病院の昨今
昨年12月、隣町に住む父が自宅の脱衣所で倒れ、病院に運ばれました。頭は明瞭で口も達者ですが、なにせ80代ですから、歳相応の身体です。山形市内の病院に年末まで入院していました。(今は、自宅療養中です。)
病院で感じたのですが、今の医療機関は、すべてパソコンですね。お医者さんも、看護師さんも、検査技師さんも、みな、パソコンを見てます。パソコンがつながっているので、血液検査の結果も、レントゲンやCT検査の結果も、その他いろいろが、みなネットワークで送られてきます。以前のように手書きのカルテや、紙に書かれたデータや、印画紙に焼かれた写真等々を医者が見るという、そういう時代ではないです。
続かなくなったら、どうするんだろう? というのが、私の素朴な疑問でした。
もし、電気や電池、電子機器の供給が続かなくなったら、医療機関は治療を続けることができるんだろうか? と思ったのです。
1980年代初めに私が入院したときは、体温計にしても血圧計にしても、看護婦さん(当時の呼び名)が水銀の目盛りを読んで紙に書いていました。当時は、電気や電池がなくとも体温や血圧をはかることができました。胃カメラだって、どう見ても市販品と同じ一眼レフカメラ(たぶん、オリンパスOM-1、あるいはOM-2)をつないでフィルムで撮影していました。
(余談ですが胃カメラの検査がすごく苦しくて、目の前のオリンパスの一眼レフに恨みをいだき、それからしばらくオリンパスは使いませんでした。でも、OM-1は機械式のいいカメラなんで、だいぶ経ってからまた使うようになりましたが・・・・。電子制御のOM-2はトラブルの多さで評判が悪く、買ってません。)
今は、何もかも、電子制御になりました。医療だけでなくて、さまざまな分野が、まるでガラス細工の歯車の上で動いているような感じがします。
続かなくなったら、どうするんだろう? 私が心配しても仕方のないことですが、大災害などが起きて、復旧が長引いたらどうなるんだろうかと思います。
それと、もう1つ感じたのは、大部屋の入院患者が皆カーテンを閉め切って、互いにほとんど話をしないことです。私はこれまで2回入院し、父も数回入院してますが、以前なら考えられなかった光景です。かつて、大部屋に入れば同室の患者同士いろいろと話をしたものです。それが気晴らしにもなったし、互いに仲良くなって、身の上話をしたりしてました。
プライバシー保護、ですか。患者同士が仲良くなってはいけないのですか。
今の病院は、部屋に名前を表示しないし、時々部屋替えもあります。考え過ぎかもしれませんが、患者たちが仲良くならないようにわざとそうしているような感じさえします。
かつて、病院は出会いの場でもありました。闘病中の者同士の連帯感のようなものがあって、互いに励まし合っていたのです。
電子化の進展と反比例するみたいに患者同士が互いに無関心になりました。もう『愛と死を見つめて』のような時代ではありません。
昭和も遠くなりました。
(伊藤一滴)
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