる。

ゆっくりゆっくり網を手繰り寄せる。

もう少しで、船に上げられる!! ぎりぎりぎり。

網が指に食い込む。血があふれ出る。

あっ。網が切れてしまった。 大量の魚は海へ散っていった。

でも数尾の魚は捕獲できた。

魚管理の任務に当たっている人がその魚を水槽へと運ぶ。

私はその後ろ姿を見送り、再びえさをまき始める。

魚がたくさん集まってきた。

今度こそ、すべて捕獲しよう。

決心を新たに全身の力を込めて網を引く。

ゆっくりゆっくり、網が上がる。ぎりぎりぎり。

網が指に食い込む。肉がはがれた。

激痛が走る。でもあきらめない。網を引き続ける。

あっ。また破れた。

残ったのはわずかな魚。

一日中、やってみた。

でも必ず網が破れる。いったいどうしたことか。

船長が来た。

網の苦情を言った。

ビジッ。体の肉が裂けた。血があふれ出る。

何が起こったかわからない。

船長の手に鞭が握られていた。その先には金具がついている。

船長は怒鳴った。

「何が不満なんだ! 私にけちをつけるのか!! もっと魚をとれ。怠けるな。休まず働け! どうして魚がこんなに少ないんだ!! しっかりやれ!!」

私は悟った。

船長に苦情を言ってはいけない。殺されるかもしれない。

えさをまき、網を引く。ぎりぎりぎり。

網が指に食い込む。肉が裂け血が流れる。

あきらめずに網を引っ張る。あっ・・・・

また破れる。残ったのはわずかな魚。

いったいどうしたことだろう。

でも、頑張らないと。魚を平和島に連れて行くために。

何度も何度も繰り返す。網は必ず破れてしまう。

もっと頑張らないと。もっと。もっと。


ある日、気がついた。私は白髪が増えたようだ。

あれから何年たったのか。

平和島。ただ、そこに着くのを望みとしている。

体中から血があふれる。網を引くたびに指が裂ける。

もう骨が見えている。

でも休むことはできない。休んだら、さらにひどいことになる。

もう船は出てしまった。もう引き返せない。

体中から膿があふれている。

長年の傷。化膿して、あふれる膿。

体中が痛くてたまらない。

船が出発するころには見えていた平和島。

なぜか平和島が見えない。

どうしたのだろう。本当に平和島に着くのだろうか。

船長の姿が見えなくなった。

捕獲した魚の様子が気になった。こっそり見に行った。

私は自分の目を疑った。魚が腐っている。

腐っているのに泳いでいる。

いったい何なんだ。 魚を逃してやらなければ・・・・・

ビッシッ。背中に激痛が走った。

船長が立っていた。手には鞭。

私は倒れこんでしまった。

「こんなところで何をやっているんだ。

任務はどうした!! 魚をとれ!!」

はいつくばって自分の場所に戻った。

えさをまき、網を引きながら、私は考えた。

「水槽の魚に何が起こっているんだろう。

私は何をしているんだろう。

本当に魚にとって幸せなんだろうか・・・・・」

「落伍者がでたぞ!!」 だれかが叫んだ。

体中血だらけの人が、動けなくなってうめいていた。

「役に立たないものは海に捨ててしまえ!!」

その人は海に投げ捨てられ、見えなくなった。

次は私だろうか・・・・・

恐怖におののく。

体力の限界を感じながら。

「平和島行き」の切符を見た。

いったいいつたどり着けるのか。

見えていたはずの平和島はまったく見えなくなってしまった。

船はどこに向かっているのだろう。

でも、もう引き戻せない。

意識がもうろうとしてきた。

体中の激痛すら感じなくなっていた。

ああ。私はもう死ぬんだな・・・・・

「落伍者が出たぞ!!」

叫び声がする。

私の体は宙に浮き、海に投げ出された。

ぶくぶくぶく・・・・・

冷たい。体が凍りそうだった。

傷に塩水がしみてくる。激痛・・・・・

がぶがぶがぶ。水を飲んだ。動けない。

泳げない。意識が遠くなった。

きれいな船が通りかかった。助けて・・・・・

船からだれかが叫んだ。

「定員オーバーで助けられないよ。頑張って。」

そして遠くへ消えていった。


私の意識も限界だった。

そこへ、何かが私の腕をつかんだ。

引き上げられた。

目を上げてみると、見覚えがある船。

ああ。病人がいっぱいいるあの汚い船だ。

私は助け出された。腫れ上がった体に手当てがなされた。

看護してくれた人。覚えている。

前に見たときは全身やけどだった。今はすっかりきれいになっている。

彼は言った。

「この船は病人を救出しているんです。

私もここで手当てを受けて、良くなりなりました。

ゆっくり休んでください。

必要なことはなんでもおっしゃってください。」

ここは安全な場所。暖かい人たち。

ふと外を見ると平和島が見えた。

だれかが近づいてきた。

私を助けてくれた人だとわかった。

握手をしようとした。

手に傷がついていた。

見上げると、平和島の王だった。


引用終了

私は、「ぼろぼろの小船」は健全で穏健な一般のキリスト教の船で、「豪華で巨大な船」は正統プロテスタントだの福音的な教会だのと自称する原理主義やカルトの船かと思いました(見た目が「豪華」「巨大」でない場合もあるので、要注意)。「私たちは聖書に書いてあることを、書いてある通りに信じています」などど言う船長のもとで、多額の献金の強要や不透明な経理、過酷な「伝道」の強要、パワハラやセクハラの横行まで、実際に起きています。

傷ついた人が「教会」に助けを求め、そこでますます傷を深くする話は、読んでいてつらいです。

非キリスト教の社会で育った人が、いい船と悪い船を瞬時に見分けるのは難しいと思います。よい木はよい実を結び悪い木は悪い実を結びますから、その「教会」や「キリスト教団体」がどういう実を結んでいるのかよく見てください。

それにしても、なぜ人は、原理主義やカルトを作り出し、それを信じ込み、維持してしまうのでしょう。もしかすると、この「船長」らもまた、マインドコントロールを受けた被害者なのかもしれません。

(一滴)

付記:上記を書いたあとで見つけたのですが、以下が参考になります。

http://herem-killer.com/n_creed/phfa1.html#stitle1-2

「聖書に名を借りた支配」についてです。「どうやら福音派の教会が「聖書カルト」化する傾向が強いようだ」とし、その根拠が書いてあります。

付記2:この「平和島」の詩は、たとえ話のようなものです。とてもよく描かれていますが、たとえ話の限界もあります。実際は、船に乗った人は「人間をとる漁師」となり、とられた人間も「人間をとる漁師」になってしまうのです。いい意味で「人間をとる」のならともかく、支配下に置かれ、他の人を支配してゆくんです。そうやって、イエス・キリストの方向が見えなくなってゆく。それが、正統プロテスタント・福音的な教会と自称する原理主義やカルトです。

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