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フィリピンのハンセン病患者施設で出された菓子の前で思ったこと

1989年にキリスト教団体の旅に同行してフィリピンに行ったとき、ハンセン病患者の施設を見学しました。マザー・テレサが設立した修道会がフィリピンで運営している施設でした。

見学後、施設の職員さん(シスター)から、お茶でもどうぞと応接室のような部屋に案内され、お茶やお菓子を出してもらいました。修道会の施設ですから、裕福でないことは知っていました。日本から来た私が、ここで菓子を食べれば、食べた分だけ患者や職員の分を減らしてしまうのではないかと思いました。日本の感覚だとたかが菓子一つですが、スラムやゴミの山で暮らす人たちにも会った私は、フィリピンの人たちの菓子を一つ減らすのをためらったのです。でも食べないと、ハンセン病の施設だから食べないのかと思われそうで、そんなふうに思われたら嫌で、迷ったんです。

で、私は、菓子を取って食べました。

それが私の気持ちでしたから。

そこで茶を飲み、菓子を食べる。それが私の気持ちでしたから。

(伊藤一滴)

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